國譯法句經
彼の祥者、尊貴者、正遍覺者に歸命す
雙雙品第一
1
諸法は心に導かれ、心に統べられ、心に作らる、〔人〕若し汙れたる心を以て、言ひ且つ行はば、其よりして、苦の彼に隨ふこと、車輪の、之を挽けるものの跡に〔隨ふ〕が如し。
2
諸法は心に導かれ、心に統べられ、心に作らる、〔人〕若し淨き心を以て、言ひ且つ行はば、其よりして、樂の彼に隨ふこと、猶影の〔形を〕離れざるが如し。
3
「〔彼〕我を罵れり、打てり、敗れり、笑へり」と、斯る思を抱けるものは、其の怨解くることなし。
4
「〔彼〕我を罵れり、打てり、敗れり、笑へり」と、斯る思を抱かざるものは其の怨解く。
5
此の世に於て怨は怨を以てしては終に解くべからず、愛を以てぞ解くべき、これ(1)永劫不易の法なり。
6
「我等は此處に(2)滅ぶるものなり」と、(3)愚者は之を覺らず、人若し之を覺れば、其よりして爭息む。
7
(4)淸淨觀を抱きて住し、(5)諸根を攝することなく、飮食に於て量を辨ぜず、怠惰にして、精勤足らざる者、魔王の斯る人を動かすこと、猶ほ風の弱き樹を〔動かす〕が如し。
8
不淨觀を抱きて住し、諸根を攝し、飮食に於て量を辨じ、信心あり、精勤なるもの、魔王の斯る人を動かすことなき、猶ほ風の石山に於けるが如し。
9
人にして煩惱なきものこそ、黃色の衣服を著くべけれ、調御なく、實語なきもの、彼に黃衣は相應しからず。
10
旣に諸の(6)漏を棄て、善く戒に安住し、調御あり實語あるもの、彼にこそ黃衣は相應しけれ。
11
(7)非精に於いて(7)精の思をなし、精の上に非精を見るもの、此等(8)邪思境の人は、〔遂に〕精を得ることあらじ。
12
精を精として知り、非精を非精として知る、此等(8)正思境の人こそ、精に達するを得べきなれ。
13
惡く葺きたる屋舍は、雨の之を侵すが如く、修練せざる心は愛欲之を侵す。
14
善く葺きたる屋舍は、雨の之を侵すことなきが如く、修練したる心は愛欲の之を侵すことなし。
15
此處に憂ひ、來る世に憂ひ、惡を作すものは兩處に憂ふ、彼は憂ひ彼は悲む、己の汙れたる業を見て。
16
此處に喜び、來る世に喜び、福を作せるものは兩處に喜ぶ、彼は喜び彼は悅ぶ、己の淨き業を見て。
17
此處に苦み、來る世に苦み、惡を作すものは兩處に苦む、「われ惡業を犯せり」とて苦み、惡趣に陷りて益益苦む。
18
此處に歡び、來る世に歡び、福を作せるものは兩處に歡ぶ、「我福業を作せり」とて歡び、善趣に生れて益益歡ぶ。
19
(9)佛語を讀誦すること多しと雖も、放逸にして之を行ふことなくば、牧者の他人の牛を算ふるが如く、(10)沙門道に於て得る所なし。
20
佛語を讀誦すること少しと雖も、正法の隨法行者たり、貪と瞋と又癡とを棄て、正智あり、心よく解脫せるものは、此の世彼の世に著なくして、(11)沙門道に達すべし。
(1) 原語には「古」の意もあり、法句經註解書には「古の法、總ゆる佛、辟支佛、漏盡の聲聞の踏みたる道」と釋せり。 (2) Yamāmase 閻魔王の爲に服せらる、死に近く、死に行く、消え果つ等の意もあり、 (3) 原典にては「他」の字を用ひ、「智者を除きて他のもの」と釋す。 (4) 見聞し知覺する物體に對して莊美なり淸淨なり愛すべきものなり等の觀念を抱くを云ふ。 (5) 眼耳鼻舌身意の六根を制せず、此等諸根の門戶を護らざるを言ふ。 (6) 漏とは煩惱の謂なり。 (7) 「精」とは「精髓、中樞、要部」等の義なり、「非精」とは之に反して、緊要ならざる部分なり。 (8) 「邪思惟」又は「正思惟」を其の分別の「境界」、範圍とするの意なり。 (9) 原語には、有義、有利等の義あり、佛の說かれたる敎を言ふ。 (10) 「沙門道の分得者にあらず、」 (11) 涅槃に達するを言ふ。
精勤品第二
21
精勤は不死の道にして、放逸は死の道なり、精勤の人は死することなく、放逸の人は猶ほ死せるが如し。
22
賢者は精勤に於て能く此〔の理〕を覺り、聖者の道を樂み精勤を悦ぶ。
23
禪思あり、忍耐あり、常に勇健なる賢者は無上の安隱・涅槃を獲取す。
24
向上あり、憶念あり、業淨く、〔事を〕なすに心を用ひ、自ら制し、道によりて生き、精勤するもの、〔斯の如き人の〕譽は增長す。
25
向上と精勤と自制と調伏とを以て、智者は(1)暴流の侵すことなき洲を作らんことを。
26
愚にして智なき輩は放逸に耽り、智ある人は精勤を護ること、最上の珍寶の如くす。
27
放逸に耽ることなかれ、欲樂の愛著に〔耽ること〕なかれ、これ精勤にして禪思あるものは大安樂を得べければなり。
28
智者の精勤を以て放逸を拂ふ時、彼は心に憂なく、智慧の樓閣に上りて、憂ある衆生界を〔見ること〕、猶ほ山頂に立てる賢者の、地上の愚者を觀るが如し。
29
放逸の徒の中にありて精勤し、眠れる人の中にありて能く醒めたる、斯の如き智者は快馬の駑馬を遺つるが如くにして進む。
30
精勤によりて帝釋は諸天の主となれり、精勤は人に稱へられ、放逸は常に賤めらる。
31
精勤を樂み、放逸の怖るべきを覺れる比丘は、燃ゆる火の如くに、大小の(2)纏結を〔盡し〕去る。
32
精勤を樂み、怠惰の怖るべきを覺れる比丘は、退墮すること能はずして、涅槃に近づく。
(1) 涅槃の境をいふ。 (2) 煩惱を云ふ、是れ煩惱は衆生の心を纏ひ結びて生死海に流轉せしむるが故なり。
心品第三
33
躁ぎ、動き、護り難く、制へ難き心、智者は之を矯むること、箭匠の箭を〔矯むるが〕如くす。
34
陸に棄てられ、水中の家を離れたる魚の如く、此の心は躁ぐ、(1)魔王の領土を逃れ出んが爲に。
35
抑ふること難く、輕躁にして、隨處に欲を遂げんとする〔斯の如き〕心を御するは可なり、御したる心は樂を齎す。
36
見ること難く、微妙にして、隨處に欲を遂げんとする智者よ、〔斯の如きの〕心を護れ、護ある心は樂を齎す。
37
遠く行き、獨り動き、形なくして、胸に潛める、〔斯る〕心を制するものは魔の縛より脫れん。
38
心堅固ならず、妙法を了解せず、信念定まらざる人の智慧は成滿することなし。
39
心に貪染なく、心に迷惑なく、善惡〔の思〕を棄て、覺りたる人には怖畏あることなし。
40
此の身は水甁に似たりと知り、此の心を(3)都城の如くにし、智慧の武器を以て魔と戰ひ、勝ち獲たるものは之を護り、住止することなかれ。
41
げに此の身は久しからずして地に委せん、棄てられ、意識を喪ひ、無用の木の端の如くなりて。
42
賊は賊に對し、敵は敵に對して、此をなし、彼をなす、邪路に陷れる心は、更に大なる惡を此の人になす。
43
母も父も將た他の近親も之をなさず、正路に立てる心は更に大なる善を此の人になす。
(1) 生死海を云ふ。 (2) 堅く護るを云ふ。
華品第四
44
此の大地と、閻魔界と、此の人天界とに勝つものは誰ぞ、誰か善く說かれたる法句を〔集むること〕、巧者の華を集むるか如くなる。
45
(1)有學の人は大地と、閻魔界と、此人天界とに勝つ、有學者は善く說かれたる法句を〔集むること〕、巧者の華を集むるか如くす。
46
此の身は水泡に譬ふべきを知り、陽炎の質なりと悟りて、天魔の華箭を壞り、(2)死王不覩〔の地〕に往かんことを。
47
華を摘みて、心愛著せる人をば、死王の捉へて去ること、眠れる村里を、暴流の漂はし去るが如し。
48
華を摘みて、心愛著し、諸欲に飽くなき人は、死王之を服す。
49
猶ほ蜂の、花と、色香とを害ふことなく、味を捉へて去るが如く、同じく智者は村里を遊行せよ。
50
他人の邪曲を〔見ず〕、他人の作不作を〔思はず〕、唯己の作と不作とを觀よかし。
51
愛しく、色好き華の、香なきが如く、善く說かれたる語も、之を行はざるものには效なし。
52
愛しく、色好き華の、加之、香あるが如く、善く說かれたる語は、之を行ふものには效あり。
