暗闇と沈黙
『暗闇と沈黙』
("The Lone Hand"誌に掲載されたC. A. ジェフリーズによる記事から許可を得て抜粋)
人は期待します。目が見えなかったり耳が聞こえずそのため言葉を発することもできない困難を抱える子どもたちに、州のすべての支援が届くことを。人は考えます。州は、彼・彼女らがこの世界に適応して暮らしていくため必要となる特別な種類の教育を受けられるようにするだろうと。しかし恐るべきことに、この金持ちのニューサウスウェールズ州は、沈黙と暗闇の中にいる子供たちに対して何もしていません。彼らは子供たちを、ニューサウスウェールズ盲聾唖者協会として知られる個人的な慈善団体に渡すことによって、州の手の上に残されている子供たちをできるだけ速やかに取り除くのです。まるで、子供たちは何の教育も受けなくても彼らの道をよりよく歩むことができるかのように、子供たちへ教育を与える義務を両親に課す法律はなく、州は、苦しんでいる小さなものたちに対する福祉にこれっぽっちの関心も持っていません。
「1908-9年度ニューサウスウェールズ州公式年鑑」は1901年までの数値だけを掲載していますが、そのとき州にいた聾唖者は390人、盲人が884人でした。ただしそれがすべてではない畏れがあると附記されています…
...シドニーのダーリントン協会は、1861年に「聾唖及び盲目の子供たちの人生を向上させるための、実行可能な限りの教育と扶助」のため設立されました。それ以外に州内にある類似の組織は、ドミニコ会によってワラタに作られた「聾唖の子供たちへのカトリック教育の原則に則った訓練と、彼らの有益な人生のための準備を目的とした」カトリック教育機関だけです。
...聾唖の子供は、恐るべき沈黙の世界—何かを説明してくれる言葉がまったく届かない、永劫の無音の中にいます。彼は、指で「これ」や「あれ」を語る一連の記号体系を学ばなければなりません。常に彼は、ものについて語るだけではなく、それを示したり、それがどうなったのかなどを示さなければなりません。指文字を学んでアルファベットを習得した後、ダーリントンの教師たちは彼に、人の唇の動きを読み、彼自身には聞こえない声で明瞭に返答する
さて、そういった全てのことだけでも十分哀れなことですが、さらに恐ろしい場合もあるのです。その子供が、耳が聞こえないだけではなく、目も見えないとしたら!そしてそういう子供達もいるのです。その恐怖に満ちた
目の見えない赤ん坊は、父親の肩にしがみついて音たちの間の探検に出掛け、彼の内側の反響する宇宙の中に
しかし別な赤ん坊は、永遠の沈黙と、暗闇の中で、小さな岩にしがみついています。完全に停滞したよどみの真ん中で、誰の助けもないまま生きている彼は、形のないその場所、彼自身のかけらすらもない虚空の中にいるのです。彼は、自らを苦しめる欲求と願い以外には、何も知りません。彼が抱えているのは生きながらの死であり、無力な赤ん坊は、「神さま、神さま、どうして僕を見捨てられたのですか?」と泣くことすらできません。
...ダーリントンに、耳が聞こえず目が見えない8才の小さな女の子がいます。3才まで、小さなアリス・ベタリッジは快活な赤ちゃんで、他の子と同じくしっかり見ることのでき、他の子と同じようによくお喋りをする子でした。そして、髄膜炎を患いました。小さなアリスは、恐ろしい痛みとひどい譫妄状態を経験した後、いつも真っ暗で、まったく音のない世界に生還したことに気付いたのです。彼女は、陽の光の思い出や、しばしば心に浮かぶ大地の音楽に苛まれました。
しかしそれらは、彼女から永遠に去っていたのです。
幼く無力な子供が何を感じたか、想像してみましょう。かのダンテの知性をもってしても彼女の窮境ほど恐ろしい何かを想像することはできなかったのです。彼女の幼さが、それらの恐怖、あるいはその一部でも和らげてくれていたのであれば、どんなに救われることでしょう。しかし、小さな少女が、暗闇の中にいる自分に気づいてお母さんやお父さんを呼ぼうと虚しく試みても自分の声を聞くこともできず、両親が彼女を慰め彼女の恐怖を鎮めるために、苦しみを訴える彼女の声を聞こうと努力しても聞くことができなかったであろうことは、想像に難くありません。彼女の傍らにまだ両親がいることさえ、彼女は知ることができなかったのです。永遠の闇は彼女を打ち砕いたことでしょう。重苦しくて恐ろしい無音は彼女を怯えさせたことでしょう。その孤独は言葉で言い表せないほど酷いものだったに違いありません。大人であれば、これほどの経験に耐えて生きていくことができずに、気が狂うか死んでしまっていたことでしょう。暗黒と無音。そして人生との唯一のコミュニケーションである幽霊のような手の感触。
