浮世の有様/5/分冊6
二割下げを励行せんとす歌舞伎役者の名を器具に用ふるを禁ず江戸積廻の物に口銭を課す文政の通貨通用禁止文政通貨替取の注意利足を減す金銭貸借の規定糠の代を減ずべき事札を以て一朱銀引替の便を計る改暦古真字金銀通用停止一朱銀両替の注意引替の雑鬧を禁ず倹約令励行酒造に就いての注意茶屋風呂屋の取払女髪結取締足袋に規定す火の元の注意古金銀取締日光参詣用品取締元直段高直の者は上進する事を令す買置占売を禁ず大学書改筑前の騒動大守の申渡し阿蘭人の妾となりしものゝ尺牘右に対する批評樋口三位許さる光格天皇御一周忌京都の浮説諸侯への仰渡し異船警固を令す異船に対する準備を覚す江戸内海の防備年柄善けれども悪疫流行す通用使用の疑惧遊所を増す衣服旅宿の制を宥む遊惰の風再び起る変死の者多し改革令に触れて罰せらる琉球人来朝琉球人参府川行列江州一揆一揆の動因長浜屋八之助が見聞西垣丈助が見聞又炭屋次郎兵衛知人の談一揆の異説一揆の原因となりし公儀役人役者絵を売りて罪せらる砂糖を買占罪せらる禁酒所々の小火長崎町年寄高島四郎太夫の浮沈英国船来航の風聞
所々明地面又は往来道端等にて、葮簀張り致し、茶店・煮売其余の品たりとも、商ひ致し候儀願済しの分は格別、さも無㆑之処の者等相対を以て、葮簀張り等補理候分は残らず取払ひ申付け候。尤も此後新規に取補理候はゞ、願出で指図受くべく候。
右の通り三郷町中へ洩れざる様可㆓申聞㆒候事。
寅九月廿六日
町々諸色直段の二割下げ以上引下げ売買致すべき旨、先達て相触れ置き候処町人中心得方区々にて、取引き混雑に及び候儀も有㆑之哉に相聞え候に付、左の通り。
【二割下げを励行せんとす】一、諸国より大坂積廻し候処の品は勿論、土地産物にても元方より荷受致し、仲買又は素人へ売捌き、代銀高に応じ口銭取り候儀を渡世致し、商人の元方直段二割以上下げ受払ふべく候。右に付元方直段引下げ方の掛合ひ行届き兼ね、無㆑拠直下げ成難き分も有㆑之ば、早々申出すべく、元方に於ても打合せ、糺の上沙汰に及ぶべく、先達て已来追々申渡し候へば、たまさかに元方掛合ひ、直下げの儀申出で候者も有㆑之候得共、多分其儀なく、勝手儘に売買致し、高直に売払ひ候趣も相聞え如何に候。総て元方よりして下直に相成らず候ては、直下げの趣意を貫き申さず候間、其段厚く相弁へ、何れも元方直下げの掛合行届かざる分は、聊掛酌なく早々申出づべく候。但口銭の儀は、売方に応じ、夫々歩割等有㆑之分は、本文の通り元方直下げ行届き候はゞ、自ら口銭高も相減じ候筋に付、右口銭の内にて、二割引下ぐるには及【 NDLJP:126】ばず候。
一、総て仲買又は素人中、前出荷受屋より買取り候商物、夫々手元にて割渡し致し候分は勿論、右荷物の儘売り候分、一同元付の引格も有㆑之儀に付、右の分は前条荷受屋同様直段割下げ、取引致すべく候。但本文の外、段々手を越し候商物も、総て右の振合に心得、元方引下げ行届き候て、其余は口銭にて引下げ申すべく候。右の通り相心得、一同正路に売買致すべく候。若し割下げ高を見込み、荷受屋総て元方直段引下げ、仲買の外の者は己等口銭等申掛け、徳用貪取る族も有㆑之趣相聞え候はゞ、早速召捕り、厳重御仕置申付くべく候間、其節後悔致すまじく候。勿論右様の者無㆑之様、夫々所の者共に於ても頼み、心を付け相改むべく候。
右の通り可㆓触知㆒者也。
【歌舞伎役者の名を器具に用ふるを禁ず】一、鬢付其外何品に寄らず、歌舞伎者異名又は紋所抔、右の品売出し候儀相成らず候間、町々にて右様の品無㆑之様改めらるべき事。
寅十月朔日
【江戸積廻の物に口銭を課す】一、大坂より江戸積荷物、於㆓海上㆒難破船の節は、以来江戸・大坂両損の積り相極め、送り荷の儀は、積込みの儀案内致し置き候分は、是又江戸表引合ひ候商人共、両様に相心得候様、当七月触置き候。然る処江戸積油の儀、これ無口銭にて積廻り来り候処、右体海難両様相成り候ては、積方の者共及㆓難儀㆒候由相聞え候間、来る十五日より船積の分、以来海難手当の為、元相場直段へ三歩五厘の口銭相添へ、江戸油屋共より相渡し候筈に相成候に付、其段当表重立て候油屋共へ申渡し候間、素人にても江戸積致し候者は、其旨を存じ、弥〻以て積廻り方出精致し、御府内油潤沢に及び候様厚く心掛申すべきは勿論、右に付ても元方直段引下げ、売買致すべく候。
右の通り三郷市中洩れざる様可㆓申聞㆒事。
寅十月
【文政の通貨通用禁止】一、文政度の文字金銀・草字二歩判・二朱銀・一朱銀等不㆑残此度通用停止被㆓仰出㆒候に付、所持の者は員数書付、其筋へ差出すべき旨の御触面に付、銘々囲持ち候員数有㆑之儘、書付を以て申立て候へば、引替方の儀相達し候手積有㆑之候得共、囲持の筋【 NDLJP:127】に無㆑之、当用の為め所持致し候分は、引替へ候ても苦しからず候。且つ一朱銀の儀も当表引替所左の通り。
〈吉野町〉辰巳屋弥吉・〈三井組〉御為替御用取扱所・〈十人組〉御為替御用取扱所・〈寛喰屋橋〉近江屋休兵衛・〈今橋〉 鴻池庄之助・〈長堀〉住友甚兵衛両替店・〈同平野町〉米屋平太郎・〈安土町〉炭屋安兵衛・〈平野町二丁目〉米屋喜兵衛 〈和泉町〉鴻池新十郎・〈過書町〉天王寺屋忠治郎・〈今橋〉鴻池善五郎・〈久太郎町三丁目〉近江屋半右衛門・〈大川町〉加島屋作兵衛。〆十八軒
右の者共へ引替取扱はせ候間、右の内勝手場所へ差出し、引替へ申すべく候。尤も一朱銀に限らず、前書金銀の分共所持の員数書出し候高の内、余儀なき訳にて、追て引替所へ差出し候引替の儀、有㆑之まじく共申し難き間、右様の類は、其金銀高並に引替所名前共相認め、其筋へ申立て候へば、書上高の内引替申すべく、其余囲持ち候分は、最前厚く御触面の御趣意相弁へ、聊か隠置かず、所持の員数有㆑之候儘書出すべく候。
【文政通貨替取の注意】一、武家其外共町人へ相対にて申付け、前書名前の者共方にて、引替へさせ候儀は、勝手次第にて前書の通り引替方申渡し候上は、縦へ当用の多少も有㆑之、引替一時に落合ひ難渋致さゞる為め、当分の処は日々人数並に引替高をも大凡取極め、取扱ひ候様引替人共へ申渡し候間、一統其旨を存じ、神妙に引替申すべく、右の趣三郷町中へ可㆓触知㆒者也。文政度の文字金銀草字二歩判・二朱銀・一朱銀等、残らず通用停止被㆓仰出㆒、銘々持囲ひ候員数有㆑之儘に書出し候様御触有㆑之候処、遠国等へ掛り候旅人抔、右御触存ぜず、以㆑前出立致し、此度通用停止候金銀当用の為持参り、払方等差支へ候趣に相聞き、右の停止の金銀にて、右持囲ひ候筋に無㆑之、当用の為め所持致し候分は、其場所にて受取り苦しからざる事に之有り、払に受けある者は、最寄両替致す者方にて引替候共、又取集め置き、兼ねて御触置の引替所に差出し、引替へ候共、或は年貢等に相納め候共、勝手次第の事に有㆑之年貢等に取立てられ候分は、御勘定所へ断り次第、早速引替へ相渡すべく候得共、是又別紙名前の者方にて、引替へ候共苦しからざる事に候。
金銀引替所
【 NDLJP:128】〈本町一丁目〉後藤三右衛門役所・〈本革屋町〉三谷三九郎・〈同所町〉井筒屋善四郎・〈銀引替所蠣殻町〉銀座・〈金銀引替所駿河町〉三井組為替御用取扱所・〈本両替町〉十人組為替御用取扱所・〈室町三丁目〉竹原文右衛門・〈土槙町〉和泉屋甚兵衛・〈金次町〉播磨屋新右衛門・〈神田町旅宿川〉石川屋庄次郎。〆
上方筋金銀引替所
〈京新町六角下ル〉三井組・〈同両替町御池上ル〉十人組・〈大坂高麗橋三丁目〉為替御用取扱人・〈大坂平野町二丁目〉為替御用取扱人。〆
【利足を減す】一、世上金銀貨借利足の儀、是迄一割半に候処、以来金廿五両に付、一歩の利足に利下げ仰出され候間、諸国共右の割合を以て、無㆑滞貸借致し、総体右より高利金一切貸出し申すまじく候。尤右定めの外、品々の名目を付、多分の雑費取り候儀、決して致すまじく候。
