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平和主義とナショナリズム

提供:Wikisource


数年前、祖国愛の独占を主張する民族主義政党を知った我々は、今、平和主義の独占を主張する国際主義グループの結成を目の当たりにしている。前者は善意で、祖国を犠牲にしてフランス国民全体を敵対する一族に分裂させる喧嘩を悪化させるのに役立ち、同様に後者は、平和をもたらすために、我々を戦争に導く危険性があるのである。

我々は、政治において、「私の言うとおりにし、私のするとおりにしない」というやり方は、あまり好きではない。偉大な国家運動や世界運動を決定するためには、その喧伝活動をその目的と一致させなければならない。平和主義の最も熱心な主人公は、真の軽率者として行動する。平和を口実に、我々を互いに刺激し合うことをやめようとはしない。国家間の戦争を否定するほど強い言葉はなく、階級闘争や個人間の戦争を刺激するほど暴力的な言葉も見つからない。平和主義は、彼らにとっては、公然と人殺しの教義を説いて怯える大勢の善良な人々を欺くための偽りのレッテルに過ぎないのだ。そのため、世論の中で平和主義と国際主義を混同するようになった。現代を生きる多くの人々にとって、この2つの言葉は同義語である。なんという間違いだろう。この妥協的な組み合わせによって不人気に脅かされている平和主義の大義のために、このことを指摘することは急務である。

今時、戦争のための戦争が好きなフランス人、人間がいるだろうか。どっちが欲しい?どの兵士が、どの将校が、苦悩もためらいもなくそれを望んだというのだろう。これらの質問には、偽りなく心から答えてほしい。実は、戦争は誰にとっても憎むべきものであり、我々は皆、自分の小さな領域で平和を促進するために何かしたいと思っているのである。

それゆえ、我々は自国を他国よりも愛することをやめるべきなのだろうか? フランスとその国旗を捨てるべきなのだろうか? 我々はもはや自分自身でなくなるべきなのだろうか?これは、我々が愛国心を失ってしまったということなのだろうか。いいえ、そんなことはない。国を愛することは、平和を希求することと相容れないものではない。しかし、国家の強さと活力は、大砲やサーベルの一撃によって主張された時代から、20世紀には経済的、道徳的、社会的進歩によって主張されるようになったのである。今日、世界における国家の影響力は平和的に拡大することができる。今、平和は国家の力の最大の発展を促す。

このように、父祖の伝統に忠実に、父祖と同じように国を何よりも大切にし、父祖が戦争を育てたように、我々も平和を愛さなければならないのである。これはまた、悲しいかな、反愛国者、いわゆる平和主義者が、決して認めることのできない低俗で悪趣味な意味を与えて、平和の未来を危うくしているのである。

この著作物は、1937年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。

 

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