津の国屋 (近松秋江)

本文[編集]

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昨夜(ゆふべ)から静かに降つてゐた初雪が、薄く地(ち)に敷いてゐた。
千草(ちぐさ)は、昨日(きのふ)の晩遅く東京から到着した為替を毎時(いつも)の郵便局で幾枚かの五円紙幣に換へて懷(ふところ)にすると、少し行つてから、下駄屋に入つて、崩し初めに足駄を買つた。千草は、乏しくなつてゐた懐中へ新らしく幾許かの纏つた銭(かね)が入つて来ると、真先(まつさき)に新らしい履物と足袋(たび)とを買ふ癖があつた。
その新しい樫歯(かしば)で軽く、白い雪に鮮かに二つの字を刻みながら戎橋(えびすばし)の通りを難波新地の方に歩いた。低く空を鎖(とざ)してゐた灰色の雲が何時(いつ)の間にか散らけて瑠璃色(るりいろ)に光つた青空から暖かい日が照つて来た。大阪は雪が少い。
木理(もくめ)の眼立つまでに洗ひ磨かれた千本格子の軒並に華奢な注連飾(しめかざ)りが張られて、いつもしつとりと落着いた心地のする粋な難波中筋(なんばなかすじ)の古い街筋は、茶屋の男、女の忙し往復(ゆきかひ)に踏まれて、泡雪が大方泥濘(ぬかる)んでゐる。その軒下の雪の上に竈(まかど)や臼を据ゑて餅屋が急がしさうに餅を搗(つ)いて廻つてゐる。形の好い鳶(とんび)を着た千草は、細く畳んだ蝙蝠傘を杖のやうに下げながら、『夕霧阿波鳴渡(ゆふぎりあはのなると)』の「年の内に春は来にけり一臼に、餅花開く餅搗きの、賑々(にぎ)はしや九軒町、嘉例(かれい)の日取り吉田屋の、庭の竈は難波津の、歌の心よ井籠(せいろう)の、湯気(ゆけ)の大杵(おほぎね)。……」といふ情景を聯想しながら、東京と違つた大阪の歳の暮れを珍らしさうに見て歩いた。


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昼間でもいくらか薄暗い心地のする津の国屋の三和土(たゝき)の上に静(そう)つと立つて、千草は、
『今日(こんにち)は。』と、小(ちいさ)い声を掛(か)けた。
家の中が閑寂(ひつそり)としてゐるので、
『今日は。』と、此度(こんど)は少し大きい声を出した。
すると、長火鉢に寄りながら開閉(あけた)て出来るやうになつてゐる、上り框(がまち)の二畳のも一つ奥の間から、庭に向いた小い切り窓の小障子を、内側から細目に明けて、
『どなた?』と、いつて顔を見せた。
『あゝ、若旦那、お出でやす。暫らくだしたな。さアお上(あが)りやす。』
津の国屋の主婦(おかみ)は、客脚の絶えた午後(ひるさがり)に、シヤン湯気の立つ鉄瓶のかゝつた火鉢の向に丹前を被(はほ)つて、横になつて微睡(うと)してゐた眼を覚ましながら、
『ようこそ。……今日も、あなたのお噂をしてゐましたんや。昨日(きのふ)が一昨日(おとゝひ)小夜衣(さよぎぬ)はん自家(うち)の前を通つたついでに、ちよつと寄つて、若旦那から手紙を貰ひました。今度あなたがお出(いで)になつたら、もしお花に行てゐても、都合をして来ますから、ぜひ待つてゐて耳入れして貰ふようにいふてました。今時分ですから、大抵家(うち)にゐませう。』主婦(おかみ)は、時計を見上げて、『すぐに返事を出して見ます。……どうぞお二階にお上りやす。』
千草は、黒光りのするほど拭込んだ箱段を踏んで奧の八畳の間に通つた。濃い群青(ぐんじやう)を塗つた土佐絵風の二枚折りの金屏風が、壁の隅に立てゝあつて、違ひ棚には赤い締め紐(を)の眼に立つ太鼓や舞ひの扇子(せんす)などが置いてある。
主婦は後(あと)から直ぐ茶と火とを運んで来て、
『外はお寒うおましやらう、……今ちよつと皆(み)な出てゐまして、……すぐ返事をして見ますから、少し待つてゐておくれやす。』
さういひながら床の上の脇側(けふそく)を取つて千草の脇に置いて降りた。
二十日ばかり前の晩、宵のぞめきに、この家(うち)の前を漂々(ふら)と通りすがつて、つい呼び込められて、一現(いちげん)で逢ひ初めてから、これで三度めで千草は小夜衣に逢ふのである。東京から大阪に来てゐて、藝者を遊ばないで、こどもを呼ぶといふのが、千草の独りの心に何となく自尊心を傷けるやうな心持ちもするし、大阪(とち)の女を遊びたいと思つてゐながら、東京者といふのが、物足りなくもあるのだが、逢ひそめから、種々(いろ)の点(ところ)を男性(をとこ)の情(こゝろ)を惹着ける処があつて、千草には、あてもなく探してゐた物を、偶然(ふと)探しあてたやうな、力強い興楽に身をそゝられてゐるのである。さうして、今、永い間凋萎(しばび)てゐた心を十分にその興楽に蘸(ひた)したいやうな気分に促されてゐた。
十日ばかり前、二度めの時にも、懐中の用意が乏しかつたり、遊ぶ勝手がよく分つてゐなかつたりして、後髪(うしろがみ)を惹かれるやうな悲しい思ひに胸をとぢられながら、十二時(なか)までゝ帰つた。
遊女(をんな)は、寒い夜更に、華麗(はで)な夕禅模様の長襦袢の上に黒い縮緬の羽織を被(はほ)つて、二度までも、はばかりに行くやうにして長火鉢の処に降りて行つて、仲居や主婦と何か話して来たらしい。濃い房々とした銀杏返しの頭髪(かみ)に埋れたやうに、蒼いほど白小い顔を仰向きに枕の上に載せて、ちよつと思案してゐる様子を傍から見ると、曲線の繊細かぼそ)い顳顬(こめかみ)の処に心持青い静脈(すぢ)が浮いてゐるのが、幽暗い電燈の光の中にも見えて、長く薄(すゝき)のやうに切れた活々(いき)とした黒い瞳で何処(どつ)かを凝乎(じいつ)と見てゐる。
『おい、何をそんなに考へてゐるの?』
千草は、自分の今思つてゐる通りのことを、遊女(をんな)も思つてゐるのだと考へながら、脅かすやうに言つた。
『何も考へてゐやしない。』遊女(をんな)は、一時(ひとしきり)澄んだやうに静かであつた姿態(やうす)を初めて崩しながら言つた。
『ぢや、あなた、今日は十二時(なか)までゞお帰んなさい。』自分も諦めて、男を賺(すか)すやうに優しく言つた。『私が、どおうかしても可いんだけど、最初(はじめ)からそんなことをすると、階下(した)でお母ちやんなど変に思ふから、……十二時(なか)までゞ帰した方が可(い)いといふの。』
『あゝ、帰るよ、けれど雨が降つて来たのに、これから帰つて行くのは痛(つら)いなア。……電車が無くなりやしないか知ら。……これだけで何(ど)うかなりやしないかなア。』
『あなた、まだ待つてゐるの。……あるんなら、朝迄(ずつと)にして下さいナ……私も、これから他(ほか)へ行くのは、それは辛いわ。』
『もう待つてやしない。此処にこの通りあるだけさ。』
『ぢや、とにかくお帰んなさい。そして近い内に是非来て下さい。でももし電車がなかつたら帰つておいでなさい。直ぐだつたら、私まだ此家(こゝ)にゐますから。……その代り此次(こんど)は、来て見て、私がゐないからと言つて、寄席なんぞへ行くんぢやありませんよ。今晩も此室(こゝ)に静(じつ)と寝て待つてゐればよかつたのに……あんまりお銭(かね)を使はないやうになさい。』
優しくいたはるやうにいひつゝ起き上つて、跳ね返した夜具に背をよせかけるやうに、小高く重ねるやうにした長襦袢の膝頭の上に懐中鏡を取り出して、鬢のほつれを直してゐた。
さうして、まだ、これから他へお花に行くつらさを、くどと繰返しながらも、手早く長襦袢を脱いで着物に着換へながら、それをメリンス夕禅(いうぜん)の小風呂敷に包んでゐた。
千草は、その夜十二時を過ぎてから、ビシヨと降る雨の中をわびしく帰つて行つたのだ。
主婦(おかみ)が降りて行つてから、千草は紙巻煙草啣へたまゝ、手枕をひて横に脚を伸しながら、もつとのことで涙の流れて出さうであつたその夜の情けなかつたことを種々(いろ)と追懐(おもひかへ)して、そこへ小夜衣の顔の見えるのを、今かと待つてゐた。
壁一重(ひとえ)隔てた隣の家で、娘が浄瑠璃のお浚(さら)ひをする調子の高い撥音(ばちおと)に連れて、六ケしい曲節(ふしまはし)を厳重に語らうとする、まだ何処やら稚気(をさなげ)の脱けきれぬ、生(うぶ)な嗄(しやが)れた肉声(こゑ)が耳元近く響いて来る。それを好い心地に聽ゐていると、千草は、大阪でなければ味はふことの出来ないやうな古い浄瑠璃の情調と自然(ひとりで)に心が融合つたやうになつて、今語つてゐる『柳』と疲れとは何の関係もないのであるが、『……縋り歎けば父親(てゝおや)は、涙に声も枯柳、枝に流るゝ血汐の涙。』といふ音調が、小夜衣は、賤(いや)しい遊女(をんな)でも、自分は構はぬ、苦界の女だから尚ほのこと可哀さうだといふ考に胸をそゝられた。


