弘前大学教授夫人殺人事件民事控訴審判決

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○国家賠償請求及び仮執行の原状回復命令申立事件
仙台高等裁判所昭和五六年(ネ)第二〇二二〇四同 五七年(ネ)第一三六号同 六一年一一月二八日第一民事部判決 取消 棄却 回復・上告

二〇二号事件控 訴  人二〇四号事件被 控訴 人一三六号事件被 申立 人 (原告)那 須   隆     代理人
                                   南 出 一 雄 外三名
二〇二号事件控 訴  人 (原告)那 須 と み 外八名
二〇二号事件被 控訴 人二〇四号事件控 訴  人一三六号事件申 立  人 (被告) 代理人 土 屋 東 一 外三名
【原    審】 青森地方裁判所弘前支部

○判示事項[編集]

再審無罪の場合における検察官の捜査及び訴追と国家賠償責任

○判決要旨[編集]

有罪判決が確定した場合、再審において無罪の言渡しがあつたとしても、当該刑事事件の捜査及び公訴の提起追行をした検察官の職務執行行為につき国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任が肯定されるためには、検察官が違法又は不当な目的の下に右職務執行行為をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認められるような特別の事情があることを必要とする。

【参照】 国家賠償法一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。
  前項の場合において、公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。

○主文[編集]

一 原判決中、昭和五六年(ネ)第二〇四号事件控訴人(第一審被告)の敗訴部分を取消す。
二 同事件被控訴人(第一審原告)那須隆の請求を棄却する。
三 昭和五六年(ネ)第二〇二号事件控訴人(第一審原告)らの控訴をいずれも棄却する。
四 昭和五七年(ネ)第一三六号事件被申立人(第一審原告)那須隆は同事件申立人(第一審被告)に対し、金一一三〇万二一六三円を支払え。
五 右第二〇二号事件被控訴人、第二〇四号事件控訴人(第一審被告)と第二〇二号事件控訴人、第二〇四号事件被控訴人(第一審原告)那須隆との間に生じた訴訟費用は、第一、二審とも同人の負担とし、同人を除く第二〇二号事件控訴人(第一審原告)らの控訴費用はその控訴人らの負担とする。

○事実[編集]

(略語など)[編集]

 以下、理由欄をも通じて、次の略称を用いる。

一審原告……標記第二〇二号事件控訴人、第二〇四号事件被控訴人、第一三六号事件被申立人那須隆及び第二〇二号事件控訴人那須とみ以下九名
一審被告……第二〇二号事件被控訴人、第二〇四号事件控訴人、第一三六号事件申立人国

 右以外は原判決凡例欄記載の略語例に従う。なお、本件国家賠償請求事件の第一審は「原審」という。また、本判決理由の中で引用する書証の成立関係について記載を省略するのは、当審提出の甲第一七三号証を除き、右凡例欄注記のとおりである。

第一 申立[編集]

(一審原告ら)[編集]

一 原判決中一審原告ら敗訴の部分を取消す。
二 一審被告は、一審原告隆に対し金四二三四万三四九九円、同とみに対し金一〇四五万円、その余の一審原告らに対し各金四四〇万円づつ、及びこれらに対する昭和五二年一〇月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 一審被告の控訴を棄却する。
四 訴訟費用は第一、二審とも一審被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求めた。

(一審被告)[編集]

 主文同旨の判決を求め、なお一審原告らの控訴が容れられ仮執行の宣言が付される場合に対し担保を条件とする仮執行の免脱宣言を求めた。

第二 主張[編集]

 当事者双方の主張は、以下に付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。但し、原判決(冒頭の凡例記載丁を含む。以下同じ)一五枚目表末行の「日影」を「日陰」と訂正する。

(仮執行宣言に基づく給付の返還申立理由)[編集]

 一審被告は、標記第一三六号事件の申立理由として、「一審被告は、原判決の仮執行により、昭和五六年四月二七日、一審原告隆に対し金一一三〇万二一六三円を支払つた。よつて、一審被告は、原判決中一審被告敗訴の部分が取消変更される場合、右仮執行の原状回復として同金額の返還を求める。」と述べた。

(一審原告らの主張)[編集]

一 裁判所の不法行為責任についての補充主張[編集]

