↑前年 桓公三年(紀元前709年) 翌年↓ < 巻の二 桓公 < 春秋左氏傳
【經】 三年春正月[1]、公、齊侯に嬴に會す。夏、齊侯・衞侯、蒲に胥命ず。六月、公、杞侯に郕に會す。七月壬辰朔、日之を食するあり。既く。公子翬、齊に如きて女を逆ふ。九月、齊侯、姜氏を讙に送る。公、齊侯に讙に會す。夫人姜氏、齊より至る。冬、齊侯、其弟年をして來聘せしむ。年あり。
【傳】 三年(周ノ桓王十一年)春、曲沃の武公[2]、翼を伐ち、陘庭に次る。韓萬[3]、戎に御となり、梁弘、右たり、翼侯を汾隰[4]に逐ふ。驂(木ニ)絓りて止る。夜之を獲、欒共叔[5]に及ぶ。
嬴に會するは、昏を齊に成す[6]なり。
夏、齊侯・衞侯、蒲に胥命ずる[7]は、盟はざるなり。
公、杞侯に郕に會するは、杞、成ぎを求めたればなり。
秋、公子翬[8]、齊に如きて女を逆へ、先君の好を脩む。故に公子と曰ふ。齊侯、姜氏を送るは、禮に非ざるなり。凡そ公の女敵國[9]に嫁すれば、姉妹なれば則ち上卿之を送る。以て先君に禮するなり。公の子なれば則ち下卿之を送る。大國に於ては、公の子と雖も、亦、上卿之を送る。天子に於ては、則ち諸卿皆行く。公は自ら送らず。小國に於ては則ち上大夫之を送る。
冬、齊の仲年・來聘するは、夫人を致すなり。
芮伯萬の母芮姜、芮伯の・寵人多きを惡む。故に之を逐ふ。出でて魏に居る。(→桓公四年)
- ↑ 經に春王何月とあるは、皆暦は天王より班たるる故なり。故に春王と無きは、班歴無かりしなり
- ↑ 曲沃の莊伯の子。
- ↑ 莊伯の弟。
- ↑ 汾水の邊。
- ↑ 欒賓の子にして、翼侯の傅。
- ↑ 公、自ら齊侯と會して婚を成すは、禮に非ざるなり。
- ↑ 胥ひ命ずるは、約言を申べて以て相命じて血を歃らざる也。
- ↑ 魯の卿。
- ↑ 敵國は匹敵の國、即ち同等の國なり。