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床屋

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本文

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「どうも變だ」と思つたのだ。
客は向ふを向いて、鏡に顏を映してゐた。その同じ鏡に、栗のいがそつくりな顏が覗いてゐるのだ。
そいつが「理髪師」なのだ。こいつは普通の理髪師と云ふ概念を當て嵌めてはいけない。その「理髪師」こそ、まづ散髪屋へ行つて來なくてはならない、代物なんだ。
「定九郎」は、その髪の生え方から云つて、未だ二十歳には大方間があるらしい。だが團體はほんものゝの定九郎よりも、五寸は確かに高い。
「定九郎」の前には、これは又何たる事だ!ラクダの毛つて、こんな風には刈るまいと思はれるやうな、又は山の斜面のソバ畑とでも云ふべき、頭の地が出てゐるではないか。
私は「定九郎」と、その慘め極まる「ソバ畑」とは一渡り眺めた上、表の看板を眺めたのだ。何故かつて、私は看板を見損つて入つたのではないかと思ひついたからだ。
看板には、然し、確かに書いてある。
「親切本位、丁寧、迅速、大廉價、刈込二十錢、顏剃十錢、キング軒」と、
定九郎は、客の後頭部の首のつけ根のところを「料理」してしまつた。
その時、私を加へて、客が三人ゐた。
一人は、嚴肅な顏をして、後頭部を「料理」されてゐるのだし、誰だつて目の前にある一枚だけの鏡から、自分の後頭部を透視する譯には行かない。
も一人は「いつか多分、夕方までには俺の顏を剃るだらう」と諦めたらしく、椅子の上へそつくりかへつてゐた。
私は、恐怖を以て、待合の四角な木椅子の上から「何事が起るか」と見守つてゐた。
ところが「定九郎」は、突然、も一人の、その「定九郎」の三分の二位の小さい丁稚を摑まへて、そいつをキスでもする時のやうな恰好に引つかゝへて、何か耳打ちをして、ゲラ笑ひ出した。
丁稚は、寢轉んだ客の顏の「始末」にとりかゝつたが、「定九郎」は客を打つちやらかして、板床を掃始めたものだ。
囚人と云ふものは、非常に丹念に監房を掃除ずるものであるが、此の「定九郎」も囚人と同じ位、或はもつと熱心に「いかにすればそのためにより多くの時間を費やすことが能きるか」と許りに、板床から頭髪を掃く集めた。
それが私の腰かけてゐる處に來た時、無雜作に私の足を引つ摑んで、一つ一つ、も一つの椅子の上へ載せつけたのだ。
「空怖ろしい理髪師ではあるわい」
と、私は溜息をついた。
奥の間から、上山草人氏に似た男が出て來た。これが「主人」であることは直ぐ分つた。
彼は落ちつき拂つて「定九郎」がやりつ放した處ん、後頭部に仕上げをかけ始めた。
「こいつなら、何、生命保險の代物ぢやない」つてことは、その鋏の使ひ方で直ぐ客に安心させるのだつた。
私は、うつかり「主人」の仕事つ振りを見てゐた。
ところが困つた事が起つた。
「定九郎」が「お待ち遠さま」と私に言つたのだ。
それも、バリカンを手に持つてて云ふのならば、私だつて、斷然、稽古臺になつてやる位の義俠心は持ちあせてゐる。
何しろこの不景氣だ。失業者百萬だ。監獄で頭を「挘る」やうなやり方で刈られた事があるのだから、稽古臺よろしい。だが、私は歸つて原稿を書かねばならないのだ。子供たちはもう暫くの間「お菓子が欲しいなあ」と云ひ續けてゐるんだし、米も持つて來なくなつたし、現金で無いと、もう暮らして行けないのだ。だから、その原稿を書くためには、頭をハッキリ、サッパリさせる必要があるので、私は此處に來たのでは無いか。
さう云ふ積りで來た私に對して「定九郎」は、剃刀の稽古臺に私をしようと云ふのである。
だが、「お待ち遠さま」と云ふのに對して、私は斷る、と云ふ法があらうか。
たとひ、どんなに「定九郎」が下手以上であらうとも、未だ、私と彼とは初對面ではないか、私の頭髪に指を一度だつてからませた、と云ふ事も無いでは無いか。
私は悲壯なる決心をした。
これは俺が惡いのだ。二十錢だからと云つて、下手な弟子の手にかゝると云ふ譯許りでも無い。運が好ければ、一圓出したよりも上手な主人にやつて貰へるのだ。十五錢で一日の生活を過す中平君の事を考へれ見ろ。又は、上野やその他の講演のロハ臺で暮らす、失業勞働者の事を考へても見ろ。