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少許(すこし)しておかみは上つて来た。
『若旦那。あの小夜衣さんを訊きにやりましたけれど、今日はどうしても外すことの出来んお座敷で、行(ゆ)けません。といふのだすが、今日は、私が美(い)いのを見立てますから、どうぞ他ので辛抱しておくれやすナ。』
故郷(くに)の九州の方で長い間藝者をしてゐて、それから七八年前に大阪(こちら)に来て南地(みなみ)からも出てゐたといふおかみは、千草の仰向いて臥ゐる上に覗きかゝつて、人を外らさぬやうに笑顔を作りながら、大阪とも九州とも東京とも、つかぬ弁(べん)で言つた。
千草は、それを聞いて失望を感じたが、まだ遊ぶ勝手もよく分らず、殊に深い馴染でもない貸座敷(おちやゝ)なので、いくらか気を兼ねながらも、
『どうかして貰つて来られないの。僕は彼女(あれ)を気に入つたんだから。』千草は失望の色を和げるやうにつとめながら、野暮を微笑(わらひ)に隠して、小供のやうに淡泊に主婦(おかみ)に縋る口調でいつた。
『えゝ、それやもう、貰へさへすれば、仰しやるまでもない貰ふて来ますが、それが貰へんから、今日はどうぞ他のにしておくれやす。あの女(ひと)若旦那の気に入つてるのは、それは分つてゐます。私が、チヤンとあなたには、あの遊女(ひと)と思つて見立てたのですもの。さうですから、もうあなたにはあの女と定(き)めて置いて今日だけは私に免じて他なのにしておくれやす。その代りこの次からは必ず彼女(あれ)を呼びますから、』主婦(おかみ)は、其処に手を突いて拝む真似をしたり、軽く掌(てのひら)で襦袢の襟の処を打つやうにしたりして客に哀願した。
千草には、折角の思ひで、今日こそはと楽んで来たのに、他の女には鐚(びた)一枚も惜しいと思つたけれど、それは胸の底に蔵(しま)ひながら、かういふ時に強ゐて我意を外(おもて)に表はさぬものと、諦めて、『ぢや、兎に角もう一遍貰ふやうに話して見て、それでもいけなかつたら、仕方がないから他のにするとして。』千草は、矢張り仰向いたまゝ表面(あらは)には、さまで小夜衣に心がないかのやうに軽く言つた。あんまり初手(しよで)から独りの遊女(をんな)に愛着してゐる心の底を、斯ふいふ眼先(めさ)きの判(き)くらしい主婦に見破られるのが、恥かしいやうな気がした。
『それぢや、もう一遍貰ふて見て、それで行(い)けなんだ時は、他のにするとして、それで、他のは、何様(どん)なのにしませう。若いのにしますか、少し年を取つたのにしませうか。どんなのも、若旦那のおすきなものを私が見立てます。』撫で廻りすやうに御意を伺つた。
『あんまり若いのはよくない……』
『やつぱり少し年を取つたのが面白いでせう。……彼女(あれ)くらいなのをよろしい私が受合ました。……あゝ、今、お茶(ぷう)持つて参じます。』


おかみには、あゝいつたけれど、千草は、どうしても小夜衣でなければならなかつた。女に、段々数多く接して来るにつれて、彼れの頽廃的興味は、ます病的に鋭敏になつてゐた。女の皮膚の色や手脚の形によつて、男性の享受する快楽の種類を考へて見たり、『心中よし意気方よし、床よしの小春どの』といふ近松の音楽に今持つ遊女(をんな)に比べて見たりしてゐた。発汗したやうな、感情の疲労したやうな、一刹那血液の循環が止つたかと思うはれるまでに蒼白く変色した弱々しい小(ちさ)い顔が房々とした黒い頭髪(かみ)に埋れてゐる有様(ありさま)が強く彼れの眼の底に膠着(こびりつ)いてゐた。薄く小い上唇が恰度早蕨(さらわび)を上に向けて巻いたやうに、心持ち伸びてゐる真中の処が、ちよいと小高くなつてゐて、そこの処の何ともいへない柔らかさが種々(いろ)なことを聯想せしめた。彼れは横になつたまゝそんなことを想ひ浮べて、巻煙草の吸口をキユツト強く吸つた。
主婦(おかみ)はまた上つて来た。
『お喜(よろこ)びなさい。小夜衣さんが今来ます。』晴やかにいひながら、千草の横に座つた。
千草は嬉しさに、覚えず顔を崩して、
『あんなに来られないと言つてゐて、来るの。』
矢張り寝たまゝわざと不機嫌さうにいつた。
『他の者では分らんから私が今自分で行つて、座敷に出て居るのを、ちよつと蔭に呼んで貰ふて、これでわかだんんあが、ぜひ小夜衣さんに来てもらひたいといふ話しをしましたら、小夜衣さんも、あの人なら、行(ゆ)くから。といふて、今すぐ来ます。』
『もう来るの』
『もう直(ぢ)き来ます。その代り今日はちよつとだすぜ。挨拶といふて隠れて来て貰ひましたのやから。あなたも直ぐ階下(した)へ来ておくれやす。階下(した)にお寝間(ねま)を取らせますよつて』おかみは急(せ)いた。
千草は、何のことやら少しわけが解らぬながら、促さるゝまゝに箱段を降りて行つた。
降りながら、箱段の上り口の処を見ると、小夜衣が白い駱駝の襟巻を手に持つて、此方(こちら)を見上げて、黙つたまゝ顔中で笑つてゐる。
おかみは、茶室(ちやのま)の、も一つ奥の八畳に急がしく錦のよささうな大きな蒲団を自分で運びながら、
『さあ、あなた方は此方(こちら)へ。……今やから言ひますが、自家(うち)のお客さんが、昨日から、小夜衣さんを呼んでゐて、今朝からまた他の貸座敷(おちやゝ)へこの女(ひと)を連れて遊びに行ておるのを、今私が行(い)て小夜衣さんに逢ふて、来てもらひましたんや。……自家(うち)の古いお客だすけど、お茶屋箒(おちゃゝぼうき)が癖で、長うなると、もう二軒でも三軒でも歩いて廻る人やから。……あんまり遅うなると、今に此方(こちら)へ帰つて来ますから。……さあ此方(こちら)へ。お越し。』
暮れ近くなると、茶の間の長火鉢の前には、定客らしいのが二人三人集(たか)つてゐた。
『どうしてゐて。さあ、彼方(あつち)い行かう。』
小夜衣(さよぎぬ)は、甘つたれるやうに、まだ笑ひつゞけながら、千草の袖を引いて、主婦の延べてゐる寝床の上を渡つて、ガラス越しに、隣家の大きな土蔵に仕切(しきら)れた猫の顙ほどの小庭の見える障子の際に行つてぺつたりと座つた。
『まあこゝへお座んなさい。あれからどうしてゐて。』
小夜衣は、座りながら、千草の両方の袂を下から引張つた、千草は左甚五郎の為るまゝになる京人形見たいに、小夜衣に魂を奪られてゐでもするやうに、引張られるまゝに、きちんと腰を折つて、小夜衣の膝の上に、自分の膝を突いた。
『あなたが、来たといつて、此家(こゝ)のお母ちやんが、自分で呼びに来たから、お客にお菓子を買つて来るといつて、欺(だ)まして脱けて来てやつた。……その代り長くゐられないの。……これ、今日は此様(こん)な風をして、お可笑(かし)いでせう。』と、言つて、遊女(をんな)は、肱を上げるやうにして、寝巻のまゝ襦袢の袖口をこちらへ向けて見せた。
また雪空にでも変つたのか、急に暗くなつて、シンと底冷えがして来た。
『おゝ寒い!彼方(あつち)い行かう。』千草は、羽織の両袖をダラリと、懷手(ふところで)をしたまゝ、今主婦(おかみ)の延べて行つた蒲団の方に眼配(めくば)せした。
『あゝ、あつちい行(ゆ)かう!』
その袖の端を捉(と)つたまゝでゐた小夜衣はまた甘えるやうにいつた。
二人は、厚い柔かい敷布団の上に行つて座つた。
『好きな人とお楽しみの処を、私が来て邪魔をして済まないナ。』
『そんなことありますか。そんなことありますか。』小夜衣は、白い小さい歯を嚙み合すやうにして、懷手のまゝでゐる千草の襟先を両手で捉(つか)んでグイ押した。
『あゝ、もう可(い)い!」と、笑ひながら、手足の自由を奪はれた千草は、後にはねた掛布団の上に倒れかゝつた。


