格言241~270

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241.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

一軒の家に不正な手段で得た石が一つあれば、破滅が保証されたのである。


サイード・アル=ラディの言葉

ある伝承ではこの言葉は預言者に帰属する。同じ源から、同じ手段で広まったのだから、二つの言葉が似ているのは当然である。


242.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

被抑圧者が抑圧者を支配する日は、抑圧者が被抑圧者を支配する日よりも過酷である。 〈注1〉

注1:この世で抑圧を我慢するのは容易だが、来世でその懲罰と直面するのは容易なことではない。抑圧を我慢する期間が一生続いたとしても、結局は限られた期間であるが、抑圧に科される懲罰は地獄である。その最も恐ろしい面は、それが永遠に続き、死が懲罰を救うことができないことにある。したがって、抑圧者が誰かを殺せば、殺された人にとっての抑圧はそれで終わる。だが、抑圧者が受ける懲罰は、放り込まれた地獄での苦しみなのである。


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243.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

たとえ度合いが低くても、アッラーを畏怖しなさい。たとえ薄くても、あなたとアッラーの間に覆いをかけなさい。


244.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

おびただしい数の返答があるときは、正しい点が不明瞭なままである。〈注1〉


注1:ある問題に対する答えがあらゆる角度から与えられても、どの答えからもさらに別の問題が浮上し、議論の扉を開けてしまう。本当の答えを求めてさらに多くの回答が必要となり、正しい答えをみつけることはもっと困難になっていく。なぜなら、誰もが自分の答えを認められたがってあれこれと議論するからである。その結果、問題全体が混乱し、多数の解釈によって目的がなくなってしまう。


245.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

誠に、どの祝福にもアッラーの権利がある。その権利を果たすなら、祝福が増す。それを果たさないなら、祝福を失う危険に立つ。


246.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

能力が増すと、欲望は減る。


247.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

恩恵が逃げてしまわないように用心しなさい。逃げたものすべてが戻っては来ないからである。


248.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

寛大は、血族を思いやることより善を促す。


249.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

人があなたのことを良く考えているなら、その人の考えが本当であるようにしなさい。


250.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

最高の行為とは、自分自身に強制しなければならない行為のことである。


251.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

決意が崩れるとき、意志が変化するとき、落胆するとき、わたしは崇高なるアッラーを認識した。〈注1〉


注1:決意が崩れるとか落胆するときはアッラーの存在を証明していると言うことができる。例えば、人が何かを決意していても行為する前に別の考えに変わってしまうことがある。意志や考えが変わってしまうのは、我々よりも高いところに、無から存在もしくは存在から無に変える力、何らかの支配力があることの証明であり、人間の力を超えたものである。したがって、決意に変化を及ぼさせる崇高な権威を認識する必要がある。


252.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

現世が酸っぱいのは、来世が甘いからである。現世が甘いのは、来世が酸っぱいからである。


253.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

アッラーは御定めになった。多神教を浄化するためにイマーン(信心)を。虚栄心を浄化するためにサラート(礼拝)を。生活の糧の手段としてザカートを。人々への試練として断食を。信仰を支えるためにハッジ(メッカ巡礼)を。イスラームの栄誉のためにジハード(聖戦)を。善の勧めを庶民の善のために。悪を思いとどまらせることを害悪の制御のために。血族への思いやりは数を増やすために。復讐は流血を止めるために。処罰を与えるのは禁じられたことの重要性を気づかせるために。禁酒は知力の保護のために。盗みを避けるのは純潔を心に植えつけるために。姦通の禁止は血統を守るために。男色の禁止は子孫繁栄のために。証拠を示すのは争いに対しての証拠を提供するために。嘘の禁止は真実の尊重を高めるために。平安(サラーム)の維持は危険から守るために。イマーム性(聖なる指導者性)は共同体の秩序のためと、イマームへの服従をイマーム性の尊重の印とするために。


254.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

抑圧者に忠誠を誓わせたいのなら、彼がアッラーの偉力の外にあることを宣言させなさい。もし間違った誓いをすれば、早急に処罰されるからである。だが、アッラーのほかに神はない、とアッラーに誓うなら、すぐに処罰されることはない。至大なるアッラーの唯一性を表現しているからである。