53
華堆よりして、種種の華鬘を作るが如く、生れ出たる衆生には、爲すべき善業多し。
54
華香は風に逆うて行かず、旃檀香・多伽羅香・摩利迦香も〔亦然り〕、善人の香は風に逆ひて行き、良士は諸方に風を送る。
55
旃檀香と、多伽羅香と、鬱波羅香と、將た婆師吉香と、此等諸香の中にて、戒香こそは最上なれ。
56
多伽羅香・旃檀香の如きは、其の香、量少し、戒德者の香は諸天の中にて香ふこと第一なり。
57
此等の戒德あり、精勤にして住し、善く證りて、解脫せるものの道は、魔王之を窺ひ知らず。
58 59
大道に棄てられたる塵堆の中、其處に淨香ある、快よき白蓮生ぜん、斯の如く、塵埃のうち、盲目なる凡夫のうちに、正徧覺者の弟子は、智慧を以て光り勝る。
(1) 四向四果の中、最後の一果阿羅漢果を除き、前の四向三果の人を有學の人と云ふ、やがて阿羅漢となる人なり。 (2) 阿羅漢果を云ふ、是れ阿羅漢果を得れば、死王卽ち魔王を見ることなきが故なり。
闇愚品第五
60
目睲めたるものには、夜は長く、疲れたるものには(1)由旬は遠く、正法を知らざる、愚者の輪廻
は久しし。
61
旅者若し己に勝り、〔己と〕等しき〔伴〕を得ずんば、必ず單行せよ、愚者に伴たるものはあらず。
62
「我に兒あり、我に財あり」とて、愚者は苦む、己、己のものに非ず、況や兒をや、況や財をや。
63
愚者の〔自ら〕愚なりと思へる、彼これによりて賢者たり、愚者の賢者の思せる、彼こそは愚者と云はるれ。
64
愚者は生を終ふるまで、賢者に奉事すとも、法を知らざること、猶ほ食匙の羹味を〔辨ぜざる〕が如し。
65
賢者は、假令瞬時も、賢者に奉事せば、疾く法を知ること、猶ほ舌の羹味を〔辨ずる〕が如し。
66
無智なる愚者は己、己の敵なるが如く振舞ふ、苦果を〔生ずべき〕罪業を身に行うて。
67
行うて後悔ひ、淚顏啼哭して、其の果報を受くべき業は、善く爲されたるにあらず。
68
行うて後悔なく、歡喜悅豫して、其の果報を受くべき業は、善く爲されたるなり。
69
罪業の未だ熟せざる閒は、愚者之を蜜の如しと思ひ、罪業の熟するや、愚者は其の時苦惱を受く。
70
(2)愚〔なる行〕者は、月に月に、茅の端にて食を取るとも、斯る人は善法行者の十六分の一にも値せず。
71
犯したる罪業は、固結せざること新しき乳の如く、〔而も〕灰に覆はれたる火の如く、燻りつつ、愚者に追隨す。
72
愚者の智慧の起ること、其の不利の爲なる閒は、これ此の愚者の好運を損し、其の頭を碎く。
73
〔愚者〕は僞の名聞を願ひ、諸比丘の中にて上位に居らんと〔望み〕、家にありては主となり、他族の閒には供養を〔得んと望む〕。
74
「在家出家共に、我之を爲せりと思へかし、總て爲すべき事、爲すべからざる事に於いて、皆我が命を受けよかし」、これ愚者の心にして欲と慢とは〔ために〕增長す。
75
一は利養に導くものにして、一は涅槃に引き行くものなり、佛弟子たる比丘は、此の意を證りて恭敬を喜ばず、遠離のために修習せよ。
(1) 由旬とは里程の名、四哩より十八哩に至り、諸說一定せず。 (2) 一筒月每に、茅草の端にかゝるほど少量の食を取るとも、其の功德は善く法を行ふ人の功德の十六分の一にも當らず。
賢哲品第六
76
〔身の〕過を指し、失を責むる智者、斯る賢者を見ば、〔寶の〕在所を吿ぐる人の如くに事へよ、斯る人に事ふるものには是ありて、非あることなし。
77
誡めよ、敎へよ、不相應の事より遠ざからしめよ、彼善人には愛せられ、惡人には憎まれん。
78
惡友と交るなかれ、卑劣の輩と交るなかれ、善友と交り、尊貴の士と交れ。
79
法を喜ぶものは澄みたる心を以て快く臥す、賢者は常に聖者の說ける法を樂む。
80
渠工は水を導き、箭匠は箭を矯む、木工は材を曲げ、賢者は己を調ふ。
81
一塊の磐石の、風に動かされざるが如く、賢者は毀訾と稱譽とに動かさるることなし。
82
底深き池水の、澄みて、濁なきが如く、賢者は法を聞きて心を澄ましむ。
83
善人は一切處に〔欲を〕棄て、良士は(1)欲を求むるが爲に語らず、樂に觸れ、將又苦に〔觸れても〕、賢者は(2)變れる相を現すことなし。
84
自の爲にも他の爲にも〔惡を行はず〕、兒をも財をも國をも、之を求むることなく、非道によりて、己の利達を求むることなし、これぞ德者・智者・義者なる。
85
人閒の中にて、(3)彼岸に到るものは少く、其の他のものは岸邊にありて奔馳す。
86
善く說かれたる法に隨順する輩は、越え難き魔の領土を〔越えて〕彼の岸に到らん。
87 88
賢者は黑法を棄てて、白〔法〕を修すべし、家より〔離れて〕、家なき身となり、樂を得難き遠離の所に於て、此處に賢者は諸欲を棄てて、我有なき身なり、妙樂を求め、諸の心穢より、己を淨くすべし。
89
(4)正覺分に於て、善く心を修習し、執することなくして、著を棄つるを樂む、此の光輝ある(5)漏盡者は、世に靜穩を得たるなり。
(1) 諸欲を求め、諸欲の爲に閑語を交ふることなし。 (2) 浮みたる顏、沈みたる顏をなすことなし。 (3) 彼岸とは涅槃を云ひ、此岸とは生死を云ふ。次偈の彼岸の意も同じ。 (4) 所謂七菩提分法なり。 (5) 漏盡者とは煩惱を盡したる人の意にて阿羅漢を云ふ。
阿羅漢品第七
90
道を踏み終へ、一切處に離憂・得脫せるもの、總ゆる纒結を斷じたるものには執惱あることなし。
91
〔正〕念ある人は精勤し、彼等は王家を貪樂することなし、〔鵞王〕の池沼を棄つるが如く、彼等亦各各其の家を棄つ。
92
〔財物〕を蓄積することなく、知覺して食を受け、其の行處は空にして、相なく、而して解脫あり、空行く鳥の〔道の〕如く、斯る人の道を測ることは難し。
93
其の煩惱や悉く盡き、食に於て著あることなし、其の行處は空にして、相なく、而して解脫あり、空行く鳥の〔跡の〕如く、斯る人の跡を測ることは難し。
94
諸根の寂靜に歸せること、御士に善く馴らされたる馬の如く、慢を棄て、煩惱を盡したる、斯る人は諸天も羨む所なり。
95
怒らざること大地に等しく、よく禁戒を守りて門閾に譬ふべく、泥土なき池の水の如し、斯る人には輪廻あるなし。
96
其の意は寂靜なり、其の語其の業、亦寂靜なり、善く證りて解脫を得、安息を得たる此の人の。
97
妄信なく、無爲〔の法〕を覺り、且つ縛を破れる人、業緣を絕ち、欲を棄てたる、これぞ誠に上上の人なる。
98
聚落にても、森林にても、海にても、陸にても、聖者の止まる處、其處ぞ樂しき〔處なる〕。
99
森居は樂むべし、之は衆人の樂まざる處、離貪の人は之を樂む、彼等は諸欲を求めざるなり。
千千品第八
100
意義なき文句の語は、〔其の數〕一千なりとも、人の聞いて寂を得べき有義の一語は之より勝る。
101
意義なき文句の偈は、〔其の數〕一千なりとも、人の聞いて寂を得べき一偈句は之より勝る。
102
意義なき文句の偈一百〔章〕を誦せんよりは、人の聞いて寂を得べき一法句〔を誦する〕ぞ勝れる。
103
戰場に於て千千の敵に克つものよりは、獨り己に克つもの、彼こそ最上の戰勝者なれ。
104 105
己に克てるは、總て他の人人に克てるに勝る、天も乾闥婆も、魔王も、並に梵天も、此の常に己を御し自ら制する人の勝利を轉じて、敗亡となすこと能はず。
106
人若し月に月に、千金を〔棄てて〕、犧を供すること百年、而して又一人の己を修めたるものを供養すること頃刻ならば、此の供養こそ、彼の百年の焚祀に勝りたれ。
107
人若し林閒にありて、火神に奉事すること百年、而して一人の身を修めたるものを供養すること頃刻ならば、此の供養こそ、彼の百年の焚祀に勝りたれ。
108
供犧や、焚祀や、此の世に福報を望めるもの、終歲之を行ふとも、總て其の〔功德〕直行の人を敬禮するの四分の一にだも當らず。
109