一、是迄金二十両より高利に貸出し候分も、此節より以後、廿五両に付一歩の利分に相直し申すべく候。其余利安に貸遣し置き候分は、猶更勝手次第に候事。
一、宮門跡其外名目有㆑之貸付金の分も、同前たるべき事。
【金銭貸借の規定】一、此度金銀貸借利分の割合、右の通りに相成り候上は、以後弃捐等の沙汰は無㆑之儀に付、金主共安心致し貸出し、世間の融通差支へなき様可㆑致候。尤右に付ては返済方も、是迄の貸金銀弃捐に可㆑致抔との心得違致すまじく、又貨方も容易に出訴に可㆑及筋は有㆑之まじく、諸事寛政九巳年金銀出入の儀に付、相達候趣弥〻皆相守り、精精実意を尽し、取引可㆑致候。若し右の趣相背き節義に闕け候取計らひ之あるに於ては、無㆓用捨㆒及㆓吟味㆒、右の廉にて厳しく咎可㆑申付候。右の通り在町共可㆑被㆓相触㆒候。
寅十月十日
右の趣江戸より被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
口達
【糠の代を減ずべき事】一、町々糠直段の儀、先達て諸色直下げの儀相触れ候節、一旦引下げ候得共、猶又此節元の如く引上げ候由相聞え候。右糠の儀は、諸国田方別て豊熟に付いては、追々米直段も引下げ候趣に候上は、旁〻右に釣合ひ申すべき筈の処、却て高直に売買致し候段、以の外の事に付、早々引下げ可㆑申候。尤此後も米直段に基き高下致すべきは勿論、兼ねて触渡しの趣をも厚く相弁へ、何れにも売出元よりして直段引下げ、【 NDLJP:129】夫々下直に売買致すべく候。自然此上にも不正の取扱等致し、直段雑上げ候様に相聞え候はゞ、早速召捕り、急度御仕置申付くべき間、糠商人並に搗米屋・酒造屋等は申すに及ばず、其外一統此旨存ずべく候。
【札を以て一朱銀引替の便を計る】一、一朱銀引替に付、札五枚宛町毎に相渡し候。右一枚を五両以下の積を以て、明十六日より日々五日の間引替へに越さるべく、五日目の前日又五枚宛、五日分追々相渡し、幾枚も右の通りの仕方にて、引替へ相成候積りに候間、其旨申聞けられ、引替に罷越し候者かさつに無㆑之様相心得、引替所混雑に及ばず候様に有㆑之度候条、年寄より申達し差出さるべく候。但町々の分は、鴻池善右衛門外十四人方にて、引替へ申すべく、町々の外端々諸総会所御触事等相達し候場所の分は、員数書差出し候上にて、引替所の名前心得方等申達すべく候。
寅十月十五日
【改暦】寛政暦差錯有㆑之に付て、今度京都に於て、改暦宣下・暦号定陳の儀被㆓遂行㆒、新暦号天保壬寅元暦と被㆑定候。依㆑之来々寅年ゟ新暦頒行の事候。右の通り可㆑被㆓相触㆒候。
十月
右の趣江戸より仰下され候条、此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅十月廿日
【古真字金銀通用停止】古金銀真字二歩判・古二朱銀等引替所の儀、当寅十月迄被㆓差置㆒候段、去る丑年相触候処、今以引替残も有㆑之・且此度文政度の文字金銀草字二歩判・二朱銀・一朱銀共残らず通行停止被㆓仰出㆒候に付、引替所の儀、猶又来る卯十月迄被㆓差置㆒候間、其旨相心得持囲ひ候分は員数書出し、引替方の儀は、其筋ゟの指図を受け可㆑申候。此度停止の金銀は、是迄持囲ひ居り候筋に無㆑之、当用の為取遣り致し居り候分は、最寄両替致し候者の方にて引替へ、両替に取り候者は、取集り次第最寄引替所へ差出し、来る卯十月を限り急度引替へ可㆑申候。右に付ては古文字金銀、文政度の文字金銀草字二歩判・二朱銀・一朱銀共不㆑残通用停止被㆓仰出㆒候に付、引替所の儀猶又来る卯十月迄差置かれ候間、其旨相心得持囲ひ候分は、員数書出し、引替へ方の儀は、其筋ゟの指図を受け可㆑申、此度停止の金銀は、是迄持囲ひ居り候筋に無㆑之、当用の為取遣り致【 NDLJP:130】し居り候分は、最寄両替致し候者の方にて引替へ、両替に取り候者は、取集まり次第最寄引替所へ差出し、来る卯十月を限り、急度引替へ可㆑申候。右に付ては古文字金銀・文政度の文字金銀真字・二歩判・新古二朱銀の儀は、是迄の通り御手当可㆑被㆑下候。
【一朱銀両替の注意】一、一朱銀の儀、金高多く所持致し、最寄にて両替差支へ、直に引替所へ差出し、又は遠国在々の者両替所を致し集置き、両替所へ差出し候分は持越し候入用も相掛かるべきに付、差出し候者住居より銀座並に其最寄引替所へ、道法五里以上相隔り候者へは、里数遠近並に金高に応じ、諸入用として御手当下され候間、御料は御代官、私領は領主・地頭にて、右手当相願ひ候者取調べ、江戸銀座へ申立て候様致すべく候。尤当人又は其身寄の者より、直に銀座へ願出で候ても苦しからず候。但持囲ひ常備の為め、領主・地頭にて囲持ち候分、並に領分知行の者所持の一朱銀、領主・地頭にて取集め差出し候分共、本文割合の通り、諸入用下さるべく候。右の趣御料は其所の奉行・御代官、私領は領主・地頭より入念可㆑被㆓申付㆒候。
寅十月
右の通り江戸表より仰下され候に付、最寄両替致し候者、聊不㆓危踏㆒何れにも引替差支へ無き様遣すべく候。右に付大坂両替屋共取集め候分、引替所へ差出し方手筈等の儀は、十人両替屋共委細申渡し置き候間、其旨可㆑存候。
【引替の雑鬧を禁ず】一、右体来る卯十月を限り、引替候筈に候上は、一朱銀引替へ差出し候儀、銘々先を争ひ多人数込合ひ、引替所並に両替屋等混雑致させ申すまじく、夫々神妙に引替へ申すべきは勿論、所の者共に於ても、心を付け可㆓取示㆒候。
右の趣三郷町中洩れざる様、可㆓触知㆒者也。
寅十月若狭遠江 北組 総年寄
【倹約令励行】実素倹約の儀に付、去る冬江戸表ゟ御触達の趣、町中へ相触れ、其後衣類は申すに及ばず、其余品々取締り向等の儀、追々触書差出し、又は口達を以て御触れさせ候廉々少なからず、町々に於ても町役人共る、末々迄洩れざる様相触れ候儀に可㆑有㆑之、一旦は御趣意行届き、基本相立ち、此上追々御趣意相貫き候場合に至るべきや、月数相重り候に付ては、衣類は勿論、其余触渡しの廉々忘却致し候者之あるや、何【 NDLJP:131】時となく相弛み候哉の趣にも相聞え候に付、去月西御役所に於て取調ぶべき積り、其方共迄沙汰に及び候処、何分恐入り候次第に付、此上猶又取締り方の儀、精々其方共手許に於て申諭し度く、猶予の儀達て相願ひ候に付、先づ承置き、先月中は猶予致し、当月より弥〻触面相背き候者有㆑之に於ては、無㆓用捨㆒取調べ申すべき趣申渡し置き候儀に付、其方共は勿論、町役人共ゟも、精々取締り申諭し等取計らひ候儀に可㆑有㆑之候得共、自然此後触書の趣等等閑に相心得、御趣意に相背き候者有㆑之候はば、無㆓用捨㆒取調べ、夫々厳重の可㆑及㆓沙汰㆒条、自然右様の者町内ゟ出し候ては、其町役勤め候者共の越度にて、町内の瑕瑾、家主・五人組・年寄迄も相咎め候次第に至り、其方共にも不念の廉遁れ難き訳柄に候へば、調等受けざる已前、銘々心得違の廉等有る分は相改め、後悔致さゞる様心掛くべき旨、厚く世話致し、一郷限り猶又其方共より、町々末々迄洩れざる様、早々可㆓申諭置㆒候。
十月廿一日
【酒造に就いての注意】一、諸国酒造の儀、是迄酒造株と唱へ来り候処、株と唱へ候儀相止め、酒造稼と唱へ替へ、冥加の儀は是迄納め来り候分据置き候。尤酒造人の内仲間取極め、冥加相納め候分は、組合仲間等為㆓差止㆒、品により冥加をも差免し候筈に候。
一、此度相改め候、去る巳年以前迄造り来る米高を以て、永々造高に相定め、諸国一統御料・私領・寺社領共已後為㆓取締㆒、鑑札相渡し置き、酒造人身上衰へ、酒造相止め候者鑑札取上げ、闕所等に相成候者は、猶更取上げ
一、酒造株貸渡の儀引分け・譲渡し候儀は難㆓相成㆒旨、寛政の度御触有㆑之候得共、出造・出稼の名目を以て、紛はしく取計らひ致し候者も有㆑之哉に相聞え候間、以後分け株・株貸は勿論、出造・出稼等の儀も不㆓相成㆒候。