 原二審裁判所は、本件白シヤツ及び白靴についての「古畑鑑定」から決定的な影響を受けて本件有罪判決をしたのであることは明らかであるが、白シヤツについては、鑑定に付される度ごとに血液斑痕の数が増えている点、各斑痕の色調が鑑定ごとに異なつており時間的経過による変化とは考えられない逆転現象と思わせるものがある点、鑑定依頼事項として第五もしくは第四番目に依頼した三木教授に対しては当初から人血と断定している点、右三木鑑定書に鑑定部位等を明らかにするための付図が付されていないが、これは同鑑定人により詳細な観察鑑定がなされるのを避けるために早々に右シヤツが持ち帰られたためである疑いが濃厚である点等の問題点があり、白靴についても同様であるのに、これらの点について通常の裁判官が当然になす考察を加えず、古畑鑑定に惑わされ、且つ、捜査の流れの中でどの証拠がいつ発見され、証拠物件がいつどのように鑑定に付され、いかなる鑑定結果を得ていたのか、これらと被告人の供述と身柄拘束はどのように関連するのかを確かめなかつた重大な誤りがあり、その結果本件の誤判をしたのであるから、過失責任を免れることはできない。
 原上告審裁判所も、大家の鑑定に惑わされた点では原二審裁判所と同様であり、前記問題点を指摘した上告趣意を無視して擦れ違いの判示を行ない、原二審の誤判に気づかなかつた点で刑事裁判所としての責任懈怠をしているのは明らかである。

二 損害額算定について[編集]
1 一審原告隆は、原一審で無罪判決を受けて釈放され原二審で有罪とされて収監されるまでの間も、被告人の座に座らされ殺人者の汚名を着せられて、ために就職等は望むべくもなかつたのであるから、原審がこの期間を賠償の対象外としたのは誤りである。
2 原判決は、逸失利益の算出に当り古い時期については古い統計数値を用いたため、その総額は極端に低額となり、現在の常識から大きくかけ離れた認容額となつてしまつた。最近では交通事故につき事故時の賃金センサスではなく口頭弁論終結時における最新のそれを用いた事例もあるので、少なくとも同原告が国に対し賠償請求権を有することが法的に確定した時期の資料に基づいて算出されるべきである。原判決の考え方は、昭和二四年の逸失利益はその時期の資料に基づいて算出し、あとは運用利益を遅延損害金により賄うということであろうが、再審の無罪判決が確定するまでは、そもそも運用そのものが不可能であつたのであるから、右の考え方は妥当しない。
3 原審は、本件の再審請求後再審開始決定確定に至るまでの裁判費用につき証明不十分であるとして、これを認めなかつたが、右手続がどこでどのようにして行なわれ、誰が出廷し弁護活動に従事したかは記録中の証拠により明らかである。
  刑事訴訟法上の訴訟費用の補償が再審請求手続費用を含まない不合理を残していることを考えるならば、正に右手続なくして無罪判決は得られないわけであるから、これこそ賠償の対象とされなければならない筈である。
4 一審原告隆以外の原告及び亡〔丁2〕の慰籍料につき、原審は右隆の無罪が確定し同人の精神的苦痛が慰藉されることにより当然慰藉される範囲内にあるものと解すべきであるとして、これらの者の慰籍料請求を棄却したが、同人らが国家機関の違法行為によりそれぞれの人格をそれぞれに傷つけられたことを考慮しない甚だ皮相的な判断である。
5 原審が亡〔丁2〕の財産的損害につき因果関係を否定したのも不当である。殊に本件の如き無実の事件では、私選弁護人選任の必要性が大であり、本人に資力がなければ親兄弟が支出するのが一般的である。原二審裁判所も、訴訟費用執行免除の申立を棄却するに当たり、亡〔丁2〕の資産を考慮しているのである。
三 損害額についての予備的主張[編集]

 前記二2の主張が容れられないならば、一審原告隆は予備的に、逸失利益として請求している三四二四万二七〇〇円のうち二〇〇〇万円は慰藉料として請求する。
 同原告は、刑事補償法に基づき一日金三二〇〇円の割合による補償を受けたが、あまりに低額であると国会でも論議され、これが切つ掛けとなつて法改正が行なわれ、現在ではその上限額が一日金七二〇〇円と倍額以上に改められている。このような事情を考慮するならば、本件の如き法改正の谷間の事例については、慰藉料額で調整するのが法の求める具体的妥当性に合致するものと考える。

