安全第一ビルヂング讀本

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此本は、先日日本安全協會で、丸の内を中心に、安全思想普及の爲の展覽會を、丸ビルに開かれた折に、安全思想普及の一助にもと思ひ、日常接觸して居る事實に基き、各ビルヂングに出入する人々の注意すべきことを、卒直に書き集め、貳千部程印刷して、御希望の御方に差上げましたところが、瞬く間に全部無くなりまして、尚御希望に應じ兼て居る部數が、數百部もある程歡迎されました。
そこで、今回更に、要所々々に寫眞を入れて、數千部印刷して、實費で御希望の御方に、御分ちすることに致しました。
此本の内容は、御覽の通り、分りきつたつまらぬ事許りで寧ろ御笑の種です。然し吾々は、分りきつた事を實行せずに、分らぬ事計り議論をして無駄に時を過したり世の中を騒かしたりして居ますが、此方が寧ろ御笑の種ではありませんか。
一言序と致します。

大正拾五年九月一日

著者 赤 星 陸 治

目次[編集]

第一、玄關の卷………………………………(一)
第二、昇降機の卷……………………………(五)
第三、廊下の卷………………………………(一〇)
第四、便所の卷………………………………(一二)
第五、手洗所の卷……………………………(一七)
第六、メール・シユートの卷………………(一九)
第七、電燈の卷………………………………(二一)
第八、煖房の卷………………………………(二二)
第九、窓の卷…………………………………(二四)
第一〇、戸締の卷……………………………(二六)
第一一、衛生の卷……………………………(二八)
第一二、火用心の卷…………………………(三二)
第一三、非常時の卷…………………………(三七)

第一、玄關の卷[編集]

一、出入とも、必らず左側を通ること。 
ビルヂングの入口は、狹くて混雜しますから、一層、左側勵行の必要があります。
一、入口の近くに、立ち止まらぬこと。 
出入りの人の、邪魔になります。
一、入口から、はいつたら、直に、掲示を見ること。 
大勢の人に、一々案内も届き兼ねますから、どこのビルヂングにも、必らず事務所商店其他一通り案内なしに分る樣に、圖面や文字で、色々な掲示がしてあります。
一、掲示だけで、よく分らぬことは、受付か、案内係に聞くこと。 
受付か、案内係以外の人に聞くと、聞かれた人も迷惑し、答にも、間違があるからです。
一、なるべく、靴か草履で、はいること。 
大概のビルヂングには、下駄預所の、用意もありますが、洋館に、下駄ばきで來るのは、元々無理で、自分も不便です。
一、靴や草履は、入口の靴ふき其他で、奇麗に泥を落して、はいること。 
どこのビルヂングにも、必らず、靴拭の用意があります。館内が汚れると、衛生上其他總てに惡いからです。
一、雨傘は、入口の前で、一二度振つて、雨雫をよく落して、持込むこと。 
館内が汚れたり、昇降機や廊下の、人ごみの中で、自他の着物を、濡したりして、惡いからです。
一、押して明ける戸は、押すべき所を押して、明けること 
押すべき所には、必らず眞鍮の板か何か張つてあります。他の所を押すと、戸が具合よく明かなかつたり、硝子張りの所を、ひどく押したりすると、硝子が壊れて、大怪我をすることがあります。
一、手荷物は、自分で處理すること。 
手荷物預所のあるのは、特殊のビルヂングだけです。
一、自轉車、人力車、自動車等は、夫々所定の塲所に置くこと。 
出入口を塞いで、通行の邪魔になりますから。

(丸ビル東側入口の一部)
(丸ビルの案内であります、此案内を御覽になれば御訪ねになる事務所が何階の何號にあるか直ぐ分る樣になつて居ります)
(丸ビル東側入口の案内所であります)

第二、昇降機の卷[編集]