一、諸国酒造御貸株の儀、新規貸出し候方相止め、是迄貸渡し置き候分、稼相止め候節は、追々減じ切り申付け候。右は諸国酒造の儀、此度書面の通り取締り相立て候間、其旨可㆑存候。
右の趣三郷中可㆓触知㆒者也。
【 NDLJP:132】 寅十月若狭遠江
口達
【茶屋風呂屋の取払】一、此度差止め相成り候茶屋・風呂屋渡世の者共、速に場所引払可㆑被㆓仰付㆒処、格別の御宥恕を以て、来る卯正月迄の内、外商売可㆑致旨申渡し候儀に候上は、縦へ限月に不㆑至候共、其心得も可㆑有㆑之処無㆓其儀㆒、是迄の通り押晴れ商売致し居り候族も有㆑之哉に相聞え、以の外に付、兼ねて銘々表口に差出し有㆑之茶屋・風呂屋目印の掛行灯早々取除け可㆑申候。右に付元茶立女髪洗女等
【女髪結取締】一、近来女髪結及㆓増長㆒、風俗に拘はり候に付、傾城町遊女の外は、女髪結に髪を結はせ候儀不㆓相成㆒段、当四月相触れ候に付、一旦相慎み候趣に候へども、又々此節女髪結共、密々右渡世致し候由相聞え候に付、及㆓吟味㆒候へば、是迄の得意先外用にて参合せ、髪すき遣し候迄にて、賃銭は不㆓貰受㆒、又はいたみ所有㆑之折柄、右体参合せ候故、すき貰ひ候抔と申立て候族も有㆑之候得共、総て女たる者、自身髪を結ひ候儀は嗜みの第一に候処、其弁も無㆑之段歎かはしき儀にて、全く親類・身寄りの者、又は家主・所役人等よりの教示不行届きより生じ候儀に付、能々申諭し厳重に取締り可㆑申候。依㆑之以来傾城町遊女・三箇所旅籠屋食盛女は格別、其外は女結髪に髪を結はせ候儀は、賃銭取遣りの有無に不㆑拘事に付、右髪結共婦女相応の職業、疾に相改め候筋に候間、是迄女髪結共罷在り候町々より、最寄総年寄迄夫々商売替の儀書出し可㆑申候。自然此上にも右申渡しを不㆓相用㆒趣相聞え候はゞ、女髪結は勿論、右の者に髪結はせ候者一同、早速召捕へ急度可㆓申付㆒間、其旨可㆑存候。但傾城町遊女並に三箇所旅宿屋食盛女の髪を結ひ候者は、早々右箇所へ引移り可㆑申候。他所より働に入込み候儀は、取締りに拘はり候に付、堅く不㆓相成㆒候。尤兼ねて右場所に居付き候女髪結共儀、此後他町より同職の者引移り来り候共、決して差障り申すまじく候。
右の趣三郷町中端々迄不㆑洩様早々可㆓申聞㆒候事。
寅十月廿三日
口達
【 NDLJP:133】【足袋に規定す】町入妻子絹足袋用ふまじき儀は勿論の事に付、足袋屋渡世の者、絹足袋仕入れ商ひ等致すまじく、無㆓余儀㆒誂受け候はゞ、月番の奉行所へ可㆓断出㆒候。若し心得違の者於㆑有㆑之は、急度可㆓申付㆒候。右の趣三郷町中末々迄も不㆑洩様可㆓申聞置㆒候事。
右の通り被㆓仰出㆒候間、町々末々迄入念可㆑被㆓相触㆒候。以上
十月廿九日 北組 総年寄
〔口達脱カ〕
【火の元の注意】一、町中火の元念を入れ、油断不㆑仕様に急度可㆓申付㆒候。風吹候時分弥〻以て昼夜共繁々人を廻し、家主へ断り裏借家迄、其度々家主見廻り、明借家は別て念を入れ可㆑申事。
一、風吹の夜は、通りの人々心を付、例の如く亥の刻已後は門を
一、夜中不審なる者通り候はゞ、召連れ可㆑来候。且又川端の納家下に非人臥せらせ申すまじく候事。附如㆑例自身番相勤め候節は、当番の者弥〻念を入れ、油断仕るまじき事。
右の通り毎年申付け候得共、弥〻以て油断不㆑仕様三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅十月若狭遠江 北組 総年寄
【古金銀取締】一、文政小判の外、八品の金銀、一町限り員数書付け、一通は年寄印形、一通は名印に不㆑及、雛形の通り相認め、来月六日町代可㆑有㆓持参㆒候。
一、右金銀員数、夫々相認め所持無㆑之分へは、其品の下へ当時無㆑之旨相認め可㆑被㆑申候。已上
寅十月廿八日
一、文政小判〈何両〉 一、同一歩判〈何両〉 一、古文字金〈何両〉 一、真字二歩判〈何両〉 一、草字二歩判〈何両〉 一、真字文銀〈何百目〉 一、草字文〈何百目〉 一、二朱銀〈何両〉 一、一朱銀〈何両〉 右町内当時所持仕り候員数に御座候。
覚
【日光参詣用品取締】一、来る卯年日光御参詣に付、御供の面々・道中諸入用の品々・諸道具・草履・草鞋等に【 NDLJP:134】至る迄、平生直段より高直に売出し申すまじく候。右品々の元直段に付、兼ねて承糺し可㆑置候条、高直に売り候儀相知れ候はゞ、急度可㆓申付㆒候事。
【元直段高直の者は上進する事を令す】一、諸色国々の元直段高直に売出し候はゞ、其向々の商人共より可㆓申出㆒候。且江戸表並に国々在々に於て、其商売筋にて無㆑之者共、占売・買占抔致し候族有㆑之候はば、其筋の商売人より可㆓申出㆒候。吟味の上、急度可㆓申付㆒候。
【買置占売を禁ず】一、両替切賃銭、故もなく高直に致す間敷候。買置・占売致し候者有㆑之候はゞ、吟味の上急度可㆓申付㆒候。右の趣違背致し、纔の事に准へ諸色高直に致し候はゞ、後日に相知れ候共、江戸表へ商売人は不㆑及㆑申、国々在々の者共呼寄せ、曲事可㆓申付㆒事。
右の趣従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷市中可㆑被㆓触知㆒者也。
十月
大革朱子曰革改革之革
【大学書改】御政治曰、大革公儀之意趣。而諸国得㆑徳之本也。於㆑今、可㆑見㆓諸人成㆑徳仔細㆒者、偏頼㆓此度之仰㆒、而辛抱添㆑之。拙者必由㆑是而守焉、則庶㆓乎其〔〈不脱カ〉〕貧㆒矣。
大革之道、在㆓〔〈明脱カ〉〕損徳㆒、在㆑泰㆑民、在㆑改㆓於以前㆒。知㆑改而能有㆑極、〔〈極脱カ〉〕而後能働、働而後能安、安而後能儲、儲而後能売。自㆓天子㆒以至㆓平人㆒、壱是皆以㆑極㆑自為㆑本。奉公曰、克㆓動軀㆒、丁寧曰、克㆓明徳㆒。
右経一章、蓋公儀之言、而奉行述㆑之。
【筑前の騒動】九月筑前に大騒動あり。其故は、元来上の勝手向不如意なるに依つて、奸臣政事を私し、私欲甚しきに依つてなり。已に先年も領中なる医者を取立て、白井要左衛門と改名し、この者に三百石の禄を与へ、勝手方の役人の列に加へしかば、此者と重役の者と相謀り、下地より大坂に於て館入せる町人の銀主鴻池・加島屋を始め、何れをも出入を止め、この者共より是迄借入れぬる処の金子巨万を其儘にして打捨て、一統に不実なし、天王寺屋忠治郎・飾屋六兵衛といへる町人を以て、下地より館入の町人共に代らしむ。此人も欲心甚しき者共故、屋敷へ取込み、左様なる事を目論見、外の銀主共を故なくして右の如くになし、両人力を合せて其事を謀れども、何分大家の事、之迄困窮せる名家故、一箇月の仕送りと雖も、過分の入用なる故、纔か一年【 NDLJP:135】余りにして、この者の力に及び難き様になりぬるにぞ、屋敷の大差支となりて、如何共なし難く、下地の銀主を倒し、邪に斯る事を目論みし役人共を悉くしくじらせ、鴻池・加島屋を始め、其余館入せる処の下地よりの銀主共へ、平誤り平断りにて種々相歎き、漸々と承知する様になりぬ其浅ましき見苦しかりし有様、誰ありて大坂に於て知らざる者なく、世間にて大笑なりしにぞ、黒田如水が屍迄に大恥を曝させぬ。浅ましき事と云ふべし。斯る有様にて必至の大困窮なれば、一家中の地行を減石し、何れも困窮至極なりと云ふ。一家中も主人さへ取らざるきまりにて貧窮せる事なるに、知行を減石せられし事故、何れも大困窮に及びぬといふ。此者共城下に於て、町在にて勝手宜しく暮らしぬる者共を頼み、物成を引当にて仕送りなし貰ひしが、之も年々滞り多くして、家中何れも借金のふえるのみなり。斯様に至れる事も、其分限をも弁へず、敖りを恣にする故なり、不心得の事と云ふべし。総て貧諸侯と雖も、其家々の家格ありて、勝手方・軍用備金等の分ちあり。又国産の物多くは是を売払ひ、又諸運上等の益ありて、皆夫々の諸役所を分ちて、夫々の役役あり、勝手方の差支ありても、外々の金を遣ひぬる事成難く、外々も亦同様なり。