敬禮を以て習となし、常に上位を尊重せる人には、四種の法增長す壽と色と樂と力と。
110
人若し生くること百年ならんとも、汙戒にして定なくんば、戒を具し、禪思あるものの、一日生くるに如かず。
111
人若し生くること百年ならんとも、劣慧にして定なくんば、慧を具し、禪思あるものの、一日生くるに如かず。
112
人若し生くること百年ならんとも、怠惰にして精勤足らずんば、堅き精勤あるものの、一日生くるに如かず。
113
人若し生くること百年ならんとも、(1)起滅を見ずんば起滅を見る人の一日生くるに如かず。
114
人若し生くること百年ならんとも、不滅の道を見ずんば、不滅の道を見る人の一日生くるに如かず。
115
人若し生くること百年ならんとも、無上の法を見ずんば、無上の法を見る人の一日生くるに如かず。
(1) 事物の生起滅盡、卽ち生滅を云ふ。
惡業品第九
116
善業には急ぎて赴き、惡業よりは心を防げ、福業をなすに懶きものは、其の心惡業に樂む。
117
人假令惡業を爲すとも、再再之を爲すなかれ、作惡の欲は起さざれ、惡を積むは苦なり。
118
人若し善業を爲さば、再再之を爲せ、作善の欲を起せ、善を積むは樂なり。
119
惡人も、其の惡の未だ熟せざる閒は、福を見る、惡の熟するに至るや、惡人は禍を見る。
120
善人も、其の善の未だ熟せざる閒は、禍を見る、善の熟するに至るや、善人は福を見る。
121
「惡は我に近づくこと無かるべし」とて、之を輕視することなかれ、滴滴水の落ちて、水甁に滿つるが如く、愚者は少少づつ惡を積みて、惡に滿つるに至る。
122
「善は我に近づくこと無かるべし」とて、之を輕視することなかれ、滴滴水の落ちて、水甁に滿つるが如く、賢者は少少づつ善を積みて、善に滿つるに至る。
123
貨財多く、從伴少き商估の危き路を〔避け〕、壽を望むものの、毒物を〔避くる〕が如く、惡を避けよ。
124
手に瘡傷なくば、手を以て毒をも取ることを得、毒は瘡傷なきものには伴はず。爲さざるものには惡なし。
125
人若し害心なき人、淸淨にして執着なき人に忤はば、禍の此の愚者に還り來ること、逆風に投じたる細塵の如し。
126
或は人胎に宿るあり、罪あるものは地獄に墮つ、善行の人は天に生れ、煩惱なき人は涅槃に至る。
127
空にありても、海の中にありても、將た山閒の窟に入りても、世に罪業より脫るべき、方所とてはあるなし。
128
空にありても、海の中にありても、將た山閒の窟に入りても、世に死の勝たざる方所とてはあるなし。
刀杖品第十
129
總て〔有情〕は刀杖を怖れ、總て死を懼る、己を喩として、〔他を〕毆つことなかれ、害ふことなかれ。
130
總て〔有情〕は刀杖を怖れ、生は總てのものの愛する所、己を喩として〔他を〕毆つことなかれ、害ふことなかれ。
131
樂を求むる有情を、刀杖を以て害ふものは、己の樂を求めても、後世に之を得ることなけん。
132
樂を求むる有情を、刀杖を以て害はざるものは、己の樂を求めて、後世に之を得ん。
133
何人にも麤語を用ふることなかれ、受けては〔彼〕亦汝に返さん、憤怒の語は苦なり、返杖は汝〔の身〕に觸れん。
134
汝若し默して語らざること、破れたる鐘の如くならば、これ涅槃に達せるなり、汝に憤怒ある
なし。
135
牧牛士の杖を以て〔制し〕、牛を牧場に驅るが如く、等しく老と死とは有情の壽命を驅る。
136
愚者は罪業を犯して覺らず、無智の輩は己の業に惱まさるること、猶ほ火に燒かるるが如し。
137
暴意なく害心なきものの中にありて、暴を加ふるものは、疾く十處中の一に陷る。
138
酷痛、損失、形體毀傷、重症に逢ひ、又た心散亂に至る。
139
王禍に逢ひ、嚴しき誣吿を蒙り、親族滅び、家財喪亡す。
140
或は又火の彼の家を燒くことあり、形體壞れて後無智なる彼は(1)泥犁に陷る。
141
裸行も、結鬘も、泥も、斷食も、又た露地臥も塵垢を身に塗ることも、不動坐も、未離惑の有情を淸うすることなし。
142
身を嚴飾せりとも、平等に行ひ、寂靜、調順、自制あり、梵行を行ひ、一切生類に對して(2)害意を抱かずば、彼は婆羅門、彼は沙門、彼は比丘なり。
143
慚恥によりて制せられて、〔他の〕批難を意とせざること、良馬の鞭を〔意とせざる〕が如くなるもの、〔斯の如きもの〕誰か此の世にありや。
144
鞭にて打たれたる良馬の如く、汝等も亦專心・銳意なれ、信心・持戒・精勤・禪定・正決斷によりて、汝等は明と行とを具し、正念を有し、此の大いなる苦惱に勝たん。
145
(3)渠工は水を導き、箭匠は箭を矯む、木工は材を曲げ、賢者は己を調ふ。
(1) 地獄を云ふ。 (2) 原意は刀杖を措く。 (3) 第八〇偈に同じ。
老衰品第十一
146
〔世は〕常に〔慾火に〕燒かるるに、何の笑ぞ、何の歡喜ぞ、〔汝等は〕黑闇に覆はるるに、何故に〔智〕火を求めざる。
147
飾れる〔此の〕形體を見よ、合會して成れる腐壞物の塊、衆病を擁し、種種に測量し、堅實なく、安住なきなり。
148
此の形色や老朽し、衆病の樓所たり、壞るべきものなり、臭穢の身は損すべく、命は死に終る。
149
秋の日に棄てられたる葫蘆の如き、此等灰白の骨行を見て、何の喜樂ぞ。
150
骨行の都市を建て、肉と血とに塗れり、此處に老と、死と、慢と、覆とを藏す。
151
能く飾りたる王車も古び、身體も亦た老に至る、賢人の法は老ゆることなし、賢人は、賢人に法を傅ふるなり。
152
此の寡聞の人は犢牛の如く老ゆ、彼の肉身は增せども、彼の智慧は加はるることなし。
153 154
(1)屋舍の工人を求めて、之を看出さず、多生輪廻界を奔馳して、轉た苦の生死を經たり。
屋工、汝今看出さる、再び家を構ふることあらじ、汝の桷材は總て破られ、棟梁は毀たる、滅に至れる心は諸愛の滅盡に達せり。
155
壯時、梵行を修せず、財寶を得ずして、魚の棲まざる池の中なる老鴻の如くに亡ぶ。
156
壯時、梵行を修せず、財寶を得ずして、朽ちたる弓の如く、過去を託ちて臥せり。
(1) 渴愛を指す、是れ渴愛は生死輪廻の因なるが故なり、此の一五三、一五四の兩偈は佛大覺の後、初めて唱へられしものなりと傅ふ。
自己品第十二
157
己を愛すべしと知らば、善く之を保護せよ、〔人生〕三期の一に於て、賢者は宜しく醒悟すべきなり。
158
己を先づ正しき位に立て、而して他を敎へなば、賢者は勞する所あらじ。
159
己を處すること、他を敎ふるが如くならば、能く己を制して、他を制するを得ん、そは己は制し難きが故なり。
160
己こそ己の依所なれ、他何物か依所たるあらん、能く己を制する時は、得難き依所を得べし。
161
自ら作りたる罪業は、己に生じ、己に出たるもの、其が愚人を損ふこと、金剛石の摩尼を〔鑽る〕が如し。
162
汙戒甚しき人は其の身を處して、敵者の望むが如くすること、蔓草の其の覆へる樹に於けるが如し。
163
不善にして、己に不利なる事は爲し易く、事の利ありて善なる、之は極めて爲し難し。
164
應供者・聖者・道によりて活くる人の敎を、邪惡の見に據りて謗る人は、(1)葦草の果の、己を滅すために實るが如し。
165
自ら惡を作せば自ら穢れ、自ら惡を作さざれば自ら淸し、淨と不淨と共に己にあり、自ら他を淸くすること能はず。
166
他人の務は大なりとも、爲に己の務を忘るることなかれ、己の務を辨して後、己の務に專心なるべし。
(1) 葦は花を著け實を結べば自ら死するなり。
世閒品第十三
167
卑き法を奉ぜざれ、放逸の徒と共に棲まざれ、邪見に隨はざれ、世事を增長せしめざれ。
168
起て、放逸なるなかれ、善行の法を修せよ、隨法行の人は樂く臥す、今世にも來世にも。
169
善行の法を修して、惡行〔の法〕を修せざれ、隨法行の人は樂く臥す、今世にも來世にも。
170
