國家論

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學問の範圍は確立し難しと雖も各々其の見點を有す。同ー事物を觀ずるも異樣に見ゆる所以なり。此の篇は社會學の見點より國家を見たる者。要に曰はく。權力は自然に發生せる社會現象にして其の中心は主權者なり。主權者は統御の機關を創む。臣民は國家の法令に遵奉する方面に於て國家の一員たり。彼れ等は其の生活の一面に於て國家の意志に服從し居るに外ならず。國家の意志は國家の組織內にて作成せられし者なりと。即ち國家の根本を言へるのみ。其の枝葉は之れを他日の著作に期す。

巢鴨村舍に於て

 明治卅八年七月 

遠 藤 隆 吉 識


目 次

第一章 權力論     ……一
 一 社會の長
 ニ 主權の屬性
 三 國體の差異
第二章 國家組織論   ……三七
 一 國家の名稱
 ニ 社會心理と國家(一)
 三 社會心理と國家(二)

第三章 法律論     ……五六
 一 國家機關の會員
 二 法律の所在
 三 法律の變動
 四 法律社會を指導す
 五 法令の意味
 六 國家の意志
 七 臣民の意志と國家の意志

目次終


國家論

遠藤隆吉著

第一章 權力論[編集]

一 社會の長[編集]

凡そ社會あれば其の長あり。何れの時何れの地と雖も之れあらざるなし。社會の人が長に屈服する所以の意味と長の社會に對する所以の意味とは社會の幼穉なると開化せるとに從ひて差異あり。然かも其差異は程度にして性質にあらず。長に必要なるは其力能く反抗者を打破するに足るに在り。自己の意志に反抗する者を屈服し自己の意志が彼れ等の意志となるに足るに在り。吾人は此の塲合に於て長は權力を有せりと稱す。權力は即ち腕力なり。腕力に單獨なるあり。結合せられたるあり。程度の差異なれども通常後者を指して權力となす。故に權力とは即ち物理的の力にして其の成分より云へば個人の肉體力の結合せられたる者なり。其結合は人民の信賴を以て究意的の要素とす。信賴は心理的事實にして主として感情的なり。如何に信賴するか。第一、其英雄の資質確かに人民を統御するに足るを信ずるに在り。第ニ、其家系の優れたるを以て之れを尊敬するに在り。第三、英雄の半神的たるに在り。此く結合せられたる範圍には固より大小あり。若し小なるもの出來る時は他の人々も其威を望むで歸向し以て大なる權力を造り漸次に多數を吸收して大なる權力となるなり。ラッツエンホーフェル日く如何に暴戾の君主と雖も多少の服從者なければ自己の力を振ふ能はずと。(Die sociologische Erkenntniss)斯くして權力の基礎は人民の信賴にあること疑ふ可らず。以上述べたる權力の三種 の基礎は或は協働することもあり。或はー個のみなることもあり。有史以来定まり居れる權力者も亦此等を以て個人信賴の根本となし居るなり。唯個人の信賴は心理作用なり。心理作用が永續する時は終に習慣的反射的となる。從つて習慣的にその英雄の子孫を戴くか又は他の英雄を戴くか何れにもせよ一切の人民は一の主權者を戴く可きものなりとの反射的心理作用を生ずるに至る。ノビコー曰く佛蘭西人民のナポレオン皇帝に服從せしは反射作用なりしと(Conscience et Volonte sociale.)。 斯の如く主榷者は其の始めに於ては人民の信賴より權力を有したりしも後世の人民は反射的に主權者として戴くことあり。神武天皇は其血統の勝り居るに依り少数の個人の服從する所となり、玆に權力を造り、諸方の小なる權力者を服從して之を統御するに至れり。其以後神武天皇の正統は當然人民を治むべきものとして君臨せられ一切の人民は之を畏敬し、習慣的となり、皇室に忠なるを以て日本人の本分となすに至れり。中世武家が人民を集合して權力を得るに至りしも皇室に對する人民の尊敬强かりしために大に减殺せられ皇室の昔に於るが如き公然たる大なる權力と認めらるゝことなかりき。支那に於て夏禹の子啓位に卽くや、之を信賴せざる者あり。有扈氏の如き是れなり。於是自己に服從し居る部分を以て自己の權力となし。其服從せざる者を擊て之を平げたり。爾後彼の系統は反射的に人民に戴かるゝに至れり。然るに其後桀に至りては人民多く叛き服從する者少なく、殆んと一匹夫の狀態となれり。