四 一審被告の除斥期間経過の主張について[編集]

 時機に遅れた主張として排斥されるべきものである。
 また、本件における「不法行為の時」は違法判決に基づく刑の執行の終了した日と解すべきであり、除斥期間の起算日は損害賠償の請求が可能となつた再審無罪判決確定の日であるから、いずれよりしても右主張は理由がない。

(一審被告の主張)[編集]

一 本件における国家賠償法一条の違法判断基準について[編集]

 原判決は、「芦別国賠事件」の最高裁判所判決を基準とするかの如き態度を示しながら、その根拠とされている職務行為基準説によらず、反対説たる結果違法説と同じ考え方をする誤りを犯している。
 職務行為基準説の下で、いかなる場合に公訴の提起、追行行為等が職務上の義務違反に問われることになるのかといえば、近時の最高裁判決の趣旨に鑑みるとき、当該検察官が違法ないし不当な目的をもつて公訴を提起したなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があることを必要とすると解すべきである。
 本件の検察官に右の如き特別の事情を認めえないことは、事件の発生から公訴提起に至るまでの経緯に照らし証拠上明らかなところである。
 以上の理が裁判官のなした判決等の判断に同様に妥当するのは当然である。

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   一審原告らは、同被告の不法行為として、捜査機関青森地検弘前支部検察官、原二審及び最高裁判所の不法行為を掲げているところ、これらの総べてにつき、遅くも、最高裁判所判決のあつた昭和二八年二月一九日に終了しているのは明らかであるから、本件については既に除斥期間が経過しているというべきである。そして、この場合、同日をもつて右期間の起算日とすべきである。

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   一審原告らの前記二の1ないし5の主張は総べて失当である。

第三 証拠関係[編集]

(省略)

理由[編集]