一、乘る前に、此昇降機は何階行きか、上りか下りかを、よく確かめて、乘ること。 
どこの昇降機も、色々な方法で、昇降機の動きかたがよく分る樣になつて居ます。
一、乘るときには、必らずボタンを押すこと。 
普通の昇降機には、入口の戸の横に、ボタンがあります。夫を押さなければ止まりません。
一、降りる人が、皆出て仕舞つてから、乘ること。 
混雜を避ける爲です。
一、乘り降りには、足もとに氣をつけること。 
つまづく恐がありますから。
一、乘る時は、入口に近い人から、順に乘込むこと。 
混雜を避ける爲です。
一、運轉手が、滿員と云つたら、どんな急ぎの用があつても、乘らぬこと。 
定員以上乘ることは、危險の恐があります。
一、乘つたら直に、運轉手に分る樣に、はつきりただ一言、何階と云ふこと。 
降りる間際に云はれると、運轉に困りますし、又「すみませんが何階に降して下さい」と云ふ風に、餘り叮嚀に云はれると、却つて聞取れませんからです。
一、最初に乘つた人から、順に奥の方に入つて、立つこと。 
先きの人に、入口近くに立たれると、後から乘る人が、困りますから。
一、足腰の弱い人か、病人でない限り、必らず立つてをること。 
席をふさぎますから。
一、立つには必らず、入口の方に向つて、立つこと。 
自分が降りる處を、運轉手任せにせず、自分で注意してをる必要があります。
一、運轉手に話しかけたり、乘客同士でも、一切話をせぬこと。 
話をしかけられた運轉手が、運轉を過つたり、話をして居る乘客が降りる處を氣付かなかつたりして、自他の爲に惡いからです。
一、酒に醉つた人や、人の嫌がる病氣の人は、遠慮して乘らぬこと。 
他人の迷惑にもなり、自分にも危險です。
一、かさばる荷物や、危險な持物を持つて乘らぬこと。 
かさばる荷物は、席をふさぎ、危險な持物は、自他ともに、危いからです。
一、煙草を、のまぬこと。 
狹い處に、煙が一ぱいになつたり、他の人の着物を焦したりして、總ての點に、惡いからです。
一、運轉中故障の塲合には、あはてずに、運轉手の指圖を待つこと。 
停電等の塲合のため、どの昇降機にも、非常口の設備があります。
一、運轉時間外や、故障のあるとき、運轉を強要せぬこと。 
何事でも、無理はよくありません。特に故障の塲合に無理をして動かすは、總ての點に危險です。
一、自分の降りる塲所に來る前に、豫め降りる用意をして置くこと。 
前の人を押しのけたり、荷物を他の人の着物や何かに、引つかけたりして、爭が起ることがあります。
一、前の方に乘つて居る人は、後の方から降りる人に、道をあけてやること。 
急いで降りようとしても、前の人が道をあけてくれぬと、氣の速い人は、押しのけて出ようとしたりして、爭が起つたり、又、老人や女小供は、出ようとしても出られなくて、困ることになります。
一、荷物用の昇降機では、荷物だけ運ぶこと。 
本來、人の乘る樣に出來て居ないから、危險です。

(昇降機には運轉中其位置を示すものや其他の色々の表示器が付いて居ります、此は丸ビルの昇降機ですが、寫眞の半圓形のものは其の一例で昇りには針が左から右に1から8迄、降りには右から左に逆に動いて昇降機の位置を示します、即5を指せば五階6と7の間ならば六階と七階の中途に居る譯です
半圓形の上のものは昇りか降りかを表示するランプで、昇りの時は赤、降りの時は白い燈がつきます
左右の長方形の表示は昇降機の止る所と定員を示し、定員の下の長方形のものは呼鈴でボタンを押せば各昇降機の中に燈がついて何階に人が待つて居るか分ります、二階以上のものには二つのボタンがあつて上は昇りを下は降りを待つて居ることを表示します)

第三、廊下の卷[編集]

一、右側に用のある人でも、そこの前までは 必らず左側を歩くこと。 
廊下は公道と同じです。
一、壁に觸らぬ樣に歩くこと。 
塗り立ての壁などに觸ると、自分の着物も汚れ、壁もきたなくなります。鉛筆やステツキや、其他の持物で、壁をこすつて行くなどは、最もいけません。
一、必らず徐行すること。 
廊下を走つたり飛んだりすると、自他とも危い上に、騒がしくて、皆の迷惑になります。
一、唱歌を歌つたり、口笛を吹いたり、大聲で話したりせぬこと。 
騒がしくて、皆の迷惑になります。
一、痰や唾を吐かぬこと。 
廊下には必らず、痰壺の用意があります。其他に吐き散らすのは、第一汚なく、又一般衛生にも非常に惡いことです。
一、立ち話をせぬこと。 
通る人の邪魔になります。
一、物を置かぬこと。 
通る人の邪魔になります。
一、非常口や消火器などを、よく見て通ること。 
萬一の塲合に、自他救護の爲です。
一、紙片や、煙草の吸殻などを棄てぬこと。 
掃除係が困りますし、煙草の吸殻は、火の用心にも最も危險です。