ラッツェンホーフェル曰はく

Weil seine Macht (Politisch) reale Willensausserungen seiner Unterthanen sind.(s.288)

意志を以て權力の基礎となすを見る可きなり。ギッヂングス氏亦日はく

或る意味に於ては權威は人民中に在りと去ふべし。何となれば議政府又は司配者は其命令法律を遵奉せんとする人民の忠義心、柔順心に依るにあらざれば全く助けなきものなればなり。(Elements of sociology. p.217)

歷史的發生の順序に於ては信賴の觀念が極めて主要なる因子たれども社會の平和になり、主權者の確定したる暁には習慣と正義とが主權者に對する態度なり人民は主權者を見て以て習慣上主權者たるべき者なりとし、又主權者が主權者として君臨するは正義として感ぜらるゝなり主權者としては是れ等兩觀念の對象ならざる可からず、ワロン氏曰はく、

Seul le principe de la Souveraineté, quel qu'il soit, ne meurt nine s'eteint jamais. Il procede, avons nous dit, de l'accord permanent du Pouvoir et de l'Autorite; du Pouvoir, qui est l'expression actuelle des volontes publiques; de l'Autorite, qui est l'expression des moeurs, des coutumes, des croyances, et pour ainsi parler le prolongement ou l'echo des voiontes anterieures de la nation.
(Du Pouvoir en France. 115.P.)

而して今や主權者は人民の上に立ちて其安寧幸福の上に直接影響を與ふる者なるが故に一々の行爲が正義の觀念によりて判斷せられ隨て君臨其事が正義の觀念によりて認容せられざる可らざるなり。兵力を運用し得る意志は權力には相違なきも主權者其者が不正義なるものと認めらるゝ時は猶ほ未だ眞正の主權者と見る可らざるなり。權威は人民正義の觀念より斯く感念するに外ならざるなり。吾人は日本の天皇が君臨し給ふことは天地開闢以来の習慣にして正義の觀念に寸毫も抵觸することなきを感知す。然れども支那の天子を以て斯く迄遙かに正義の對象となさゞるなり。況んや春秋戰國の頃の所謂覇者なる者に於てをや。王者は支那固有の思想に據り、人民正義の觀念に訟へ、毫も非難す可きの點を見ずと雖も覇者に至りては兵事に因りて天下を服從する者、吾人は之に權威の光りを發する能はざるなり。是れ王覇の觀念の異る所以なり。是の故に主權者は信賴、習慣及び正義の觀念の對象たるものなり。

以上吾人は主權者は歷史的に發生し來れるものにして社會の個人より認容せられ三種の觀念の對象たるに由りて能く維持せられ、他に何等の基礎なき所以を述べたり。

然れども主權者の能く維持せらるゝ所以は社會の組織に由ること甚だ大なり。之れを一身に譬ふるに局部に膨腫を生じたる時新鮮なる血液は循環し來りて絕えず之を刺戟し逐時に縮少ならしめ、遂に全く痕跡をさへ絕たしむるに至る。若し血液の循環あるも極めて遲緩なる時は腐敗は愈大に遂に全身の生活機能を妨碍するに至る。社會の交通機關は循環機關に該當す。交通機關完全なれば社會のー部に謀叛者あるも其計の熟せざるに主權者は兵を派して之を討平すべし。若し交通機關なくんば謀叛する者は計をなし事を擧ぐるの暇あり。是を以て外部の腐敗は愈大に、本末相離るゝの勢を生ず。是れ古代交通機關の不備なる時に謀叛者の多く、今代の主權者は其位置を保つ に憂なき所以なり。

