坂本龍馬全集/阪本龍馬の未亡人/三回

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(三)


「霧島山の逆鉾さかほこと言つたつて、詰らないものでした。山の頂上てつぺんに、二尺ばかりの鉾が逆さに突立つて居るのです。それを抜いたりすると、たゝるといふのだけれど、ナニ、構ふものかツて、片手で抜いちまひました。坂本は止せと言つて止めましたがね、そんなこと、何でもありません!」

 お良さんのおきやんは、これでも知れる。坂本に伴はれて、鹿児島の城下に滞在した時は随分はしやいだらしかつた。
「西郷さんが私をお転婆だと言つて笑ひました、坂本はハキしたことが好きで、私がどんなことをしたつて、決して叱るやうなことはなかつたのです」
 天下の俊傑も、案外女にはのろかつたらしい。薩長聯合の大仕事を仕上げて、まだ其の結果が現はれない中に、情婦を携へて鹿児島の城下を濶歩したのだから、見やうによつては、馬鹿の骨頂とも言へるし、それだけ胸中に、余裕と、洒落気しやれけと、元気があつたことにもなる。
「寺田家のお登世は、どんな女でしたか」私が問ふだ。

「あの人は、男勝りの、親切な女将さんでした。寺田屋はあの人の力で保つて居たので、亭主は好人物おひとよしで、あつても無くても宜い人でした。それに、あの人には、どういふものか子種が多い、あとからと子供が生れるので、あの人も耐らなくなつて、終始逃げ廻つて居ました」
 お登世は、孕むために生れて来たやうな女だつた。しまいには、子供の生れるのが怖ろしさに、亭主と部屋を別にした、それでもまだ不安なので、お登世が薦めて、亭主に遊所通ひをさせた。勤王の人々が、安心して、寺田屋を宿にしたのは、亭主が終始留守勝で、偶々たま家に居ても、気の置けない人物だつたからである。
 鳥羽伏見の合戦は、天下の形勢を一変した。それ以来の寺田屋には、もう浪人の姿は見られなかつた、都が東京にうつされて、浪人達は思ひに出世した。そのあとに取残されたのは、大勢の子供を抱へたお登世と、松兵衛さんを良人に持つて、淋しく生活するお良さんだけだつた。

 その松兵衛さんも、維新のドサクサに紛れて、商売は左前になる、相当の負債もあり、到頭店を畳んで、居喰ひをする内、すつかり財産をなくしてしまつた。さうしてお坊ちやん育ちの彼は、再び花の咲く見込もなく、縁につながるお力を頼つて、横須賀へ流れ込んだ。ドツコイドツコイの商売は、松兵衛さんにふさはしい稼業だつた。

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