泡沫の如くに見よ、陽炎の如くに見よ、斯の如く世界を觀るものは、死王之を見ること能はず。
171
飾ありて、王車に似たる此の世界を來り見よ、愚者は之に迷へども、智者は之に著することなし。
172
先に怠りて、後に怠らざるもの、彼此の世界を照すこと、雲を離れたる月の如し。
173
人の作したる惡業、後、善の爲めに覆はるれば、此の人、世を照すこと、雲を離れたる月の如し。
174
此の世界は、暗黑にして、觀察〔の力〕あるものは、少し、網を離れたる鳥の如くに、天に昇るものは少し。
175
鴻雁は日の道を行き、神力あるものは空を行く、賢者は、魔王と其の眷屬とを倂せ破りて、世を離脫するなり。
176
唯一の法を超え、妄語を吐く人、來世を等閑に思へるものは、罪として犯さざるなし。
177
慈念なき輩は天界に入らず、愚人は施與を稱揚することなし、賢者は施與を隨喜し、之によりて彼は來世に於て安樂なり。
178
世界を一王の國土となし、或は天界に赴き、有ゆる世界に主となる、預流果は此の何れにも勝る。
佛陀品第十四
179
勝ちたるものは再び之を勝つこと能はず、其の勝利には此の世の何人も之に入ること能はず、(1)斯く行履限りなく、跡なき佛を如何なる道によりてか導かんとする。
180
其の網、其の欲、其の愛、何處にも之を尋ぬべきなし、斯く行履限りなく、跡なき佛を、如何なる
道によりてか導かんとする。
181
勇者の禪思に專にして、出離・寂靜を喜ぶ、斯の如き正覺・〔正〕念の人は諸天も羡む所なり。
182
人身を得るは難く、有情の生存は難し、妙法を聞くは難く、諸佛の出世は難し。
183
(2)一切の惡事を作さず、善事に近づき、己の意を淸淨にする、是れ諸佛の敎なり。
184
忍辱・堪忍は最上の修行、涅槃は最勝なりと、諸佛は宣ふ、是れ人を害ふものは出家にあらず、他を惱すものは沙門にあらざるが故なり。
185
罵らず、害はず、婆羅提木叉に於て防護し、食に於て量を知り、閑處に坐臥し、增上心に住する、是れ諸佛の敎なり。
186
金貨を雨すとも、諸欲に飽くこと能はず、諸欲は少味にして苦なりと、之を知るは賢者なり。
187
天の諸欲に對しても、尙ほ欲念を起さず、覺王の弟子は諸愛を盡すを樂む。
188
人人恐怖の念に迫られて、山林園樹制多に歸依するもの多し。
189
されど之は安隱の依所にあらず、無上の依所にあらず、この依所に歸依して、一切の苦より脫るることなし。
190
佛と、法と、僧とに歸依するもの、彼は勝智を以て、四種の聖諦を見る。
191
苦と、苦の起因と、苦の度脫と、苦の滅盡に達する賢聖八種道と、
192
是れ安隱の依所、是れ無上の依所なり、此の依所に歸依して、一切苦より脫るべし。
193
尊貴の人は得難し、彼は各處に生ぜず、此の勇者の生ずる處、慶福其の族に至る。
194
諸佛の出世は樂しく、妙法を說くは樂し、僧衆の和合は樂しく、和合するものの修行は樂し。
195 196
あらゆる迷妄に勝ち、憂と苦とを超えて、應供の德ある佛又は〔佛〕弟子を供養するもの、斯の如き得寂・離怖の人を供養するものの功德は、何人も之を算ふべからず。
(1) 知覺の對境限りなきの意にて無限の境界を知覺し得るの意。 (2) 七佛通誠の偈として知らるる有名なる偈なり。 (3) 比丘比丘尼の大戒を指す。 (4) 苦集滅道の四諦なり。
安樂品第十五
197
安樂に住せん、怨念ある人人のうちにありて、怨念なく、怨念ある輩の中に、怨念なくして、安樂に住せん。
198
安樂に住せん、煩惱ある人人の中にありて、煩惱なく、煩惱ある輩のうちに、煩惱なくして安樂に住せん。
199
安樂に住せん、欲念ある人人の中にて欲念なく、欲念ある輩の中に、欲念なくして安樂に住せん。
200
安樂に住せん、此の我等には我有あることなし、光音天人の如く、喜悅を食とせん。
201
勝ちては怨を得、負けては起居苦なり。心靜なるものは勝負共に擲ちて、起居安樂なり。
202
貪の如き火あるなく、瞋の如き罪あるなし、(1)蘊集の如き苦あるなく、寂滅に勝れる樂あるなし。
203
飢餓は最大の病、諸蘊は最極の苦なり、之を實の如くに知れば、最勝の安樂・涅槃〔を得〕。
204
無病は最上の利、知足は最上の財なり、信賴は最上の親族にして、涅槃は最勝の安樂なり。
205
獨處の妙味と寂靜の妙味とを味ひ、法悅の妙味を吸うて怖畏もなく、又惡もなし。
206
聖者を見るは好く、同じく棲むは常に樂なり、愚者を見ざれば常に快からん。
207
愚人と共に道行くものには長き憂あり、愚者と共に住するの苦なるは、敵と〔同じく住するの〕常に〔苦なる〕が如し、賢者は同住して樂しきものにして、猶ほ親緣と合會するの樂しきが如し。
208
されば賢者と、智者と、多聞の士と、重擔を負ひ、禁戒ある聖者、斯の如きの善士、上智の人に〔よること〕、月の星道によるが如くせよ。
(1) 五蘊の合會して成れる此の身體を云ふ。次偈に諸蘊と云へるも同じ。
愛樂品第十六
209
非處に就きて是處に就かず、利を棄てて、愛樂を取るものは、是處に就きたる人を羨むに至る。
210
愛せるものと會ふこと勿れ、惡めるものと〔會ふこと〕勿れ、愛せるものを見ざるは苦、惡めるものを見るも亦〔苦なり〕。
211
されば何物をも好愛する勿れ、愛者と別るるは禍なり、人に愛憎なければ纏結あることなし。
212
愛好より憂悲生じ、愛好より怖畏生ず、愛好より脫れたるものには、憂悲なし、焉んぞ怖畏あらん。
213
親愛より憂悲生じ、親愛より怖畏生ず、親愛より脫れたるものには、憂悲なし、焉んぞ怖畏あらん。
214
喜樂より憂悲生じ、喜樂より怖畏生ず、喜樂より脫れたるものには、憂悲なし、焉んぞ怖畏あらん。
215
貪欲より憂悲生じ、貪欲より怖畏生ず、貪欲より脫れたるものには、憂悲なし、焉んぞ怖畏あらん。
216
渴愛より憂悲生じ、渴愛より怖畏生ず、渴愛より脫れたるものには、憂悲なし、焉んぞ怖畏あらん。
217
淨戒と正見とを具し、法に依立し、正理を知り、自ら己の業を作すもの、世は斯の如き人を愛す。
218
(1)不言說の法に於て念を起し、其の心に滿足し、諸欲に於て著心なきは上流の人と稱せらる。
219
久しく異境にあり、遠くより健に歸れるを、親知朋友愛人は彼の來るを迎ふ。
220
同じく、善業を作して此の世より彼の世に赴けるを、福果は之を迎ふ、愛するものの來るを親知の迎ふるが如くに。
(1) 不言說の法とは言詮不及の法の意にて、涅槃を指す。
忿怒品第十七
221
忿を棄て、慢を離れ、諸の纏結を超えよ、斯く名色に執せず、我有なき人には苦來ることなし。
222
發れる忿怒を制すること、轉る車を制するが如くするもの、此の人をぞ我は調御者と云ふ、他は唯手網を執るものなり。
223
怒は愛を以て克ち、不善は善を以て克つべし、吝嗇の徒には仁惠を以て、虛言の人には、實語を以て克つべし。
224
實を語れ、怒る勿れ、些にても求められなば與へよ、此の三事によりて諸天の所に到れ。
225
害意なき牟尼は常に身を攝して、(1)不死の所に到る。彼處に到りては憂ふることなし。
226
常に覺窹し、晝夜に勤學し、涅槃を得んと努むるものの煩惱は滅びん。
227
(2)阿偷羅、之は古くして、今出來れるものに等しからず、曰く「人は默して坐せるものを謗り、多く語るものを謗り、少く言ふものをも亦謗る、世に謗を受けざるものなし。
228
常に唯謗られ、常に唯讚めらるるもの、過去にあらざりき、未來になけん、而して今もあらず。
229 230
多智の人若し、行失なく、賢にして、智德〔具はり〕、定意あるものを、日日絕えず稱揚することあらば、閻浮提金の貨幣の如く、誰か此の人を謗り得んや、諸天も之を讃め、梵天も之を讃めん。」
231
身惡業を防護し、身を能く制せよ、身非業を棄てて、身に善業を修せよ。