(丸ビル中廊下)

第四、便所の卷[編集]

一、男子は、男子用の便所に、婦人は、婦人用の便所に入ること。 
男子用の便所と、婦人用の便所とは、必らず別になつて居ます。風紀其他の必要上からです。
一、小便の時は、必らず、立つべき處に立つてすること。 
どこの小便所にも、必らず、普通の人を標準にして、立つべき塲所が、用意してあります。餘り離れても、餘り近寄つても、散つたりはねたりして、いけません。
一、小便器の中に、煙草の吸殻や、齒楊枝などを、棄てぬこと。 
これは、大概の紳士でも、よくやることですが、絶對にいけません。汚ない上に、穴がつまつて、困ります。
一、大便所は、あいて居るかどうかを、確めて、はいること。 
大便所には、戸の引手のそばに、使用中とか、あきとか云ふ文字が、出る樣になつて居ます。左もなければ、こつこつと、戸をたたくと、中から、せきばらいか何かで、合圖をしてくれます。
一、大便所に入つたら、中から、よく戸を〆て、外から明かぬやうにすること。 
よく戸を締た上に、又別に、引手のそばに、外から明かぬ樣にする裝置があります。それも忘れずに、締て置きませんと、使用中に、戸を明けられて、自他ともに醜體です。
一、腰かけ式の大便器には、入口の方を向いて、必らず腰をかけること。 
ビルヂングの大便器は、大概西洋式に、丸い穴の上に、お尻を乘せて、腰をかける樣になつて居ます。それを、日本式に、上に乘つたり、前後を間違へたりすると、第; 一具合が惡い上に、色々始末に困る結果があります。
一、腰をかける前に、便所用の紙で、よく腰掛板を拭いて、其紙を、便の落ちる處の、下敷にすること。 
西洋便器で、我々が最も嫌なのは、腰掛板の汚ないのと、便器の底に殘つて居る水の、はねることです。紙は少々贅澤に使つても、便器を奇麗に使ふのには、代へられません。
一、紙は必らず、備付のものを使ふこと。 
他の紙を使ふと、パイプがつまります。
一、大便器の中には、大便用の紙以外に、何んにも棄てぬこと。 
便所は、何れ汚ない所で、しかも、人の見ぬ所と云ふ序に、色々な物を、便器の中に棄てられますが、日本便所と違つて、西洋便所は、一々奇麗に、パイプ仕掛の水で、洗ひ流す樣に、なつて居ますから、其パイプに、物がつまるのを、最も氣を付けねばなりません。
一、止むを得ぬものは、便器のわきの、壺の中に入れること。 
其爲に、婦人用の便所には、必らず、小さな壺が置いてあります。男子用の便所にも、置いてある處もあります。
一、用がすんだら、握り手か、紐を引いて、よく洗ひ流すこと。 
大便器の後には、必らず手の届く處に、上の水槽から、紐がぶら下げてあるか、又は握り手の樣な、裝置があります。それを、靜かに暫らく引いてをると、水が便器内に、えらい勢で出て來て、奇麗に洗ひ流します。
一、便器に故障があつたら、直に家主の事務所に、知らせること。 
便所の故障は、自分だけの用がすんだら、後はかまはずに、默つて居る人が、多いのですが、それでは、後の人が困りますし、隱れた處で、家主側でも、氣が付き惡い處ですから、面倒でも、直に家主側の者に知らせて、直させて置く必要があります。
一、手を洗つたら、必らず、水を止めておくこと。 
停車塲の便所の樣な、手洗水が、流れ放しの處と違つて、ビルヂングの便所は、大概コツクをひねつて、水を出す樣になつて居ますから、一々コツクを〆て、水を不經濟に使はぬ心懸けが、必要です。

(丸ビル小便器の一つに煙草の吸殻。楊枝。紙屑の棄てゝある所) (便所の入口の方から撮つた丸ビルの大便器です。後の壁に取付けてある握手を上げると一度に水が出て奇麗に汚物を洗ひ流します。左側の壺は便器へ棄てられぬ物を入れるためです)

第五、手洗所の卷[編集]