主權者は一人物なり。主權其者とは別なり。權力を有する目的は即ち政治行政と區別しての實現を期せん爲めなり。政治は社會の安寧幸福を增進せんとする主權者の自由意志的進動なり。某々の主權者のなす所は必ずしも人民の同情を得ざるも政治の進動は人民の希望する所なり。亞米利加のウァード氏の言へる如く、政府なき社會を假定せんに警察事務を司る所の職務は自ら其內に發生し來るべく、端なく是れ政府に外ならざるなり。(Outlines of sociology Chap.11.) 人民は主權者を是認し、又其政治を是認す。玆に於て主權者の意志は權力と云はるゝなり。獨のMacht、佛のPouvoir、英のPower. 皆力、能力の義なり。之を權力の義に用ふるは擬當なり。英のAuthority.は權威なり。羅典のPotestas.も亦羅典語にてはPotestas vitae necisqueの如く權カの意味に用ふれども亦疑當なり。要之。權力は結合せられたる意志にして其の中心たる活働はーの自由意志なり。主權者は一社會の內に於て最も强大なる權力なり。今圖を以て之を示さんに左の如し。

主權はABの結合なり。其大なる者に至りてはCも之れに加はる。故に主權は自由意志を中心として結合せる意志なり。Bの意志と雖も絕對的にAに結合せられ居るにあらず。時として多少背離の傾向なき能はず。Cの如きに至ては固より背離の傾向あるを免れざるなり。DEは反對なる者なり。凡そ意思は時々刻々活動し居る者にして或は背離せんとして動き或は服從して動く服從せんとする意思が重く、且つ自己以外多くの同樣なる意思あるとの智識を伴ひ、之れが爲背離せんとする意思は禁遏せらる一個人の精神裡に於ける服從せんとする意思が主權の原素なり背離せんとする意思が各個人の精神中に於て有力となる時は其の主權は敗壊せざるを得ず主權を掌握すると云ふは結合せんとする意志の中心たるを謂ふなり。隨て其者の政治(心的進動)が結合せんとする意志に認容せらる。即ち一般人民に認容せらるるなり。

ニ 主權屬性[編集]

主權は不斷變動しつゝあること。權力は意志の結合なり。意志は絕えず活働しつゝあり。意志は智識感情の複雜なる作用の結果として見はる。智識感情の變動と共に意志の活動も自ら異らざるを得ず。主權者に對する智識感情の變動と共に意志は自ら變動するものなり。主權者に對する智識感情は絕へず變動す。此の故に意志を元素となし居る所の主權其者も亦絕へず變動せざるを得ざるなり。忠を敎ふるの必要は實に此に在り。

主權は絕對的に大ならざること。主權は結合せられたる意志なり。其結合には組織あり。此を以て單なる意志の結合よりも活動の全量は大なり。恰も分業の組織が生產をして大ならしむるが如し。抑も意志は如何にして結合するかと云ふに智識感情の結果として决定せらるゝなり。然れども個人意志の活動に限界あり。隨つて組織が如何に良好なればとて絕對的に大なること能はざるなり。是の故主權は絕對的に大ならず。古來主權を以て絕對的に大なりとせるは法律の必然的假定として立論せるが爲めにして主權其者の屬性を分柝硏究せる者にあらず。若し主權其者を論ずとすれば是れ何等の根據もなき說なり。

主權をして絕對的に大ならしめば主權のなす所ー々絕對的ならざる可らず郵便物の安全は主權の保證する所、而して時々害せらるゝ者あるは何ぞや。動物園の獸類が番人に害を與ふるは何ぞや。皆主權のなす所の不充分なるを知るに足るなり。法律は臣民の權利を保障せんとする者、而して之を侵害せられ、其儘になり居る者は何故ぞや。一々數へ來れば主權の不十分なる火を睹るよりも暸かなり。主權絕對的に大にして何ぞ斯の如き結果を生ぜむや。

主權は自主獨立なること。主權は政治を離れて意味なきことは前に述べたるが如し。自主獨立とは如何なる政治をも實現し他の干涉を受けざるを云ふ。自主は自由に其社會を統治し其利益を伸張せんことを謀り之れを實行するを謂ひ。獨立は他の社會の制肘を受くることなきを謂ふなり。

個人が自由意志を以て决行するは個人の自主獨立なり。今政治なる心的進動も必然的に權力を豫想し居るものにして主權者其者の意志の方向に主權は活動するなり。主權者の意志は大なる結合せられたる意志の中心なり。然るに主權者其者の意志活動は自由意志活動なり。之を主權の自主獨立となす。主權は結合せられたる意志なれとも其方向を决定する者は主權者の意志なり。故に主權者の意志にして自主獨立に决定し得れば主權は自主獨立たりと謂ふを得可きなり。市町村の如き法人の自主と異る所なり。