或役所には少々の遊銀之有るにぞ、其銀を元立てとし、大坂にて銀子を借入れ、其銀を以て一家中の仕送りなし、暮に至りて何れも其物成を引取りぬる事なれば、其首筋を押取りにて、過分の利益を得る事にして、聊も損をなせる気遣ひなしとて其事を始めぬ。御家中の者共も、此度新たに斯様なる新法立ちし故、大に之を悦び、下地より年来仕送りせし町人・百姓共を大損かけ、其儘になして役所の金を借入れぬる様になりぬ。役所にては聊の銀子を元立てにして、外より銀子借入れ、高利を貪らんと思ひしに、大坂は云ふに及ばず、外にても金子借入るゝ事なり難く、種々奸計を尽せども聊も金貸しくるゝ者非ざれば、大に行詰りぬるにぞ、詮すべなき処より悪智慧を出し、暴に新銀札を拵へて仰山に之を貸付けぬ。家中の者共其銀札を以て、町家にての買物代に払ひぬるにぞ、町人共より其銀札を引替へに到りしに、素より引替ふる銀子なき事なれば、直に其化を顕はしぬ。之に依りて一統大に騒出づる様になりて、下地より通用せる処の銀札も潰れぬ。何れも銀札計り所持し【 NDLJP:136】て、金銀些も貯へざる者共は、米買ひぬる事もなり難く、銀札を持ちながら飢死をなす者仰山なる事故、かくては立行き難し、之全く家老・諸役人共不埒なる故、此極に至れり、迚も飢死をなす事なれば、一揆を起し切死すべしとて、一群々々多人数寄集ひ、其催ありと云ふ。かゝる騒動に及びぬるにぞ、大守にも大に心を痛められ、一刀に頬被りをなし、近習一人之も忍びにて召連れられ町在に歩行し、温飩・一膳飯商ふ家、其外酒屋・料理屋等へ立寄り風説を聞糺されしに、家老始め諸役人の悪事限りなき事を言罵り、「之迄の町奉行三木何某とやらんは、至つて廉直の人なる故、この人一人を心便りに思ひしに、悪人共の邪魔になれる人故に、これをも其役を取上げ閉門せしむるに至れり。最早其上は頼の綱も切れはてぬれば、如何共なし難し。只何事も命有つての事なり、とても死ぬる命なれば、思ふ存分にして死ぬるべし」と、誰憚らず大声にて咄しぬる事、何所にても同様の噂なるにぞ、所々方々にて篤と之を聞済まし、引取られし上にて、早速に家老共を残らず召出し、其事共を直に糺されし処、何れも平伏して一言の申開きをもなす事能はずして、戦慄く計りなり。大守頻りに迫り込みて、「返答如何に、申開きの筋あらば速に承らん」と四五度に及びぬれども、答ふる事能はず、只平伏して有りぬ。大守大に怒り給ふにぞ、側らよりして何れも御覧の如くに恐入り居り候由を申上げ、其日下城なさしめ、翌日早々三木何某とかいへる奉行を召出し、再び家老共を呼出され、大守の前に於て双方対決ありしに、家老共何れも散々の事にして、是迄の悪事明白に相顕れしにぞ、直に閉門・押込・差控、甚しきは入牢せしもありと云ふ。三木は直ちに帰役申付けられ、大に賞美せられしと云ふ。
大守より一家中へ申渡し左の通り
【大守の申渡し】家督已後追々無㆑拠儀とは申しながら、所務押米等度々申付け、其末家中弥〻逼迫に及び、金銀融通の道差塞り、一統難渋の趣相達し候。畢竟是迄政事不行届故と後悔致し候。家老中も不行届の段申出で候。我等不肖の身分奉㆑対㆓御先祖様㆒、誠以て恐入り候次第に候。右に付此節江戸表へも申上げ、致㆑改㆓正元和之御規則㆒、基㆓古形㆒を宗と致し、風俗質素に立戻り、倹約相整へ致㆓永続㆒候様取計らひ候へと、家老中へ【 NDLJP:137】重畳申付け候。毎々不居の儀と一統存じ候得共、右の通り改正申付け候事故、此節のみ居り有る不働存念に付、致㆓安心㆒候様に存じ候。委細去る二十日相達し候通り、長崎表手当の儀は弥〻厳重に申付け候儀に付、平日武備覚悟手厚く、年齢に応じ学文・武芸相励み、修身の心得に候。肝要に付此節我等身元より事々取約し、省略致し追々存念の通り相整へ、永く相守り、江戸表に御安心被㆑遊候様致上げ度候。総て上下和合持合に不㆓相成㆒候ては、善政に難㆓基付㆒儀に存じ候旨、我等心底を添へ勘弁致し、一致に事々はまり、心力を尽し呉れ候様存じ候。勿論身分の上不行届の儀有㆑之、不為に可㆓相成㆒と存じ付候儀は可㆓差置㆒様も無㆑之候へば、無㆓遠慮㆒速に申出で候様有㆑之度候事。
天保十三寅九月
右の如く一家中へ申聞け、諸役人をも夫々に其人を選び、役々を申付けられしにぞ、此者共より領中の者を取鎮むる様になりて、人気漸々穏になりしと云ふ。此侯は薩摩よりして、筑前の養子となられし人なるが、此度の取捌を聞けば、満更世間並の諸侯の様にも思はれず、此已後の様子によりて、委しく其事相分るべしと思はる。
【阿蘭人の妾となりしものゝ尺牘】大坂高津新地生れにて、十四五歳の頃は、平野町御霊の門前なる餅屋に奉公して有りし鶴といへる女、遊女に売られしが、長崎丸山に到り阿蘭人の相手となりて、密に彼地へ連行かれぬ。此者より天保七申三月、親の方へ送り来りし文の由にて、専ら世間に流布す。如何なる事にや其実は知らざれども、誠しやかに云ひぬる故、筆の序に書記し置く者なり。
一筆染め申上参らせ候。わもぶし長崎出船致し、いつとなう船中永々しく、漸々とジヤガタラへ著き申し候。乍㆑憚御心安う思召可㆑被㆑下候。とゝ様・かゝ様御無事に御暮らしなされ候や、夫のみ朝夕思出し参らせ候。わもふしも愛子を儲け候。こゝ元は人の姿皆変り、ほんに途方に暮れ申し候。今更悲しく存じ参らせ候得共、夫や子に引かされ、兎や角心の迷ひ御すゐもじ下され候。さてとや長崎を放れてより、明暮れ御身の上如何と案じ暮らし候。どうぞ今一度御顔を拝し【 NDLJP:138】度く存じ参らせ候。どうした過去の因縁やら、外国へ縁付致し、因果の身の上悲しく存じ参らせ候。又あなた様方の事を思出し候時は、鏡に向ひ我身の姿を写し、母様の御顔を拝し候と思ひ、御懐かしさ如何計り、長崎御住居の程を思出し、定めしわもふしの事のみ御案じ遊ばし、若しや御煩ひもとうかうかなど悲しみ暮らし、涙は滝の如く、哀れと思召し下されかし。一日送り二日送り、早三歳の月日送り参らせ候。是迄もいかう煩ひ致さず、斯様の事も因縁づくと、いかう御案じ給ふ御心あきらめ遊ばし、随分々々御身の上御痛はり下され、御
とゝさんの事〈ろはんとる〉・かゝさんの事〈もふとる〉・姉さんの事〈くるとる〉・妹の事〈かすとる〉・兄様の事〈おふるやまん〉・夫の事〈めすとんまん〉・叔母さんの事〈ゆゝんとも〉・富貴なる人を〈かすやまん〉・遠き事を〈ほふつと云ふ〉・はだ著の事〈けんるかしや〉・烟草の事〈きくあん〉・水の事〈るんと云ふ〉・言葉の返事を〈あゝといふ〉・憂ひを〈もひもひ〉・物に印ある事を〈ねんるといふ〉・召遣の人を〈きいるまん〉 外にアムトモ、此の一言は心知れず候。おしろい・紅粉はなし。
生れのまゝの風俗なり。我夫の名前トユコス殿と申し候。姿は裾にはハコシといふ物を履き、足には関東靴を踏みかため、姿も形も変り候。如何なる因縁か、斯様の国へ参るとはと、思ひの絶える事なく、呉々も我身の上を恨み居り候。あはれと思召し下されかし。どうぞ〳〵今一度長崎へ帰りたく、神様・仏様を朝夕祈り参らせ候。併しながら子もはや三つになり、夫のトユコス殿も随分痛はり成され候故、いかう〳〵憂き事もなう、付合の人も多く出来候得共、皆恐しき目の円き人多く、わもふし姿を見ては笑ひ申し候。扨々心細く哀れと思召し可㆑被㆑下候。併し随分息災に御座候まゝ、御きもふしなう下さるまじく候。呉々長【 NDLJP:139】崎を勇ましく出し事を思出せばやるせなく、又或時は親子三人打寄り、涙を浮め、わもふし思ふ程とゝ様・かゝ様の思ひも同じ事と思ひ、哀れ不便な者と思召すならんと、之のみ悲しく案じ参らせ候。最早長崎へ帰る事も無㆑之と思ひ候まま、日々に涙を流し合ひ、又此度はよき船に御座候故、とゝ様・かゝ様の御姿を絵に画かせ、外に朝顔の種御送り可被下候。一和国の妙薬テワノトリ・シムテウテカヒトン・サフラン、たん切に此品送り参らせ候。右諸物によろしく候。此後便り致し候事も計り難く候と思ひ、申上げたき事は海山多く候得共、硯に向ひ涙にくれ、跡や先とあら〳〵にて候。只懐かしきはとゝ様・かゝ様に御座候。めでたくかしこ ジヤガタラ 鶴ゟ
