松山驛

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 〔松山驛〕(台北市松山町字松山)台北市東戸の門戶をなし南半は丘陵地で北半は基隆川の流域に當り廣い沃野となつてゐる。人口一・六万。大台北市の工業地帯として各種工業殷賑である。附近に大規模の鉄道工場、專賣煙草工場、台湾唯一の製鉄工場等が建設されてゐる。
▲臺灣煉瓦株式會社工場(西三粁一)
▲主な建物(台湾煉瓦會社、成德学院、療養所、養神院、台湾電力松山火力發電所、台湾電氣鑄鋼所台湾電力製鉄工場、同修理工場。)
▲五分炭坑(東一粁二)
▲ゼニスパイプ會社
▲アーテツクス會社
▲劇場 大北座(台湾芝居)
▲鐵道隊員戰死碑(駅構內)
明治二十九年一月一日、當松山に於て匪賊の為に、台鉄否台湾の尊き礎となれる平田逸作外二十一氏戰死の碑である。
▲媽祖宮(北〇粁二、大祭旧三月二六日)
▲成德學院(東一粁二、本島唯一の感化院である)
▲療養所(東二粁一)、肺患者收容所で約五〇名を容れてゐる。台車一五錢二〇分。
▲臺灣總督府養神院(西南一粁)

この著作物は、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。