然らば主權者の意志は絕對的に自由なり得るかと云ふに然らざるなり。個人意志が種々の條件によりて制限せらるゝと同く主權の意志も亦種々の方面より制限せらる。

  • (一) 國際法
  • (二) 國際倫理
  • (三) 外國の勢力
  • (四) 自已の設けたる規則

主權者は是れ等に由りて必然的に影響せらるゝに非らず。然れども幸福を希求するより是れ等の條件に遵由せざるを得ざるなり。或は撰擇の自由を存せず。此れ等の規則又は勢力に直ちに服從するをあり。多少商量して服從するをあり。是故に主權の自主獨立も絕對的にあらずして比較的に然るのみなり。國際法にても他國に向て租税を拂ふが如き者迄も主權たるの資格を損傷せざるとなすなり(Droit international.Charles Calvo.p.87.)

國際の條約は主權者と主權者との間に訂結せらるゝのみなり。

三 國體の差異[編集]

主權者が一個人なるか、多數なるか、將た人民一般なるかに從つて國體は區別せらる。主權者は個人意志結合の中心點なり。カルボーの國際法に曰く

la réunion des forces indivduelles, qui composent un Etat produit ce que on nomme la souverainete. C'est donc la nation tout entière qui est l'origine du pouvoir, dont la constitution de chaque peupleconcentre l'action et l'exercise entre les mains d'une ou de plusieurs personnes.(p.80.)

故に一人の特別なる主權者を奉戴せる時は之を君主國體と云ひ、數人の主權者ある時は貴族國體と云ふ。此の如き特別なる人なき時は民主國體と云ふ。是れ普通の分類なり。然れども此分類は極めて大略にして其間に判然たる區別なきことを忘る可からざるなり。

君主國體。君主の意志が乃ち實行せられ得る時は完全なる君主國體なり。然るに君主に結合せんとする意志は多少は絕へず變動しつゝあり。又社會に由りて大差あり。故に君主國體即ち君主が主權を有する國體にも種々の程度あるを見るべきなり。

朝鮮國王の如きは君主なれども本は高麗の臣下にし事變に由て位を得たるのみ。且つ亂離相繼ぐ、人民は習慣として其命令を奉ずと雖も王の爲めに身を犧牲にせんとする念極めて少し。故に其主權は極めて薄弱なり。

適當に言へば朝鮮には主權と云ふ連合せる意志が發達し居らざるなり。露西亞は之れに反し皇帝は同時に僧侶たるが故に强大なる結合せられたる意志の中心たり。其主權は强大なるものなり。日本は露西亞に比て更に數等を拔き出たり。賴朝幕府を開きしより天皇の權威は依然として赫々たりしと雖も權力は之れなかりしなり。

貴族國體。一社會の中に人民の信賴する中心となるもの數人ありて、其議决せる所が即ち人民の服從する所なる者を稱して貴族國體と云ふ。數人の者は其範圍內にては各主權者たり得る者なり。然れとも合議の結果が全社會の政治の方針を决定するなるを以て合議の結果たる意志が主權者たるなり。獨乙のニ十六聯邦は各々獨立なる主權を有せしが生存の必要上結合せり。其の以前は各君主國體なりき。而して獨乙全體に亘る大事件を决定する者は各君主の合議體なり。故に其意志は人民の意志の集中する所にして主權者なりとす。

民主國體。政治の方針を决定する所の意志は特別の一人に非らず。又特別の數人にもあらず。唯所謂輿論なる者なる時之を稱して民主國體となす。民主國體は人民自ら政治の方針を决定するに外ならず。然れども輿論を作出するに當り下層の人は默々の間に經過し去り唯中層以上の人物が意見を發表し更らに少數の人が之を决定するなり。是れ等少數の人は多少人民の信賴する所なり。人民は其政治に首肯せんとするなり。彼れ等は支那の如き國の主權者と程度の差こそあれ性質上の差異なきや明なり。若し此民間の有力者が一層大にして一切人民が其政治を希求せりとせんか、此れ即ち主權者なり。ナポレオンは佛蘭西人民より堀起して皇帝となりたるなり。 然れども人民の彼れに信賴すること非常にして一の大主權者となれり。是意思は即ち政治となれり。是の故にランケ曰はく

Indem alles sich rekorrigierte, stand auch in Frankreich ein Machthaber auf welchem die Nationalsouveraintät mit der höchsten Gewalt in Verbindung setzte.