私は、彼女がダーリントンに来る前の生活を何も知りません。しかし、いかに愛情が注がれていたとしても、その生活は実に辛いものだったに違いありません。しかし、とうとう彼女はダーリントンにやってきて、暗闇の中の手は彼女がそれまで知っていたものとは違うことを知りました。
その手は、彼女自身の手を取って彼女の腕の中に小さな人形を置き、彼女の指でサインを作らせました。それは指の言葉で「人形」という単語でした。小さな女の子にはそれは何の意味も持たないものでした。そして人形は彼女から取り上げられました。彼女が同じサインを作らないと腕の中には戻ってこないのです。彼女はその人形の感触すべてに愛情を感じていたので、彼女に何かが起きたように見えました。彼女は手で体を撫でると、哀しげに微笑みました。人形は彼女自身のようなものだったのです。
人形が彼女の腕の中に置かれる時には、いつも幽霊の手が彼女の指を同じサインに作りました。ある日、彼女は手探りであの不思議な手を探りあてると、彼女の指が作らされていたサインを何度も繰り返したのです。人形はすぐに彼女の腕の中に置かれました。
それがコミュニケーションの最初の一歩でした。傷つけられていた小さな脳が目覚めたのです。そのサインは常に人形を持ってくるようでした。ある日、その暗闇の中の手が、彼女の指を人形の鼻へ導き、続けて彼女自身の鼻へ触れさせ、これまでとは違うサイン—「n-o-s-e」(鼻)を与えました。彼女は理解し、先生の顔を探し、先生の鼻を触ってそのサインを綴りました。それから髪の毛(hair)、口(mouth)、耳(ears)、頭(head)と順番にそれは続けられました。ゆっくり、本当にとてもゆっくり、小さなアリスは彼女の頭と顔から体までの場所と呼び名を教わったのです。
激しく打ちのめされていた脳は、ふたたび活発に活動を始めました。長いあいだ表現と交流を求め続け、渇望していた小さな魂は、これらのすばらしいサインとしっかり結びつきました。次から次へと彼女は学習することに熱中していきました。けれども、彼女の全面的な熱意にもかかわらず、それは小さな女の子の先生にとって長く、長く続く疲労を伴い、小さな少女にとっても、ゆっくり、ゆっくりした歩みの遅い旅でした。湾はあまりにも広大で、メッセージはとても弱々しいものだったのです。糸に通すための小さなビーズが彼女に渡されたあと、「beads(ビーズ)」という単語が綴られました。彼女は「beads」と綴ってそれらを貰いました。
しかし、留意しておくべきことは、彼女は並外れて賢かったとはいえ、まだ単なる赤ん坊にすぎなかったということです。そして、憶えなくてはならない単語はいずれも、アルファベットについてなんの知識も持っていない彼女にとっては意味を持たない記号だったのです。
彼女と、彼女が何ひとつ知らない世界との間に横たわる大きな湾をつなぐ完全な橋が現れるのは、もっと後のことでした。彼女は、指や手首や手のひらでもっとサインを作れることを少しづつ理解しはじめ、その事実は彼女を戸惑わせたようでした。表現の出口をいつも探している自然は、その中のすべてにいくつかの規則があることを彼女に直感的に伝え、それを探し当てるように彼女を促しました。彼女は小さな箱の錠を外し、壁の外に出るために取っ手を回しました—しかし、彼女の先生は毎日、彼女が眠りから目覚めてからベッドに戻るまでの間、彼女の指にアルファベットを教えていたのですが、彼女は自分の小さな魂が切実に求めていた鍵を見つけることができずにいたのです。
彼女に人形、ビーズ、食べもの、飲み物、りんご、そして彼女が知っている全てのものをもたらすすべての記号は(彼女が知っていた事は彼女が触れたものだけだということを思い出して下さい)、神秘的で素晴らしく賢い両手が、毎日彼女が起きてからベッドに戻るまでの間、彼女に伝えたサインの組み合わせであることを、彼女は少しずつ理解しました。しかしそれは、重要な発見でした。後は時間をかけてそれを応用すればよかったのです。彼女は人形(doll)と犬(dog)がどちらも同じ(do)というサインで始まることを知り、色々なものの始まりであるトップ(top)と花を入れるポット(pot)は、同じサイン、記号の順序を逆さにしただけだということを知りました。そのようにしながら彼女は、アルファベットとその素晴らしい使い方を学びました。
