坂本龍馬の手紙/慶応3年5月5日付三吉慎蔵宛
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< 坂本龍馬の手紙
此度の御志の程、士官の者共に申聞
候所、一同なんだおはらい難有
がりおり申候。再拝〻。
拝啓。
昨日御申聞被遣候事共、実
に生前一大幸、言語を以て
不可謝御事ニ御座候。然ニ先日
此地を上方に発る時ニ福田扇
馬殿、印藤猪、荻野隣、羽仁常
諸兄御出崎被成、土人の名を以御修行
被成度御事ニ付、御やく束仕候所、不計
此度の危難、又此度も上件の諸
兄に御面会仕候所、諸君皆云、何分
出崎の志が達度との御事ナリ。
夫で小弟が曰ク、私し出崎の上ハ此度の
紀土の論がどふかた付申かも不被計、
故に小弟が命も又不被計、
されども国を開らくの道ハ、戦
するものハ戦ひ、修行するものは修行
し、商法ハ商法で名〻かへり見ず
やらねバ相不成事故、小弟
出崎の上ハ諸生の稽古致す所だけ
ハしておき候まゝ、御稽古ハでき
候べしと申けれバ、諸君云、万一
の時ハどふなりても宜しく候間との
御事ニ候間、御聞取可被遣候。猶、
御考可被遣候。私は諸君の出崎、
戦国のさまハ此よふなものでも
あろふかと存候てずいぶんお
もしろふ存候。別ニ申上候
事在之候。梶山鼎介兄是ハ去
年頃よりも御出崎の御事、小弟も
御咄し合致し在之候。此人の論ハ兼而
通常人の形斗西洋を学ぶ所でハ
これなく、ほんとふに彼が
学文道にいり、其上是非
を論じ申度との御論、いやしく
も論ぜざる所、小弟ニハ誠におも
しろく奉存候。上件四人の兄
たち御出しニ相成れバ、此人も
御出わどふであろふと、私よりも
希ふ所ニて御座候。稽拝首〻。
五月五日 龍馬
三慎大兄
三吉慎蔵様
左右 直柔