と。以て當時ナポレオンが主權者たる位置を知るに足らむ。何ぞや。主權者は人民信賴の集中する所にして其强大なるものに過ぎざればなり。大統領の如きも多少は人民の信賴する所なりと雖其意志が直ちに行はるゝこと能はず。人民の定めたる憲法の條規に遵由せざる可らざるなり。故に人民を以て主權者となさざる可らざるなり。

國法學に於て國體を別つに憲法制定者を以て標徴とす君主之を制定すれば君主國體たり人民之を制定すれば民主國體たり此區別の主意は憲法は社會の大方針を定むる根本的の規定なる故之を制定する者が根木的に權カを有し居るものとなすなり然れとも制定者其人殊に制定其事には種々の階段種類あることを注意せざる可らず

以上述べたる所は各社會に於て主權が如何なる人に存するやに在り。更らに憲法が已に制定せられたる上に就て之を見むに憲法に從ふて政治を取り又は行政事務を取り扱ふ人格は自由意思に從ふて行ふに非らずして覊束せられて(Regelmässig)行動するなるが故に其行動は機械的なり。大統領は人民の定めたる憲法に從つて行動する者なるが故に全く機械的なり。

日本の如きは天皇も其憲法の條規に遵ふて行ふ方面於ては機械的なり。隨て憲法の存廢修正は法律上即ち機械的の方面よりはなし得ずと雖も主權者としては自由になし得べし。事實に於て然りとなす。

要之。主權者の誰なるかは一社會に於ても時代と共に變遷する者なり。主權者は法律の制裁を受けず、事實として存在するものなり。事實は社會的原因に由りて變動す。故に法律又は宣言を以て主權者は誰なりと云ふも是れ一の空文にして何等の意味もなきなり。主權者は社會的の事實なるが故に名義の如何に關せざるなり。ルイナポレオンが撰ばれてコンソルとなりながら自由に憲法を改定したる如き是れなり。此く個人精神の方面より國體を論ずるは决して余が創見にあらず。モンテスキュー氏は旣に其の「法律の精神」に於て論じて曰はく壓制政府の人民は恐怖(Crainte)を以てし、君主政府の人民は名譽の念(honneur)を以てし、共和政府の人民は德義(vertu)を以てし、各其社會に生活しつゝあるを論ぜり。其然る所以は暴君は絕對的に人民を束縛し、隨て恐怖の念を起し、君主政體にては君主獨りにて國家を維持するより人民は自己の名誉を主となし、民主政體にては人民各國家の爲めを謀るを以てなり。(p.p.19-27)而して氏は更に溫和なる政府に於ると壓制的政府に於ると服從に差異ありとなせり。是れ等の思想を玩味すれば各政體に於る人民の根本的精神の異ると主權者に結合する程度の異るとを知るに足る。佛蘭西の前大臣パリュー氏の政治學原理(Principes de la Science politique)は殊に社會學的に國體 を論究せり。氏は土地の廣狹、島國と大陸等の地理的條件、正義保守、智識の高低等の智識的倫理的條件が政府の上に影響することを述べ、更に社會的感情と政體との關係の密なるを說て曰はく

Sous les principes généraux qui animent alternativement les societés, se cachent des ressorts divers et nombreux qui caractérisent la politique des peuples. Suivant que l'autorité agit par la crainte,lerespect, l'honneur la confiance ou la corruption, la nature du gouvernement se modifie(21.p)

と。以て其思想の如何に社會學的なるかを見るべきなり。

是故に余は社會學的近世的の理論としては國體三分法を以て單に其極端なる者を言へるものとなす。現にパリューは混合政體(Gouvernements mixtes)を認め、三政體は其純粹なる狀態を言へるものとなせり。ボルンハック、エリネックビエーリングの如き專ら法律的思想より論究する者には全く此種の思想を發見すること能はざるなり。

此く主權は結合せられたる意志なり。而して各社會に存在す。是故に各社會に於ける人間意志結合の主なる方面は主權者の意志と結合するに在りとなさざる可からず。民主政體に在りては輿論又は一般感情として結合しつつあるなり。主權者の意志は外に表はる。即ち政治なり。政治に三種あり。