一 一審原告らが請求原因の冒頭で無罪判決に至る経緯として主張する次の事実は当事者間に争いがない。
  一審原告隆は、弘前大学教授松永藤雄の妻〔甲〕殺害の容疑で昭和二四年八月二二日逮捕され、勾留、鑑定留置を経たのち、同年一〇月一二日別件の銃砲等所持禁止令違反の被疑事実により逮捕、勾留されて、同月二二日同令違反の罪で原一審の青森地方裁判所弘前支部に起訴され、さらに同日前記殺人の罪により再逮捕された上、これについても身柄拘束のまま同月二四日左記公訴事実により同支部に起訴された。
「被告人は変態性欲者であるが国立弘前大学医学部教授医学博士松永藤雄妻〔甲〕当三十年の美貌に執心し昭和二十四年八月六日午後十一時頃から同十一時三十分頃迄の間に弘前市大字在府町〔略〕〔乙〕方離座敷の階下十畳間に実母等と枕を並べて就寝熟睡中の〔甲〕を殺害して変態性欲の満足を得る目的でその寝室に忍び込み枕許に座し所携の鋭利なる刃物(大型ナイフ)を以て同人の頸部を一突きに突き刺し左側頸動脈同頸静脈同迷走神経等を切断し間も無く死亡させて所期の目的を遂げたものである。」
  同支部は右両事件を併合審理し、昭和二六年一月一二日殺人の点につき無罪、同令違反の点については罰金五〇〇〇円に処する旨の判決を言渡した。同原告は同日釈放されたが、検事控訴がなされた。原二審裁判所は、昭和二七年五月三一日、原一審判決を破棄し殺人及び同令違反の各罪につき同原告を懲役一五年に処する判決を言渡した。同原告は上告したが、昭和二八年二月一九日上告棄却の判決がなされ、右有罪判決は同年三月三日確定した。同原告は原二審判決後の昭和二七年六月五日再び身柄を拘束され、この勾留と刑の執行による拘束状態は昭和三八年一月八日仮出獄するまで続いた。
  同原告は昭和四六年七月一三日右殺人の有罪判決について再審請求をした。仙台高等裁判所は、昭和五一年七月一三日再審開始決定をなし、同五二年二月一五日殺人の点に関する検察官の控訴を棄却する旨の判決宣告をした。同年三月二日右判決が確定し、殺人の点につき同原告の無罪が確定した。
  一審原告那須とみは同隆の母であり、その余の一審原告はいずれも同女と亡〔丁2〕(昭和四六年九月一七日死亡)との間に生まれた同胞である。
二 一審原告らは、殺人の点につき一審原告隆を有罪とすべき証拠は何一つ存在しなかつたのにかかわらず、右の如く有罪判決が言渡され、同原告が勾留や刑の執行を受けたのは捜査、訴追、裁判各機関の故意または過失による違法行為の結果であると主張する。
  刑事事件につき無罪の判決が確定した場合に、そのことだけで直ちに起訴前の逮捕、勾留、公訴の提起、追行、起訴後の勾留が違法となるものでないことは、原判決二四枚目表七行目冒頭から同丁裏三行目括弧書末尾までの説示(但し、右表九、一〇行目の各「公訴提起時」の次に「あるいは公訴追行時」を加え、同面末行の「および」から「証拠資料」までを削除する)のとおり、最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日判決の示すところであり、また、裁判官がした争訟の裁判に上訴、再審等の訴訟法上の救済方法によつて是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによつて当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があつたものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるのは、当該裁判官が違法又は不当な目的をもつて裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情がある場合である(最高裁判所昭和五七年三月一二日判決)。
  尤も、右五七年判決は民事訴訟に関するものであるが、民事訴訟と刑事訴訟とで訴訟構造の本質及び裁判官の役割に変りがないので、刑事事件についてもそのまま妥当すると解すべきである。そして、本件が再審によるいわゆる逆転無罪判決があつた場合に関するので、このような事例に即して右五七年判例の依つて立つ所以について考えてみると、我国現行の訴訟は訴訟物(刑事では公訴事実)に対し法律を当てはめ、申立にかかる権利義務(同じく、国家の具体的刑罰権)の存否を判定する構造になつているが、右訴訟物等の中核をなす事実の確定は、主として当事者により法廷に顕出された証拠のみに基づいて(時には経験則の助けを借りて当該証拠を評価した上で)なされる仕組みになつており、それ以外の方法で事実の確定をすることは原則として許されていないので、このように、証拠のみを通して認識された事実が時として実体的真実と隔たる結果となる事態を避け難い本質を内包していることに鑑みるならば、当該裁判官が証拠力の評価に際し裁判官に付与されている自由心証上の裁量権を敢えて逸脱し、盗意的に経験則や論理法則を無視して判決をしたような場合は格別、そうでない限り、当該裁判が後日再審等で覆されたことを理由に、直ちにこれを右の違法行為に該当するとしたのでは、或意味で訴訟制度自体を否定することにつながりかねない、耐え難い結果となるからである。
