朝鮮王朝実録/1776年/3月16日/2
日本語訳
[編集]四学の儒生鄭在寬らが喪服の燕居帯改善の上疏を提出した。上疏:『方喪の絞帯に加えて、まだ燕居布帯があるのは、本来の礼文の意味を無視しています。儀礼を深く思考すると、斬衰三年の服制は、父と君主の為に着るものであるはず。傳師は“父は尊い存在であり、君主は極めて尊い存在にある”と説いています。かくして斬衰の絞帯と斎衰の布帯ですが、布帯の前に過去の礼法があるのに"麻帯を変更して、布帯を帯びるべき"という賈公彦の杜撰な上奏を取り入れて、このことに対して私は周公が定めた礼法を遵守しなくてはならず、註解をまちがってはいけません。最近は礼を欠き豪華な衰服を着なくては来賓が来なくなります。そのため、衰服の他、深衣・腰絰・冠・免冠も着用する必要があるので、燕居する時の服装です。そして斬衰の時には、巾に加えて金や玉をつけ布帯をつけるので、これも燕居姿とは変わりがなく、ましてや緦麻服・大功服・小功服とも区別がつきません。そればかりか三年喪の間に一時だけ使って、後は絢爛な装飾品を装飾する者も増え、三年喪は有名無実化しており、これが方喪もといえるのものでしょうか。儒生も同じもので上衣と下裳姿をせず、逆に廷臣と同じものを着ており、金頂子などの簪もあります。もうこれはどうにもなりません、すべてを元に戻し、世の道義を正すべきと存じます』
さて臣下が鄭在寬と引見したが、王は不具合そうな顔で読み、次のように命を下す。下教:『儒者らが出した上疏が陳達するとは非常に影響が多いものだが、祖先が決めている部分があるので、今の私には軽率に修正できないのだ。しかも上疏を読んでいると、起復の項に倫紀の庠序の部分を複製しており、字句が区別できないところがあるので期待できない』とし、続いて鄭在寬を停学させた。
原文
[編集]四學儒生鄭在寬等上疏, 請釐正喪服燕居帶, 疏略曰:方喪絞帶之外, 又有燕居布帶, 恐非禮之本意。 臣等謹按《儀禮》, 斬衰三年之制, 爲父爲君, 傳曰: “父至尊也, 君至尊也。” 斬衰之絞帶與齊衰之布帶, 其制截然, 而變麻服布之說, 創於賈疏之杜撰。 先正臣宋時烈, 與其門人權尙夏書有云: “晦翁末年, 汲汲於《通解》之役, 至欲請於朝。 今則已有上命, 其可少緩乎? 只恐註解或失, 以負聖意, 得罪斯文耳。 蓋周公之禮, 不可不遵, 而註解之謬, 不可不知。 禮不衰不見客。 承衰之深衣, 承絰之絞帶, 承冠之免, 便是燕居服。 況斬衰者, 巾金玉, 而以布帶爲燕居服, 則是與緦功之服何辨焉? 古者君喪在身, 則雖有親喪, 不敢私服, 服君喪從政。 而今則衰絰, 只爲一時所用而已, 創出布帶, 以之燕居, 以之出入, 以終三年, 則名雖斬衰, 實則以齊衰之一布帶, 終三年也。 是豈方喪之意? 且儒生之時居齋學者, 與方外生徒有間。 今不爲上衣下裳, 三月之齊衰, 只衣長衣而帶布帶, 以爲三年之制, 則自歸士大夫家臣之服。 在禮無據, 追成庶人之服焉, 而過三月以後, 則以白衣冠終三年, 似合情禮矣。 凡於親喪, 去其金玉是禮也, 則君喪斬衰者, 不去金玉可乎? 若行古禮, 則卿大夫之在父喪而服君喪從政者, 其安於頂金頂玉乎? 臣等以爲一反古禮, 許以斬衰從政, 則金玉之存不存, 初非可論, 雖行起復之令, 而無所狗礙矣。召見在寬命讀疏, 矇不能讀。 敎曰: “儒疏所陳, 禮節之大者, 又有先朝已定之制, 固不可率爾請改。 而前席讀疏, 不辨字句, 至於起復一款, 大關倫紀, 非所期於庠序之士。” 仍命在寬停擧。
【太白山史庫本】1本1冊3章B面
【影印本】44本562面