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坂本龍馬の手紙/慶応2年12月20日付伊藤助太夫宛

提供:Wikisource

此溝渕広ハ一日も早く長崎
にかへし申度、されバ船の事ハ
伊藤先生及洪堂兄等の
御周旋可被遣候。筑前くろ崎
まで船か、長崎まで船か、夫レハ
広が心次第也。然るに用向が
すめバ一日も止り候ハ、甚よろしからぬ
事故、早〻出船御セ話可被遣候。
 助大夫先生に御頼事、
 ○洪堂がよく知りておるけれども又記す。
一、長崎よりの船代、  三十四両。
一、広が出セし金、
  龍が出セし金、
   右算用高、金お四分ニ割り、
   一分ハ大村の村瀬が出したり。洪堂
   ハ金がなけれバ出すものなし。のこ
   りハ溝渕と龍馬が二ツ割ニして
   出すはずなり。然るに龍馬
   も今日ハ金がなけれバ其尻りハ
   伊藤先生おわづらハせんとす。
   それで大兄が算用しておや
   りのうへ、龍馬の一分ハどふぞや
   御手本ハ御面遠ながら御出シ置
   可被遣候。呼鳴、空袋の諸生
   かしこみ/\て申。頓首〻。
               龍
廿日
伊藤先生   足下