  • (一) 社會を統御する爲めの組織即ち國家を編成し又は修正すること
  • (二) 國家機關をして活働せしむること
  • (三) 國家の社會機關としての天職を全ふせんとすること

之れなり。第一の者は主權者の自由意志に存し、形式となりて表はれざるものもあれども又憲法となりて表はるゝを以て大社會の常となす。國家機關は社會的產物に非らずして主權者の意志より出でたる人爲的產物なり。故に法律的眼光より見る時は國家は成長せざるなり。エリネック曰く

Staatliches Organ heisst staatliches Werkzeug, organisiren heisst Funktionen planmassig vertheilen. Gerade das Naturwuchsige, welches das Merkmal des Organismus bildet,ist bei dem durch menschliche That erfolgendoen organisueri und deshalb auch bei dem durch bewusste, complicirte juristische Vorgange bestellten Staatsorgan gänzlich ausgeschlossen. (System der subj.öffent.Rechte.s.36 )

此れ法律思想の標本なり。然れども人爲的產物たる國家機關は人間の精神によりて維持せられ居るものなり人間精神は不斷變動するが故に國家機關も亦絕へず變動しつゝあるなり。國家機關は此く變動するにせよ、主權者の意志發表なり。主權の一部をなし居る意志は是れ等の意志發表に從ふべし。故に人民は主權者の法律に遵ひ、命令に從ふ可し。主權者の意志に個人意志の結合するは實に日常生活の大部をなすと謂ふ可きなり。故に國家は主權者が社會を統御する爲めに作れる機關組織なり。然るに主權の及ぶ所は人民全體に在り。故に人民全體を包括し以て國家と名づく。然れども人民の國家に於ける一切の方面に於て然るにあらず。唯主權者の意志に結合する行爲法律行爲に於て然るのみ。是れ次に論ずる所の如し。

第二章 國家組織論[編集]

國家の名稱[編集]

國家の名含む所の意義甚だ多し。今一々之を論ぜず。凡そ文字に含ましむる所の意義の何たるやは記者の隨意なり。唯之を明言するを要するのみ。國家なる文字を用ふる者も其意義を明白適確にするを要す。先つ社會の成立を考ふるに必ず小社會の合併を發見せざるはなし。社會は歷史的事實なり。之に先天的論理を應用すべからず。即ち如何なる社會も小社會の合併より成る可き者なりと謂ふ可らす。然れとも現在の社會は皆斯くして生じたる者なり。是れ偶然的なりと謂ふ可きなり。小社會が合併するに至れば血緣團體と異なり勢權力を以て統一せられざる可らず。眞正に所謂權力なる者は此點に始まる。而して國家に如何なる意義を與ふる者も國家の淵源を玆に求むるに 於ては即ち一致す。

權カに依りて铳一せられたる團體も良き土地を得て耕作に從事すること能はざりせば即ち 移轉して已まざりき。良地を得るに及び定住して農作に就き以て生を營む。此時に當り全 地球を通じて山野荒れ田畝開けず。地多くして人少きの狀態なりき。故に一團體が定住して其地域を劃せしも周圍幾多の土地は茫々として不問の間に撗り、或は經界不明の箇所亦尠からざりしなり。耒耨の道開け地益の富を曉り、一方に於て人漸く多きに及び、土地の觀念は追々强く經界を嚴にするに至れり。今日の如き地球の表面は山路水脈島噢岬崎之を掌上に指すが如し。人多くして地少なく、各國民は虎視耽々として寸攘尺奪せんとす。境土の觀念は國民的意識に於て最も强大なる者となれり。人或は日ふ、國家の要素は土地、人民、主權と。土地は今日に於てこそ要素たれ定住前後に於ては今日の如き重要なる要素にはあらざりしなり

今日一定の境土を領有せる國民は偶然にも小社會の合併によりて成りしなり。權力は爲めに發生し、政體の變遷あるに拘はらず、嘗て權力を戴かざりしことあらざりしなり。是に於てか或は曰はく國家は權カによりて統一せられたる團體なりと。或は曰はく國家主權なりと。

吾人の問題は之れ等を决するにあらずして今日の國民團體中に權力、土地、人民の外に國家の名を附すべき特別なる現象あるや否や是れなり。之を决するには先つ國民の組織を研究するを要す。

社會心理と國家(一)[編集]

