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坂本龍馬の手紙/坂本乙女宛? 推定、慶応2年夏?

提供:Wikisource

私事ハ初より少々論が
ことなり候故、相かハらず自
身の見込所を致し候
所、皆どふ致し候ても事
ができぬゆへ、初に私しお
わるくいゝ、私しお死なそ
ふとばかり致し候ものも、此頃ハ
皆〻何となく恋したい
てそふだん致し候よふニ
    世上ニ義理太イ分ンわかりたり。
相成、実にうれ敷存候。
私ハ近日おふゝニいくさ
致し、将軍家を
地下ニ致候事ができず
候時ハ、も外国ニ遊び
候事を思ひ立候。二国
三国ハそふだんニおふじ
候得へども、何分時節
が十二分ニなく、又長州
のよふつまらぬ事ニ
致してハならぬと存じ候。
まおかんがへ私とても、
一生うちニおりてぬか
みその世話致すハ
いやと存候バ、今日ニて
よく御存被成度候。今
私が事あげ致候時ハ、
大和国ヤマト野州ヤシウ
やニて軍五、六度も致し
候ものをあつめをき、
夫をつかい候得バ、どふ
しても一度ハやり
さへすれバ、志をうる
と存候。然共、中〻
時がいたらず。