一、手や顔の外は、一切洗はぬこと。 
物を洗ふ所は、別にあります。手や顔を洗ふ所で、インキや、墨汁や其他まだ嫌なものを洗ふのは、間違です。
一、手や顔を洗つた人は、跡をよく、奇麗に始末しておくこと。 
後で使ふ人が、困ります。
一、使つた後で、湯や水の出る處を、よく〆て置くこと。 
湯水の出し放しは、不經濟極まることです。
一、水の出ない塲合でも、必ず、コツクを〆もどすこと。 
後から、水が來たときに溢れて、大變なことになります。
一、手洗器の中に、煙草の吸殻や、齒楊枝其他の物を、棄てぬこと。 
汚水の流れ込む口や、パイプがつまつて、困ります。
一、獨りで、いつ迄も、占領せぬこと。 
此頃は、婦人ばかりでなく、男子にも、随分手間取る人があつて、待つて居る人が困ります。退出時間などで、手洗所が込み合ふ時は、尚更です。

(コツクの締戻しを忘れ水が無駄に流れて居る所)

第六、メール・シユートの卷[編集]

一、大きな封筒や、雜誌の樣なものを、無理に、郵便物のさし入れ口から押し込まぬこと。 
郵便物その物が、いたむ上に、さし入れ口が壞れたり、又無理に入れても、下の郵便受箱まで落ちずに、途中に引つかかつて、他の郵便物の妨げになり、それを落すにも、大變手數がかかります。
一、濡れた郵便物を、入れぬこと。 
落ちる途中に、長い筒の内側にくつついて、うまく落ちずに、引つかかる恐があります。
一、入れる時に、郵便物を、曲げたり、折つたりして入れずに、一つ一つ、眞つ直ぐに、落ちよい樣にして入れること。 
曲げたり折つたりして入れると、其曲げ目や折れ目が、落ちる途中で、元に戻つて引つかかる恐があります。
一、何かの故障で、途中に引つかかつたり、差入口の具合が惡るかつたりしたら、直に家主の事務所に知らせること。 
少しの故障でも、大事な郵便物の上の問題になりますからです。

(丸ビルのメールシユートで各階に差入口があります)

第七、電燈の卷[編集]

一、用がすんだら、直に電燈を消すこと。 
電燈のつけつ放しは、日本の樣に、電氣料の高い國では、實に不經濟な上に、火災や盗難などにも、無用心です。
一、勝手に燭光を變へたり、他の目的に使用せぬこと。 
電線には、一定の容量がありますから、夫を超えては漏電の恐があります。
一、電燈の近くで、長いものを振廻はさぬこと。 
電燈を壞す恐があります。
一、故障の際、自分でいじらぬこと。 
電氣に觸れたり、其他危險です。直に家主の事務所に知らせて、専門の職工に直させる方がよいです。

第八、煖房の卷[編集]

一、温かすぎたら、調節する處を捻つて、温度を加減すること。 
此頃の煖房は、大概、スチームラヂエーターです。ラヂエーターには、指で捻つて、温度の加減をするものが、ついて居ます。温か過ぎるからと云ふて、煖房の釜は焚かせ乍ら、窓を明けて居るのは不經濟です。
一、窓を〆てあつても、温度が昇らぬ時は、家主の事務所に注意すること。 
それは何かの故障ですから、直に注意して、直させる必要があります。
一、時間外の執務の爲には、別に煖房の用意をすること。 
全館を温める、大仕掛の煖房は、一般普通の執務時間だけに、限られて居ますから特に早くか、遅くまで事務を執られる御方は、家主の承諾を經て、別に煖房の用意がいります。
一、勝手に、火鉢や石油ストーブなど、持込まぬこと。 
火鉢や石油ストーブなどを、勝手に持込むことは、火の用心の上から嚴禁です。

第九、窓の卷[編集]