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新春(はる)になつて初めて行つた時には都合よく出来て、小夜衣は早く来た。
茶の間の主婦(おかみ)の座る頭の上には、壁の其処ら中に、南地五花街事務所の規定(きめ)を木版にした、藝娼妓の花代の細表が貼つてあつたり、新に披露目をした藝娼妓の名前を大きく誌した札が幾枚となく後から後からと重ねて貼つてあつた。
主婦(おかみ)は、新しい茶を入れて、長火鉢の向に座つた千草に出しながら、彼(か)れが、倍々(ます)小夜衣に想ひ着くやうな噂をいろしてゐた。
『今日は、まあ、丁度よく小夜衣はんが店にゐてよかつた。よく売れる妓(こ)だすよつてに、なか斯様(こん)なことおまへんのやで。あの通り別看板だすからナ。』と、おかみの眼指した柱の上には『別座祝ひ』と特別に太く書いた大きな紙が貼つてあつた。
『私も、此の商買をしてゐますから、自家(うち)でも随分多勢の藝者や娼妓(こども)を手にかけますが、小夜衣さんのやうな女(ひと)は、もうこの難波新地(なんばしんち)切つて、おまへんのや。『別座』といへば、花の売り上げ高によつて、一等二等から、下までいろある、その一等よりも、またずつと上で、別座に追ひ越す者はないのだす。あの女のことを、皆な小どもの神様々々といふてゐます。上品で、賢うて、それで気に張りがあつて、人情があつて、私は、まだこの、今の商買をせん時分から、度々小夜衣さんとは一座をして、あの女の心はよう知つてゐます。あなたが、初めて此家(こゝ)へお越しになつた時、私(わたえ)、もう一ト目チラと容子(ようす)を見て、このお客さんには、小夜衣さんと、私、もう自身で定(き)めたんや。』主婦は、千草の顔を見ると、屢(よ)くこれを繰返しへした。


『今日は、朝迄(ずつと)にしても可いんでせう。』
『あゝ。』
『あゝ、嬉しい。』
『おれも嬉しい。初めて泊ることが出来て。この前は一寸(ちよつと)だし、その前の時は、雨の中を帰るし。あんな痛(つら)かつたことはない。』
『あたいも嬉しいわ。』
夜の更けるにつれて、隣座敷にも二タ組ばかりの客があがつて、三味線に太鼓を入れた騒々しい散在が初まつた。遠くの方からも、同じ物の音が、建込(たちこ)んだ家々に反響(こだま)を返すやうに、ハツキリと聞えて来た。枕の直ぐ下の街では、新内や浄瑠璃の流しが、幾群となく通つて行つた。恋ひのつじ占(うら)、身の上判断が、古い想ひ出のある声を揚げて呼び歩いた。一時が鳴つても二時が鳴つても、夜更しをする茶屋の男衆(をとこしゆ)女衆(をなごしゆ)などが食べるやうな物を売る呼び声が絶えなかつた。
まだ宵の中から小座敷に忍んだやうにして寝疲れてゐた二人は、遅くから連れ立つて湯に入りに行つた。
『大丈夫よ、遊郭(こゝ)の湯は、夜の三時まであるから。』
遊女(をんな)は言つた。『貴郎(あなた)、先に入つてゐらつしやい。私は、ちよつと自家(うち)に行つて、お湯の道具を取つて来るから。』
置き屋が店には、今時分まだ昼のやうな火影(ほかげ)が輝いてゐて急がしさうに立ち動いてゐる入れ方が色彩の強い友染メリンスの寝巻の小包を持ち廻つてゐるのが艶めしかつた。湯屋の近くは、湿つた暗(やみ)の中に白い靄がほのと立騰(たちのぼ)つてゐるのが其処らの火光(あかり)に映つて、家根(やね)の空を赤く取彩(いろど)つてゐる。殊に女湯は立て込んでゐるらしく、しどけなく伊達巻をした上に、縮緬の羽織を被つて、小走りの下駄の音を立てゝ駆込んで来るのがある。櫛卷に解いた頭髪に毛筋立を挿込んで、襟頸を真白に塗つた顔をテラさして、暖簾(のれん)を潜つて出て行く者もあつた。
千草には、強いて見やうとしないのに、いろんな色つぽい粧ひをした女が着物を脱いだり着たりするのがよく見えた。温かい、甘酸ぱいやうな更けた湯の匂ひが、柔らかに彼れの鼻を襲ふた。東京の洗湯と違つて、大阪のは、番台の処に開きがなかつた。あつても平常(いつも)開放(あけつぱな)してあつた。
浴槽の奥の処の仕切りの板に、何の用に供するのか、女湯と男湯とに出這り出来るほどの口が切つてあつて、恍惚(うつとり)となつて、湯に漬(つか)つてゐる、千草に其処の朦朧と湯気の立つた仲から、
『あなた、石鹼(しやぼん)をお使ひなさい。』と言つて、遊女(をんな)が手を差出した。
やつと三時を聞いてから、帳場でも一同(みんな)寝床(とこ)に入つたらしい。
『私、あなた、好き……あなたの、その頼りないやうな処が好き。』
小夜衣は、小供らしい口調で好く言ふことを、またいつて染々(しみ)と千草の目元を見詰めた。千草も、また小夜衣の黒い、能く動く瞳を食べて了ひたいやうな心地で凝乎(じいつ)と見入つた。女が顔を近けると白粉臭い浴後(ゆあがり)の匂ひがプンと鼻を刺激した。
『あなたの眼は好い目ねえ。』
「お前の眼の方が、俺は好きだ。長く切れてゐて。鼻だつて細工が細かい。……それより此処の黒子(ほくろ)が私には一番好い。』さう言ひながら、千草は、遊女(をんな)の、白粉(おしろい)の色鮮やかな頰の上を指の尖(さき)でちよいと突いた。
二人は暁方(あかつきがた)になつて漸と睡(ねむ)つた。