社會團體內の個人は相互に種々の方面に於て意志の結合をなしつゝあり。社會ある所以なり。若し個人の交通なくんば人の集合あるも社會にあらざるなり。木石の堆積と異なる所なきなり。智識を交換し感情を疏通する一に意志による。意志の結合は個人の交通にして社會の要點なり。倫理習慣は意志結合の形式なり。倫理習慣に遵ふは即ち此形式に於て意志結合をなしつゝあるなり。主權も亦意志結合なり。倫理習慣は形式的なれども權力は結合せられたる意思其者なり。換言すれば權力は活働しつゝある意志其者を指すなり。恰も協心同力しつゝある(即ち意志結合をなしつゝある幾個の精神をさして某の團體となすが如し。倫理習慣と權力と同班に列せらるべきにあらず。前者は意志結合の形式にして、結合其者にあらず。若し權力と同班に列せらるべき者を求むれば倫理に遵由しつゝある意志活働是れのみ。權力は一定の方向に向て活働しつゝある意志の結合なり。意志は主觀的現象なり。故に社會に主權ありと云ふも目以て之を見る可らず。之を有形の上に求むるも得る所甚だ少し。主權者の居る所に向ひて人の參勤交代し、之に對し又は其像に對して禮を行ふ位に過ぎざるなり。試みに數千里の高きに上りて一目以て全國を通覧すと考へよ即ち主權何れの處にかある看る所は單に家屋の簇集し人畜の蠢爾たるに過ぎざるべし然るに主權なきにあらず個人の精神裏內に一定の意思活働となりて存在しつゝあるに外ならざるなり然らば則ち所謂權力によりて統一せらるゝは各人の意志が一定の運動をなしつゝあるに外ならず主權者の言を聽くは主權者の意志を奉ずる各人の意志活働に外ならず

權力の方面に於ての意志結合は社會の心理作用の一なり。都會をなすも意志結合なり。倫理習慣に從ふも意志結合なり。朋友と交際するも意志結合なり。同志相糾合するも意志結合なり。斯く諸種の方面に於て意志結合あるは社會の組織せらるゝ所以なり。之を社會心理となす。(此事社會學に詳なり。今之を省略す。

故に社畲の成立するは全く心理作用なり。主權は其中の一なるのみ。主權の方面に於て意志結合しつゝある人は主權者の言ふ所を奉じ、之を守る可し。主權者が法律を制定せんとし、之を命ずれば法律は忽ちにして制定せらる。命ぜられたる者は固より之を承諾し、一切人民は又不言の間に之を承諾す。

主權者は政府を組織せんとし、其會員を命ず會員の下更に會員あり尨然たる一大系統をなす而して一切人民と兩々相對す猶葢の器に於けるが如し尨然たる一大系統は物質的に結合するにあらず其心理作用によりて結合するのみ此心理作用の標準も主權者により法令を以て豫め規定せられたるものなり

然り而して人民も亦主權者に依り法令を以て規定せられたる行爲をなしつゝあるなり。一切臣民が法令を以て即ち主權者の意志を以て自己行動の標準となさゞるを得ざる丈其れ丈遥かの範圍に於ては主權者の意志に由りて拘束せられつゝありと謂ふべきなり。 個人より看れば此外に於て多くの行動あり。印刷、結社、信仰の如き是れなり。主權者は此方面に於ては個人の意志を束縛せざるを言明す。吾人は某の結社を作り某の書籍を印行せんとし其法律にて許されたるや否やを知らず。研究の末其法律上認められたるを知り、之を作るが如きは前己に特別なる動機あり、主權者の束縛なきを見て之を實行せるなり。即ち主權者の個人意志を拘束するは一部分にして個人意志作用の全體にあらざるなり。個人意志の全作用を拘束せんとするは到底不可能のことなり。即ち多くの個人的自由は個人意志の猶享受する所なり。

憲法に結社、印行、信仰の自由を有すとあるを以て個人が是れ等の行爲をなすは一に此條文によりて催がされたる者となすは大なる誤なり。個人が是れ等の行爲をなさんとするには某の特別なる動機あるなり。

而して特別なる法律によりて制限せられつゝ能く其自由をなすなり。此自由は主權者かauthorizeする所なりとて見る時は憲法上の權利なり。個人の動機より出るとして見る時は單に自由なるなり。