一、窓の明けたては、靜かにすること。 
手荒くすると、第一八釜しい上に、調子が狂つたり、硝子を壞したりすることがあります。
一、天候によつて、窓の明けたてに、氣をつけること。 
風が烈しく吹く日とか、曇つて外の空氣が湿つぽい日などには、窓を締め、お天氣で、外の空氣が乾いて居る日には、窓を明けて、日光や、良い空氣を、入れることなどに、氣をつける必要があります。尚窓の明け方などは、衛生の卷にも出て居ます。
一、窓硝子に、嫌な廣告の文字を書いたり、紙を貼りつけたりせぬこと。 
外から俗惡に見えて、ビルヂング全體の美觀を損ずるばかりでなく、其事務所や店の品格にも關係しますからです。
一、窓から、色々な物を棄てぬこと。 
窓から物を棄てると、往來や、中庭などに居る人に危ないし、輕い紙片の樣なものでも、散亂して、掃除に困るからです。
一、窓に植木鉢を置いたり、ハンカチや、手拭などを干さぬこと。 
第一外から見て不體裁の上に、植木鉢などが落ちると、下に居る人が怪我をします。
一、カーテンや、窓硝子を、汚さぬこと。 
カーテンで、汚れた物を拭いたり、窓硝子に、指先でいたづら書きをしたりするのは、よくありません。
一、窓硝子の近所で、長い物を振り廻さぬこと。 
日本家の、紙の障子を破るのと違つて、ビルヂングの窓硝子は、中々高價でもあり、直すに手間もかかり、又壞れて、怪我をすることも、あるからです。

(窓に置かれたる植木鉢)

第一〇、戸締の卷[編集]

一、戸締は、嚴重にすること。 
宿直があつても、戸締を嚴重にすることは、必要ですが、宿直のない所では、一層嚴重にする必要があります。
一、錠前が壞れたり、具合が惡るかつたりしたら、直に家主の事務所に知らせて、直して貰ふこと。 
自分ばかりでなく全體に無用心ですから、直に家主に知らせて直させる必要があります。
一、鍵は、責任ある入に、大事に保管させること。 
鍵を保管する人が、確つかりして居ないと、戸締が、嚴重に行はれぬ上に、眞逆の塲合にも、困ります。
一、事務を終つて、皆退出される時に、窓や欄間をよく〆ておくこと。 
窓や欄間を明けつ放しでおくと、盗難や火災などに無用心な上に、埃や雨などで、室内を汚します。
一、忘れずに、カーテンも、よく下して置くこと。 
硝子戸だけでは、外から室内を窺き込まれる心配があります。

第一一、衛生の卷[編集]

一、空氣と光線とに、氣をつけること。 
洋館は換氣法なども、相應に行届いて居りますが、概して密閉式ですから、明るい處に机を置くとか、窓を締過ぎぬ樣にするとか、餘計な造作で、光線や空氣の出入りを、遮斷せぬ樣にするとか、細かな注意が肝要です。
一、靴の泥や紙屑などで、館内を不潔にせぬこと。 
靴ふきで、よく靴の泥を落としてはいるとか、紙屑、塵芥、茶殻などを、室内、廊下、中庭などに、矢たらに棄てずに必らず備付の容器の中か、指定の塲所に棄てることなどに、よく氣をつけねばなりません。
一、手鼻をかんだり、痰唾を吐いたりすることは絶對にいけません。 
これは、汚ない上に、衛生上最も嫌なことです。一寸靴か草履で踏みにじつて置けばよいと思つて、うかと廊下などでやる人かありますが、全く野蠻人のすることです。
一、傳染性の病氣の人は、遠慮して出入せぬこと。 
他の人に、取返しのつかぬ迷惑をかけますから、公徳を守つて、大勢の中には、遠慮しなければなりません。
一、飲食物を扱ふ所は、一層嚴重に、注意すること。 
館内で飲食物を取扱ふ所は、一軒の内で云へば、臺所です。病は多く口からはいります、最も嚴重に、清潔に注意し、腐敗したるものなどは使はぬ樣にして貫はねばなりません。
一、寒い時候には、館の内外の、温度の變化に、氣をつけること。 
寒い氣候の時には、館内は、スチームで暖かで、外の空氣の温度と、大變違ひます。そこで、うつかり外套も着ずに、外に出ると、よく風をひきます。之はよくあることです。
一、窓を明けて、外の空氣を入れるには、上と下を、適宜に明けること。 
窓の上下を明けて置くと、自然に氣流が起つて、室内空氣の新陳代謝が出來ます。
一、執務中は、姿勢を正しくすること。 
ふだんでも、姿勢を正しくすることは、健康の第一義です。特に執務中は、思はず机にうつぶし過ぎたり、椅子にもたれ過ぎたりして、大變健康を害することがあります。腰を立てることと、下腹をゆつたりふくらして居ることを、忘れてはいけません。
一、なるべく鼻で呼吸すること。 
ビルヂングの室内は、何と云つても、埃や何かで、空氣がよごれて居ますから、必要以外はなるべく口を開かず、鼻で呼吸をする方が、健康上宜しくあります。
一、疲れたら、椅子體操をすること。 
執務中に、疲れたら、一寸窓際か、屋上に出て、新鮮な空氣を吸ふのもよいですが、そんなことが出來ぬときは、椅子に腰かけ乍ら、腰を延ばして、眉を上下にゆすぶつたり、後頭部の下を、輕く手でたたいたり、兩肩を後に開いたり、輕く兩足のかかとを上げて、足の自然の重さで、こつこつと落したり、其時の自分の氣持ちで、色々な運動をすると、直に疲れも直ります。
一、少し體の工合が、變だと思つたら、直に醫者の診察を乞ふこと。 
少し大きなビルヂングには、不慮の怪我人や、病人の爲に、館内か附近に、顧問醫の用意があります。