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まだ深い夢に入りながら、グツスリと寝込んでゐる貸座敷々々々(ちやゝ)の大戸を、情けも容赦もなくドン叩いて、花街(まち)の遠くの方から、朝迎へに来る茶屋男や茶屋女の呼び声が、霜に凍つた空気に冴えて、温く、寝てゐた千草の甘い暁夢(ゆめ)を破つた。
『河半(かわはん)さん!々々。河半さん!々々。…………小式部(こしきぶ)さん、朝迎へ。』
『伊丹仲(いたなか)さん!々々。伊丹仲さん!々々。…………東雲(しのゝめ)さん、朝迎へ。どうしませう?…………あゝ左様かア。』
それが女衆の呼び声だと、『あゝ、左様かア。』と喚く言葉尻がある調子を帯びてゐて、宛(さ)ながら、翌朝(きぬ)の別れを悲む歌でゞもあるかのやうに、静かに眠つてゐる朝の街に流れて行つた。
初めてそれを聞く千草の耳には、その声が何とも名状し難い懐かしい情思をそゝるのであつた。芝居の好きな人には、幕明きの木の音、笛の音が、どんなに懐かしく聞えるであらう。相撲の好きな者には気負やたやうな呼び出しの声が、どんなに嬉しく響くであらう。
けれども千草がかういふ旅の空で、疲れた骸軀(むくろ)を、浅間しい一現茶屋の寝床の上に横えて、敢果ない一夜妻(いちよづま)の情(なさけ)に、その爛れた悲しい心を委ねるのは、もつと頼りないことを、頼みとするからであつた。ある年若い盲人は、その不具な盲目の為に、人間として享有すべき種々(いろ)な楽しみを享楽することが出来なかつた。さうして段々成長して物情(ものごゝろ)がついて来るに従つて、倍々(ます)己れの身の不具を悲しんで、精神が沈鬱になり、果ては気が変になつて、火事の時のに打つ半鐘の音に聞入ることを好んで、後には、秘に、自分で放火をして置いて、警鐘の鳴るのを物蔭で聞き惚れてゐたといふことを聞いた。
恰度(ちやうど)、その朝迎への呼び声が、若い日の多くの仇なる希望(のそみ)に失楽して、些(すこし)の生効(いきがひ)もなく彷徨(さまよ)へる、今の千草には、その盲人に半鐘の音が与へる如く官能に不健全な快感を与へた。
『津の国屋さん!々々。津の国屋さん!々々。…………小夜衣さん朝迎へ。』
といふ呼び声は、其の家に寝てゐる者の中でも、誰れよりも、一番早く千草の神経に伝つた。
漸と寝呆けた声を出して戸外(そと)に返辞をした仲居は、ミシリ箱段を踏んで、襖の外から、
『小夜衣さん、朝迎へ。どういたしませう。』
と、言つて訊くのだが、後日(のち)には、毎時(いつも)も朝迎へは、もう後三本にして、大抵朝後(あさあと)にした。さうして朝後はつい昼までになり、昼までは、また昼後になり、暮れまでになり、夜半(なか)までになつて、流連(ゐつゞけ)になることもあつた。


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津の国屋の、伊予者(いよもの)の仲居の、一寸した物の言ひ振りに感興を殺(そ)いだことがあつて、千草は、その後二三度貸座敷(おちやゝ)を変へて遊んだ。
遊蕩の味を深く身に染みて覚えた者には、待ち兼ねて江戸為替の三百両が着くと、それを懐中(ふところ)にして門を飛び出す忠兵衛の心持はよく解るのである。色欲は身を滅ぼし易い。千草は、それ故に、遊蕩を他人に向つて敢て勧めはせぬが、その代り自身だけには如何なる智識が難有(ありがた)い教訓(をしへ)を以つて済度しやうとしてもそれをどうすることも出来ない底深い本能に根ざした興味のあることを是認してゐた。時としては、彼れは、自分はそれ故にこそ生きもすれ、またそれ故には死んでも遺憾はないとさへ考へることがあつた。彼れは嘗て、高名な通俗道徳学者の書いた結婚論を読んで独りで笑つたことがあつた。それは斯ういふことを言つてゐたからである。………必ず生殖を目的とする結婚でなければ不道徳である。結婚は恋愛から入つて行くべきものではない。……成程それは真理に違ひない。トルストイもさういふ事を言つてゐる。が、生殖を目的としなければならぬといふのは、国家とか社会とかいふ、人類の共同生活を強めることを標準に仮定した目的から打算した論である。今、千草は、それに就いて斯う思つてゐる。若し人間の共同生活を強めなければならぬとすれば、自分の如き天性虚弱な者の子孫を生殖するのは、強めるといふ目的に矛盾してゐる。それ故に自分だけでも、せめて必然の結果として子孫を生殖せしめるやうな結婚は、可成(なるべく)これを避けて、恰(ちやう)ど実を結ばぬ仇花のやうな恋愛を楽しみたいといふのが彼れの希望であつた。自分のやうな健全なる意味の人間生活から踏み外した者は、トルストイのいふやうに子孫を得て恋愛を確証しなくつても止むを得ぬ。せめてシュニツレールの語るやうな、むしろ、生理的に必然の結果たる生殖をば憎むやうな恋愛をしたいと思つた。さうしてまた彼れは斯うう思つた。もし、これから彼(か)のコーカサスの高山を慕ふて深く分け登らうとする二十四歳のオレニンをして、わが梅川忠兵衛の如き情熱に充ちた、美しい恋愛を見せしめたならば、或は彼れも亦たコーカサスに入ることを止めて、恋愛に赴いたかも知れぬ。偶然にも忠兵衛もオレニンと同じく二十四歳であつた。従来芝居に仕来つた忠兵衛は、型の通り生白い色男であるが、千草が近松の作によつて解釈した忠兵衛は、恋愛(ラブ)の宗教に殉して、身の破滅をも厭はぬ、この上もなく美しい殉死者であつた。千草は、ヨーロッパの、特に最近の作者の、美しい恋愛(ラブ)を主眼にして書かれた作を思つて、近松をもロミオ・エンド・ジユリエットやパオロ・エンド・フランチェスカの作者達と、同じ詩聖の列に置いて考へずにはゐられなかつた。
千草自身は、若いオレニンや忠兵衛の年齢(とし)を、もう十余年も前に、効(かひ)もなく過去つてゐるのであるが、自分独りでさへ持て剰(あま)してゐる、役にもたゝぬ身をば、朝夕(あしたゆふべ)さういふ情欲の巷にのみ運ぶのは、一つは、何処の都会に行つて見てもさうであるが、特に大阪の地では、花柳街の街区が粋に整つてゐて、居まはりが清浄で、建物が古めかしく落着いてゐるのが、彼れをして、飽ずこの一廓の行燈の火影を忍び歩きせしめたのであるが、まだ何となく食べ残してゐるやうな心地のある、彼(か)れが敗残の生活の残肴(のこりもの)を汚く漁つて歩くに他ならなかつた。
そればかりでなく、千草は、恰(あたか)も、ラスコルニコフが、ソニアを哀れむ如く、遊女(をんな)といふものに一と通りならぬ哀れみを持つてゐた。さういふ泥水に身を沈めてゐる者には、固より憎むべき悪性の女もあつたが、また、さうでない、真(しん)から気の毒な女も数多くあつた。彼れは、種々(いろ)な女を知れば知るほどさういふ者を発見した。さうして、それを哀んだ。近松の作の中に、憂き勤めといふ言葉が幾度び繰返されてあるか。も一つ古い時代の謡曲文学の中に、いかに遊女(をんな)の遣る瀬ない、切なる恋(こ)ひが詩化されてあるか、千草は、果敢ない遊女の恋ひを味む哀れむには、近松の心中物よりも、謡曲の『班女』や『松風』や『江口』などの方がいゝとさへ、この頃考へ初めたのである。『冥途の飛脚』の道行きの文章には、『班女』の文章から出てゐる処が、間々あつた。
千草は、自身、謡曲はやらばいが、たゞ取り留めもなくそんなことを、いろに想ひ浮べながら、静かに黄昏れてゆく大阪の街を独りで歩いてゐた。淡路の方の空に、冬の夕陽(いりひ)の名残りをとゞめた薄明(あかり)が、街の屋根と屋根との間に遠く眺められた。旗のやうに棚引いてゐる夕暮れの雲が、冷い風に顫動してゐるやうに見えた。