とゝ様
かゝ様
【右に対する批評】御当代御制度厳重にして、外国へ行きぬる事は決してなり難き事なり。此女阿蘭長崎の港出帆の節、船底に隠して連帰りしと云ふ。こは定めて上町なる親共も貧人の事故、娘の跡を慕ひ長崎へ引越して住居し、金銀を貪り、得心の上阿蘭へ娘を遣せし者なるべし。されども御法を破りし御咎を蒙りしといへる噂をも聞かず、如何なる事にや知らず、〈阿蘭もかゝる事をなせし事ならば、公儀よりして、其咎あらざる事のあるべきや、之も定めて浮説なるべし。〉昨年親と妾とを殺害せし、【樋口三位許さる】樋口といへる殿上人も入牢を許され、其家へ差戻しとなり、其罪は雑掌の侍一人にかぶせられ、当九月粟田口に於て磔となりしと云ふ。
【光格天皇御一周忌】光格天皇御一周忌に相成りしかども、是迄の御院号を省かれて、皇号に成りし故、御法事の式至つてむづかしき由にて、差継がれ候に付、日光の宮御上洛にて御勤ありしと云ふ。
【京都の浮説】京都に於て五六月の頃より、市中或家にて人の如くに物言へる鼠を捕へ、所司代・町奉行等へも持参し、其後四条河原に於て見せ物となす。北山にて二間計り有る金色の蝮地を捕へしが、詮方なき故種々評定し、尾州侯へ献上せしに、能く人に馴れて至つて温順なり。暫し尾州侯の翫びとなりしが、其後近衛殿へ献上となり、大困りにて早々北山へ放たれしなど、種々跡方もなく、小児も諾はざる様なる浮説を【 NDLJP:140】なす。抱腹に堪へざる事なりしが、八九月の頃に至れども、世間にその噂止まず、少々小学文之ありて、物知り自慢せる理屈親爺迄、真顔になりて事々しく之を信じ、諸人へ吹聴し廻りしも可笑しかりき。
諸大名への御仰出され【諸侯への仰渡し】
土井大炊頭殿御渡し
大目附へ
【異船警固を令す】異国船渡来の節取計らひ方の儀、今度被㆓仰出㆒候。就㆑夫向後若し近海へ渡来も候はゞ、臨時に警固並に防禦等被㆓仰出㆒候儀可㆑有㆑之候間、平常大炮等用意可㆑被㆓申付置㆒候。蛮夷の諸国、戦闘の仕組和漢の制度とは相違に付、利方軍器別段用意も可㆑有㆑之候間、参勤の面々其覚悟にて防禦の仕方、兼ねて心掛置き㆑可㆑被申候。併し右に付参勤の節、是迄より多人数召連れ候儀は無用に致し、江戸表有合せの人数にて相懸り候様可㆑被㆑致候。定府の者は当地おもの事に付、別て右の心得にて、弥〻手厚に用意可㆑被㆓申付㆒候。都て人数並に兵具等取飾り無㆑之被㆓書出㆒、若し是迄銘々手薄の儀有㆑之候共、御沙汰の筋は無㆑之候間、可㆑被㆑得㆓其意㆒候。右の通り可㆑被㆓相触㆒候。
九月
御同人殿御渡し
大目附へ
【異船に対する準備を覚す】異国船渡来の節、防禦の儀今度被㆓仰出㆒候。右に付ては領分に海岸無㆑之分にても、其最寄へ異国船渡来の節は、兼ねて助勢の儀被㆓仰出㆒無㆑之向へも、臨時に警固並に防禦等被㆓仰付㆒候儀も可㆑有㆑之。尤深山・幽陰山国の領地と雖も、是又時宜に寄り、援兵等の儀被㆓仰付㆒候儀も可㆑有㆑之候間、何れの場所にても異国戦闘の制度を相考へ、防禦の利器等大炮の類分限に応じ、製作致し置き、非常の備手厚く行届き候様可㆑被㆓申付㆒候。右の通り可㆑被㆓相触㆒候。
九月
土井大炊頭殿より松平大和守殿へ御逹
【江戸内海の防備】相模国御備場御用被㆓仰付㆒候処、相模・安房両海岸の儀は、江戸内海の咽喉にて、海【 NDLJP:141】水は万国へ隔無㆑之、御自分松平駿河守へ、此度御備場御用被㆓仰付㆒候上は、一家の力を此防禦に被㆑尽候て、仮令異国船数艘渡来及㆓狼藉㆒候事共有㆑之候者、早速手筈相届け、総て海岸は何れの所にても、異国船渡来不㆑致と申す儀も無㆑之候に付、所々より一同に上陸等致すまじきものにも無㆑之候。蛮夷は大炮多く、大船は数挺の石火矢も仕組み有㆑之由に付、一艘の船にても彼方には十分の備可㆑有㆑之候に付ては、所々要所には此節にても十分の備、大炮台場等備置き、不覚悟無㆑之様有㆑之たく候。右様不㆓容易㆒御備所に付、海岸付き領分等も少く、人数夫役差出し方に差支へ候儀も候はゞ、其見込を以て引替へ相願ひ、便利の場所へ陣屋手軽に取立て、土手等を用ひ可㆑申、時折自分見廻り等有㆑之、人数等不足無㆑之様、永久堅固の御備へ相立て候様取計らひ可㆑被㆑申候。勿論自分共より指図に泥み被㆑申候にて訳は無㆑之、如何様共防禦の手当て能々相整へ候手当被㆓工夫㆒、肝要に候。当時一時の所とは違ひ、申す迄も無㆑之大切の御用に付、右の心得にて見込み等篤と取調べ、追々可㆑被㆓相伺㆒候事。
九月廿二日
〈〔頭書〕一昨年来広東に於て、イギリスと合戦あり。今に闘戦止む事なく、大乱の様子なる事は、蘭人より当年の風説書に委しく相記しぬ。本邦に於ても、異国船石州浜田の浜へ著せし抔風聞し、又上総・安房等の沖へ三十船計りの異船徘徊する由を云ひ、又異国人八丈の南なる無人島を我が物にして、当時住居せるなど、種々の風説をなして騒々しき事なる故、斯る御触出でし事なるべし。吾朝の船内国を往来すれば、磯に沿ひ山を廻りなどすれば、果取らざるが故に、能く乗り馴れし船頭共は、三本帆を立てゝ海外を往来すと云ふ。斯様の船を異国の船と見誤りて、大狼狽に狼狽へて、騒動せし事ありしと云ふ。〉
当年は土用半ばにて、少しく冷気なりしかども、時候程よく立直り、土用の末よりして、【年柄善けれども悪疫流行す】暑気至つて烈しく、二百十日・二十日・放生会等にも少しも風雨の憂ひなく、少しも申分なき気候に、諸の作物悉く豊熟するに至る。近年珍らしき年柄なり。然るに人は却て小天地の体を具足しながら、其正気に犯され、脚気・痢疾・瘡・霍乱・時疫等種種の病に苦しめり。其中にても脚気別して多くして、人死少なからず。之他なし、何れも無異の如き体には見ゆれども、七情の為めに精神を労し、其体空虚なる故に、却て正気に堪へ難くして、之に傷けられし者なり。於㆑之見るべし、古今人身の異なれる事を、歎くべき事にあらずや。恐れ慎しむべき事なり。又町々の年寄悉く暗愚なる故とは言ひながら、公儀より仰さるゝ事、其転変の速かなる数々にして、諸人危ぶめる事多し。こは有司の其器に非ざるが故なり、歎くべき事といふべし。【 NDLJP:142】又至つて便利宜しく、専ら通用する処の一朱銀、思ひ寄らずも暴に御停止となりて、諸人大に差支となる。【通用使用の疑惧】之に依つて一歩銀・四文銭抔も同様に停止となれるなど、種種の浮説をなし、其沙汰之なき内に早く之を引替へんとて、両替共へ持掛けて、大に騒々しき事なりしにぞ、左様の事は之なき由仰出されしにぞ、両三日にして鎮まりぬ。【遊所を増す】又新町の外は遊女町悉く引払ひ候様御触あり、至て厳しき事なりしが、翌日直に北新地・難波新地・坂町を許され、引続いて安治川の新堀も許さる。又島の内・堀江等の遊所は、幸町へ移るべき由申渡され、【衣服旅宿の制を宥む】近頃改革に付て、悉く綿服なりしが、紬縞・縮緬許され、緋縮緬の裾除けをなす。此度新に旅籠屋株を許され、遊所町は是迄よりも却てよくなりて、一統大に躍上りて悦びぬ。其上近来至つて陰気なれば、随分賑かにすべしと仰渡されしにぞ、御奉行巡見の節は、毎家に紅染の提灯を出し、【遊惰の風再び起る】二階は明放しにして、客あるも客なき家にも酒肴を饗けて、太鼓・三味線等にて大騒ぎをなす。厳しき御触にて引払ひ被仰付てより、十日計りの日数を経て如㆑此に転々す。何とも分け難き事共なり。九月下旬には御城代、武庫川・尼ケ崎総て北辺御巡見にて、北の新地も同様なれば、青様の向は格子を
