政界之五名士/犬養毅
その四 犬養毅
[編集]彼れの壮時
[編集]彼れの手腕
[編集]文章と演説
[編集]今こそ彼は文章は懶しとしてこれと親しまず、議場においてもまた緘黙唖のごとしといえども、その実彼は非常の文才と非常の雄弁とを有する者なり、策士としては珍しきほどの筆舌を有する者なり。
彼は少時郷関にあって漢学を修養し、すでにその堂に入れり。彼が逆境より藤田のために救上げられ、慶應義塾に学ぶを得たるも、その文才の非凡なりしがためなり。彼の業をおえて報知社に入るや果然錐は嚢中より穎脱せり。彼の文名は瞔々として洛陽に鳴れり。後報知社を辞し、朝野新聞に入り、その論説を草するや、気焔万丈、光彩陸離、先輩文士皆後に瞠若たりき。
彼はかつてケリーの経済原論を訳し、また東海経済新報を発刊して大に保護主義を唱え、田口鼎吉と相争いたる事あり。
彼は性豪放なれど、文を属するに際しては、実に非常の推敲を凝らすの癖あり。かつて朝野新聞紙上に紀元節の祝詞を載す、その文六朝駢儷体にして字々絶麗、句々絢爛、あたかも漢学大家の手に成れるの観ありき。その錦心繍腸なるを知るべし。
彼はまた非常の雄弁家なり。その単刀直入、皮肉の弁難攻撃を試むるにいたっては、ほとんど向う所、披靡して当るべからざるの概あり。彼は改進党時代にあって、しばしば地方に遊説し、もしくは公会に演説して、鋭利直截の弁をふるい、人をして彼の弁は短槍なりと評せしめたり。しかも彼が大にその雄弁を発揮し、敵と相うち相戦いたるは、実に初期時代の帝国議会にあり、請う吾人をして少しく彼が縦横弁論の風を追懐せしめよ。
初期議会の開会に際し、たまたま政府赤坂の一地所を四万円にて大倉喜八郎に払下げ、その後わずかに六箇月を出でざるに、政府は再び八万円をもってこれを買上げたりとの風説あり。犬養は例の皮肉的論鋒をもってこれを政府委員に質問し、時の委員たる外務省会計局長室田義文をして、大に答弁に苦しましめたりき。彼はまた同期議会において内務省補助金中、炭鉱鉄道に関する内情及愛媛県下民有アンチモニー鉱山を縣庁に買上げて、さらにこれを藤田伝三郎に払下げたる密事を訐発して政府を質問し、痛く当局者をくるしめたりき。世人ここに始めて議会に雄弁家としての犬養あるを知るに至れり。されど彼が鋭利の弁舌をふるって鋭刃をを政府の咽喉に凝し、美事に時の首相伊藤博文を翻弄して非凡の技倆を示したるは、即ち明治二十六年帝国議会開会の時にあり。
是より先き渡邊国武の有名なる一銭一厘の演説をなして尾崎行〔雄〕と格闘するや、民党は一歩も政府に譲らず、政府は余儀なく長期の停会を命じ、期満つるや伊藤はすなわち登壇して一場の長演説を試み、しきりに天皇陛下、至尊勅語等の語を濫用して弁疏する所あり。しかば、犬養はモドカシと云わぬばかりの態度をもって、ただちに突立ち上ってその痩躯を演壇の上に立て、豺狼のごとき眼光を閃かし、毒矢のごとき詭弁を振て、劈頭第一、伊藤首相の演説は、立憲的大臣の演説にあらずと喝破し、さらにその鋭鋒を鋭くして曰く、方今政治家の弁は動もすれば三百代言的理屈をもって狭隘なる憲法の範囲内に逃げ込むにあり。伊藤伯は曰く、第一期議会は和衷共同に終れりと、果してしかるや。賢明なる伊藤伯、東洋のビスマークと称せらるる伊藤伯、あにその裏面の衝突軋轢がいかに大にして、いかに激しかりしかを知らざらんや。知てしかしてこれを口にす、是れ何の意ぞ、法制局裏の一俗吏がこれを言わば、予はこれを咎めず。いやしくも元勲内閣として上下の属目する現内閣、その内閣の首相伊藤伯の口よりしてこれを聞く、あに遺憾に耐えざらんや。伊藤伯はまた曰く、政弊改新の考案は、つとにこれありと。
もしこれありとせば、何がゆえにこれを実行せざる。ただ漫に考案ありと云うといえども、何の値かあらんや。ことに伊藤伯の考案なる者は、価値なきの甚だしき者なり。試みに十八年に行いたる伯の改革の手際を見よ。その結果は果して若干の利益を獲得せしぞ、伊藤伯、真に改革に意ありとせば、何がゆえにその実を今回の予算に示さざる。井上臨時首相の演説に曰く、現内閣の成立日なお浅しと、日なお浅しといえども、その属僚はことごとく是れ伯等の乾分なり。真に改革の意あらば、日なお浅しといえども、これをなす、しゃくしゃくとして余裕あるなり。伊藤伯はまた曰く、政府はつとに改革の意思を有せり、ねがわくは諸君これを察せよと、媚を議場に呈して一時の小康を貪る。姑息の甚だしき者なり。予のごとき不才といえども、いまだ此る一時の気休め的手段に瞞着せられずと。彼はさらに進んで、その弁ますます深刻を極め、ついに施政方針演説の攻撃より井上の覆牒演説を難じ、ことに井上の演説中における軍艦製造云々の件を捉え来て、現内閣の諸公はなおかつ藩閥の情実を棄つるあたわざるものなりと断じ、最後に大喝一声、伊井両人の内閣にして、なおかつ情実を矯正するあたわずんば、もはや閣員には望みなしと極論せり。たまたま、伊藤も大臣席にあり、これを謹聴せるをもって、彼の演説は一段の光彩を添えたり。
いくばくもなく伊藤は例の窮策を案じ、詔勅を借りて局面一変と称し、議院の削減を容れ、わずかにその難局を免れたり。是れもとより民党のよく協同一致、その鋒先きを揃えて強硬の姿勢を取りたるによるといえども、犬養の利弁鋭舌、もって大臣の膽を破りたるの功、決して没すべからず。
彼は爾来その健康を擲ち、その達弁を棄て、専ら力を帷幕の間に試み、策士の事を行うといえども、吾人はこれによって彼の前代における筆舌を忘るるあたわず、彼もまた政界の偉人なるかな。