朝鮮王朝実録/1849年/7月19日/1

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日本語訳[編集]

熙政堂で次対した。

金道喜:「我らが殿下は王家の近親として慈聖の命を受け、我らが国家統治の基は慈聖殿下が光栄にも簾帷から御自ら教えていただいています。しかし、天の命を受け暦年も授るは、誰もが初頭に依存していることので、謹慎から離れることができますか。臣の寸心を抑えて、不得意ながら、今日の最も切実で緊急な者について条陳いたします。第一は誠孝を尽くし、第二は大本を立てながら、第三は聖学を勉強され、第四は民隠に同情され、第五は僥倖の道を抑制されることです」
主上:「条陳の言葉がすばらしく良いから、服膺しようと思う」

原文[編集]

甲寅/次對于熙政堂。 左議政金道喜曰: “惟我殿下, 以懿親之近, 受慈聖之命, 誕膺我丕丕基, 慈聖殿下, 光御簾帷, 以身爲敎。 天之命哲命歷年, 岡不在初, 可不愼哉? 臣寸丹攸激, 按住不得, 謹就今日切要最急者而條陳之。 一曰盡誠孝, 二曰立大本, 三日勉聖學, 四曰恤民隱, 五曰抑僥倖。” 上曰: “陳勉諸言甚好, 敢不服膺。”

解釈[編集]

語録 ハングル 意味
次対 차대 毎月6回ずつ、政府堂上・台諫・玉堂が入内して重要な政務を上奏すること

【太白山史庫本】1本1巻8章A面

【影印本】48本550面

先代:
1849年7月18日第一項
朝鮮王朝実録
1849年7月19日第一項
次代:
1849年7月19日第二項