〔頭書〕御巡見の節厳重に申付けられし事なる故、俄かに如何とも詮方なくて板を挽割り格子に打付けて紛らせし事なる故、其後に至りて元の如くに細かなる格子に仕替へしかば、忽ち御沙汰ありて元の如く格子をあらくすべしと仰付けらるゝにぞ、又細かなる格子を取払ひ、新に荒々しき格子に仕替へぬる様になりぬ。かゝる場所を貴人の巡見あるも可笑しき事なり。奉行には市中支配の事【 NDLJP:143】なれば、之を見聞するの理りはありと雖も、格子の大小等にてこせ〳〵やかましく言ふべき事にあらず、余りに世話のやき過ぎといふべし。
当日に至り、之迄厳しかりし衣裳も飾り、立派の粧を華かなる有様なれば、市中の者共其様を見んとて、大に群集せる有様、北新地青楼始まりてより、此事古今例なき事にして、後世又あるべき事とも思はれず。御触毎に転々する事限りなき事にて、何一つ仰出されし事の貫ける事非ざれば、下方に於て厳重なる御触を厳重なる事に思はずして、法を犯せる者少なからず、騒々しき事なりし。御改革の御触出し有りて後、三十余日の間、日々変死する者三十七八人宛にて、八月半ば頃より余程其数減ぜしかども、日々二十人余り変死する者絶ゆる事なし。九月半ば頃にか有りけん西町奉行常安町の会所に立寄り休息し、又々新町・道頓堀・天満等の会所に於て、年寄共呼出し、演説と同様なる事を年寄共へ申聞けられし由にて、其演説書町々に見廻れり。何時も同様の文言なり、御丁寧なる事と云ふべし。
〔頭書〕旅籠屋といへる字義・名義に於て、何も弁別ある事なし。只一通りのはたごやにて、飯盛をなせる処の下女衣服を飾り、旅人に身売りすとも、之を咎められざるべし。若しこれを咎むる時は道理に背くと云ふべき事か。
〔頭書〕御城代に先立ちて町奉行巡見ありしに、遊女十四五人・二十人計りづつ、置屋計りの家々に並置きしにぞ、それにては宜しからざれば揚屋々々割付、家毎に並置くべしと御沙汰ありしにぞ、又遽かに家毎に遊女を並べ、白綸子の襟・紫の襟など五つも六つも引重ね、【変死の者多し】縮緬の衣裳を上著とし、
〔頭書〕御城代の巡見は夜四つ過ぎの事なりしに、大勢の見物人御城代の事を悪口雑言し、騒々しき事なりしと云ふ、可笑しかりし事なりしとぞ。
十月六日頃の事かと覚ゆ。天満東奉行組下の与力安部文蔵と云へる者、同心久米何某とかやいへる者、奸悪甚しき事ありて召捕られ入牢す。公儀よりの隠目附安部が家に下部となりて入込み、悪事の事共逐一に申上げし由にて、江戸表より思掛【 NDLJP:144】けなく御沙汰有りてかくなりしと云ふ。此外にも当春来入牢せし同心四五人も之ある由、何れも奸悪の徒なりと。斯る事なる故、誰が身の上に何時如何なる御咎あらん事も計り難しとて、薄氷を踏める心地にて、恐怖せる事なりとぞ。
〔頭書〕安部が入りし牢中に、剣術の武者修行かるき罪にて、同じく入牢して居たりしが、此者近々御払になるべき事の知れし科人なる故、牢を出なば何か悪事なさしめて、己も其の紛れに牢を抜出て、共々に悪事をなすの目論みを密に示合はせしを、今一人入牢せし者、その内証只ならずと之を覚りしにぞ、牢番にその様子を密に申せしにぞ、安部と内証せし者厳しき拷問に懸けられ、逐一に白状せしにぞ、夫よりして安部は、牢中にて羽交攻に縛せらるゝ様になりしと云ふ。此者白洲へ引出さるゝ度毎に、己が罪をば云はで、之迄傍輩たりし与力又は同心抔の私欲甚しく、何れも賄賂を多く貪取りし事など頻りに云ひぬる故、何れも大に赤面して困りぬると云ふ事なり。又牢番も四人安部に語らはれ、紙筆等を内分にて与へ、外方への通路をなせしにぞ、此者共忽ち入牢せしと云ふ事なり。其後に至り、此事を委しく聞きしに、武者修業と云へるは備前の者にて、何か不埒の事ありて入牢せしかども、軽追放になりぬる程の罪なりと云ふ。外に両人、之は流罪にせられし科人の島抜けせし者にて、この二人は討首になれる事の定まりし科人なりと云ふ。安部その武者修行の者へ云へるには、「其許には近々追放となりて、御免しを蒙れる事の知れぬる科人故、其方牢を出なば、本町橋東詰なる饅頭屋に火を付けて、其辺を焼立つべし。然る時は奉行にも出馬をなし、牢に近き所なる故に、罪人をば悉く番所へ引移す様になりぬ。其紛れに此方は立出て、奉行を始め、吉田・内山・朝岡・由井・杉浦等五人の与力共をも悉く討殺すべし」。と云ふ約束をなし、己が宿元への文をば、牢番を頼み筆・紙・墨を借り得て之を認め「出牢せば、直に宿許へ之を届け呉れられ候へ」とて、武者修行の襟に隠し納めしと云ふ。斯る始末を外両人の者共より委しく申上げしにぞ、此者共は高原の牢に移し遣られて、武者修行を拷問に掛けられしにぞ、有りの儘に白状せし故、安部は夫より牢中にても羽交締に縛せらるゝ様子なりしと云ふ。
【琉球人来朝】十一日、琉球人来朝し、薩州の屋敷へ著船。同十五日朝乗船にて今夕牧方泊りの由、両日とも見物群をなし、仰山の事なり。茶船上荷三十石に至る迄、船一艘もなし。何れも八月頃より船を借れる約束なせし事なりといへり。大勢の見物の中には、御法度に背き、美服を著せし者有㆑之し由にて、大勢召捕らへられ、騒々しき事なりし。
琉球人参府川行列記木津川口より蔵屋敷迄夫より伏見川登り迄
【琉球人参府川行列】船払・船操人・船方役総代同・猪牙請負同・川方御役所付船総代同・猪牙小頭同・川方同心両人同・猪牙小頭同・川方与人両人同・ 船印紺白縦の筋・鳥船過書座小役人寺島武助・天道方老分二人・小三方船持両人・同副道人一人。摂河両川様御先払、御中小性二人、御足軽二人・通詞件土五人・天道方小頭老分一人・〆上下廿四人。・ 本多大膳殿給人御奉行御家来・船印付屋形船同・御船役与力同岡部源之助使船杉満太郎使船・町屋形船・種子島治右衛門・町屋形船・目附江田太郎太・亀井隠岐守様松平壱岐守様川御座船同・永井様水尾曳・過書座役人養父丈之助・矢道小頭一人老分一人小使二人。松浦様水尾曳・過書座役人平字平三郎・天道小頭一人・老分一人小使二人。 ・国師真喜屋親雲上・使贅城田親雲上・同比屋様親雲上・楽師亀川親雲上・同牧志親雲上・路次閑人九人・供琉球人三人儀衛止伊平親雲上・掌輸使久場親雲上・使贅内方親雲上・路次閑人九人・供琉球人三人。・新番一人使船・中小性一人手水船・足軽三人雨戸船・小人四人賂船同・〈松平大膳大夫様〉 川御座船正使浦添王子長州水尾曳・過書座役人岡本平兵衛・中村宇兵衛天津方小頭一人・老分一人・小便二人。・〈賛儀官京例親雲上・使賛田場親雲上・同勝連親雲上・楽師富永親雲上・楽童子安里里主・同幸地里主、同富京里主・脾持二人・涼傘持一人・供琉球七人・使番一人・中小性一人・琉球用達一人・医師一人・琉球館聞役一人・足軽二人・小人三人〉・雨戸船・賄船・手水船・使船 町屋形船同・供琉球人十二人・足軽一人・小人二人・上荷船供琉球人九人・足軽一人・小人二人・町屋形船・新番中小性・琉球用達・医師・琉球館聞役等の供の者徒目附一人・使番の供の者・足軽一人 足軽一人・川御座船副使佐土人原面前特殊水水梶曳、御館入・辻・天道方小頭一人・老分一人御船水小使一人座喜味親方〈楽正地裁観察上・使賛祝嶺親雲上・同諸久村親雲上・楽師城間親雲上・楽師与真壁親雲上・同豊見城里の子・同王城里の子・供琉球人十一人〉・〈木村総太郎内森田文平・角倉為次郎内津川登・右両人三つ頭迄御付添ひ申し候。〉・〈馬廻り琉球用一人・中小性一人・同一人達一人・足軽二人・小人三人〉・〈過書座年寄岩井武蔵・西原重右衛門・家原清兵衛門右の内両人橋本黄金橋迄御附添〉〈使船足軽一人手水船〉・町家形船 〈供琉球人七人・足軽一人・小人二人馬廻り中小性・用達等の供の者〉・屋形船御船奉行〈本多大膳殿公用人・難波江四郎右衛門・寺部勘之丞〉・使船七番屋形船・ 〈留守居〉早川三兵衛・町屋形船・倉山作太夫・使船足軽一人・四番屋形船・側役高田十郎右衛門・使船足軽一人・〈玄関船〉町屋形船・〈家老付新番田中源五右衛門児玉正兵衛(但伏見川下りの節計り)〉・二番家形船二番御座水尾曳・御館入・川辺久助天道方老分二人・小三方船持二人・小使三人老・ 家老赤松主人・使船足軽一人・大通船・〈行列□諸船差引船改役〉永井清左衛門・〈差引方〉中通船・〈定水主〉山田隼太・手水船・町屋形船同 同 同・上荷船・〈上荷方差引・伏見登りの節共三千石船〉町屋形船・田尻善左衛門・〈賄方宰 諸船〉【 NDLJP:146】七艘。
