坂本龍馬全集/三十三人連署

提供:Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動
Wikipedia
ウィキペディア谷干城のページがあります。

薩、長、芸の三藩於京都討幕の軍を動し候風聞有之、其節御建白被遊候旨奉拝承候。追而右御建白書拝見仕罷在候処、先達て望月清平帰国仕、宇内形勢一変し既に公方様御辞職、 御勅許御沙汰之趣。就ては万石以上の諸侯方、不残京師へ被召鎌倉以来武家之制度を一変し、王政復古之大御基本相立候御沙汰に付、御隠居様にも早々御上京被遊候様、 勅命被仰蒙候御旨、根元御建白は、天朝幕府之御為、皇国安静之基を被立、全く公方様御辞職被遊候との思召には不在候。右等御変革実以恐懼之至に奉存候。右様相成候而は皇国安静之思召、殊に寄却而、乱階を生じ候儀も難計、乍恐明神様(初代山内一豊)御以来今日に至幕府御尊崇之御趣意にも相拗たがひ候哉と奉存候。折柄、後藤象二郎帰国仕候処、公方様御辞職には相成候得共、未 勅許に相成不申候旨奉拝承候。孰 勅命旁御上京被遊、 皇国治平之御基本御立、東照宮御以来之大恩を被報、就而は御建白御趣意相拗居候処之疑をも御散じ被遊候儀と奉仰望候。然に近年来御国政宜敷に不叶儀不少、必竟軽薄奔競之徒御登用に相成候より、御先代様御以来之御規矩を変更仕り、義を捨利に走り抜擢之名を借りて階級を乱、両府之其人を不得、賞罰当を失ひ人心一定不仕、富国の名に仍而興利之局を開き、人民之疾苦をも不顧、用度無節諸局不締に相成候より、遂に御勝手向御窮迫に至、市中郷中共度々御借入金且半知御借上に相成候得共、所謂薪を以火を防之勢、此上如何様金銀御募に相成候共、御上京御入費相支候共不存、且度々御借上之金銀御返済遅滞に及、是迄信義を御失ひ被遊候より人心離心仕、頃日けいじつ民間之誹謗聞に不堪事柄も有之、右様人心離心仕候上又々苛酷に被仰付候而は緩急之間如何様之大患を引起候儀難計不安次第に奉存候。元来時勢之変遷は暴水之増来る如くに而は無之、戊午以来今日之形勢に立至り候儀、愚昧之者といへ共大様見通し相立可罷在いはんや重き御国政を御委任被仰付置候重職之者に相成候而は兼而配慮も可之筈之処、右様之次第に為立至候義、何共奉恐入候。将京師形勢不穏御三家並御家門御譜代之譜侯御異論有之趣に付、万一騒乱に立至候程難計、仍而御趣意奉引受正義之人物御撰擢に相成不申而は、御兵備は勿論御財用迚も十分御整に不相成候而は、御上京被遊候共御尽力も被為在候御忠精之程も空敷相成、 却而天下之疑念を御受被遊候様可相成も難計、已に先達而以来乍恐御政府内討幕に紛敷まぎらはしき議論相唱候者も有之趣、而已のみならず歴々御臣下(歴々の御臣下と云は乾を指す○編者曰雑記二の三の頭書には歴々とは小笠原唯八、乾退助を指す。或は以下は毛利恭助及余等を指すとあり)之内、東武に於而諸浪人と討幕之盟約仕候者有之、或は薩、長之討幕論に同意致候者も有之趣、右等全く無根之風説とは難打捨、御手足と相成候御臣下之内右様之反覆之人物有之候而は、御趣意貫通不仕、就而は右者共早々御詮儀之上、屹度御所置不仰付而は、人心之疑惑不少自然御政府内にも右様之儀同意致居候者無之哉之疑念相立、人心一定不仕義必然と奉存候。其余疑惑之筋別紙に相認申候。右廉々御一覧被遊当器之人物御撰擢相成、御国政御一新之上、急々御上京不遊而は、乍恐御志不伸、空敷天下之嘲を御受可遊様奉存候。 且先年已往之小過は深御咎不遊段、御布告に相成候得共、武市半平太等之如き主罪之者は夫々当罰被仰付候。況猥みだりに討幕相唱、且御勝手向如此為立至候儀は、決而既往とは難申、万々一御責不遊而は御国律不相立義と奉存候。

右達々方今御大事と奉存候間、僣越を不憚伏而奉言上候。誠恐誠惶。
 (以下別紙なり)

