悪魔 (芥川龍之介)
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うるがんの眼には、 の人の見えないものまでも見えたさうである。殊に、人間を誘惑に来る地獄の悪魔の姿などは、ありありと形が見えたと云ふ、――うるがんの青い を見たものは、誰でもさう云ふ事を信じてゐたらしい。少くとも、 の を する の には、それが疑ふ余地のない事実だつたと云ふ事である。
の伝ふる所によれば、うるがんは の前で、自分が京都の町で見た悪魔の を物語つた。それは人間の顔と の翼と の脚とを備へた、奇怪な小さい動物である。うるがんはこの悪魔が、或は塔の の上に手を つて踊り、或は つ の屋根の下に日の光を恐れて る恐しい姿を 見た。いやそればかりではない。或時は山の の背にしがみつき、或時は の の髪にぶら下つてゐるのを見たと云ふ。
しかしそれらの悪魔の中で、最も我々に興味のあるものは、なにがしの
の の上に、あぐらをかいてゐたと云ふそれであらう。 の作者は、この悪魔の話なるものをうるがんの だと解してゐる。――信長が或時、その姫君に して、たつて自分の意に従はせようとした。が、姫君も姫君の も、信長の望に応ずる事を喜ばない。そこでうるがんは姫君の為に、言を悪魔に りて、信長の暴を めたのであらうと云ふのである。この解釈の当否は、元より に至つては、いづれとも決する事が容易でない。と同時に又我々にとつては、 ろいづれにせよ へのない問題である。うるがんは或日の
、 の門前で、その姫君の の上に、一匹の悪魔が坐つてゐるのを見た。が、この悪魔は のそれとは違つて、玉のやうに美しい顔を持つてゐる。しかもこまねいた両手と云ひ、うなだれた と云ひ、 も何事かに深く思ひ悩んでゐるらしい。うるがんは姫君の身を気づかつた。
と共に熱心な の信者である姫君が、悪魔に られてゐると云ふ事は、 ではないと思つたのである。そこでこの は、 の側へ近づくと、 尊い の力によつて難なく悪魔を捕へてしまつた。さうしてそれを南蛮寺の へ、襟がみをつかみながらつれて来た。内陣には
の の前に、 の火が ぶりながらともつてゐる。うるがんはその前に悪魔をひき据ゑて、 それが姫君の輿の上に乗つてゐたか、厳しく を問ひただした。「
はあの を堕落させようと思ひました。が、それと同時に、堕落させたくないとも思ひました。あの清らかな を見たものは、どうしてそれを地獄の火に す気がするでせう。私はその魂をいやが上にも清らかに曇りなくしたいと念じたのです。が、さうと思へば思ふ程、 堕落させたいと云ふ心もちもして来ます。その二つの心もちの に迷ひながら、私はあの輿の上で、しみじみ私たちの運命を考へて居りました。もしさうでなかつたとしたら、あなたの影を見るより先に、恐らく地の底へでも姿を消して、かう云ふ き目に ふ事は れてゐた事でせう。私たちは でもさうなのです。堕落させたくないもの程、 堕落させたいのです。これ程不思議な悲しさが又と にありませうか。私はこの悲しさを ふ度に、昔見た天国の な光と、今見てゐる地獄のくら暗とが、私の小さな胸の中で一つになつてゐるやうな気がします。どうかさう云ふ私を憐んで下さい。私は寂しくつて仕方がありません。」美しい顔をした悪魔は、かう云つて、涙を流した。……
の伝説は、この悪魔のなり行きを にしてゐない。が、それは我々に の りがあらう。我々はこれを読んだ時に、唯かう呼びかけたいやうな心もちを感じさへすれば いのである。……
うるがんよ。悪魔と共に我々を憐んでくれ。我々にも
、それと同じやうな悲しさがある。(大正七年六月)

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