二十錢の理髪代だつて高すぎるんだ。それだのに四十錢もとる理髪屋へ行けるか!
かう思つて來た俺では無いか!勇敢にやれ!此の男だつて居れが斷れば此處を追ひ出されないものでも無いギロチンへ」
それで、私は椅子へ乘つかつた。
「定九郎」は、私のかけた椅子の背を仆した。
「ハハア、顎の方から始めやがるな」
と、私は思つた。
「とにかく、これは眼を瞑つてゐるに限る。眼を瞑つてゐれば、いくら下手だからって固くなると云ふ事はあるまい。その上、こつちもハラしなくて濟む。兎に角、これはまあ、眼をつむつてゐる事だ」
私は仰臥したまゝ、眼を瞑つてゐた。
「定九郎」は對角線を爲してゐる向うの隅へ行つた。
そして、自家用のタンクへ汲み上げる井戸水用のポンプの、モーターの廻すベルト位の大きさの音で、バタと剃刀を研ぎ初めた。
「オイ、牛を料理のとは違ふぜ!」と私は言ひ度かつた。
「定九郎」は實に長いことかゝつて、それを研いだ。
私は、眼を瞑つてゐるので、その音丈けなら、その剃刀が、牛肉用の庖刀くらひの大きさのものだと、想像しないではゐられなかつた。
「いやどうも、何にしても因果なことだ。だが、あんなに長く剃刀の研ぎにかゝつてるのは、俺の首を切るためではなく、主人か、も一人の手が空くのを待つてるのだらう。さうすれば、定九郎が剃刀を逆手に持つた時分、腕に覺えのある誰かゞ、助け船に出て來ると云ふものだ。さうなれば、定九郎は自分の地位も大丈夫だし、腕前だつて相當な程度には胡麻化せると云ふものだ。何にしても、初めて會つた俺に定九郎が『惡意』を持つと云ふことは、いはれない事だ。なる丈け長く研いでゐてくれ!」
さう思ひながら、今度は、近頃の世相の方へ、考を延ばした。
子供の一人を背負つて、一人の手を引つ張つた、四十恰好の勞働者が、下駄の鼻緒を三把十錢で買つてくれ、と云つて來たことや、一町内に轟き亙る聲で、「あゝ、あさりだ、あさりだ。ええ、しじみだ、しじみだ。これは買はん者は經濟を知らん者だ。しじみをバケツに入れて生かしといて見ろ!一日毎に大きくなる。五錢で買つたしじみの一番お終ひのを、食べる時分には小犬程も大きくなる。それを買ふとすれば五圓もする。中には腕時計ほどの眞珠が入つてる。サア、しじみだ、しじみだ。とみくじ見たいなしじみだ、あさりだ!」
さう呶鳴りながら、入つて來たしじみ賣は、明白に失業者だつた。
まるで、たつた今夕立から逃げて來たとでも云ふやうに、汗でグショで湯氣を立ててるやうだつた。それを十錢買ふと、その男は又、大聲で呶鳴りながら行つた。
「あゝ、ありがたやかたじけなや、サア買つたり買つたり眞珠入りのしじみ」
そんな事を思ひ出してゐると、私の頰つ邊(ぺた)に「定九郎」がシャボンを塗り始めた。
彼は、私の小さな頭を、その頑固な「勞働者の手」で金床の向きを變へる力でもつて、クイッと左を向かせた。
右の頰から顎へかけて、それでは損をするに決り切つてる程澤山、シャボンを塗るのだつた。それにしても、鼻の下へチュッとブラシの尖でつけるので、案外、これは玄人かも知れないと、私は一時安心をした。
右の顏下半分にシャボンが塗られた。
サテ、これからだな!と、私は益々眼を固く瞑つた。
と、今度は、又、金床の向きを右へ換へたのだ。
左の方の下半分がシャボンだらけになつた。
かうなると、さすがの「定九郎」も、カミソリを使はざるを得ない破目になつた。
それは、「定九郎」にとつても、迷惑であつたし、私にしても餘りゾッとしなかつた。
彼は剃刀を私の右の頰に當てた最初の時、主人は第一人を終つて、私の隣の客を「始末」してるらしかつた。
で、定九郎は、過つて私の右の喉の處に「チョッと引かけた」時、すぐ私の金床の向きをかへた。そつちは主人の側だつたのである。
そこで彼は必要以上に、私の金床の向きを變へて、左の喉に向つて來た。
そして叉「チョッと引つかけた」のである。
「あ、君、ちよつと、僕、又後で來ますからね。約束を忘れちやつた。あゝ、もう、失業大會に行かなければならない時刻だ」
私は、慌てゝ、その「親切第一」の床屋を飛び出した。

この著作物は、1945年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


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