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山脇延吉翁頌徳碑

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原文

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頌徳碑

故正六位勲五等功四級山脇延吉君ハ明治八年二月有馬郡道場村ニ生レ東大ニ學ヒ日露戰役ニ從軍殊勲ヲ奏シ歩兵大尉ニ任シ大正八年陸軍大演習ノ砌御前講演ヲ拜命ス人袼髙潔德望世ニ髙ク縣會議長縣農會長縣販賣購買組合聨合會長神有電鐵社長其ノ他要職ニ就キ後帝國農會副會長ニ選任サル昭和六年農業恐慌ニ際シ自力更生ヲ提唱 畏クモ上聞ニ達スルノ光榮ヲ擔フ終始農政運動ニ心血ヲ注キ全國ヲ講演行脚シ竟ニ根本的税制改革ヲ初メ幾多重要政策ノ實現ヲ見タルハ君ノ努力ニ負フ所洵ニ多大ナリ昭和十四年藍綬褒章ヲ授ケラレ又軍事産業縣政等ノ功勞者トシテ屢顯彰セラル紀元二千六百年式典ニ當リ特ニ位二級ヲ進メラレ昭和十六年四月病革ルヤ勲等ヲ陞叙サル寔ニ餘榮アリト謂フヘシ爰ニ有志相謀リ碑ヲ建テ永ク其ノ偉績ヲ傳フ
 昭和十八年四月
 陸軍大將正三位勲一等功一級男爵本庄繁題字
 帝國農會長  從三位勲三等伯爵酒井忠正撰

現代仮名遣い

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頌徳碑

故正六位勲五等功四級山脇延吉君は、明治八年二月有馬郡道場村に生まれ、東大に学び、日露戦役に従軍、殊勲を奏し、歩兵大尉に任じ、大正八年陸軍大演習のみぎり、御前講演を拝命す。人格高潔、徳望世に高く、県会議長、県農会長、県販売購買組合連合会長、神有電鉄社長その他要職に就き、のち帝国農会副会長に選任さる。昭和六年農業恐慌に際し、自力更生を提唱。畏くも上聞に達するの光栄を担う。終始農政運動に心血を注ぎ、全国を講演行脚し、ついに根本的税制改革をはじめ幾多重要政策の実現を見たるは君の努力に負うところまことに多大なり。昭和十四年藍綬褒章を授けられ、又、軍事産業県政等の功労者としてしばしば顕彰せらる。紀元二千六百年式典にあたり、特に位二級を進められ、昭和十六年四月病革まるや勲等を陞叙さる。まことに余栄ありというべし。ここに有志相謀り、碑を建て、永くその偉績を伝う。
 昭和十八年四月
 陸軍大将正三位勲一等功一級男爵本庄繁題字
 帝国農会長  従三位勲三等伯爵酒井忠正撰

この著作物は、1943年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。