255.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

おお、アーダムの息子よ、あなたの所有物に関しては、自分がその代理人になりなさい。そして、それが自分の死後に扱われたいように扱いなさい。


256.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

怒りは一種の狂気である。それの犠牲者は後で悔いるからである。後悔しないなら、彼の狂気は確定されたのである。


257.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

わずかな嫉妬は身体の健康に現れる。〈注1〉

注1:嫉妬は有害な物質を分泌させるので自然な体温を乱す。その結果、体も精神も弱まってしまう。そのために嫉妬深い人は成功せず、嫉妬の炎の中に溶けて消えてしまうのである。


258.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―がクマイル・イブン・ズィヤード・アン・ナファッイに言った。

おお、クマイルよ、昼間には高貴な特質を手に入れるように、また夜には眠っているかもしれぬ人々の貧困を助けるように、あなたの民を導きなさい。誰かが他者の心を喜ばせ たとき、そのすべての声を聞き入れる御方に誓って。アッラーはこの喜びから特別なものを御創りになられる。その人に降りかかる困難はみな、水流のごとくやって来て、追い払われる野生の駱駝のように逃げていく。


259.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

貧困に陥ったときは、慈善行為(施し)でアッラーと取引しなさい。


260.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

不信心者の篤信はアッラーへの不信心である。不信心者の不信心はアッラーへの篤信である。


261.アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

多くの人々は良い待遇によって徐々に懲罰に連れていかれる。多くの人々は自分の悪行が隠されているので騙されたままでいる。多くの人々は自分のことを良く語られるので錯覚する。栄光のアッラーによる時の猶予よりも偉大な審判はない。


262‐1.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

状況がこのようなときには、信仰の長が立ち上がり、人々が彼を囲む。秋に雨を降らせない雲の一つひとつが集まるように。


サイード・アル=ラディの言葉

「ヤッスーブ」〈注1〉は人々の諸事を担う最高責任者のこと。「クザ」は雨を降らせない雲のこと。

注1:「ヤッスーブ」は女王蜂の名である。アミール・アル=ムウミニーンの言葉「ファ・イザ・カーナ・ザーリカ・ダラバ・ヤッスーブッド・ディーン・ビ・ザナビヒー」の「ダラバ」は叩く、打つ等の意味がある。「ヤッスーブッド・ディーン」は「宗教、シャリーアの長」の意味がある。「ザナブ」は尻尾、固守(信望)、花の意味がある。「ヤッスーブッド・ディーン」は、ここではイマーム(マフディー)を意味するが、聖預言者が特にアミール・アル=ムウミニーンに授けた称号である。彼はこのように言った。

おお、アリーよ、あなたは信ずる者のヤースブ(長)である。富は似非信者のヤースブである。(『アル=イスティアーブ』4巻1744頁。『ウスド・アル=ガーバ』5巻287頁。『アル=イサーバ』4巻171頁。『アッ・リヤード・アン・ナディラ』2巻155頁。『マジャマ・アズ・ザワーイド』9巻102頁。イブン・アビー・ハディド1巻12頁。19巻22頁。)

また聖預言者はアリーにこう言った。

あなたは信仰のヤースブである。(『アッ・リヤード・アン・ナディラ』2巻177頁。『タージ・アル=アルース』1巻381頁。イブン・アビー・ハディド1巻12頁。19巻224頁。)

また聖預言者はアリーにこう言った。

あなたはムスリムのヤースブである。(『ヤナービ・アル=マワッダ』62頁、アル=クンドゥズィ)

聖預言者はこうも言った。

あなたはクライシュのヤースブである。(『アル=マカーシド・アル=ハサナ』アッ・サカーウィ 94頁)

イマームをこのように呼んだ理由は、ミツバチ社会の中で唯一純粋なのが女王蜂であり、女王蜂は害から離れた花の蜜を集めるが、同じように現在のイマームも不浄から離れ、完全に純化されている。この伝承の言葉にはいくつかの解釈がある。


