『応仁乱消息』(おうにんのらんしょうそく) - “此消息は、応仁乱の起りより、大乱中の事を見聞のまゝに略記して、国許の家人なとに送りたる状と見え、末に主小入丸文明十八年とあり、一に応仁記一札とも云へり” -『改定史籍集覧総目解題』より
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応仁乱消息
今度就一乱可入字
凡注侍也天下属静謐先以目出度候雖然山名金吾宗全入道依悪逆謀叛反逆凶徒廻計略引率軍勢既欲覆天下露顕条御内仁左右人
〈侍児〉垣屋太田垣最初一往加様之題目太不可然之由再三雖教訓申更無承引結句突鼻ヲ追籠
〈話同〉畠山右衛門佐義就渋川治部大輔義廉一色左京大夫義直筑紫大内新介政弘土岐美濃守等我館ヲ誘城郭猛勢楯籠無徹所僻案噯熟案此事只天魔障碍歟旁以無勿体事也但看野馬台井聖徳太子碼碯記等於戯悲哉吾朝滅亡時節到来于今極覚悟候惣近年怪多其中ニ取分寛正六年
〈乙酉〉九月十三日亥尅計
仁自坤良方ニ光物飛行殊今宵名名月ノ事上下万民嘯月澄心意到俄如此天地震動出来間人民大ニ消肝魂至遠国巴島者不存知先洛陽五畿内一同也亦若干
〈幾行経何〉過日数翌歳同月同刻本方
仁飛帰希代不思儀凶事也去程被成下治罰御教書上者下給御旗御所勢
惣大将軍細川右京大夫勝元同六郎勝之於細川一族悉令一揆斯波家督相伝武衛
〈竹王松王〉両人畠山尾張守政長山名弾正是豊同七郎頼忠同名右馬助豊凞佐々木大膳大夫入道同名六郎四郎政信赤松次郎政則同名伊豆守土岐世保武田大膳大夫舎弟治部少輔其外諸大名近習外様被戦場馳向破却御所中警固神妙之由御感候也抽戦功面目不可過之就兵
�洛中洛外物怨々劇物云都鄙平均動乱大騒動猥騒曲事也元弘建武之間南帝北帝両家闘争如之哉
一敵味方押分而牛角犀角搆要害櫓〈箭倉〉征楼左間城戸遼垣弓蔵打乱概杭逆木階楯大堀築地蹈�壁驚耳目候争輙両方難有一途之落居覚候去間随分限所々拘陣口攻口詰口出張籠口〈木口〉宿直人焼簿御用心時声〈鯢波〉矢叫軍奉行懸野伏射手大将矢合鑓推扱合戦者見相懸若武者達好糸具足金作太刀額当頬肪脇常腰当小泉甲緒卜喉輪四手鑓刎小幡重籐弓宝同脛楯赤猩熊櫃丸〈箞��宲𫂩笑〉上花麗母衣貂皮間塞弦袋〈付天鼠〉大和様射手立相効腰小幡思々出立軽一命訇専進事聊無退事取寄取除偃馳挽く達者近比可謂働樊噲張良敵身方乍両陣舉○(眉カ)看見物大剛若衆様後陣捕能々可有御用心候逐手搦手先陣後陣夜詰殿夜番当番先懸虜分捕搦被誅之或捕頸伐捨〈剪弃〉討死被疵人々嗜筈取次第也軍忠粉骨軍慮届励忠節名誉高名規摸無比類就其褒美受領官途勲功意趣切紙御感状火打袋恩賞無所持旡人国中軍勢著到勢揃勇士武者羣集者如稲麻竹葦
一於武具甲冑鎧付脇楯腹巻胴丸袖甲鍬形〈九方形〉手葢半首唾滻懸鍰袴�〈籠手〉太刀長太刀鉾〈戈同〉弓弦巻朶柔箙胡録尻籠祖矢篦矢鉾矢雁俣木鋒䰳尾楯破火手楯鑓畳楯馬楯家々笠験〈効幟〉腰小幡御陣幡竿幕串太逞乗馬鞍皆具油単雨皮敷皮尺木結橋小者裳束者同絹股種袖紬四布袴馬鹿帋子帋絹腰䒾蓑手差索小手捧緒付箸筒陣杓土脱腰袋奐有茶子風情物不可絶并兵糧八木精味噌塩雑事鍋鉄輪肝要雑具慇調夫丸無退堀程随器量見計配分可被荷持者也
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一国之牢人没落仕歳久輩相触同類寄合寄除令蜂起一味同心神水仕由緒遺跡之古反具取出闕所地安堵侘言事堅訴訟之段皆無相違相叶御教書御奉書国遵行郡代渡状奉行折紙等分明也理運至極最歟綺無用懸採木无理沙汰強取務者始終落居弓手妻手生涯之不覚歟皆々能々可有思案者也
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一田舎籠屋入用意切剥山堀落蒔車菱子張石弓優人色々巧搆資財家具贓物牛馬眷属悉連山内齎食物国土人民幾千万費中々難及是非候当世者剰寄事左右惜我物恣欲人物上下万民任雅意言語道断無道之儀歟所詮哀領仏神加護窕上意枝葉〈止用〉皆々以和睦之儀有和談無為無事候者最生前大慶本望此事也
文明十八年〈丙午〉八月日 主小入丸
応仁記一札 〈大永三年己未閏三月十四日書之 悪筆比興々々〉
明治十四年十二月以塙本一校了 近藤瓶城
右以東京帝国大学本再校了
明治三十五年一月 近藤圭造
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