初等科國語 三/濱田彌兵衛
濱田彌兵衛
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臺灣は、明治以來日本の領土になりましたが、今から三百二十年ぐらゐ前までは、まだどこの國のものともきまつてゐませんでした。今日、
その以前から、日本人は、さかんに南方へ船で出かけ、南支那から、今のフィリピンや、
濱田彌兵衛は、
ところで、そのころ、ひよつこりと臺灣へ現れたのが、オランダ人です。かれらは、兵力を以て臺灣の港を占領し、そこに城を築きました。さうして、日本船や支那船が、貿易するのをさまたげるために、一割といふ高い關税を拂ふことを命じました。
いはば、新參者のオランダ人が、古參の日本人をじやまあつかひにしたのです。そこで、日本人は、なかなか承知しませんでした。そこでオランダの長官は、たびたび日本船を取り調べたり荷物を
彌兵衛が、末次船二さうを仕立て、荷物や武器を積んで、臺灣に着いた時、オランダの長官ノイツは、すぐ役人に命じてその船を調べさせ、一時、彌兵衛を一室にとぢこめておいて、武器や船具を沒收させてしまひました。彌兵衛が腹を立てたのは、それがためであります。
しかし、彌兵衛は、なにもオランダ人と、けんくわをしようといふのではありませんから、できるだけおだやかに出て、武器や船具を返してくれるやうに、たびたびかけ合ひました。ノイツは、
「何のために、武器を積んで來たのか。」
と彌兵衛を責めます。
「海賊にそなへるためです。」
と、彌兵衛は答へました。そのころ、南支那の海上に海賊の一團がゐて、彌兵衛も、これまでずゐぶん苦しんだことがあります。しかしノイツは、
「もうこのへんに、海賊はゐないはずだ。」
としらばくれて、武器を返さうといひません。
かういふかけ合いをしてゐる間に、むなしく月日が過ぎて行きました。ノイツは、武器や船具を返さないばかりか、日本船に水さへもくれません。しかも、そのやうすがすこぶるわうへいで、高い
彌兵衛は、もうこの上がまんして、日本の恥を臺灣にさらしたくありませんでした。何とかして、日本へ歸りたいと思ひました。もし歸れないなら、むしろオランダ人と戰つて、死んだ方がましだとさへ思ひました。
彌兵衛は、部下の者といつしよに、ノイツに最後の面會を求めました。その時、ノイツは城外の別館にゐましたが、
彌兵衛は、まづおだやかに申し出ました。
「私どもは、日本へ歸らうと思ひますから、ぜひ、出航を許可していただきたうございます。」
ノイツは、だまつてゐました。
「それで、このさい、船具や武器のお引き渡しを願ひたいと思ひます。」
ノイツは、まだ返事をしません。
「風の都合もありますし、どうか今日はぜひとも。」
するとノイツは、
「歸ることは許さん。」
と、いつものやうにわうへいに答へました。
「どうしても許さないといはれるなら、今日は覺悟がありますぞ。」
と、彌兵衛は、少しつめ寄つていひました。
このやうすを見て、そばにゐたオランダ人たちが、びつくりしました。
ノイツも、氣味わるく思つたやうですが、わざと平氣な顔で、
「そんなに歸りたければ、歸れ。」
と吐き出すやうにいつたあとで、
「だが、荷物は全部置いて行くのだぞ。」
とつけ加へました。
彌兵衛は、じつとノイツを見つめました。もう、がまんも何もあつたものではないと思ひました。
「ようし。」
と叫ぶが早いか、すばやくノイツに組みつきました。
彌兵衛は、かた手にノイツの胸ぐらをつかんで引きすゑ、かた手に短刀を拔いて、その胸に突きつけました。
彌兵衛の部下も、刀を拔きました。
その室にゐたオランダ人が、逃げ出して急を知らせました。
たちまち、城内にラッパが鳴り響きました。オランダ兵士が、彈をこめた銃を持つてかけつけて來ました。
「ドドン。」
兵士たちは、屋内へ向かつて撃ちこみました。
彌兵衛は、ノイツの首に刀を突きつけたまま、
「撃つなら撃て。その代り、長官の命はないぞ。」
といつて、きつとあたりをにらみました。
「いや、撃つな。撃つなといへ。」
目を白黑させながら、ノイツは、かけつけて來たオランダ人にいひました。
兵士は、仕方なく撃つことをやめました。
それから彌兵衛は、ノイツをしばりあげたままで、長い間だんぱんをつづけました。
とうとうノイツは、これまでたびたび沒收してゐた荷物や、武器・船具、そのほかすべての物を返すことを約束しました。
數日ののち、彌兵衛を船長とする二さうの日本船は、受け取つた荷物をいつぱい積み、おまけにオランダ船一さうを引きつれて、堂々と臺灣の港を出航しました。
「ヤヒョーエドノ」といふ名が、そののち、オランダ人の間に響き渡りました。