(丸ビル廊下の隅々に配置されてある紙屑入や痰壺であります)

第一二、火用心の卷[編集]

一、室内では、勝手に、火氣を取扱はぬこと。 
湯沸塲、炊事塲、其他總て火氣を扱ふ塲所は、夫々一定してありますから、それ以外の塲所で、火氣を扱ふことは、絶對にいけません。
一、喫煙所を、一定すること。 
これは單に、火用心の爲ばかりではなく、執務の紀律を保つ上にも必要です。
一、煙草の吸殻は、如何なる塲合にも、必らず火氣のなくなるまで、消して棄てること。 
例へば、地べたに棄てたら、必ず靴で踏みにじつたり、灰吹や吸殻入に入れる塲合でも、指先きでつまんで、温か味がなくなつてから、棄てる位に注意すること。
一、煙草の吸殻は、どんなによく消したものでも 必らず棄つべき器の中に棄てること。 
室内には灰吹、灰落し兼吸殻入、廊下には、痰壺兼用の吸殻入が、必らず用意してあります。入念に火を消してあるから、大丈夫だと思つて、普通の紙屑同樣に、室内や廊下の床の上に棄てたり、殊に紙屑籠の中に棄てるなどは、最も危險です。
一、吸ひかけの卷煙草を、机の上や、窓縁などに置いたまま、立去らぬこと。 
倶樂部や、事務所の、便所の窓縁や、待合室の机の上などに、よく燒け跡が残つて居るのに、氣付かるることでせう。これが、皆恐ろしい火事になる筈だつたと思つて見ると、ぞつとします。
一、電氣や瓦斯の、具合の惡いのは、直に家主の事務所に知らせて、直させること。 
漏電や、瓦斯の爆發など、火事の原因となるばかりでなく、人命にも、危險なことがあります。
一、電氣や瓦斯の、つけつ放しは、厳禁のこと。 
これは、電氣や瓦斯を使ふ塲合に、最も注意せねばならぬことです。火用心の上には、申す迄もなきことである上に、非常に危險なことでもあり、一寸のつけつ放しでも第一不經濟です。
一、退室前に、必ず瓦斯の元コツクを〆て置くこと。 
火口のコツクだけでは、瓦斯の漏れる恐があつて、不安心です。
一、館内の、消火設備に、ふだんから、よく氣をつけておくこと。 
どのビルヂングにも、必らず、廊下や室内に、消火器とか、消火栓に、ホースをつけた給水裝置とか、防火扉とか、非常報知機とかが、用意してあります。非常の塲合には、誰でもあはてますから、ふだんから氣をつけてをる、必要があります。
一、速く非常報知機で、消防署に知らせること。 
館内の消火設備を使つて、自分で機敏にやるのも、必要ですが、不慣やあはてなどして、却つて大事を惹起しますから、速く専門の消防署に頼む方が、騒ぎは少し大きくても、結局安全です。
一、洋館は、存外火の廻りが早いから、一層厳重に、火氣を取締ること。 
不燃質の建築だから、火事は起らぬと安心して、洋館の中では、火氣をぞんざいに扱はれますが、洋館の中の火氣は、竈やストーブの中の火氣の樣に、周圍が密閉されて居る代りに、僅かの戸の隙間からでも、風を呼んで火を吹き起しますから、直に書類や机椅子等に燃へついて、部屋一ぱいに廣がります。
一、火の用心の爲にも、窓や出入口の戸締を、嚴重にしておくこと。 
前に述べた通り、洋館では、火氣が外から風を呼びますから、盗難豫防の爲ばかりでなく、火用心の爲にも、戸締を嚴重にしておく、必要があります。