第一の解釈は、「現在のイマームが世界を巡った後、人々は彼の周囲に集まる」 第二は、「イマームがその友たちと地上を巡るとき……」と解釈する場合は、「ダラバ」は動き回る、「ザナブ」は援助者、仲間、という意味である。 第三は、「イマームが剣を手に立ち上がるとき……」と解釈する場合は、「ザナブ」は蜂に刺される、という意味である。 第四は、「イマームが真の信仰を伝えるために情熱的に立ち上がるとき……」と解釈する場合は、怒りの状態および攻撃の姿勢を暗示する。


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263‐2.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

彼は多才の話し手である。〈注1〉


サイード・アル=ラディの言葉

「シャフシャフ」とは、熟達した人で自由自在に話す人の意味がある。自由自在に話したり歩いたりする人のことを「シャフシャフ」と呼ぶ。別の意味合いでは、欲深い人、けちな人を意味する。


注1:多才の話し手とは、サッサーアフ・イブン・スーハーン・アル=アブディーのことで、彼はアミール・アル=ムウミニーンの最高の教友であった。この伝承の言葉は、彼の話し手としての偉大な特質と語り手としての能力を明らかにさせたものである。これと関連してイブン・アビー・ハディドはこう記している。


アリー―彼の上に平安あれ―のような人物に偉大な話し手であることを称賛されたということで、サッサーアフの偉大さを知るには十分である。(『シャリフ・ナフジュ・ル・バラーガ』19巻106頁。


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264‐3.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

口論は破滅を引き起こす。


サイード・アル=ラディの言葉

「クフム」は破滅を意味する。口論はしばしば、人を破滅と悲嘆に追いつめる。「クフマトゥール・アッラーブ」は、干ばつの時期にアラブの放牧民が所有する牛が骨と皮にやせ細るときのことを意味する。さらに論を進めると、その状況が草のある場所へ彼らを追いやるということ、すなわち、砂漠の生活の困難が彼らをハダル(文明地域、町村)に追いやるということ。


265‐4.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

少女が現実を認識できる段階に成長したときは、父方の親類が好まれる。


サイード・アル=ラディの言葉

「ナッサ・ル・ヒカーク」ではなく、「ナッサ・ル・ハッカーイク」と語られている。「ナッス」とは、何かの端または最も離れた限界線の意味がある。例えば「アン・ナッシ・フィッ・サイル」は動物が歩ける限界を意味する。また「ナサストゥ・ル・ラジュラッ・アニッル・アムリー」とは、誰かに質問して知っていることをすべて吐かせる、というときの表現である。従って、「ナッサ・ル・ハッカーイク」の意味は、幼年期の最後、子供が幼児期から成人期にはいることを言っているので、思慮分別となる。奇妙な表現だが適切な言い回しであり、大変豊かな表現となっている。アミール・アル=ムウミニーンが言わんとしたことはこうだ。「少女がこの段階に成長したときは、婚姻を禁じられた兄弟やおじでないのであれば、結婚を望むのであれば父方の親類には母方の親類よりも権利がある」「アル=ヒカーク」は、母親と少女の父方の親類との口論を意味する。この口論とは、皆が少女に対して彼に権利がある、と言っている場合の口論のことである。「ジャーダルトゥフ・ジダーラン」のところで「ハーカトゥフ・ヒカーカン」とあるのはそのためである。「ナッス・ ル・ヒカーク」は理解を得るという意味で、思慮分別である。なぜなら、アミール・アル=ムウミニーンは権利と義務が応用できるときの段階のことを言っているからだ。「ハカーイク」として語る人は「ハキーカ」(現実)の複数形を意図する。


 上述の解説はアブー・ウバイド・アル=カーシム・イブン・サッラームが『ガリーブ・アル=ハディース』3巻456‐458頁で語ったことだが、私はここでの「ナッス・ル・ヒカーク」の言葉は、「ビル・ヒカーキ・ミナッ・ル・イビリ」(駱駝が成年に達すること)の比喩において、少女が婚姻できる年齢に達した段階で彼女の権利の行使を認めることを 意図していると考える。「ヒカーク」は「ヒッカ」または「ヒック」の複数形で、3歳に達してから4歳になっていくことを意味し、これは駱駝が人を背に乗せて歩くことが可能な年齢である。「ハカーイク」も「ヒッカ」の複数形である。したがって、どちらも同じ意味を示しており、この解釈は前述のものよりもアラブ人の習慣に一致しているものである。