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千草は、さういふ心持ちから、此の日頃段々思ひ慕つて来る小夜衣の身をいろに考へ初めた。女は、下野(しもつけ)の産れで、渡良瀬川の上流の、足利郡の草深い田舎であつた。家(うち)はその辺(あたり)で、代々大尽と歌はれた素封家(ものもち)であつた。独り息子で我儘に育つた父が極道の有りたけを尽して、先祖から伝つた財産を蕩尽した結果、三人目の娘にあたる小夜衣(さよぎぬ)は、まだ母親の胎内にゐながら、離縁になつた。母親の実家(さと)の古河の旧い医者の家に来て産れた。それから、せめて此の子独りは自分の手で大きくしたいといふのを父親の方で、没義道(もぎだう)に、まだ菰の上から引取つて、渡良瀬川の上流の山の中に連れて帰つた。乳の無い処かr直ぐ里児に遣られた。其処で五つ六つまで育てられて、六つの歳に、同じ村の中の金持ちへ養女に遣られた。其家(そこ)を自分の実家(うち)とばかり思つて成長(おほき)くなつた小夜衣は、十五六になるまで、幸福(しあはせ)な娘であつた。けれども自分を可愛がつてくれた祖母(おばあ)さんや、養母(おつか)さんが続いて亡くなつてからは、これまでも死んだ人達よりも誰れよりも一番可愛(かわい)がつてくれた養父(おとつ)さんの愛情には、少しも変りはなかつたけれど、後から入つて来たお父(とつ)さんの若い外妾(めかけ)が、養父(おとつ)さんの見てゐない処で、小い小夜衣を、意地悪くつゝいた。今まで稚(をさな)い娘の幸福しか感じなかつた小夜衣の胸には、初めて氷のやうな人間が映(うつ)て来た。さうして自分の本当の家がまだ他にあるといふやうなことが、誰れいふとなく娘の耳に伝つた。小夜衣は、急に、今の家よりもまだ大きいといふその実の吾が家が何処にあるか見たくなつた。生(うみ)の父母(ちゝはゝ)は、どんな人であらう。亡くなつた先(せん)の養母(おつか)さんや、今の養父(おとつ)さんよりも、まだもつと優しい人であらう。そんなことを種々(いろ)に考へて、遂々(とう)堪え切れずなつて、黙つて自家(うち)を脱け出して、うろ覚えに聞いてゐる実父の家を探ねて行つた。
けれど、若い娘の希望(のぞみ)は仇であつた。そこには山の裾を囲の中に取り入れた広い屋敷に壁の崩れかかつた大きな家や土蔵が幾棟も立つてゐるばかりで、伽藍(がらん)とした座敷の内には、年老いた祖父(おぢいさん)と祖父(おばあさん)とが、二十歳(はたち)あまりの、上の姉さんだけを傍(そば)に置いて、寂しい日を送つてゐた。そこに来れば生れて初めて会へるものと楽んだ母は、もう自分達の母親ではなかつた。祖父に勘当せられた父には、とつくに継母が出来て、其等も其処にゐなかつた。
村の者の同情で、年老いて村長を勤めながら、姉娘(あね)一人を抱えて不如意な、その日を送つてゐる祖父母の傍(そば)に小夜衣は何時(いつ)までも置いて貰ふことは出来なかつた。兎に角籍を取戻してから彼女は、足利(あしかゞ)や桐生(きりふ)と、伯母さん達の家に寄食宿(かゝりびと)となつて廻つた。
その間にも父の堕落と乱行と意気地なしとは底を知らなかつた。最初は僅かばかりの前借で高崎の藝者屋に下地ツ児に売られた。それを振り出しに、東京の地でも二度三度住み換えをしてゐたが、遂々仕舞には本人には無断で大阪の難波新地に娼妓(しようぎ)に売つて、身の代金を受取つて置いて、後から色々因果を含ませられた。父は、さういふ話しをしたり、銭の無心を言つたりする時には、極つて、何を言つてもお前の身体(からだ)を授けてやつた親の為だから、承知してくれ。と、言つた。
千草は、先刻(せんこく)も思つたやうに、親が苟(かりそ)めの欲念から、病弱な子を後に残す罪業深い行為(おこなひ)といふ思想(かんがへ)から、ツイまた小夜衣の父の所業に考へ及ぼして、一体人の親は、何処まで無慈悲な親権を縦(ほしいまゝ)にして差支へないのだらう。といふやうなことをも思ひ惑ふた。


