朝鮮王朝実録/1849年/7月6日/1

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日本語訳[編集]

大王大妃が山陵看審都監の堂上官以下の官吏を召見した。

大王大妃殿:「いくつかの場所を見回ったが、どこが最も吉を呼ぶかな」
趙鶴年:「左向き(坐向)の吉を13箇所を看審した後、その中のいい方から5箇所を選別し、相地官の山論と別軍を啓告しました」
大王大妃殿:「5箇所の中で、最もよい場所は?」
趙鶴年:「5箇所の内では、景陵の陵上で、十全大吉の地であり、次ぐものは、崇陵の右岡も大吉の地にあたります」
大王大妃殿:「数人の相地官の意見を聞きたい」
梁鍾華・朴大熙:「景陵は龍勢や穴證が豊厚なので、十全大吉の地となっており、崇陵も龍穴の法があるので大吉の地にあたりますが、景陵と比べると劣っているので副望に決めました」
大王大妃殿:「景陵が第一の十全大吉の地だから、首望の地なのか。三看審の後に決定するが、再看審はいつの日に行われるのか」
趙鶴年:「再看審の日は、摠護使の草記に記されています」

原文[編集]

辛丑/召見山陵看審都監堂上以下。 大王大妃殿曰: “看審諸處中, 何處爲最吉乎?” 都監堂上趙鶴年曰: “取其坐向吉利處, 合十三處, 一一看審後, 其中五處, 以相地官山論, 修別單入啓矣。” 大王大妃殿曰: “五處中何處爲最吉乎。” 鶴年曰: “五處中景陵陵上奉審, 則十全大吉之地矣, 而崇陵右岡, 亦是大吉之地, 似爲次於景陵矣。” 大王大妃殿曰: “諸相地官奏之可也。” 相地官梁鍾華、朴大熙等奏曰: “景陵龍勢穴證豐厚, 爲十全大吉之地, 而崇陵龍穴法度, 亦是大吉之地, 比諸景陵, 猶爲之次, 故定以副望矣。” 大王大妃殿曰: “景陵第一十全大吉之地, 故爲首望乎? 三看審後當完定, 而再看審何日爲之乎?” 鶴年曰: “再看審日字, 摠護使當有草記矣。”


【太白山史庫本】1本1巻4章B面

【影印本】48本548面

先代:
1849年7月5日第一項
朝鮮王朝実録
1849年7月6日第一項
次代:
1849年7月6日第二項