朝鮮王朝実録/1849年/7月30日/1

提供:Wikisource

日本語訳[編集]

領府事趙寅永上疏:礼節に関することを、草記で稟定することは相応しくないので、敢えて短箚を上げ、睿覧を煩わしくして啓告致します。謹んで歴代の陵寝に合封された前例を上告してみると、厚陵・献陵・英陵・明陵の4つは、王妃の葬儀が先に行われ、王の葬儀がその後に行われ、陵号は本陵の号を書いたので、今日援用するのに妥当でしょう、唯一宣祖大王の穆陵だけは懿仁王后と同期に合封されたが、譜略の『王后の陵の注釈として初号は、裕陵である』とありますので、裕陵を穆陵に改称したことは古い事なので考定することは困難である。また、合封する陵が前後して十八の場所が、表石は皆一つの坐を設置して、唯一の英祖の元陵だけは貞順王后と合封して、新旧両方の表石を使いました。これはすべての礼文と制度に関係する自分だけで専断することはできません。願わくは大臣に礼曹堂上らと収議して遵行してください

批答:収議の事件をそのまま従ってやっていただきたい。

原文[編集]

乙丑/領府事趙寅永疏略曰:“禮節之間, 有不宜以草記稟定者, 敢用短箚, 仰塵睿覽。 謹稽各陵合封之已例, 則若厚、獻、英、明四寢, 王妃葬禮在先, 大王葬禮在後, 而陵號皆仍用本陵之號, 似合援用於今日, 而惟宣祖大王穆陵時, 合封於懿仁王后, 而《譜略》, 王后陵註曰, ‘初號裕陵,’ 裕陵之改爲穆陵, 事係久遠, 難以考定。 且合封之陵, 前後爲十八所, 而表石則皆以一坐入設, 惟英宗元陵貞純王后合封也, 用親舊兩表石矣。 此皆有關於禮文制度, 不敢自下擅便。 伏願收議於大臣及禮堂處, 以爲敬遵。”批曰: “收議事允從矣。”


【太白山史庫本】1本1巻9章A面

【影印本】48本551面

先代:
1849年7月29日第二項
朝鮮王朝実録
1849年7月30日第一項
次代:
1849年7月30日第二項