日記
寅十月九日木津川難波島迄入津、同十日川口御船。三十石両戸船三艘・東堀二艘・西堀一艘・長州・平戸・亀井・小梅著。同所迄下り滞船。十一日九つ時薩州御屋敷へ著。同十五日朝五つ時屋敷出船なり。
大津表当月十七日夜五つ時出、当地へ十八日卯の刻著申し来り候趣左の通
【江州一揆】一、夏已来江戸表御勘定御書役、大津役所より附添ひ、北江州段々新開間数を御改め有㆑之、此頃横田川辺迄御調べ相済み申し候処、当十月十五日八つ時より百姓一揆起り、鈴鹿・土山・水口・右部・梅の木、其外甲賀谷始め、右手・左手凡四五万人相集り、御書役中三上山遠藤但馬守様御陣屋へ逃込み被㆑遊候処、又々三上山を取巻き、御陣屋裏門より乱入、未だ鎮まり申さず。昨朝京都諸家様御手当、矢橋渡り其外手頃の船寄らず、役船膳所・水口・草津迄御出張有㆑之。膳所は凡そ三千人にて、はな〴〵しき御事に御座候。
【一揆の動因】常々村役人私曲有㆑之、又は此度の一朱の差支へ、別て御諭し弁へ難きの発起と相聞え申し候事。
【長浜屋八之助が見聞】吉益主税が方へ申来りし由にて、長浜屋八之助が咄には、勘定役人公儀の権威を振ひ、百姓の難渋に及び難立行事も、少々も無㆓用拾㆒不法に新開の田地に棹を入れて、仰山に打出し、北近江より次第々々に横田川筋を出来りしに、前にいへる如く五万計りの一揆押寄せ来りし故、御役人中大に恐怖し、三上山なる遠藤陣屋へ這々の体にて逃込みしにぞ、一揆の百揆共にも之に引続き、裏門より乱入して、役人を始め供の者に至る迄、十四五人を叩殺せしと云ふ。され共肝心の主たる人、其中に非ざれば、陣屋の隅々迄何れも手配りをなして捜し求むれども、此者逃隠るゝにすばしこく、程よく抜廻りて隠れぬる故、一揆の者共陣屋へ放火し焼立てしかば、最早隠るゝ事なり難きにぞ、詮方なくして裏門の方へ紛れ逃げんとせしが、門外には二万計りの人数にて之を固めし事故、這出る事なり難く狼狽へ廻りしを、一揆共目早く之を見留め、「其処へ狼狽へ出たり、奴めを逃すな、叩殺せ・打殺せ」と、銘々騒立ち押立つるに【 NDLJP:147】ぞ、百姓共へ手を合せ、涙を流し頼みしかども、何れも之を聞入れず、「己故にてかかる騒動に及べり。其方が如き奸悪なる者を生け置いては、公儀の御為めに宜しからず、一命を免し助けて遣はせしとて、其行く先々にて悪事をなし、諸人の害となるべき奴なれば、助命叶はず」とて、一揆共打寄り、其者の体を微塵に打砕き、なぶり殺しにせしと云ふ事なりしが、左に非ず、西垣丈助が慥かなる咄を聞きしとて、予に語れるに、【西垣丈助が見聞】御勘定役・御勘定吟味役等、大津御代官石原の手代、京都よりも三人附添ひ〈之は定めて小堀の手代なるべし〉前に云へる如く、北近江より次第々々と検地をなし、公儀よりの仰は左程迄に巨細なる事には非ざりしに、己等の働振りにて、田面を過分に打出し、御恩賞を蒙らんと無理非道なる棹の入れ様をなし、百姓を困窮せしめしにぞ、かゝる騒動を引出せしと云ふ。こゝに至りて御役人始め、何れも慄ひ恐れ、這々の体にて逃散りしに、三上山なる遠藤の陣屋の方角へ逃走りしにぞ、一掻共には此陣屋へ逃込みし事と心得て、陣屋の四方を取巻き、已に乱入せんとせしにぞ、此陣屋を預れる代官平木八右衛門といへる者、組下の足軽十五人の者共に、鉄炮に玉込めさせ、我が指図次第にて之を打つべしと言渡し、己は槍の鞘をはづし、此者共を従へ裏門を押開き、「百姓共大勢何故かゝる騒動に及べるや、公儀の御役人へ対し不作法の事なり。されども此陣屋にはある事なし。御役人へ訴訟の筋ある共、当陣屋を取巻き、此方に対し、狼藉に及べる事不埓千万なり。大勢の事なれば、此内には定めて頭梁分の者もあるべし。何れにもせよ、かく狼藉に及べる事不埓千万なり」とて、手近き処なる百姓三人を槍にて突殺し。鉄炮を打たせしにぞ、数万人立重なりし中へ鉄炮を打込みし事なれば、十五挺の鉄炮あだ玉一つも非ざるにぞ、先に進みし百姓ばた〳〵と打倒されしにぞ、百姓共之に僻易し、少し尻込みせしにぞ、障子を引外し、「其方共願ひの筋は、此方一命に替へて十万日の日延を公儀へ願ひ遣すべし、若し御聞届無㆑之に於ては、吾等其時一命を捨て切腹するか、御仕置を蒙るべし。先づ夫迄の処は此方に預け任すべし。如此に申聞け候を聞入れずして、引取らざるに於ては、己が命のあらん限り一々突殺し捨つべし」と、大文字に書記し、左にこの障子を持ち、右に槍を提げ、群集の中へ進出でしにぞ、何れも之を見て大に歓び、【 NDLJP:148】其旨に従ひ、「宜しく願ひ奉る」とて、一統に引取りしと云ふ。大なる手柄と云ふべし。
公儀御役人其外御代官付の手代に至る迄、此陣屋へも来らざりしが、散々になりて逃失せしが、一日数経れども其行方を知らず、百姓の為めに打殺さるゝ事も恐しく、又台命に違へる計らひより、斯る大騒動を引出せし事故、其罪逃れ難く思へるにや、何分にもかゝりどころなき人外と云ふべし。又平木八右衛門といへるは、三上山近き所にて、元来遠藤領の百姓にて数代相続し、相応に金銀を貯へ、田畑も多く持てる身上なりしに、侯より数度の用金を申付けられ、之が為めに身上も手薄くなりしにぞ、下げ金の事を願立ちぬれども、侯の勝手向至て困窮なる故、聊の下げ金をもなす事なし。されども其儘に捨置いては、平木身上も立行き難き様子なるにぞ、之を召抱へ家来となし、元来百姓の事なれば、農業に委しく其都合も宜しかるべしとて、代官役となせしと云ふ。されども相応に暮らせし身の上なる故、農業に疎く、代官の役を勤めぬれども、公事訴訟の取捌きも頓と埓明き難く、世上にても日痴の様に云ひなせしに、平日より武芸に心掛け厚くして、此度衆人の及ばざる事をなして、大に名を揚げたり。一命を捨てかゝる事に及べる程の気質なれば、算盤を以て厘毛の損得などに心を用ふる事はなかりし故、世間にて猿智慧ある者共より、阿房の如く思はれしも尤もの事と云ふべし。
【又炭屋次郎兵衛知人の談】又炭屋次郎兵衛が知れる人、江戸より帰来り、江州にて一掻の事を委しく聞きし由にて、同人へ咄せるを聞きしに、御勘定役には関東筋の田畑に悉く棹を入れて、多くの打出をなし、尾張侯の領内にも同様に棹を入れんといひしかども、「此方の領地の事なれば、此方にて篤と相調べ、公儀へ申上ぐべし。御苦労に預るに及ばず」とて、之をなさしめず、種々丁寧なる馳走をなして、之を立たしめしと云ふ。江州に出来り、彦根領に棹を入れんとせしかども、之も御譜代ながらも大家の事なる故、尾州同様の取計らひにて、棹を入れさせずして事済みぬ。之に依つて小大名の分も、其形を取りて之を相断らんとせしかども、大に権威を振ひ、之を聞入れずして無理非道なる棹の入れ様せしと云ふ。之に依つて百姓共の身上立行き難きに至れ【 NDLJP:149】るにぞ、是非なくして、此騒動に及びしにぞ、役人衆には大に恐怖し、三上山なる遠藤但馬守の陣屋迄、這々の体にて命から〴〵逃込みしと云ふ。之に依つて数万の百姓共陣屋へ押掛け、「逃込みし処の役人衆を御渡し下さるべし」と、段々と掛合ひに及びしかども、之を出さゞる故、「然らば是非に及ばず、陣屋に火を掛け、一人も残らず焼討にすべし」とて、大に騒立てしと云ふ。於㆑是遠藤の役人、「十万日の日延を取扱ふべければ、一引取るべし」と、いへるにぞ、「然らば慥なる証書を渡すべし」といへるにぞ、御勘定並に吟味役等の印形せし証文を取りて渡しぬ。