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永年在職議員表彰謝辞 (森山裕)

提供:Wikisource
永年在職議員の表彰の件

〇議長(細田博之君) お諮りいたします。
 国会議員として在職二十五年に達せられました森山裕君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。
 表彰文は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

〇議長(細田博之君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決まりました。
 表彰文を朗読いたします。

議員森山裕君は国会議員として在職すること二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕

 この贈呈方は議長において取り計らいます。

    ─────────────

〇議長(細田博之君) この際、森山裕君から発言を求められております。これを許します。森山裕君。

〔森山裕君登壇〕

〇森山裕君 この度、院議をもって永年在職議員表彰を賜り、心より厚く御礼を申し上げます。
 とりわけ、地方議員時代から数えて四十八年間、苦しいときも応援をしていただいた地元の皆さん、ほとんど家庭を顧みなかった私の議員活動を支えてくれた家族に感謝を伝えたいと思います。(拍手)
 戦局が厳しさを増す昭和二十年四月八日、鹿児島が大空襲を受けた日に、鹿児島県鹿屋市の防空ごうの中で生まれました。
 実家は農業と新聞販売店を営んでおり、小中学生の頃は、朝六時から眠い目をこすり、錦江湾に浮かぶ桜島に一礼をし、自転車で新聞配達をする毎日でした。
 中学校卒業後、つらい農業はやりたくないと思い、鹿児島市の会社に就職しました。その会社の理解があったおかげで、働きながら夜間課程に通うことができました。
 三十歳で鹿児島市議会議員に初当選をし、参議院議員として初めて国会議員のバッジをいただいたのは五十三歳。この選挙では、「地方分権・地域主権」を掲げました。二十三年間の地方議員生活で、日本を支えているのは地方であり、第一次産業であると実感をしたからです。
 平成二十七年、TPPが政府間交渉で大筋合意に達した二日後、農家の方々からは不安の声が上がる中で、農林水産大臣を拝命しました。大臣室の椅子に座り、目に浮かんだのは、郷里の先輩や後輩たちの姿でした。今日も汗水を流して田畑を耕し、家畜を育て、国を支えている。農業から逃げた私は、政治家としてその奮闘に応えなければならない。現場主義を自らに誓い、積極的に現場を回りながら、TPPの説明を尽くし、安全、安心な日本の農林水産業は強いこと、若者が誇りを持って働ける産業に育てることを訴えました。
 「政の大体は、文を興し、武を振るい、農を励ますの三つにあり」。教育、国の守り、そして農業を大事にすることが政治の根幹であるという、郷里の偉人、西郷南洲翁の言葉を胸に刻んでいます。食料安全保障の重要性が今ほど高まっている時代はなく、今後もしっかりと取り組んでまいります。
 これまでを振り返り、一つだけ誇れることがあるとすれば、政治活動に誠実に取り組んできたことです。多くの同僚に支えられ、自民党の国会対策委員長を歴代最長の千五百三十四日間務めさせていただきましたが、法案審議では、譲れない一線を守りつつ、野党の皆さんの意見にもできる限り耳を傾け、合意形成を図ってきたつもりです。(拍手)
 小中学校の頃、新聞配達中に、「がんばっているね」「学校に遅れないようにね」と優しく声をかけていただいた地域の皆さん。夜間課程に通わせてくださり、学ぶことができる幸せを教えてくださった勤務先の方々。農業を守り続ける郷里の仲間。政治家としての原点である市議会の先輩方。皆さんを思い出すたびに、「これからも、まっすぐに。前へ。」という気持ちに立ち返るのであります。
 今後も、国民と国会のため、引き続き誠実に邁進することをお誓い申し上げ、お礼の御挨拶といたします。
 この度は誠にありがとうございました。(拍手)