232
口惡業を防護し、口を能く制せよ、口非業を棄てて、口に善業を修せよ。
233
意惡業を防護し、意を能く制せよ、意非業を棄てて、意に善業を修せよ。
234
賢者の身を能く攝し、更に口を愼み、意を制せる賢者は、これ能く防護せる人なり。
(1) 涅槃の意。 (2) 優婆塞の名なり、以下四偈は佛の此の優婆塞を敎へ給ひし時の偈なり。
垢穢品第十八
235
汝、今、黃める木の葉の如く、閻魔の使者亦汝の傍に立つ、門出の門に立ち、路資汝の身にあるなし、
236
此の汝、己の燈となり、疾く精勤して智者となれ、〔さらば〕垢穢を拂ひ、愛著を離れて、天上の聖地に到らん。
237
汝、今、年老い、閻魔の傍に來れり、汝に途上休息の所なく、路資亦あるなし。
238
此の汝、己の燈となり、疾く精勤して智者となれ、〔さらば〕垢穢を拂ひ、愛著を離れて、再び老死に入ることあらじ。
239
智者は〔銀〕工の銀〔垢を去る〕が如く、次を逐ひ、刹那刹那に、些づつ、己の垢穢を去れ。
240
鐵より生じたる垢の、鐵より出でて鐵を食むが如く、分外の受用を望むものは、其の業のために惡趣に導かる。
241
咒神の垢穢は讀誦せざるなり、家屋の垢穢は修理を怠るなり、色の垢穢は怠慢にして、防護の垢穢は放逸なり。
242
婦女の垢は非行にして、施者の垢は慳貪なり、(1)垢は邪惡の法なり、此の世にも彼の世にも。
243
之よりも更に穢多き垢あり、無明は最大の垢なり、此の垢を棄てて、諸比丘、無垢の人となれ。
244
慚恥の念なく、烏の如くに勇に、傲慢に、無禮に、自負心强く、汚れたるものには生は易し。
245
慚恥の念あり、常に淸白を求め、著なく、自負心なく、淸淨の生を營むものには〔生は〕難し。
246 247
生きたるを害ひ、妄語を語り、此の世に於て人の與へざるを取り、他人の婦と交り、加之、飮酒に耽る人、彼は此の世に於て己の脚下を掘る。
248
汝、斯の如くして節制なきことは、邪法なることを知れ、貪望と非法と、長く汝を苦に陷るなからんことを。
249
人は其の信仰に隨ひ、其の好む所に施をなす、人若し他の與ふる飮食に對して不滿を抱くことあらば、彼は晝夜に定を得ることなし。
250
斯る思を斷ち、根絕やし、盡せるもの、彼こそは晝夜に定を得べけれ。
251
火は貪の如きはなく、執著は瞋の如きはなし、網は癡の如きはなく、流は愛の如きはなし。
252
他人の過は見易く、己の過は見難し、他人の過は〔之を簸くこと〕糠を簸くが如くし、而も己の〔過を〕覆ふことは、詐ある賭者の骰子を隱すが如くす。
253
他の過を索め、常に憤恚の心を抱くものは、其の(3)漏益益增し、漏盡には遠して遠し。
254
空中には路なく、沙門は〔佛法の〕他には之あらず、羣生は虛榮を樂み、如來には虛榮なし。
255
空中には路なく、沙門は〔佛法の〕他には之あらず、諸行は常住なるなく、諸佛には動著あるなし。
(1) 或は邪惡の法は垢なり。 (2) 九偈の註を見よ。 (3) 漏盡とは煩惱を盡すことにて、阿羅漢果に達するを云ふ、斯の如き人は煩惱を盡して阿羅漢果を得ること能はず。
法住品第十九
256
人の暴を以て事を決する、彼之によりて法住の人たるにあらず、正も邪も共に能く決するものは賢者なり。
257
暴ならず、法により、平等に他を導き、法に護らるる智者、〔彼ぞ〕法住の人と稱へらる。
258
〔人の〕多くを語る、〔彼〕之によりて賢者たるにあらず、堪忍あり、怒なく、恐なき〔もの、彼ぞ〕賢者と稱へらる。
259
〔人の〕多くを語るも未だ持法者たるにあらず、法を聞くこと尠しと雖も、身にて之を(1)見、法を等閑にすることなくば、彼こそ法の護持者なれ。
260
〔人の〕頭の白き、〔彼は〕之によりて長老たるにあらず、斯の如きは、壽熟して、空しく老いたる人と稱へらる。
261
人に諦と・法と・愛と・自約と、自調とあり、此の垢穢を除きたる此の賢者こそは長老と稱へらるれ。
262
唯言語ありとも、又美しき形色ありとも、嫉、慳、誑心あらば、人は善貌のものにあらず。
263
此の惡を斷ち、根絕し盡して、此の瞋恚を除きたる智者こそは善貌の人と稱へらるれ。
264
自制なくして、妄語を語らば、髮を剃るとも沙門にあらず。〔人若し〕欲貪あらば、奈何でか沙門たり得べき。
265
人若し總て大小の惡を制せば、〔彼は〕諸惡を制せるによりて、沙門と名けらる。
266
(2)他に〔食を〕乞ふが故に比丘たるにあらず、一切の法を學ぶも尙ほ未だ比丘にあらず。
267
罪業福業共に捨てて、淸淨行の人たり、智慧を以て世界を渡るもの、彼ぞ比丘と稱せらる。
268 269
寂默なりとも、愚にして智なくば牟尼にあらず、(3)權衡を取るが如く、(4)勝法を取り、邪業を捨つる牟尼は、彼之によりて牟尼なり、人若し世の(5)兩事共に知らば、彼之によりて牟尼と稱へらる。
270
生命を害ふが故に(6)聖なるにあらず、一切生類を害はざるが故に聖者と名けらる。
271 272
(7)戒禁によりても、又(8)多聞によりても、又は得定、獨臥によりても、聖者の享べき出離の樂に觸るることなし、比丘、漏盡に達するなくして自恃すること勿れ。
(1) 僅にても聞きては、法に隨ひ、義に隨ひ、大法小法の依行者となり、身に苦等を知りて、四聖諦を見ると解せり。 (2) 比丘には種々の義あれど、中に乞人、乞士等と譯し、他に食を乞ふものゝ義ありとなす。 (3) 權ははかり、衡はおもりなり、權衡を取りて物を量らんとするものは、多きに過ぐれば取去り、少ければ更に加ふ、惡を棄てて善を取るも亦斯の如し。 (4) 勝法とは戒定慧解脫解脫智見を云ふ、此の蘊等の世界に於て、衡を擧げて度るが如く、此等は內蘊なり、此等は外蘊なり等、斯の如の法により、兩義共に量るを云ふ。 (5) 內外上下等の別を知るの意。 (6) 聖者の原語、Ariya の aria には「敵」の意あり、故に生命を害ふ云云と云ふ。 (7) 四作淨戒又は十三頭陀行を行ふを云ふ。 (8) 三藏學を習するを云ふ。
道品第二十
273
(1)八道は道の最妙、(2)四句は諦理の最上、離欲は法の最勝にして、(3)具眼者は兩足中の最尊なり。
274
知見を淨くするの道は此〔の道に〕外ならず、汝等是の道を踏め、是れ魔を困惑するものなり。
275
汝等此の道を往けば、苦盡に達す、我は(4)除箭の〔法〕を知りて、汝等のために道を說きたり。
276
汝等のなすべきは努力なり、如來は說者なり、禪思の人にして〔此の道を〕往くものは魔の縛を脫る。
277
「一切行は無常なり」と、智を以て斯の如く知る時、苦界嫌厭の情起る、是れ(5)淨に入るの道なり。
278
「一切行は苦なり」と、智を以て斯の如く知る時、苦界嫌厭の情起る、是れ淨に入るの道なり。
279
「一切法は無我なり」と、智を以て斯の如く知る時、苦界嫌厭の情起る、是れ淨に入るの道なり。
280
起つべき時に起たず、若く、强くして、怠惰に陷り、意志思想弱くして事に懶きもの、斯る逸者は智の道を得ず。
281
語を愼しみ、意を能く制し、身に不善を作さず、此等の三を業道より淨除せば、諸大仙の說き給へる道を得ん。
282
應念より智慧生じ、不應念なれば智慧滅ぶ、此の有と非有と、二種の道を知りて、智慧の增すが如く、然く己を處せよ。
283
(6)〔煩惱の〕林を伐れ、單り樹を〔伐る〕勿れ、林よりは危難來る、林と下生とを伐らば、比丘等、煩惱の林なき人とならん。
284
男子の女子に對する煩惱、些にても斷たれざる所あらば、彼の心は尙ほ囚はる、乳を貪る犢の母牛に於けるが如くに。
285
自己の愛念を斷つこと、牛を以て秋時の蓮を〔折る〕が如くし、善逝の說き給ひし(7)寂靜の道、涅槃を增長せよ。
286
「此處に雨時を過さん、寒暑の閒、此處に〔住せん〕」と、愚人は斯く思惟して死の近くことを覺らず。