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その日千草は、当分銭の入るあてもなく、暫らくは小夜衣の顔を見ることが叶はぬ。と、味気ない宿に閉ぢ籠つて凝乎(じいつ)と諦めてゐたのに、お午(ひる)すぎになつて、フト思うひもそめぬ東京のある処から僅かばかりの為替が舞ひ込んで来た。千草は、その書留の朱肉の捺された状袋が、机の上に載つてゐるのを見ると、ほと嬉し涙が滲んで、これだけあれば悠然(ゆつくり)今晩一ト晩小夜衣に逢える。と、東京のっ苞に向いて、彼れは手を合はして拝んだ。彼れは忽ちにして生(い)き効(がひ)を感じて来た。さうしてまたもや大阪の街にさまよひ出たのである。
丁度暮れちよつと前まで、時刻を移す為に、いろんなことを思ひ耽りながら、貸し間をする家でもありはせぬかと、鰻谷町の方から畳屋町、笠屋町を経て、久し振りに心斎橋筋の美しい狭い通りの飾り窓などを窺いて歩いた。
桐壺や鵜飼の入口に、此家等(こゝら)ばかりは、まだ昔しの面影をとゞめた古風の行燈に、覚束ない火影のさしそめた芝居うらを、忍び歩いてゐる千草は、わけもなく四辺(あたり)の情調に誘はれて、小夜衣が首尾よく店にゐてくれゝばいゝがなアと、うはの空に思ひ詰めて、夕ぐれの寒さに、ぞツと恋ひ風が身に染む心地した。早く他から口のかゝらぬ間にと、急ぎ足になりながら、有り合はした小店で、鼻紙と手拭を買つて、小さく畳んで懷に入れた。それから二つばかり角を曲つたり露路を通りぬけたりして、少し行くと、丁度小夜衣の店の筋向の、本茶屋めいた店付の家へ、小声で呼ばれるまゝに上つた。
『あゝ、小夜衣さん、お馴染だつか。』
と、言つて、聞きに行つた仲居が直ぐ帰つて来て、
『小夜衣(さよぎぬ)さん、暮れまでになつてゐますよつて、もう三十分ほどしたら明きますさうだす。そしたらおこしますと申しました。どうぞ暫く待つとくれやす。』
待つ間もなく小夜衣は、仲居に連れられて階段(はしご)を上つて来て、入り口の処で、仲居が襖を明けて、身横によける傍(そば)から、静(そう)ツと床の間の方を見た。
『御存じ?』と、仲居のいふのを余処(よそ)に聞いて、
『えゝ。……貴郎だつたのか。』いくら浮かぬ面持になりながら、千草の火鉢の向に来て座つた。仲居が行つてから、
『どうして、あなた、此様な処に来たの。津の国屋は何故行かないの。』
夕化粧の際立つ白い顔を、ポツと赤く激したやうに詰問した。
『どうしてツて、俺は、津の国屋に行くのは、何だか厭だから。』
『何だか厭だつて、何が厭なの。あなた厭でも、私が、それぢや困る。』
『お前、何(ど)うして困る。おれはお客だ、何家(どこ)からお前は呼ばうと勝手だ。』
『そりや、あなたは、何家(どこ)から呼ばうと勝手でも、東京ぢや、さうだけれど、大阪(こちら)ぢや、さう行かないんだもの。あなたが、私を、初めて津の国屋から呼んだら、それからは、どうしても津の国屋から呼ばなければいけないの。さうしないと、私が、警察に呼び付けられて、拘留せられるんだもの。』小夜衣は、関東女(あづまをんな)の、幾許(いくら)か荒つぽい言葉で言つた。
『さうかい。そんなことをすると、お前が警察に引張られるの。そんな酷いことをするの。ぢや、どうしやう?』千草は、わざと呆れたやうに仰山(ぎやうさん)に言つた。
『どうもしなくつても可いの。唯、男衆に、津の国屋に答へさしてさへ置けば。』
その代り、他の家から呼ぶと、津の国屋へは、その度毎(たびごと)に届けなければならなかつた。もしそれを無断でゐて、津の国屋に知れて、五花街事務所に届け出されると、遊女(をんな)は、警察に出なければならぬ規定(きめ)であつた。千草は、大阪の、斯かる商売にも組合仲間の規定(きめ)の恐ろしく厳重なのに独りで感心した。
『さうか、それなら、それと早く理由(わけ)を話して聞かすれば可いのに、最初(はじめ)ツから、折角白粉(おしろい)を塗つて来た顔を赤くして、お前怒るから、俺は吃驚(びつくり)した。』と、千草は何処までも浮戯(ふざ)けたやうに真面目に言つた。
『どうも済みません。』小夜衣は、急に平常(いつも)の人懐しい調子に直つて、火鉢の向ふから千草の両掌(りやうて)を握つて、
『まだ早いから、これから活動を見に行きませうか。』甘えるやうに言つた。
千草は、東京でも大阪でも女が、活動写真を観ることを好いてゐるのを、恰も女がお薩を好いてゐるのに何処(いづこ)も変りのないと同じやうに感じてゐるので、これまで、顔さへ見れば、活動へ行きませうか、銭が掛らなくて、面白いからと、強請(せが)むのを、法善寺裏の寄席に落語(はなし)を聞きに連れて行つたり、東呉(とうご)や柴藤(しばどう)へ鰻を食べに連れて行つたりして誤魔化して逃れてゐたのだが、その晩は、娘小供が父親がお供をするやうな、寛慈(おほまか)な心持ちになつて、道頓堀の活動写真に行つた。
ユーゴオの何とかを、更にローマンチックにセンチメンタルに脚色した泰西劇だの、大阪式の新派劇だのを、千草は耐忍(がまん)しい{{〱}他の事を黙想しながら見てゐた。眼に涙を滲ませて、熱心に見てゐる小夜衣(さよぎぬ)は、新派劇の幕毎に映る『親の愛』とか『恋の悩み』とか言つたやうな文字を小声で読んだ。
『お前は学者だねえ。』千草は、小夜衣(さよぎぬ)の耳に口を当てゝ暗中(くらがり)に囁やいた。
彼れは、多勢の処に斯うしてゐるよりも早く二人ばかりの処へ行きたかつた。
下足場で、散々群集(ひとごみ)にもまれて、千草は漸との思ひで、自分のと一緒に遊女(をんな)の下駄を取つてやつた。


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ズラリと立ち並んだ芝居と活動写真とが一時に閉場(はね)た道頓堀の通りは、群集(ひと)が押返すやうに蠢動(うごめ)いてゐた。一月末の冷たい夜風が襟先や腋の下のあたりから肌を刺すやうに浸みた。
『おゝ寒い!』
小夜衣は、ガタ身慄ひをしながら、芝居の反対の側の店先の人影の疎らな処を選(え)つて急いだ。
『お前は、また馬鹿に薄着をしてゐるんだもの。』
千草は、渋い壁色のお召の外套(コート)を着て、白い駱駝の襟巻をしてゐる小夜衣の貧弱な姿を、哀れみに充ちた眼で横からジロ見た。懐手をしてゐる肩付が小供のやうに小さくつて、コートの袖が下垂れを着たやうに垂れてゐた。実際、小夜衣は、明けて二十三になるのに、まだほんの十五六の小娘位の身体をしてゐた。
『渡良瀬川の上流から、この遠国の大阪まで流れて来て、何といふ浅間しい身の上であらう。』と、思はれて、千草は、名状し難い哀傷に迫られた。
『勤めは痛(つら)い!』
寝てゐる時など、どうかすると其様(そん)なことを言つて、ホツと太息(ためいき)を洩すことなどあつても、身体が二つあつても三つあつても引き足らぬほどよく売れて、親方からは、衣装(したく)から何から、他の多勢の抱妓(こども)とは、一人だけ別に大切に取扱はれてゐた。温順(おとなし)い女の割に平時(いつも)気がさらしていて、格別商売を苦にもしてゐなかつた。
絣の好く揃つた大島紬の着物に、寝巻の長襦袢を着更ながら、幅の詰つた水色繻子の丸帯をキユツと背後(うしろ)で男結びに締めて、その上をポンと一つ叩きながら、
『好いでせう。奴の小万見たやうで。……自家(うち)で私くらい何でも構はない人間はないの。その代り信用があるわ。誰でも小夜衣(さよぎぬ)さんは、男のやうだつて。洒然(さつぱり)してゐて。』
それは小夜衣(さよぎぬ)が、自身でいふ通りであつた。藝者上りらしい厚皮(あつかま)しい処もなければ、女郎臭い卑しい根性など微塵もなかつた。千草には、何処よりも一番、そこを虫が好いたらしい。
下野(しもつけ)の山の中に生れたにしては、驚くばかり骨細で、華奢であつた。容貌にも貴族的な遺伝があつた。
『斯様(おん)な好(い)い女性(をんな)を、運命は、何(ど)うして、斯様(こん)な浅間しい境遇に陥らしたのであらう。』
千草は、またもや、いふて帰らぬことを思ひながら、群集(ひとごみ)を分けて歩いた。二三間先にも一人眼に着く銀杏返しの好(い)い女が、斜に、反対に向つて行くのが見えた。それは併し背が大きかつた。小夜衣が独り小さかつた。千草は、小夜ころものことが、いろに気になつた。
『おい、何を食べに行かう?』
『何でも、あなたが好きな物を。』
『ぢや、鳥?それとも蠣船(かきぶね)?……俺は、東京にゐる時から長い間、大阪の蠣船を楽しみにしてゐた。蠣船と文楽座との為に大阪に来たと言つても可いんだけれど、蠣飯は、案外不味(まづ)いねえ。』
『さうねえ。あれで、御飯が、も少し味が付いてゐると可いんだけど。……おゝ寒い。早く何処(どつ)かへ入りませう。』
二人は、戎橋渡つて行く者と、九郎右衛門町の方へ真直に行く者と、難波の方へ折れて帰る群集とを、立ちながら、見るともなく眺めてゐた。
『あゝ、彼処(あすこ)に好さゝさうな鳥料理があつたのを知つてゐる。千草は、さう言つて、九郎右衛門町の通りをズン先に立つて歩いた。さうして道頓堀の河岸の側の鳥辰と行燈に誌した洒落れた入口の、撒水した花崗石(みかげいし)を踏んで行つた。