266‐5.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

信仰は心に「ルマザ」を生じさせる。信仰が深まると、「ルマザ」も増える。


サイード・アル=ラディの言葉

「ルマザ」とは白い染みのようなものを指す。例えば、白馬の下唇に白い斑点があるのを「ファルスン・アル=マズ」といい、白い斑点がある馬となる。


267‐6.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

「アド・ダイヌッズ・ザヌーン」(疑わしい貸し)がある者は、戻ってきたときには過去の年すべてのザカートを支払う義務がある。


サイード・アル=ラディの言葉

「アッ・ザヌーン」とは、貸し手が借り手からの返済を受け取れるかどうか疑わしい場合の貸しのことである。貸し手は返済の望みを失うことがある。そのことの極めて雄弁な表現である。あなたにはどうなるかわからないすべてのことが「ザヌーン」となる。詩人のアル=アッシャー(マイムーム・イブン・カイス・アル=ワッイリー)(7/629年没)がこれと同じ調子で語っている。

雨雲の雨に恵まれない「アッ・ザヌーンの井戸」(貯水されるかされないかもしれない井戸)を、水泳の名手も船も押し流してしまう、高く波打つユーフラテス河と比較することはできない。

「ジュッド」は(荒野にある)井戸を意味し、「ザヌーン」は水があるかないかわからぬ井戸のことである。


268‐7.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―はジハードのための軍を準備してこう言った。

できるところまで女性からイッドヒブしなさい(顔を背けなさい)。


サイード・アル=ラディの言葉

「イッドヒブ」とは女性のことを固執して考えること、性交しないこと。こうした行為は熱意を弱め、決意に影響し、敵との対峙で弱くさせ、戦いに全力を尽くすことを阻む。何かを阻むことを「アザバ・アンフ」(顔を背ける)という。「アル=アドヒブ」や「アル=アドフブ」は、飲食を断つ人を意味する。


269‐8.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

一発で成功を勝ち得る者は、うまい射手(アル=ヤーシル・アル=ファーリジ)のようである。


サイード・アル=ラディの言葉

「アル=ヤーシルーン」(アル=ヤーシルの複数形)は、賭け事で屠殺した駱駝に矢を射ることをいう。「アル=ファーリジ」は、「うまい」もしくは「勝ち誇った」の意味。「ファラジャ・アライヒム」または「ファラジャフム」(彼は彼らに対して勝った、彼らを圧倒した)などの例がある。ある詩人は戦いのことをこう詠った。

勝ち誇った人の勝利を、わたしは見た。


270‐9.伝承によると、アミール・アル=ムウミニーン―彼の上に平安あれ―が言った。

危機が灼熱したとき、我々は神の使徒(彼とその子孫の上に平安あれ)に救いを求めた。彼ほど敵に近づいた者はいなかった。


サイード・アル=ラディの言葉

敵の恐怖が増して戦いが深刻になると、ムスリムは神の使徒自身が戦われたので、アッラーが彼を通してムスリムに勝利を与え、神の使徒の存在によって彼らはあらゆる危険から安全だと考えるようになったことを意味する。


「イドハ・フマッラッ・ル・バッス」(危機が灼熱したとき)は、物事の深刻さを示す。同じ目的の言葉はいくつかあるが、この表現が最も適切である。アミール・アル=ムウミニーンは、働きである火の熱さと火の色で、戦いを火に喩えたのである。神の使徒(彼とその子孫の上に平安あれ)の言葉がこれを証明している。フナインの日、彼はハワーズィンの人々が争っているのを見て言った。「今、ワティースが熱くなった」ワティースとは、火を燃やす場所のことである。神の使徒(彼とその子孫の上に平安あれ)はこう表現して人の争いの深刻さを、燃える火に喩えた。


説明を要する伝承はここまでとする。