287
兒や畜の愛に溺れ、樂に耽るものを、死王の拉し去ること、眠れる村里を大水の漂はし去るが如し。
288
兒も、父も、親族も恃怙にあらず、死王に囚へられたるものには親族も恃怙たらず。
289
戒によりて自ら制せる賢者は、此の意を知りて、涅槃に赴く道を疾く疾く淸くせよ。
(1) 八正道を云ふ。 (2) 四聖諦の謂なり。 (3) 佛を云ふ。 (4) 欲等の箭を除くの法。 (5) 淨とは涅槃の謂なり。以下三偈皆同一の意に見よ。 (6) 天然の林間に猛獸毒蛇等の危險あるが如く、貪瞋癡煩惱の林にも種種の危難あり、由りて煩惱を林に譬へたるなり、或は Vana (林) Vanatha (下生)には共に又煩惱、欲等の意あり、三四四偈參照。 (7) 或は、寂靜の道を增長せよ、涅槃は善逝の說き給ひし所なり。
廣衍品第二十一
小樂を棄てて、大樂を見るべくば、賢者は大樂を觀て小樂を捨つべし。
291
他に苦を與へて、己の樂を望むものは、怨憎の擊縛に絆されて、怨憎より脫るることなし。
292
爲すべきことを爲さず、爲すべからざることを爲し、虛誇にして〔而も〕怠惰なるもの、斯る人の諸漏は增長す。
293
人常に精進して、身觀念を修し、非事に遠かりて、常に是事を行ひ、而して念と覺とあり、斯る人の諸漏は滅盡に至る。
294
(1)母と父とを殺し、兩刹利王を殺し、國土も、其の依屬も倂せ滅して、婆羅門は苦患なきに至る。
295
母と父とを殺し、(2)兩婆羅門を殺し、第五に虎類を滅して婆羅門は苦なきに至る。
296
(3)瞿曇の弟子は常に覺醒せり、彼等の晝夜常に念ずる所は佛にあり。
297
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、彼等の晝夜常に念ずる所は法にあり。
298
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、彼等の晝夜常に念ずる所は僧にあり。
299
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、其の心晝夜常に身念に住して。
300
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、其の心晝夜常に不害を樂みて。
301
瞿曇の弟子は常に覺醒せり、其の心晝夜常に修習を樂みて。
302
出家は難く、〔世を〕樂むは難く、庵〔住〕は難、在家〔住〕は難く、同輩と棲むは難く、旅人は難に陷る、されば旅人たるなく、難に陷るなかれ。
303
信ありて戒德を具有し、名と富とを有てるものは、其の選ぶ所に隨ひ、隨所に恭敬せらる。
304
善人は遠く現はるること、雪山の如く、不善者は世に顯はるることなき、猶ほ夜陰に投ぜる箭の如し。
305
獨坐・獨臥・獨經行して倦むことなく、獨り己を制して林邊に樂しむものたれ。
(1) 「愛は人を生む」と云ふ句よりして愛を母と云ひ、「我は某なる王の子、某なる大臣の子なり」と云ひ、父によりて我慢の心起る,よりて我慢を父と云ふ、兩刹利王とは斷見常見の二、國土とは十二處、而して依屬とは十二處附隨の諸煩惱を云ふ。 (2) 兩婆羅門王とは斷常の二見、虎類とは此處にては疑藎を指すと註解書に釋せり。 (3) 瞿曇又は喬答摩は釋迦族の姓なるが故に、釋尊を時には瞿曇佛と呼びたり。
泥犂品第二十二
306
(1)非事を語るものは泥犂に入る、爲して爲さずと云ふものも亦、此等兩者の死後は同じ、劣業の人、來世に〔ありては同じ〕。
307
邪業にして、自制心なく、首に黃衣を纏へる衆多の人、此等邪業の人は邪業の爲に泥犂に墮つ。
308
戒を破り、自制心なくして(2)信施を受くるよりは、熱して火熖に似たる鐵丸を嚥むぞ勝れる。
309
人の怠惰にして、他の婦を娛むるものには、四事來る、不善業を得て、安臥を得ず、第三に毀訾、第四に泥犂。
310
不善業を得、其の趣く所は惡趣、恐れ恐れたるものの樂は尠く、王は之に重罰を加ふ、されば人、他の婦を娛まざれ。
311
(3)功祚草の葉は、之を攫むこと惡しければ、手を切る、沙門の道も、之を行うて宜しからざれば、泥犂に導く。
312
放逸なる行爲、汚れたる禁戒、猶豫して梵行を行ふ、之は共に大果を齎すものにあらず。
313
若し事を爲すべくばこれを爲し、斷斷乎として奮迅せよ、そは放逸なる沙門道は塵垢を散ずること多ければなり。
314
惡業は作さざるぞ好き、惡業は後に至りて、苦を招く、作して苦を招くことなき善業は、これを作すぞ好き。
315
邊地の都府を內外共に護るが如く、然く己を護りて瞬時も逸すること勿れ、瞬時を忽にするものは地獄に墮ちて憂ひ悲む。
316
恥づべからざるに恥ぢ、恥づべきに恥ぢず、邪見に著せる衆生は惡趣に趣く。
317
恐なき所に恐を見、恐るべき所に恐を見ず、邪見に著せる衆生は惡趣に入る。
318
過なきに過の念を爲し、過あるに過を見ず、邪見に著せる衆生は惡趣に到る。
319
過を過と見、過なきを過なしと見、正見を抱ける衆生は善趣に生る。
(1) 諸經要集六六三偈。 (2) 國民の信仰によりて施す供養物。 (3) 茅に似たる草の一種。
象品第二十三
320
われは戰場に赴ける象の、弓を離れたる箭を〔忍ぶ〕が如く、罵詈を忍ぶ、是れ羣生は、破戒の徒なればなり。
321
〔人は〕調けたるを戰場に引き行き、王は馴れたるに騎る、人の中にて、自制心あり、罵詈を忍ぶは最第一なり。
322
騾の馴れたるは善く、氣高き(1)辛頭馬は善し、大龍象王は善く、己を制せるものは更に善し。
323
此等の乘物に〔騎り〕ては、〔人は〕(2)不至の地に到ることなし、己を制せるものは、自制によりて、〔其の處に〕達すること、猶ほ馴れたるに〔騎りて行くが如し〕。
324
護穀と名くる象の、烈しく狂ひて、禁制し難きも、縛せられては食を食ふことなし、象は象〔の棲む〕林を愛慕す。
325
懶惰にして飽食長眠、轉輾して臥する愚者は、供食を以て飼はるる大豕の如く、數數胞胎に入る。
326
(3)此の心曾て、望により、欲に隨ひ、樂に任せて流轉したり、我今日能く之を制すること、象師の猛象を〔制する〕が如くせん。
327
精勤を樂とせよ、己の心を防護せよ、難處より身を拔くこと、泥中に陷れる象の如くせよ。
328
若し思慮ある、善行の賢者を、同行の友に得ば、一切の危難に克ち、歡喜思惟して、彼と共に行へ。
329
若し思慮ある、善行の賢者を、同行の友に得ずば、王の克ち取りたる國を棄つるが如く、摩登伽林中の象の如く、唯獨り行へ。
330
獨り棲むこそ好けれ、愚者と伴たるはなし、獨り行うて惡事を作す勿れ、寡欲なること摩登伽林中の象の如くなれ。
331
事起れば友樂を得、滿足は何處より來るも樂し、命終にも善行は樂しく、一切の苦を棄つるは樂し。
332
世に母たるは樂しく、世に父たるは樂し、世に沙門たるは樂しく、世に婆羅門たるは樂し。
333
老後に到るまで、戒を持つは樂、正信を樹つるは樂、智慧を得るは樂しく、惡を作さざるは樂し。
(1) 辛頭・信度・仙陀婆・印度河の流域地方にして名馬を產す。 (2) 不至の地とは涅槃の境を云ふ。 (3) 長老偈七七、一一三〇
愛欲品第二十四
334
放逸行の人には、愛欲の增長すること、蔓草の如し、彼生生に轉輾すること、林中に果實を索むる猿の如し。
335
賤しくして、(1)毒ある此の愛欲、若し人に勝たば、彼の憂苦增長すること、(2)榮ふる毘羅那草の如し。
336
人若し、賤しくして、制し難き此の愛欲に勝たば、憂苦の彼を去ること、蓮葉より落つる水滴の如し。
337
されば吾汝等に吿げん「汝等此に集れるものに幸あれ、愛欲の根を堀ること、優尸羅を求むるものの、毘羅那を〔堀る〕が如くし、汝等葦草の水流に折らるるが如く、數數魔に破らるる勿れ。」