一、於京都長崎等公事遊蕩之事。
 近年旅勤被仰付候面々、惰弱之風儀有之外交被仰付者といへ共、遊冶に相流候に付、右御取締旁両役場京師へ御差立相成、且昨冬諸士遊蕩に相流候而は、御国辱に相成候云々御趣意御布告に相成候処、重役之輩遊蕩甚敷、已に旅宿へ娼妓等出入仕趣、将外交費用不少訳を以多分之月金被下置、於長崎も同様之趣、一国之標的とも可相成重役之身右等之所為御坐候而は、前条御趣意と相背可申様奉存候。
一、疑獄之者御解放、且拷問をも被仰付候者、前躰に被差免候一事。(編者曰、雑記二の三の頭書には小畑孫次郎、河野満寿弥、森田金三郎等の類を指すとあり)
 一昨丑年、武市半平太等御所置被仰付候節右事件に関係之者見通しに於而難遁罪状不令自然に付、御詮議振りを以、長く牢舎仰付置候上は、追々御所置之品も可御座と奉存候処、御見切も相付候哉、先達而意外に御宥恕ゆうじょ仰付、就中森田金三郎義は御詮議振りを以栲問被仰付候身分を、前躰に被差免候。彼者義は前白札世伜之訳を以、自然新御留守居組伜に相成候趣、根元格好有之者、栲問被仰付候は罰之上名字帯刀被召放候、見通相立候上ならでは、決而難相成越方御国律に御座候処、如何之御詮議振りに御坐候哉。当今御所置御至当に御座候はゞ、無罪之者右様取扱仕置候御役人、当罰不仰付而は是非曲直不分明に而、御国律相立可申様奉存候。
一、火罰之者私之復讐御差免に相成候事。
一昨丑年、御山廻何某於比島川溺死之姿に而相果候処、病死之取扱を以家督相続被仰付、其後御手廻何某盗業且焼家之御疑念を以入牢之上、右事幷に御山廻何某を縊殺し溺死之取計候段申出、追々火罰に被仰付候期に至、御山廻親戚共より復讐仕度願出、剰其他足軽輩役手へ相迫り候より御届に相成候趣、是迄之御国律に相違仕、一同疑惑仕候事。(大勢連署し役場所に迫る弊増長せり。佐幕派も人を責むると共に自己も亦咎に習へり)
一、浪人者と盟約之事。
 江戸御邸内之浪人輩御差置有之、御国御士之内右輩へ討幕之義相約し、書翰往復仕候由之処、訴人有之書翰等も御達に相成候趣、右等謀反同様之者其儘御差置に相成候而は、不安次第に奉存候。(編者曰、雑記二の三の頭書には訴人とは豊永行秀と云ふ刀鍛冶なり。謀反同様の者とは乾退助を指すとあり)
一、今四月御上京被仰付候節、東西郷中へ下横目を以献金を促し候事蹟に関係仕候哉、御役人御免に相成不日復職被仰付候事。
一、亡命者御召返、白川邸へ浮浪之徒御閣之事。
 本郷士阪本龍馬、去戊年於京師思召を以御召返に相成居候処、不日又々亡命仕、薩州邸内相潜罷居候中、於伏見幕府の捕人数人に手を為負、其後薩州長州の間を奔走致居候処、如何の御詮議に候哉、御召返に相成、且晋太郎(中岡慎太郎の事、即石川清之助の事なり)義は、長州暴発之節相組し於京師戦争仕、其後長州に罷在候処、此頃御召返に相成候趣、且白川御邸へ浮浪之輩数人御差置に相成候廉々、疑念仕候事。(編者曰、雑記二の三の頭書には阪本御呼返へしは勝安芳が容堂公へ献言に依るとあり。
 又中岡慎太郎事、当時中岡は無名の庄屋なり、故に此所姓名を書せずとあり)
一、開成館御造営以来御趣向多端被相行、夫々損失に相成候由風聞に候事。

 (編者曰、右建白書の提出者は雑記二の三に依れば左の三十三名なり)

津田斧太郎 横山匠作 小坂喜佐治 谷村 頼
鷲見丘衛 板坂楠馬 野本丘作 祖父江右馬次
滝口笑三 苅谷説郎太 野崎礼 福富良三郎
中山捨作 大谷謙作 町市郎左衛門 高畠羆
野中太内 山田東作 森復吉郎 筧竹次
山田吉次 岡本小太ママ 阪井藤蔵 阪井勝四郎
川上友八 井上市兵衛 森川純輔 馬淵源二郎
森小丘太 津田弥吉 臼井弥五助 藤井守馬
若尾譲助


坂本龍馬全集