大塚徹・あき詩集/日本の灯

提供:Wikisource


日本の灯[編集]

 そのなかの一人が 突然なにか叫びながら
赤旗をふると、みんなまるでもう夢中になっ
て やま犬のように 赤旗の回りに群がり ぐ
るぐるスクラム組んで革命歌を咆えはじめた。
引揚船がいよいよ日本の岸壁に近づくと、船
長はなだめるように 故国の秋の蒼い山々
を指し、医者や看護婦や事務官や水夫達まで
が この途方もなく膨れあがる赤いスクラム
に 手をふって駈けよったり――悲鳴をあげ
て飛びのいたり――もう諦めたように 呟き
ながら遠くから眺めていたり――そのあげく
総がかりで やけにドラや汽笛をならしてみ
たりしてみてもかえって煽られたように 一
層火の王は燃えあがり、ぐるぐるぐるぐる渦
巻きたかまってゆく……

 やがてシベリヤ方向に沈んでしまう あの
灼熱の貧婪な太陽のように、人間の感情を粉
々に噛み砕きながら いつやむともしらず廻
りつづけた こんな巨大な非情の歯車がはた
み ひっそりとしてしまう永却の刹那が
ぽっかりと堅孔たてあなをひらく――甲板の黝い翳り
の底から“祖国ソビエートのために日本に敵
前上陸するのだ”慟哭するようなアクチブの
特殊鋼の声がひびいてきたが、ばらばらと数
名のものが拍手しただけで 今はがっかりと
マストの暗がりに固まって踞る者や、まだ暮れ
のこる西海の斜陽をぼんやり眺めている者や

Page:Poetry anthology of Toru Otsuka and Aki Otsuka.pdf/42