大阪古物の風景


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大阪古物の風景


 大阪の町を歩いて、面白いと思える古物の風景が一番たくさん遺っているのは江の子島付近でしょう。この辺は一体に細い掘割がいくつと知れず流れています。百間堀、阿波堀、薩摩堀、京町堀、江戸堀などが、その中でももっとも面白い掘割です。
 私は広い川よりも町の真中の家の尻と尻との間をば窮屈に流れている、この掘割が大変好きです。
 この堀川には狭くて小さな橋がたくさんかかっています。大体、橋というものは広くなればなるほど道路に見えてしまって、橋の感じがなくなるものであります。この辺りの橋こそ、今俺は橋を渡っていると確実に思えます。
 中にも薩摩堀の近くに、名を忘れて残念ですが一つもっとも狭い橋があります。人力車一台ようやくにして通り得るというほどのもので、しかも橋上の眺めはなかなかよろしい。一度記念のために渡っておく価値はあります。今に大大阪というものになると、こんなものはどうかされてしまうかも知れませんから。
 またこの付近には、その掘割の両岸に、とても今の大阪では見失ってしまったような昔の土蔵がずらりと並んでいる七ッ蔵と称する名所もあります。
 それから何といっても、この辺の景色の中へは必ず顔を出して堀川の景色を引き立てている親分は、今の府庁の建物です。あの円屋根は見れば見るほど古めかしく、長閑な形で聞えています。私はこのドームを、その東裏手の茂左衛門橋の上から眺めるのが一番いいと思います。あるいは百間堀、あるいは薩摩堀の豊橋から見ると、実にいい構図になります。最近のアメリカ文化は、あまりこの辺を訪問していませんので気持がよろしい。しかし一世紀前のエキゾチックな風景です。
 この府庁の建物は明治の初めに出来た唯一の西洋館だといいます。この建物は古くてもう役に立たなくなったので、取りこぼつのだとか噂に聞きましたが、それが事実ならば惜しい事実であります。
 大阪人はこんな古臭い円屋根など、ゆっくり眺めたことはないのでしょうけれども、この円屋根がなくなったら、この辺りの風景は、それこそ東海道から富士山が凹んでしまったくらいの退屈な光景になってしまうことでしょう。
 とにかく〈[#「 とにかく」は底本では「とにかく」]〉この付近をぶらぶら歩いていると、古物の大阪が随所に、確かに残っているので愉快です。
 少し方向を転じて島の内へ来ると、長堀川の板屋橋に俗に住友の浜といって、市の今は中央であって、なおかつ昼間でも投身する者があるというくらい閑寂な場所が奇跡的に残っているのです。ここにもやはり古い西洋館があります。木造で美しい鎧窓が見えます。これは一昨年国枝君が二科へ出した、S橋畔という画に描き込まれてあったものです。これがまた愛すべきもので私はよくこの浜へ来て、この家を眺めます。
 この家はいつも閉ざされていて人の気配がありません。フランスなどであれば、こんな種類の古物はよくミューゼなどにして開放してあるものだがなどと、友人と話しながらこの前を通ることがあります。
 それから心斎橋筋を通ると二、三の時計台が目につく。その中でも一番古風そのままで遺っているのは東側にあるものです。今何とかいう時計屋になっているのです。私はこの時計台を大変好いているのです。時計台だけでなく家全体がなかなかいい構造になっています。惜しいことには道幅が狭いので、家全体を眺めることがむずかしいので、古物風景としての眺望がききません。まだ数えるといろいろありますが、こんな風景はだんだん新式の風景と交替して来そうです。それも結構だが、美しいものだけは死なしたくないものであります。

(「中央美術」大正十四年三月)

 
 

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