(丸ビル各階に取付けてある火災報知機です。出火の塲合にはガラスを毀して内のボタンを押せば直に警視廳消防部及地所部へ部じます)

第一三、非常時の卷[編集]

一、館内の非常用設備には、ふだんからよく氣をつけておくこと。 
どのビルヂングにも、必らず其建物相應の、非常用設備があります。建物にどんな設備があつても、心に設備がなければ、折角の設備も、いざと云ふ時に、何の役にも立ちません。非常用設備と申しても、大體火事と地震に對してです。外に色々な事も想像されますが、館内の大勢の人が、突然一しよに騒ぎ出す樣な塲合だけを考へて、大體火事の時と、地震の時に、大勢が一度に避難し易い樣に、設備が出來て居ます。
一、火事の時は、消防に從事して居る人達の、邪魔にならぬ樣に、自分は自分の部署の事を、機敏に始末して、早く避難すること。 
火事塲に、大勢の人がごたごたすると、却つて消防の邪魔になり、又怪我などもあります。
一、全部不燃質のものか、又は全部不燃質でなくとも、防火壁や防火扉が、完全に働く樣に出來た建物では、火事塲以外の人は、あはてゝ騒がぬこと。 
紐育などでは、餘程大きな火事に包まれた塲合の外、普通ビルヂングの火事は、其部屋か、隣りの部屋位で、消し止めて、一軒丸やけになる樣なことは、滅多にありませんから、ひとつ建物の中に、火事があつても、他の部屋の人達は、窓から見物して居る位です。
一、火事の避難には、第一廊下づたひに、第二非常口か、非常階段から避難すること。 
廊下は、少し火が大きくなると、防火扉で、火が他の區劃にうつらぬ樣に、〆切りますから、交通が遮斷されます。其代りに、各防火區毎に、必らず非常口、非常階段の用意がありますから、そこから安全に、避難が出來ます。
一、火元でない人が、避難される時は、よく落ちついて窓や入口の戸締をして立退くこと。 
類燒を防ぐ爲と、今一つは、混雜まぎれの、盗難豫防の爲です。
一、近火のときは、窓の外側にある日覆や葭簀などを取除くこと。 
飛火の移る危險があります。
一、地震の時は、まづあはてぬこと。 
ビルヂングの構造が、建築條例に違反せぬ建築ならば、普通の地震位に、倒れる心配はありません。あはてて避難しやうとして、却つて思はぬ怪我をします。
一、すこし激しい地震だと思つたら、先づ火の種を消すこと。 
地震の時は、地震の直接の損害よりも、間接に起る火災の損害が、却つて多い位です。そこで、愈避難する位にゆれだすと思つたら、先づ大小に關らず、火の種を絶對に絶やして置いて、それから逃げ仕度をすることが必要です。
一、書棚や、商品棚や、總て高い處に、重いものを置かぬこと。 
總て、高いものは、倒れ易いのに、其上に、重いものが乘つかつて居れば尚倒れ易くなります。尚其高い物が倒れぬまでも、上に乘せてある物が落ちて、怪我をすることがあります。これは日本の樣な地震國では、ふだんから、よく氣を付けておく必要があります。
一、金庫とか、商品とか、餘り重いものを、室内に持込まぬこと。 
そんなに丈夫に出來た建物でも、床其他の安全率には、限度がありますから、日本の樣な地震國では、二階以上に、重いものを持込むことは、最も警しむべきことです。
一、地震の時は、昇降機をたよりにせぬこと。 
少し激しい地震だと、電氣の機械や、配線に故障が起り易い上に、震動中に、昇降機の運轉は、危險ですから、少し大きな地震だと、運轉を中止しますから、廊下傳ひに、階段から避難する外ありません。
一、餘り落つき過ぎて、逃げ塲を失つた樣な塲合には、丈夫な机か何かの蔭に避難すること。 
壁や電燈などが壞れて、其爲に怪我をする樣な事を防ぎます。

(丸ビル各階廊下に取付けてある防火戸であります、平素は兩側の壁に沿ふて開けてありますが出火の塲合には火と烟とが廊下を流れて全館に廣がらぬ樣に直に締切ります)
(丸ビル非常階段の入口であります、出火の際防火扉で廊下が〆切られても此階段から避難出來る樣になつて居ります)

この著作物は、1942年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。