338
譬へば樹の根の、灾なくして、强ければ、伐るとも再び生ずるが如く、愛執は之を斷つことなくば、此の苦再再起る。
339
三十六流、愛樂の流大なる時は、欲に沒在せる意志の水流は、〔此の〕邪見〔の人〕を運び去る。
340
〔欲〕流は一切處に流れ、葛藤は萌芽して存す、此の葛藤の生ずるを見ば、智慧を以て其の根を斷て。
341
衆生の愛せるもの、喜べるものは、過ぎ行くこと疾し、此の欲に湎れ、樂を求むるもの、彼等は老死に至る。
342
欲に纏はれたる衆生は、罝に囚はれたる兎の如く奔馳す、結使の爲めに縛せられ、再再苦に逢ふこと久し。
343
欲に纏はれたる衆生は、罝に囚はれたる兎の如く奔馳す、されば離塵を望める比丘は、己の愛欲を斷つべし。
344
人の(3)矮林〔=欲〕を去りて、(4)叢林〔=欲〕に入り、一林〔=欲〕を脫れて一林〔=欲〕に入るもの、此の人を見よ、〔縛を〕脫して而も縛に赴くなり。
345
鐵や、木や、又は草にて作れるものは、賢者は之を牢き縛と稱せず、珠環と、妻子との欲は貪著する所强し。
346
賢者は、之をぞ强くして〔人を惡趣に〕墮し、牢くして解き難き縛と云ふ、人は之を破りて、無欲〔の身となり〕、愛樂を棄てて出家す。
347
欲を樂しむものは〔欲の〕流に隨つて下ること、蜘蛛の自ら造りたる網を〔下る〕が如し、賢者は之を破りて、欲なく、所有ゆる苦惱を棄てて去る。
348
先なる〔=過去〕を棄て、後なる〔=未來〕を棄て、中なる〔=現在〕を棄てよ、〔斯くするものは〕生有の彼岸に到れるなり、一切處に著心なければ、更に生老に絆さるることあらじ。
349
疑念のために心惱み、欲熾にして、不淨を淨と見る人は、其の愛念益益增長す、斯る人は〔其の〕縛を堅くするなり。
350
疑念の滅を喜び、常に念覺ありて、不淨觀を修す、彼は〔其の〕愛念を滅さん、彼は魔の縛を斷たん。
351
(5)圓成の域に達し、怖畏なく、愛を離れ、著なく、生有の棘を斷てり、是れ其の最後身なり。
352
愛を離れ、著を去り、(6)詞句に巧に、(7)綴りたる文字と、其の前後とを解す。彼は(8)最後身にして、大智者大丈夫と稱せらる。
353
(9)〔我〕所有ゆるものに克ち、所有ゆるものを知り、所有ゆる法に於て汙さるる所なし、所有ゆるものを棄て、(10)愛盡の上に於て解脫を得たり。自ら證り知りて、又誰をか〔師と〕仰がんや。
354
法施は、所有ゆる施に勝ち、法味は、所有ゆる味に勝ち、法樂は、所有ゆる樂に勝ち、愛盡は、所有ゆる苦に勝つ。
355
財は劣智の人を害へども(11)度脫を求むる人を〔害ふこと〕なし、財欲のために無智者は其の身を害ふこと、〔猶ほ〕他を〔害ふ〕が如し。
356
田は惡草のために損はれ、此の羣生は貪欲のために損はる、されば離欲の人に施せる〔物〕には、大果報あり。
357
田は惡草のために損はれ、此の羣生は瞋恚のために損はる、されば離瞋の人に施せる〔物〕には、大果報あり。
358
田は惡草のために損はれ、此の羣生は愚癡のために損はる、されば離癡の人に施せる〔物〕には、大果報あり。
359
田は惡草のために損はれ、此の羣生は意欲のために損はる、されば離慾の人に施せる〔物〕には、大果報あり。
(1) Visattikā を『長老偈』三九九偈の英譯にてリス・デビヅ夫人は The poisoner of all mankind とす、あらゆる人類を毒するものの意、欲、欲望の意もあり。 (2) 學名を Andropogon murica tum と云ふ、一種の香草なり、其の敎を優尸羅と云ふ、三三七偈を見よ。 (3) Vanatha には矮樹林、下生、園欲等の意あり。 (4) Vana にも森林、叢林、園欲等の意あり。 (5) 阿羅漢果を指すと釋せり。 (6) 言語と文句。 (7) 文字を集めたるもの、卽ち文章と、文章中文字の前後。 (8) 阿羅漢や獨覺や佛は一旦無餘涅槃に入れば、再び世に出ることなし、故に此等を指して最後身の人と云ふ。 (9) 諸經要集二一一偈、イチウッタカ一一二偈、マハーヷッガ(大品)一の六參照。 (10) 愛欲、愛會を盡すことにて阿羅漢果を云ふ。 (11) 彼岸に達せんと願へる人。
沙門品第二十五
360
眼を以て〔自ら〕攝するは善く、耳を以て〔自ら〕攝するは善し、鼻によりて攝するは善く、舌の上に〔自ら〕攝するは善し。
361
身に於て攝するは善く、語に於て攝するは善し、意を以て攝するは善く、一切處に攝するは善し。一切處に攝する所ある比丘は諸の苦痛より脫る。
362
手を防護し、足を防護し、語を防護するは防護するの上なり、內に樂あり、定あり、獨居して、足ることを知るもの、彼を〔人は〕比丘と呼ぶ。
363
比丘の、口を防護し、適度に語りて、(1)調戯ならざる彼れ、〔若し〕法と義とを明さば、其の說く所は、甘味なり。
364
法を樂園とし、法を樂み、法を思惟し、法を憶念する比丘は、正法より退墮することなし。
365
己の得る所は之を輕んぜざれ、他の〔得る所は之を〕羨まざれ。他の〔得る所を〕羨む比丘は安定を得ることなし。
366
得る所少しと雖も、比丘若し之を輕んぜざれば、諸天は、此の(2)淨活命、不屈撓〔の人〕を讃歎す。
367
名色の上に於て、總て我有の念なく、又(3)其の消滅をも憂とせざれば、人は彼を比丘と呼ぶ。
368
比丘の慈悲に住し、佛の敎を悦べるものは、靜穩の處、諸行の息止、安樂を得ん。
369
比丘、此の(4)船を戽め、戽まば汝の〔船〕は疾く走らん、貪欲と瞋恚とを棄てて、其より汝は、涅槃に達せん。
370
(5)五を斷ち、(6)五を棄て、更に(7)五を修せよ、(8)五著を越えたる比丘は、暴流を渡りたる〔人〕と稱せらる。
371
比丘、禪思せよ、怠惰なる勿れ、心を諸欲に迷はしむる勿れ、怠惰にして〔地獄に墮ち熱〕鐵丸を嚥む勿れ、〔獄火に〕燒かれて「苦し」と叫ぶこと勿れ。
372
智なきものに禪なく、禪なきものには智なし、若し人に禪と智とあらば、彼は涅槃に近づけるなり。
373
空屋に入りて、心を寂靜にしたる比丘、正しく法を觀察せば、其の樂人界の上に出づ。
374
〔人若し〕種種の方によりて、諸薀の起滅を思念すれ
ば、〔法〕喜、〔法〕悅を得、是れ智者の、甘露味とする所なり。
375 376
此處に之は此の敎に於て、智ある比丘の先づ爲すべきことなり、諸根を防護し、足ることを知り、戒を以て〔自ら〕攝す、善良なる友の、淸淨に生活し、精勤なるものと交れ、慈悲を行ひ、義務を全うせよ。其より歡喜多くして苦惱を盡すに至らん。
377
凋みたる(9)拔師迦草の華を棄つるが如く、然く貪欲と瞋恚とを棄てよ、諸比丘。
378
身を靜かにし、語を靜にし、寂靜安定にして世樂を棄てたる比丘、之を安息の〔人〕と云ふ。
379
己れ己を誡め、己れ己を檢めよ、比丘よ、斯く〔せば汝は〕自ら防護し、正念ありて、安穩に住せん。
380
げに己は己の主、げに己は己の依所なり、されば、己を調御すること、商估の良馬を〔調御する〕が如くせよ。
381
歡喜多く、佛の敎に悅べる比丘は、靜隱の地、諸行の息止・安樂を得ん。
382
比丘、年少なりとも、佛の敎に精勤せば、彼此の世閒を照すこと、雲閒を出でたる月輪の如くならん。
(1) 調戯又は掉擧とも云ふ、心の浮きて落著かざる狀態を指して云ふ。 (2) 淸淨なる生活を營む人を云ふ。 (3) 名色を指して云ふ。 (4) 此の身より邪思惟の水を除くを云ふ。 (5) 五下分結、欲界に屬する五種の煩惱、欲界貪・瞋・身見・戒禁取見・疑。 (6) 五上分結、色無色の上二界に屬する五種の煩惱、色界貪・無色界貪・慢・掉擧・無明。 (7) 五根、信・進・念・定・慧。 (8) 五種の著、貪・瞋・癡・慢・見。 (9) Vassikā.
