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景勝軍法

 

 
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景勝軍法
 

 直江山城守 述

一、推行則定前後左右之行列而旌旗不乱。長兵不横火縄不滅。不遠不近不重不軽、寂而若声、行止応鼓矣。所謂明法審令者也。不誠也。

一、或船或橋過諸悪所、則設前後之備、若戦時而諸勢悉済畢而可行矣。如此則不中途者也。

一、過山陰・谿潤・林木処則必当伏兵而遮撃也。無遠慮則是以龐涓見孫贖者也。

一、営塁相成而分地之外、妄不交往也。各堅守其所、而昼即設遠候、夜則出伏兵、専攻守之備、而可止無用之他出也。若至于夜中急用則可燭行也。

一、或諠譁口論、或放牛馬、失火而莫駭営中敗亡矣。

一、備之是非不思慮諫静也。或不其得失、或雖之、黙而不言、凶事出来之後、誹上之失、益己之智、此佞人也。語曰既往不咎。

一、采薪・芻牧之者、五人組而副警固、示方角往還、約束不遅疾也。

一、或主人或与頭、在戦死之場、則其衆一所而可於敵。遁逃者於立所之也。亦莫捨忘士卒之難矣。故曰、可之死、可之生、而不危也。

一、在於軍中則節衣食之用、専可積兵器・玉薬矣。莫遊興佚楽也。雖佳賓、上客二汁三菜、酒不酔飽

一、貪小利而事軽戦、求虚誉而為気勢、専勇力而為暴乱、伐軍功而為奢侈、侮有司而犯法禁、奪人忠而為己威、進退共不大事者、是非仁義勇者、慎而莫友相近矣。

一、軽卒者、馳引之鍛錬肝要也。其疾如衝風、其軽如浮雲、而往来狭路・微径、囲周・前後左右為之、呼号奮発而可使敵失気労_力也。若彼進来、軽引而如鳥散、亦退去則暴馳如オープンアクセス NDLJP:267、而可之也。幾度如此、待自敗時而莫率爾挑_戦矣。故太宗曰、朕観千章万句、不于多方以誤之一句而已。

一、夫鉄炮者、平生習翫而可以手熟、則臨不慮而難用、難用則攻守之備不利、不利則其軍敗却矣。玉薬・火縄等能拵持、而縦雖風雨、済深水、不得而不_用也。無遠無近、必料当与不当、而莫虚空矣。就中臨鑓下其外大事之虎口、則先跪而静心治気休息開眼、而大将又進表者、選之而可撃也。

一、総人数三分、而其一選勇武、而可使正兵、一者選大夫而為奇兵、其一者選軽足而為前鋒

一、追逃則量窮寇之撃、而後軍者整行列、而可以相属也。人馬之力、地之遠近、日之長短、不知矣。是勝者非勝、在慮敗而已。

一、士卒相会而語、莫密事使傍人生嫌疑、伸我之不利敵之美好矣。欲堅陣強敵、致忠節名誉。而為少弱励胆勇気力也。

一、営中四方之門、定約束符信、而可来往。不改則妄、妄則壁塁虚、虚則彼来而制於我。所於人者殆矣。亦彼使間諜而別異於其内、出盗兵而擾乱於其外也。豈可慎乎。

一、雖戦勝驕。雖少弱侮。陣勢已固、常戒而莫罷怠矣。其行列者若初戦、其威武若大敵・剛敵然。故曰、敬勝怠則吉、怠勝敬則滅。

一、陣則先堅守禦之備、而可以為壁塁、妄莫散勢衆

一、諸勢三分而一者、夜日共堅甲冑、而可以待不慮。営中雖失火以下之騒動、専虎口之防戦、而可備揃勢也。

一、或号捕敵、或号除手負・死人、而未勝負相果以前、不其虎口也。自始到于終、不其手、可軍功也。武勇之甲乙者、主人与頭遂糺明、無私可言上者也。

一、合討者、敵〔勁カ〕則雖助救、於首者、可与初太刀之者也。争死人、而莫比興也。

一、夫士者在於治国則専法度、禁邪偽以修其身、在於危難則励勇気、尽忠節オープンアクセス NDLJP:268二心誉也。必莫吉凶貞心義理也。

一、騎者審知別径・奇道之利、而可進退也。未地形、則以敵之往来駆馳、乃料広狭険易、則無所不知也。

一、両軍相対、則陣処肝要也。敵之所進者険、我之所進者易、而可於不敗之地。難薪草水便之利、不天険之地。若敵処戦地之利、則引而可之也。

一、臨戦則選英雄豪傑、而為左右大将、居中而老弱可後軍。戒馬僮僕等者武主、可後軍之次者也。

一、臨戦則先能整内、堅前後左右之備、而治気静心休息開眼、跪而可以待也。小筒為正、鑓下中筒為奇、百歩大筒為握機、二百歩各専其処、而不空放矣。堅守而無戦者、発我之軽卒之。知敵之可_撃、知我之卒可_用、知地形之利、則急撃莫疑矣。三者一闕、則莫戦矣。

一、向敵城而相動、則見道橋之悪処、而即付奉行之也。知道之左右可以立_備処、深草林木之可以設伏兵、可得軍之策

一、入敵国則先宜地之形勢・遠近・広狭・兵之多少、彼与我孰勝。是謂地生度度生量、量生数数生称、称生勝者也。

一、治衆者自伍到十、則雖百万難矣。闘衆者、使旌旗・鼓貝定進退之約束、則易行矣。

一、将士・吏卒明其法、而各専所用、可以常戒也。審其令而指示所、雖水火避也。当其勢而不大敵剛強、可奇正之備也。量其機而見勝、則速撃而莫敢為猶予也。

一、戦法者不敵人之気与_心矣。奪気也有旌旗・五采・鉄炮、奪心也有奇計・智謀矣。蓋非己之気与_心者、何以得人之気与_心乎。

一、物在於始則気盛而鋭、在於中則気微而惰、在於末則気衰而労矣。雖一日之軍、豈無始終之慮乎。

右景勝軍法一巻、直江氏之所著、蓋得謙信之遺術者也。其書雖略、其意則著士林之輩オープンアクセス NDLJP:269奚可之哉。遂如之点校以埃他日之講云。

 貞享丙寅閏三月念日 東海逸士河井悠久

 
景勝軍法大尾
 
 

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