されども之を諾はず、「弥〻この如くに相違なきに於ては、諸侯方にも急度此証人に相立ち、何れも加判せらるべし」と、云ひ募りぬるにぞ、止む事を得ずして、百姓共の云へる儘に取計らひ、漸々に引取り、一揆鎮ましと云ふ。鎮まりて後一揆発頭人を吟味し、之を召捕らへんとて、京都所司代・町奉行等より、大勢の役人下り、又隠密に之を取調べぬれども、能々一致せし事と見えて、誰ありて之をいへる者なく、強いて吟味立てせば、又如何なる騒動を引出すに至るも計り難きにぞ、強くも吟味する事能はずして、一向に知るゝ事なし。元来一間六尺五寸は、吾国古来の定法なりしに、太閤秀吉公に至りて、六尺一歩に改め定められしより、御当家に至りても、此法に依つて間地を定め給ひしに、此度役人衆私の働振りに、間数を多く打出し、御恩賞に預らんと思へるにや、又賂を負れるにや、六尺に余程足らざる棹を用ひて、多く打出せしと云ふ。是故に諸侯も、百姓も大に之を憤り、此度一揆せしを諸侯の向も密に悦べる程の事なれば、証書に加判をもなせしと云ふ。されども之も亦怪しき事なり。其故は古来よりして、諸侯の領し来れる地面に、公儀より故なくして、間地を改め給へる事あらんや、御代替りに付て、御領の御調べのみなる事は云はずして知るべし。此度一揆に付、彦根・水口・膳所は申すに及ばず、近国にて江州に少々にても領地ある面々、淀・郡山・藤党など何れも出張し、各〻其領地堺を固めしと云ふ。又一揆鎮まりしかども、折角受取りし証書を取戻されん事を恐れ、証書を持つて身を隠せし者ありとも云ふ。いかなる事にや。
【一揆の異説】〔頭書〕此一揆騒動に依りて、薩州公も琉球人も二三日伏見屋敷に滞留し、発篤【 NDLJP:150】延引をなす。平戸侯には参勤なりしに、この騒動に障へられ、一日手前の宿に差控へ滞留せられしと云ふ。
〔頭書〕一揆北近江よりして、棹を縮めて田地を多く打出し、これ迄年来公儀の地面を掠め、押領せし事なれば、其過料として田地一反に付金子十両出すべしとて、之を取上げぬと云ふ。百姓共には何れも金子を思掛けなく取上げられし上に、此後は田得なくなりし上に、此度打出されし地面に、新に之よりしては年貢を出す事になり行きぬるにぞ、其難渋限りなき事なれども、小諸侯・御旗本など入込みの場所にて、何れも一揆せる程の勢もなかりしにぞ、十分に権柄を振ひ、夫より膳所の領地を少しく棹を入れて、水口の領地へ出来りしにぞ、水口領の百姓共、之を領内に入れて不法なる棹入れせられ、金子等取られては身上立行き難しとて、何れも申合せ、三万余の一揆を催し、こゝにして取掛りしかば、権威を振つて此処へ出来りし役人共、大に慌て狼狽へ、這々の体にて遠藤の陣屋へ逃込みし故、何れも陣屋を取巻き、「役人を出されよ、さなきに於ては火を放つて、陣屋諸共に焼打にすべし」とて、大に騒立ちしにぞ、此処にもたまり兼ねて、三上山に逃登りて、慄いわなゝき居たりしといふ。之に依りて百姓其には三上山に火を掛け、四方より焼立て、役人共を一人も残らず微塵に討殺さんと罵りて、既に其事に及ばんとせしにぞ、彦根・膳所等の出張より之を制し、三年の日延を願ひ遣さんと云ひぬれ共、之を耳にも聞入れず、大に騒動せるにぞ、三万日の日延を彦根・膳所の受合にて願ひ遣すべければ、何分にも鎮まるべしとて、障子に之を書記し、大なる紙にも多く書記し、之を撒散らせしと云ふ。之にて漸々鎮まりしが、其上にて、「一揆発頭人は我なり」とて名乗り出し者数人ありしかども、一人も之を取上ぐる事なくして、公儀へ彦根を始め其辺の諸侯達よりも、「此度の一揆発頭人とては一人もなし。自然に一統に人気立つて斯くの如き騒動に及びし」と云ふ申立てなりしとぞ。諸侯何れも役人の不法なる事を悪める故、表向には百姓共を制する様になせども、内心にてはさもあるべき事なりと思ひぬる故、制する様にして厳しくは制せざりしと云ふ。始めにも云へる如く、此度の一揆に於て発【 NDLJP:151】頭人一人もなしと云へる、公儀への書上にて思遣られし事なり。又遠藤の陣屋に押入り、御朱印并に此度処々打廻りし帳面類の入りし長持をば、陣屋の内にて奪取り、直に火を付け焼払ひ捨てしと云ふ。之に依りて遠藤の役人、槍を以て突掛かりしに、一揆共之を引手操りて、ずた〳〵に
【一揆の原因となりし公儀役人】〔頭書〕此度大変を引出せし公儀御役人といへるは、御勘定吟味役にて、市野茂三郎と云ふ人なり。公儀より同人へ仰付けられしは、此度新に新田を開くべき処を、篤と見分致しぬる様子にとの事にして、古田は云ふに及ばず、新田にても棹を入れて、間数を改むる事などの事は、更になき事にして、之皆茂三郎が私欲にして、御代官手代共何れも同意せし事なりといふ事なり。
廿二日寅の刻御霊社内より出火にて社は云ふに及ず一軒も残らず焼失す。
【役者絵を売りて罪せらる】板行屋にて一枚四文の役者絵を売りて、御咎の上鳥目十貫文の過料を納めし者、同じく二文の役人絵一枚商ひて、同様の事なりし。両人共高麗〔炉厳〕筋の者共なり。堀江にも同様の事あり。其余尚多かるべし。道頓堀大西の芝居にて、甚しき淫事の所作をなして、役者共御咎めを蒙りしと云ふ。何れも有難き御仕置と云ふべし。【砂糖を買占罪せらる】十一月十日頃の事なりしが、砂糖買占の者三人、其家御付立にて本人町預となる。米油等の相場も次第上りなりしが、此噂にて忽に下落せしと云ふ。心地よき事なり。
【禁酒】五日頃の事なりしが、江戸にて酒は無用の物なり。人は日々三度づつの食事をさへすれば、それにて事足りし者なり。故に年五節句・諸祝儀等は格別、平日は朔日・十五日・廿八日の三日は御許しなれ共、其余は酒を御停止の旨厳しく仰出されし故、酒の仕込みも当年は御停止仰付けらるゝとの由、江戸表より申来りしとて、伊丹より知らせ来りし者ある由を言触らしぬるにぞ、天満辺の造り酒屋何れも大に狼狽【 NDLJP:152】し。専ら酒仕込みの最中なるに、其日は一統に米搗を止りぬ。堂島米相場暴に二匁下落せしと云ふ。こは定めて相場師其の言出せし浮説なるべし。騒々しき事なり。【所々の小火】御霊焼失已来、燃上るには至らずと雖も、所々方々にさし火の仕掛けありと云ふ。油断なり難き事なり。
【長崎町年寄高島四郎太夫の浮沈】長崎の町年寄高島四郎太夫といへる者、御奉行田口加賀守へ仰山なる賄賂をなし、之に取入りしにぞ、四郎太夫忰の嫁に、御奉行の仲人にて御代官高木作左衛門の娘を貰受けて、婚姻をなす。古今斯様の例なき事なり。御代官には町人との縁組無道理事なれば、再三之を断られしかども、御奉行の権威を以て、無理に配偶なさしめしと云ふ。不法の事なり。斯る程なる事なれば、数々高島が家に到りて、彼が家に先祖より持伝へて秘蔵せる処の、天下に稀なる宝物は云ふに及ばず、種々様々の物を所望して貰受けしといふ。田口帰府の上、公辺を云ひ掠め、此者の事を程よく執成せしかば、江戸へ召され、与力格に仰付けられ、帰国の節は槍をつかせ帰来り、大に権威振る様になりしと云ふ。又此者元来炮術の家なる故、田口が執成しを以て、大炮を持参し、之を公儀へ献上せしかば、将軍様にも彼が炮術を御上覧ありし上にて、与力格に召出されしとも云ふ。出府の節大炮の筒中へ、種々の珍らしき唐物を隠し持ちて、密に高利を得しとも云ふ。何分にも御法度に背きし罪、容易ならざりし事と見えて、先達て不意に御召捕りにて入牢し、家財悉く闕所となりしと云ふ。当年より長崎御奉行下向の節、与力・同心御差添となり、御奉行は御交代ありても、与力永代の引越しに仰付けられしと云ふ事なり。こは長崎表御締りの為めなりといへり。
【英国船来航の風聞】越後国沖へヱゲレス船百艘計り見えぬる由にて、早速に関東へ注進し、大に騒動をなす由、京都香具屋十兵衛方より西垣方へ申来る。
この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。