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老舗(しにせ)らしい古い木造りの、清楚(さつぱり)とした二階に通ると、好い塩梅(あんばい)に客が隙(す)いてゐた。
『大変静かだわねえ。もう大分遅いのよ。これから早く食べて帰つて直ぐ寝るましやうよ。』
『あゝ、さうしやう。』
女中が、ボリ青い火焔の燃え上つてゐる火を、どつさり入れて持つて来た。
『おゝ、温かい。……寒かつたわ!』小夜衣(さよぎぬ)は身を慄はして見せた。
『戸外(そと)は、お寒おまつしやろ。』
『寒ござんすねえ、姐ちやん。……今晩お酒を少し飲みませうか。』
『あゝ、飲まう。ぢや姐さんお酒を。』
小夜衣は、真白い胸当てを膝の上に拡げて、鍋の中に、種々(いろ)な物を取入れながら、
『あなた、その焼鳥を上つて御覧なさい。おいしいから。』
『あゝ、……成程此奴(こいつ)は甘(うま)い。何時(いつ)か、其処の明陽軒に行つた時、女中に任して置いたら、折角の牛肉の味を不味(まづ)くしてしまった。この家(うち)は、落着いた好(い)い家(うち)だナ。』
千草は、其処らを見廻しながら、心の中で、東京の鳥料理の家(うち)などを思ひ比べてゐた。
一本の酒が、まだ半分も減らぬ間に二人の顔は、もう火照つて来た。
『お前も、すぐ顔が赤くなるねえ。』
『それに、今日は寒かつた処へ急に飲んだから……目がチロするわ。』
『お前の、その手をやると、手の切れさうな眼尻(まじ)りの長く切れてゐるのが、何とも言えず好(い)い。』
千草は、またそれをいつて、灰汁抜(あくぬ)けのした小夜衣の顔をジロと見てゐた。折角かうして逢ひながら、多数の中に交つてゐるのを、千草は物足りなく思つてゐたのがやつと二人ばかりになつて、差向ひで飲食(のみくひ)してゐるのが何とも言へず歓ばしかつた。
男でも女でも物を食べる時に下品な、そゝつかしい食べ方をする者が克(よ)くあるが、賤しい小夜衣は、小さい口で毎時(いつも)静かな食べ方をした。
『お前の箸で取つておくれ。』
男は、女が箸に挟んで差出すのを、食べながら、
『おい、もつと、此方へお寄り。』
『誰れか来ますよ。』
丁度其処へ、男女の客が、大阪臭い言葉を、あたり構はず高声で話しながら、上つて来た。
『あゝ、あんな奴が遣つて来た。早く帰らう。大阪の奴は、よく隣の襖を明けて見るよ。』
厚皮しい年増藝者などのキヤツ云ふ声がしたかと思ふと、サツと、向の襖を一尺ばかり明けて見た。

:『失礼だわ!』小夜衣は屹度(きつと)なつた声で言つた。


十一[編集]