さらに、(努力すれば)もっと素晴らしいものも得られることが彼女にはわかってきました。同じ全知全能の両手は、彼女に、表面が少し盛り上がった点に覆われた柔らかくて滑らかな素材の断片を与えました。最初のものはひとつの点で、全能の両手は最初の記号(A)を示しました。縦に並んだふたつの点は、アルファベットの二番目の字(B)でした。点は6個以上には増えませんでしたが、指で伝えることのできる全てのサインに対応する点記号があることを彼女は理解しました。
幼いアリスにはそれが何のためのものなのか理解できませんでした。でもそれは興味深いものでした。彼女は、新しい遊びを見つけたように、若い心が新しいものに示す全面的な熱意をもってそれにのめり込みました。そしてその素材のシート全体を先生が渡すと、彼女は点の中にあるサインを拾い上げて先生の指の上にそれをなぞってみせ、楽しむのです。彼女は指文字を憶えた時のように、点字アルファベットを学んでいきました。一生懸命に勉強して彼女はそれを習得しました。まもなく彼女は、その限りない楽しみの中で、その滑らかな素材が彼女に語りかけてくることを発見したのです!それは彼女に猫と人形がどうやって一緒に寝たのかという素晴らしい物語を話してくれ、そして猫と犬があまり親しい友人ではなかったことも話してくれました。
小さなアリスはまだダーリントンに来て3年も経っていませんが、手話とブライユ点字のどちらにも熟達しました。そして彼女はたくさんのページで、彼女と同じような子供達や、世界の不思議、生と死についての物語を読んでいます。ただそれはいつも、彼女がまだ感じたことがなく、理解できないことが表現されている単語を一字ずつ追う時間のかかる作業です。
彼女はまだ沈黙の広間の中で、計り知れない暗闇に取り囲まれています。しかし世界はもう空虚でも無形でもありません。暗黒の中は彼女のような人たちでいっぱいです。彼女が手を伸ばすと、彼女の合図を理解して答えてくれる仲間をいつも見つけるのです。彼女は空虚に取り囲まれた孤独の恐ろしい島を後にして、夢中になれる面白いことや、彼女がそれについてすべて知りたいと切望するものの大きな素晴らしい宝庫に到着しました。
新鮮なものたちに触れること、そしてあの素晴らしい指の言葉でそれらがどう呼ばれているのかを教わり、さらに素晴らしい点字のページに浮き出た点を通じてそれらについて読むことは、彼女にとって大きな喜びです。彼女のまわりには一緒に遊んでくれる同じような子供たちがいます。彼女のお気に入りのゲームは、おもちゃのベッドに他の子供たちを押し込んで寝かしつけることです。
授業が終わると、彼女は暖かい日だまりの中に腰掛け(盲人は、まるでそこから光を吸収するかのように陽の光を愛しているように思えます)、そして人形の世話をするか、ビーズに糸を通すか、点字のページの中にいる妖精たち、小さな男の子や女の子たち、海や船、大きな都市、王様と王女様たちの物語を読むのです。
私が最後に見たのは写真の中の小さなアリスでした。そこには3人の盲目の子がいて、左にいる少女はブライユ点字を朗読し、一番右の少女は、盲人独特の淋しげな微笑を浮かべながら、物語を楽しみ、一人だけ無音の中にいる小さなアリスの指にアルファベットでお話を伝えています。
そして、小さなアリスは、幸せです。
底本
[編集]- "Darkness and Silence." (Extracts from an article in the Lone Hand by C. A. Jeffries, by kind permission.) "The Gesture—The Voice of the Deaf and Dumb of Australasia" No. 13, October November December 1911, pp.1—4. https://victoriancollections.net.au/items/55875a9a2162f12340aa4086. (File:The Gesture No 13 1911.pdf in Commons.)
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