婆羅門品第二十六
383
努力して流を截ち諸欲を去れ、(1)婆羅門、諸行の滅を證れば、婆羅門、汝は(2)無爲〔の法〕を知らん。
384
婆羅門、若し〔止觀の〕二法に於て、彼岸に達する時は、此の智者の愛結は總て盡くるに至る。
385
人に(3)彼岸なく此岸なく、彼此兩岸共になし、怖畏を離れ、愛結を除きたる、斯の如きを我は婆羅門と呼ぶ。
386
禪思ありて、離垢を求め、所作已に辨じて、漏あるなく、最上利に達せるもの、我はこれを婆羅門と呼ぶ。
387
日は晝照り、月は夜輝く、武服せる刹利種は光り、禪思ある婆羅門は光る、されど佛は其の威光を以て總て晝夜に光る。
388
惡業を除けるは婆羅門、行を寂にせるは沙門と稱せらる、己の(5)垢穢を棄てたるによりて、彼は出家者と稱せらる。
389
婆羅門を毆つ勿れ、婆羅門は〔毆たるるとも〕怒を發つ勿れ、禍あれ、婆羅門を毆つものに。更に禍あれ、〔毆たれて〕怒るものに。
390
婆羅門若し心を其の愛好〔する所〕より遠ざくれば、之彼に小ならざる利益あり、〔他を〕害する意の消ゆる每に苦惱亦隨つて滅す。
391
人の身にも、語にも、意にも、惡作なく、三處に攝する所ある、我は之を婆羅門と呼ぶ。
392
〔人若し師〕より〔聞きて〕佛の說き給ひし法を曉らば、此〔の師〕を敬ふこと、婆羅門の火祠を〔敬ふ〕が如くせよ。
393
婆羅門は結鬘と姓と生とに依るにあらず、人に諦理と法とあらば彼は淸白なり、又婆羅門なり。
394
愚者よ、結鬘は、汝に何〔の用〕かある、皮衣は汝に何〔の用〕かある、汝は內に愛著を〔抱きて〕、唯外を淨うす。
395
弊衣を著たる人の瘦せて、脈管露はるるに至り、獨り林閒に〔入りて〕禪思せるもの、之を我は婆羅門と呼ぶ。
396
(6)我は(7)〔婆羅門女の〕胎より出で、〔婆羅門の〕母より生れたるの故を以て婆羅門と呼ぶことなし、彼若し我有あらば、彼は〔我を〕(8)爾と呼ぶの徒なり、我有なく取著なきもの、之を我は婆羅門と呼ぶ。
397
所有ゆる愛結を斷ち、怖るる所なく、著を超え、繫を離れたるもの、此の人を我は婆羅門と呼ぶ。
398
(9)紐と緖と索とを、之に屬するものと共に、倂せ斷ち、梁木を摧きたる智者、われは此の人を婆羅門と呼ぶ。
399
惡罵も、打擲も、監禁も怒ることなくして默受し、堪忍力ありて、心猛き人、われは斯の如き人を婆羅門と呼ぶ。
400
忿怒なく、行あり、戒あり、欲を離れ、自調して、最後身に達せるもの、我は之を婆羅門と呼ぶ。
401
荷葉の上なる水の如く、錐の頭なる罌粟の如く、諸欲に染せざるもの、我は之を婆羅門と名く。
402
己の苦惱の此處に滅ぶるを知り、重擔を卸し、繫縛を離れたるもの、我は之を婆羅門と稱す。
403
深智あり、賢才ありて、道非道を辨へ、最上利に到達せるもの、我は之を婆羅門と呼ぶ。
404
在家人にも、出家人にも、其の閒に混らず、家なくして遊行し、欲寡きもの、われは此の人を婆羅門と云ふ。
405
弱きも强きも、有情に對して刀杖を加えず、之を害ふことなく、將た殺さしむることなき、此の人を我は婆羅門と呼ぶ。
406
敵意ある人の閒にありて敵意なく、暴者の中にありて心溫かに、取著ある人の中にありて取著なき、之を我は婆羅門と名く。
407
人の貪と、瞋と、慢と、覆と共に落つること、錐頭の罌粟の如くなる、我は之を婆羅門と名く。
408
麤ならず、意義を含みて、眞なる語を吐き、之によりて他を怒らしむることなき、われは之を婆羅門と稱す。
409
比の世にありて、長きも短きも、小なるも大なるも、善きも惡きも、與へられざるを取ることなき、我は之を婆羅門と名く。
410
此の世にも彼の世にも、欲望あるなく、意樂なく、繫縛を離れたる、我は之を婆羅門と云ふ。
411
人に依處なく、智慧ありて、疑惑なく、不死の極處に到れる、此の人を我は婆羅門と呼ぶ。
412
此處に福業も、罪業も共に〔脫れて〕、著を伏し、憂なく、染なく、淸淨なるもの、此の人を我は婆羅門と呼ぶ。
413
曇りなき月の如く〔心〕淸く、澄み、濁りなく、歡樂の心盡きたる人、我は之を婆羅門と稱す。
414
此の泥途・難路・輪廻・愚癡を超え、渡りて彼岸に到り、禪思ありて、欲なく、疑なく、執なくして靜穩に歸せる、我は此〔の人〕を呼んで婆羅門と云ふ。
415
此處に諸欲を棄て、家を離れて遊行し、欲有を滅したる人、之を我は婆羅門と呼ぶ。
416
此處に愛著を棄て、家を離れて遊行し、愛有を滅したる人、我は之を婆羅門と呼ぶ。
417
人界の縛を棄て、天界の縛を超えたり、所有ゆる繫縛を離れたる人、我は之を婆羅門と云ふ。
418
樂と非樂とを棄て、淸涼に歸して、有質なく、所有ゆる世閒に打ち勝ちたる勇士、我は此の人を婆羅門と云ふ。
419
總て有情の死と生とを知り、執着の念なき善趣の智者、我は之を婆羅門と呼ぶ。
420
諸天も、乾闥婆も、人閒も、其の行く道を窺ひ知るなし、此の漏盡の阿羅漢、我は之を婆羅門と呼ぶ。
421
彼の過去にも、未來にも、將た中閒にも、己の有とすべきものなし、我有なく取著なき、我は之を婆羅門と呼ぶ。
422
最雄、最勝の人、勇士、大仙、勝者、無欲にして學を訖りたる智者、我は之を婆羅門と呼ぶ。
423
宿世を知り天界と惡趣とを見、更に生の滿盡に到り、智の極に達したる牟尼にして、總て果すべきを果したる人、我は之を婆羅門と呼ぶ。
(1) 此の偈以下、偈每に「婆羅門」の語を用ふ、是れ印度四姓中の婆羅門を指すにあらずして、煩惱を滅し惡業を除きたる人の義に用ひたるなり。 (2) 涅槃の謂なり。 (3) 法句經註解書には、彼岸此岸、彼此岸を、內の六入、外の六入、內外の六入なりと解し、アンデルゼンは、來生、此生、及び全一生なりと註し、而も疑を存せり。 (4) 阿羅漢果を云ふ。 (5) 愛欲等の諸煩惱。 (6) 以下四二三偈まで諸經要集六二〇-六四七偈參照。 (7) 生のために、母のために婆羅門と呼ぶことなし。 (8) 所謂四姓中の婆羅門族に生れたるものは世尊を呼ぶに bho (爾又は友)の語を以てせり、故に彼を稱して bhovâdi (佛を呼ぶに爾の語を以てするもの)と名けたり。 (9) 紐は忿に譬へ、緖は愛に、索は六十二見に、梁木は之を無明に譬ふ、而して智者とは四諦の理を知りたる人の謂なり。
國譯法句經終