夜は、いたく更けた。二人は九郎右衛門の通りを芝居裏の方に曲つて行つた。
『二人で斯うして歩いてゐる処を、津の国屋のお母ちやんにでも見られたら大変だ。あなた、その鳶(とんび)の襟をよく立てゝ!………もつと。その鳥打ちの椽も下げて。』
小夜衣は、津の国屋の主婦(おかみ)んい目付(めつか)るのを、大変なことのやうに恐れた。すると、暗い横丁を忍び歩いて行く処を、誰れかゞ擦れ違つて行きながら、
『小夜衣はん!』
と、声を掛けた。
『あゝ、お母ちやん!』小夜衣は、直ぐ声の主が分つたと見えて、後戻りしかけた。
『まあ、えゝわ。また此次(こんど)。』
さう言ひ棄てゝ、津の国屋の主婦(おかみ)は、定客(かく)らしい二三人連れと向へ行つて了つた。
『そら御覧なさい!私の言つた通りだ。』
『津の国屋の主婦(おかみ)か。誰れかと思つた。』
『狭いんだもの。直ぐ見付つてしまふ。』
『見付つたつて構はないぢやないか。お前は大変気にするねえ。』
『そりや、あなたには何でもなからうけれど、私は今日明日此の土地にゐなくなる者なら、どうだつて構はないけれど、まだ此の土地に長くゐなければならない身体だもの。』
『向(むかふ)へ届けて置いたと言つたから構はないぢやないか。』
『いくら届けて置いたつて、あゝして二人歩いてゐる処を、甘く見付かつたら、悪いぢやありませんか。』
『さうかい、そんなに喧(やかま)しいのかい。大阪ぢや女郎買ひも、なか六ケシいね。』
『あなた、もう私の処に来てくれなくつてもいゝから、津の国屋の外(ほか)から、私を呼ぶのは、止して下さい。』
『さうか、来てくれなくつても可(よ)ければ、俺も是非来なければならぬことはない。……ぢや、これから直ぐ帰らう。』
『えゝ、お帰んなさい。』
千草は、一人で先にサツと歩いて行つた。
一処に帰つて行くと、仲居は待ち受けてゐて、
『お帰りやす。えらい遅うおましたな。……どうぞ此方へ。』
仲居は、先に立つて、三階の奧つた小間に案内した。そこには、もう柔かい友染の蒲団に炬燵を入れてあつた。
仲居は、行き掛けながら、蔭から、
『小夜衣はん、ちよつと。』と、呼んだ。
『店から男衆が、もう先刻(さつき)から何度も来て、仕舞ひには、自家(うち)で待つてゐましたんや。』
小夜衣は、直ぐは入つて来て、
『おゝ寒い!。まあ、此処で少しあたりませう。あなたも其処へお入んなさい。』
さう言つて、夜具をはねて、炬燵に入つた。
千草は、何事(なん)でもなさゝうな津の国屋のことが、まだ十分に得心出来ぬので、先刻(さつき)の小夜衣の膠(にべ)もない物の言振りが、胸に納りかねてゐた。さうして懐手(ふところで)をして、そこに突立つたまゝ、
『店から何の用?……挨拶だらう。』
『いえツ、違ふ。まあ。おあたんなさい。』小夜衣は何事(なんで)もなさゝうに頭振(かぶり)を振つた。
『貰ひか、挨拶だらう。それに違ひない。』千草は、今時分から挨拶になど遊女(をんな)を出してやることを好まなかつた。
『津の国屋も、津の国屋ねえ。お客が自分の処へ来なければ、お客の気嫌を悪くしたのは分つてゐるんだもの。仲居でも謝罪(あやまり)によこすが当然(あたりまへ)だ。』
『小夜衣はん、ちよつと。』また仲居が、室の外から声をかけた。
千草は、一人で面白くなかつた。
『あなたねえ、これから、今一寸(ちよいと)此処で寝て、今晩私は自家(うち)へ帰つて寝るから、あなたゞけ一人此処へ泊つて、翌朝(あす)の朝津の国屋から私を呼んで下さい。今男衆にさう言つて遣つたから、後で津の国屋から姐ちやんが、屹度(きつと)此処へ謝罪(あやまり)に来るから、さうしたら、さうして下さい。……翌朝の朝私いくら早くでも行くから。さうしないと、津の国屋に面(かほ)が済まぬ。』
千草は、小夜衣のいふことを聞いてゐて、腹の中で、(甘(うま)いことを言やがるな)と思つた。他のお客が貰ひを掛けてゐるに違ひない。それを、津の国屋の事にかこつけて誤魔化さうとするのが憎らしい。
『ナニ、俺は朝寝坊だから、朝早いのは、真平だ。』
『さうねえ、あんまり早いのもいけないわねえ。』
『挨拶に行つて、間男をしてお出で!』
千草は、少しづゝ神経的の皮肉を用ゐ初めた。
『挨拶に行つて来てもよくつて?』小夜衣(さよぎぬ)は、炬燵に寄りかゝりながら、チラリと横に向いて、千草の顔を盗み見た。
その、女の眼尻(まなじり)に、千草は、一寸凄い眼の動きを認めた。
『好きな男が、宵から来て待つてゐるんだ。……お気の毒だ。大阪には、ピカする指環を三つも四つも嵌めた色男が多いよ。……行つて逢つて来ると可い。』
『本当に行つてもよくつて?』冷たかに立つた。
『………………』
『行(ゆ)かないと、また男衆に、事件を五拾銭遣らなけりやならないよ。詰らないぢやなくつて。』
『五拾銭惜いと、何時(いつ)言つた?それを惜む位ならば、まだ明い間から、面白くもない活動写真のお供をして、苦しい目をしてお前の下足番なんかしやしない。』
『どうも済みません。』口の先で言つた。
「寒いからと、言つて鳥料理に入つて、これから早く帰つて寝やうと言つたぢやないか。……今日は、お前に御奉公をしたのだ。……挨拶に行かうと思へば行つてお出で。』
「ですから、もう行きやしなくつてよ。……それよりお湯に行つて来やうか。』
『あゝ、湯に行かう。』
二人は湯に出て行つた。
『もう十一時だ。』千草は、通りの時計を窺いて見て言つた。
『十一時どころですか。もう二時だ。』小夜衣は、小走りに走りながら、『私、一寸、自家(うち)に行つて道具を取つて来るから、あなた先へいらつしやい。寒いから、よく暖まつて入らつしやい。』さう言ひ棄てゝ店の方に去つた。
千草は、悠然(ゆつくり)湯に漬つて、帰つて来ても小夜衣は、容易に戻つて来なかつた。彼(か)れは、段々心が面白くなくなつて来た。静(じつ)と独りで床の中に横つてはゐられなくなつた。急性(せつかち)に手を拍つて仲居を呼んだ。
『女は如何した。』
『どうも相済みません。えらいお湯が長うおますな。』
『湯ぢやないんだよ。畜生(ちくしよう)め。人を馬鹿にしてゐやがる。』
『お湯と違ひまつか。』
『違ふよ。挨拶に行きやがつたんだよ。』
『まあ、さうだすか。私、また旦那はんと一処にお湯に行たことゝ思ふてましたのや。さうだすか、それはどうも相済みません。一遍店に見にやります。』
仲居は降りて行つた。
暫らくすると、仲居は、また上つて来た。
『御免やす。……やつぱりお湯に行てはります。今直(いまぢき)参りますから、どうぞ、少しの間(ま)辛抱しとくれやす。……茶熱(ぶゝあつ)いのをお上りやす。』
今まで待つたよりも、また倍も待つたけれど、小夜衣は、まだ帰つて来なかつた。
仲居は幾度となく三階まで上つたり下りたりした。
『……小夜衣はん、本当に、どねえしはつたんやろ。もう三時過ぎてまんがナ。自家(うち)でも表締めて寝んなりまへんがナ。ほんとに旦那はんに申訳おまへん。もう一度行て、急(せ)いて参りますよつて、どうぞもう暫らく待つとくれやす。』
仲居は、しとやかに、宥(なだ)めて置いて降りて行つた。その後から、千草は、堪えず、またパチ手を拍つた。
『俺は、もう帰るからナ。畜生人を馬鹿にしてゐやあがる。』千草は、奮然として寝床から起き上つた。
仲居は、驚いて、狼狽(あは)てゝ、其処に膝を突きつゝ、着物を着やうとしてゐる千草の両の袂を執るやうにしながら、
『もうちよつと待つとくれやす。今また他の者を迎へにやりましたから、旦那はんに、そんなことしられますと、私等、後で帳場で叱られます。どうぞお願ひだす。ちよつと待つとくれやす。……挨拶と知つたら、女を出して遣るんやおまへなんだに。』仲居は、悲しげに千草を引留めた。
『いや、お前方には、済まないがナ。あの女が悪いんだよ。……ヘン人を馬鹿にするないツ。贅六の啄キツ枯した女郎なんか、此方(こつち)で厭だ。』
千草は、独り語を言ひながら仲居の留めるのも聞かず、颯々と着物を着て鳶(とんび)を被(はほ)つて帰る用意をした。
今時分、好きな男の処へ行つて、あゝもしてゐる、斯うもしてゐると想像すると、忌々しさに胸が引掻れるやうだ。寝ながら今か、今かと待つてゐると、ゐても立つてもゐられない心地がするけれど、斯うし潔よく起き上つて、帰る決心をして見ると、いくらか胸が透いたようだ。あんな、一ト晩の中にさへ幾人と数知れぬ男に肌を触れる遊女(をんな)が、何処が好いんだ。どうして、あんな女に思ひ染んだのだらう。丁度今宵(こんや)を好い機会(しほ)にキツパリと思ひ断る。さうすれば心が楽だ。俺は帰るんだ。帰つた後へ、小夜衣が戻つて来て、俺が居なかつたら、何と思ふか、その時、自分が、かうして帰つて行く、せめてもの効(かひ)がある。小夜衣に何とか思はしさへすれば、いくらか腹が治まる。
彼(か)れは三階の奥から降りた。
『いますぐ参ります。もう店まで帰つてゐますから。』
さう言つて、仲居が二人がゝりで引留めたけれど、千草は、颯々(さつ)と通りに歩いて出ねば腹の虫が抑へきれなかつた。さうして一人の仲居は、小女(こをんな)の行つてゐる後からまた店へ走つて行つた。一人は千草の袖を捉へながら、中筋の通りを何処までも追ふて来た。夜更しをする煮売屋でさへ店を仕舞つた。通りはもう何処のお茶屋も潜戸(くゞり)を締めて寝てゐた。
『おれは、もう帰るんだから、其処を放してくれツ。』
少(すこ)しく邪見に言ひ切つて、スタ道を急いだ。十七八日頃の冬の月が、人足絶えた街を明々と照らしてゐた。千草は振り返つて見ると、仲居が、月光を浴びながら、空しく突立つて此方(こちら)を見てゐるのが見えた。それを見ると、またスタ歩いた。少し行つて、此度振り返ると、仲居は、もう見えなかつた。さうすると、千草は、俄にまた遊女(をんな)が腹立しくなつて来た。難波の通りに出ると、夜働きの車が二三人街角に寒く固つてゐた。それを認めると、千草は始めて電車も疾(とつく)になくなつたことに気が着いた。
小夜衣奴を、どうしてくれやうと、焦れながら、復たトボ先刻のお茶屋の方へ引返した。
『おゝ、旦那はん、お帰りやす。小夜衣はん今直き参ります。』戸口に立つてゐた仲居が傍に寄つて来た。
『ナニ、遊女(をんな)なんか、もう来なくなつて可い。……併し自分独り泊まつて行かう。』
『どうぞ、さうしておくれやす。……小夜衣はん、今家(うち)にゐました。私逢ふて来ました。』
暫らく店先で仲居どもと話してから、千草は、元の小座敷に戻つて、暖々(ぬく)と寝転んだ。
さうしてゐる処へ、バタと足音を立てゝ小夜衣が帰つて来た。
『千(ち)いさん、何(ど)うしてゐて?』息をはづませてゐる。
『待つたでせう。……もう何処へも行かないわ!』
『今から行かないは当然(あたりまへ)だ。馬鹿にするないツ!』千草はクルリと背(せなか)を向けた。
小夜衣は、急いで、着物を長襦袢に着更へながら、
『千(ち)いさん、錨怒つてや厭。怒つてや厭。千(ち)いさん。』と、言ひながら、両手で、男の頭を抱えて、無理に自分の方へ捩ぢ向けた。
『寝る邪魔するな、総嫁め!』千草は、またクルリと向(むかふ)へ転がつた。

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