坂本龍馬の手紙/宛先き、年月日、未詳 推定、慶応元年夏、坂本乙女宛

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其後ハ御遠〻敷奉存候
此頃定而御きづかい被遊候
ハんと奉存候。然ニ私共英
太郎共皆〻ぶじニ出勢仕候。
何卒今年中御まち被成
候得バ、おもしろきはなし
御聞ニ入候。当時ハさつ
まのやしきおり申候。
このころ将軍家大坂
ニ参り、長州を征し候儀
もあり候へども、大軍唯
むへきに日をついやし
候のみニて、何の事もあり
不申候。
池蔵ハ此頃八度の戦
ダン〻軍功もこれあり、
此頃長州ニては遊撃軍イウゲキグン
参謀サンボヲ はかりごとに;あづかる人 と申ものニ
なり、其勇気ありて諸
軍をはげまし候事故、
もの見のヤクをかね一軍四百人
真先マツサキニ進ミて、馬上ニ
て蔵太がはたひとながれ
もたセ候事ニて候。
惣じて土佐より出候ものハ
いづくニても皆大将致し
又戦ニも一ばんつよく、よく
うち死致し候ものおふく、
あハれ今、土佐の政を
つがふよく致候時ハ、天下ニ
横行の国と申され候べく。
ざんねんニて候。