  一審被告は、検察官の行為についても右五七年判例と同様の理解をなすのが相当であると主張する。検察官の事実認識の方法も証拠のみに基づいてなすべき点で裁判官と同じである上に、前記五三年判例の示す如く、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証の程度は判決時におけるほど高度のものでなくともよいとされていること、刑事訴訟上の諸制度は検察官の認識や判断に誤りがありうることを前提とし、それを検証是正するための手続であるともいいうること、これらの諸点に徴すると、いわゆる結果違法説的な考え方をすべきでないのは右五三年判例自体によつても明らかであるが、裁判官が受動的審判者であるのに対して、検察官は捜査及び公訴の提起追行、本件に即していうと、その一部としての証拠の収集と提出につき強力な権限と広範な裁量権を付与されている能動的当事者であること及び公序良俗に反する民事訴訟の提起が不当訴訟として不法行為類型の中に入れられていることに鑑みれば、当然に裁判官の場合と同内容の理解をなしうるとするのは速断の誹りを免れないというべきである。
  ところで、本件のように再審でいわゆる逆転無罪判決があつたにしても一旦は有罪判決が確定していた場合には、この有罪の確定判決があつたのは起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証、すなわち有罪の嫌疑がそれぞれの時点における相手方当事者の批判に耐え、且つ各種の証拠資料を総合勘案した裁判所の合理的な判断により是認された結果であるから、右の嫌疑が根拠のないものではなかつたとの推定が働くということができる。再審無罪判決により右嫌疑が誤りであつたということになつても、検察官の証拠評価や判断上の過誤は本来審級制度を含む当該刑事事件そのものの場で是正されるべきであり、且つそれで足りるとすべきものであつて、資格のある弁護人が選任されていてなおかつ是正できなかつた以上、国家賠償法上は止むをえないこととしなければならない。このように考えるべきであるから、同法上の違法性判断の質的面では、検察官についても裁判官の場合と実質的な差はなく、検察官の行為につき国の同法上の責任が肯定されるためには、当該検察官が違法又は不当な目的の下に捜査及び公訴の提起追行をしたなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認められるような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である。
三 一審原告らの主張中、叙上各特別事情の存在に関係ありと思われる部分の要旨は、本件白靴に人血が付着していることを認めるに足りる証拠のないこと及び本件白シヤツの押収後捜査官がこれに血痕を付着させたことを検察官や裁判所が知つていたとの点であるが、血痕を付着させたこと及び知情の事実を直接認むべき証拠はないので、問題はこれら事実の推認根拠となる情況事実の存否である。
  この点の基礎的な事実関係についての当裁判所の認定は、以下に補正するほかは原判決の当該部分(二六枚目表一〇行目の「1本件白靴に関する捜査について」から三九枚目裏八行目末尾まで)と同じであるから、これを引用する。
1 右引用の冒頭の証拠挙示部分に「乙第九四号証」を加え、二九枚目表三行目の最初の「本件白靴」の次に「のほか本件白シヤツなど二一点」を挿入し、同面一〇行目の「に関する」から同末行の「得られなかつた」までを、「等に対する検査の結果、いずれも人血が付着しているとは認め難いとの暫定的な口頭報告があつた」と、同丁裏二行目の「鑑定結果」を「検査結果」と、同面五~六行目の「まだ鑑定を終えていなかつたにもかかわらず」を、「鑑定書を作成、提出する以前に」と各改める。
2 同三二枚目表五~六行目の「という矛盾」から「とわかる」まで及び同丁裏八行目冒頭から三三枚目表七行目末尾までを各削除する。
3 同三三枚目表末行の「九一号証、」の次に「九四号証」を加え、同丁裏九行目の「の玄関」から三四枚目表三行目の「出頭したこと」までを、「内から本件白シヤツほか海軍シヤツ三枚を含む多数の衣類を押収したこと」と改め、同面五~六行目の「にも、」から「した際」までを削除し、三四枚目裏七行目の「本件白シヤツの鑑定」を「鑑定書の作成」に改め同面八~九行目の「ため、」から「できなかつた」を削除する。
4 同三八枚目裏九行目冒頭から同面末行の「不適当であること、」まで及び同三九枚目表四行目の「加えて」から同面六行目の「点が多いこと、」までを各削除し、同丁裏八行目の「述部分」の次に「並びに甲第六一号証及び甲第一六〇号証記載の一審原告とみ、同隆の各供述中右認定に反する部分は前掲その余の各証拠に対比して」を挿入し、その次の「は」を削除する。
 右排斥にかかる一審原告とみ及び同隆の各供述中には、右3の中段の訂正により削除されたこととなる、本件白シヤツが押収された際これが六畳間鴨居の衣服掛にかけてあつたこととか、これを同隆が逮捕される直前に着用していたとかの事実に符合する部分があるが、海軍シヤツはこのほかにも三着同時に押収されたのであり、アリバイに関する同隆の記憶が全く混乱していること等に鑑みると、このような日常事に関する右両名の供述に十全の信をおくことはできない。
