坂本龍馬の手紙/坂本乙女宛? 推定、慶応2年夏?
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< 坂本龍馬の手紙
私事ハ初より少々論が
ことなり候故、相かハらず自
身の見込所を致し候
所、皆どふ致し候ても事
ができぬゆへ、初に私しお
わるくいゝ、私しお死なそ
ふとばかり致し候ものも、此頃ハ
皆〻何となく恋したい
てそふだん致し候よふニ
世上ニ義理太イ分ンわかりたり。
相成、実にうれ敷存候。
私ハ近日おふゝニ
致し、将軍家を
地下ニ致候事ができず
候時ハ、も外国ニ遊び
候事を思ひ立候。二国
三国ハそふだんニおふじ
候得へども、何分時節
が十二分ニなく、又長州
のよふつまらぬ事ニ
致してハならぬと存じ候。
まおかんがへ私とても、
一生うちニおりてぬか
みその世話致すハ
いやと存候バ、今日ニて
よく御存被成度候。今
私が事あげ致候時ハ、
皆
やニて軍五、六度も致し
候ものをあつめをき、
夫をつかい候得バ、どふ
しても一度ハやり
さへすれバ、志をうる
と存候。然共、中〻
時がいたらず。