  一審原告らの前記主張要旨部分は、本件の再審開始決定及ひ再審判決(乙第一四三、一四四号証)の、本件白シヤツの血痕様斑痕の色調についての説示、すなわち、これが押収されたのち間もなくの昭和二四年八月二四日頃引田鑑定人が見た時は帯灰暗色、同年九月一日頃〔丙3〕・平嶋鑑定人が見た時は褐色、同年一〇月一七日頃三木鑑定人が見た時は赤褐色、昭和二五年八~九月頃古畑鑑定人が見た時もほぼ同色であつたとのことから、早い時期ほど色があせていたわけであつて解し難いことであり、そうすると、本件白シヤツにはこれが押収された当時にはもともと血痕が付着していなかつたのではないかという推察が可能となる、との指摘に依拠しているのは明らかである。
  ところで、右の考察は引田鑑定人の見分を基準としているのであるが、甲第一八号証を見るに、同人は原一審において証人尋問を受けた際、最初は本件白シヤツの鑑定をしたと証言し、その後許可をえて鑑定書の控を見てからは、海軍シヤツ(本件白シヤツを指す)は一旦受取つたが警察の人がこれを持ち帰つたため鑑定はしていないと証言を変更するなど、記憶そのものに混乱が見られるので(引用にかかる前認定のとおり、本件白シヤツだけでなく全二一点が一括して持帰られたのである)、その色調についての証言部分に他に優越する価値を認めるのは相当でないと考える。のみならず、乙第三〇一号証中の原一審第一回公判調書に明らかなとおり、本件白シヤツは同公判期日の昭和二四年一〇月三一日裁判所に領置され、検察官の手を離れているのである。仮に、何者かが血痕を付着させたとすると、その血液の出処が問題となるが、乙第三〇九号証中の弁護人三上直吉の弁論要旨三枚目裏によれば、原一審の弁護人は被害者の夫が後日のために保存していたのではないかとの推測をしている。しかし、同人が大学医学部の教授であることを考慮すれば血液保存は可能であるにしても、そのような人為的付着に加担したのであるとすれば、妻の敵かどうか必ずしも明確でない者を犯人に仕立上げることに手を貸したわけであり、その結果本当の敵である他にいるかも知れない真犯人を逃すことになりかねないのであるから、およそ考え難いことである。まして、本件白シヤツが裁判所に領置され古畑鑑定に付されるまでの約八ヵ月の間に、右「保存血液」を付着させることなど、殆ど不可能事に属する。したがつて、再審判決の前記指摘は必ずしも当をえたものではないといわなければならず、他に本件白シヤツに故意に血痕が付けられたとの事実を推認するに足りる証拠なり情況はない。乙第三〇九号証冒頭の論告要旨を見れば、原一審担当の沖中検事も、いかに物資の乏しかつた当時とはいえ“犯人”が血痕の付いたシヤツを処分せずに置いたこととなる不自然さなどに思いを致したのか、併せて、誤つた起訴をすれば真犯人を逸する結果になることを十分考慮しつつ、起訴に踏み切るまでの間それなりに相当の苦心と吟味をしたことが窺われる。
四 前段で検討したところからすると、検察官において、本件白シヤツの押収後捜査官がこれに血痕を付着させたことを知りながら、違法又は不当な目的をもつて起訴及び訴訟追行をしたなど、検察官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認めうるような特別の事情があるということは困難である。一方、本件白靴については、これに人血が付着していたか否かの真偽、この点の積極証拠が証拠として十全なものかどうか、及びこのことについての検察官の知不知は、本件白シヤツ及びこれに付着していた血痕の鑑定結果と対比しての証拠としての重要性に鑑みれば、右特別事情の存在推認に結びつく事情に当たらないのは明らかであり、一審原告らの前記主張要旨部分以外のその余の主張にもこれに該当するものはない。
  したがつて、また、原二審及び上告審の各裁判官に前記特別の事情があつたとなしえないのは当然の帰結である。
  そして、原二審判決挙示の証拠その他本件国家賠償請求訴訟に顕われた原一、二審当時の証拠資料を総合勘案して合理的に判断すれば、担当検察官が前記殺人の公訴事実につき有罪の嫌疑ありとした判断はこれを是認することができる。
  また、原二審判決挙示の証拠及びその説示によれば、原二審が本件殺人の点につき有罪としたことは、当時の判断としては是認しえないわけではない。したがつて、上告審の判断が正当であることはいうまでもない。
五 以上のとおりであるから、検察官及び右各裁判官に国家賠償法一条の責任事由ありとする一審原告らの主張は総べて理由がないというほかないので、爾余の争点について判断するまでもなく、その請求はいずれも認容し難いものである。
  なお、原判決の仮執行宣言に基づき一審被告が一審原告隆に対し金一一三〇万二一六三円の給付をしたことは、同原告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものと看做す。
  よつて、原判決中一審原告隆の請求の一部を認容した部分は不当であり、同原告のその余の請求及び同原告以外の一審原告らの請求を棄却した部分は相当であるから、右認容部分を取消して一審原告隆の右取消にかかる請求部分及び一審原告らの第二〇二号事件の控訴をいずれも棄却し、仮執行の宣言に基づく右給付金全部の返還を求める一審被告の申立を正当として認容することとし、民事訴訟法三八六条、三八四条、一九八条二項、九五条、九六条、八九条、九三条に従い主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 輪湖公寛 裁判官 小林啓二 裁判官 木原幹郎)

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