法律が禁止する塲合例へば結婚の年齢を制限せしが如きに於ては個人の意志は同年齡に達する迄は拘束せられつゝあり。其年齢以上に於ては自由なり。單に自由にして法律上の權利は伴はず。此法律の精神は禁止にあり拘束にあり。其以外は眼中に之れあるなし。適齢以上の結婚を以て主權者の意志を以て動機となし而して實行せし者となすは誤りなり。

個人意志は主權者の意志によりて拘束せられ之によりて政府の系統成り、臣民の秩序立つ一切の臣民が斯くして組織せられたるは何等か一の名稱なかる可らず余は之を稱して國家となす。國家は個人意志作用の全體を蔽ふ者にあらずその一部なり國家の一員としての個人は其半面に外ならず換言すれば國家は個人の半面を以て組織せられたる團體に外ならざるなり社會に於る此秩序は社會の平安に缺く可らざる者なり故に小社會の合併して以來、國家組織を有せざる社會あらざるなり個人は此組織をなすと同時に一面に於ては自由意思を以て種々の行爲をなしつゝあり。俗に所謂社會現象是れなり。此社會現象は前述せる諸種の意志結合なり。此れなくして國家のみならむには社會は一日も存在する能はず。即ち農作なく、商業なく、學問なく、敎育なく、百工技藝なし、主權者より命ぜられたる官吏の外官吏其者すら是れあるなきなり。國家組織と其他の社會現象と共に存在し而して能く共に維持せらるゝなり

或は曰ふ國家は女を變じて男となすの外一切をなし得べしと然れども一切人民に付て一切の自由を束縛するは出來得可らざるなり之れ常識ある者の一考して明かなる所なり果して然らば則ち國家組織が社會の全般を蔽ひ國家即社會たること固より出來得可らざるなり

今他の譬喩を以て國家は社會の一方面に過ぎざることを明にせん。

假りに國家組織の外に全人民を司配する一大宗敎ありとせん。人民は敎義に從ひ、或る種の行爲をなしつゝある可し。之と同時に種々の職業を撰擇し、種々の事業をなしつゝあるなり。若し宗敎組織が詳密にして人間の微細なる行爲に迄干渉する時は則ち國家組織と相距る遠からざるなり。今宗敎組織は一の社會機關なり。社會機關たる點に於ては國家も亦同じきなり。兩者共に人間意志の一部を司配するのみ。

兹に一の疑問あり。國家組織をなしつゝある個人の享受する自由は拘束內の自由にあらざるやと云ふこと是れなり。實際に於て個人の自由は國家之を禁止せんとすれば則ち禁止し得べき者なり。唯だ之に程度あることは前述の如し。故に國家は全體より個人の行動を見、許す可きを許し、許す可らざるを許さず、換言すれば個人の自由は國家より認められたる外之れなきが如し。

答へて曰はく。然れども個人は法令を以て行動の動機となすが如く淺薄なる者にあらず。深き性情を有し、自發的に種々の行動に出でんとす。國家の之を許すあり、許さゞるあり。特別なる形式を規定するあり。斯く思考すれば則ち個人は本來自由にして偶然的に國家の意志に阻まるゝことあるなり國家より見ればこそ個人行動の範圍を定めたるなれ、個人より見れば國家の阻まざる所なり。則ち個人は國家の意志に服從する點に於て國家の一員たるなり。國家が全體として個人を拘束するにあらず。個人は本來自由にして一方面に於て拘束せらるゝのみ。個人の國家に於けるは其の精神力の一部を使用するに過ぎざるなり。


三 社會心理と國家(二)[編集]

國家の一員としての個人は其全人格を指すにあらずして國家意志に服從しつゝある點のみを指すなり。斯の精神作用によりて國家組織が成就するなり。意志作用が常に一定の規法を踏みつゝあることによりて成立し居るなり。然るに意志作用が此の如き活働をなしつゝある所以は意志は一方に於て主權者に結合し主權カを構成しつゝあるを以てなり。他の方面に於て個人は相互に種々の意志結合をなす。都會あり、村落あり、學校あり、會社あり、朋友あり、俱樂部あり、學會あり、秘密協會あり、賣買あり、雇慵あり、凡で是れ等の意志結合をなすに當り、國家の意志をも採用するは言ふ迄もなきことなり。故に事業の上より見れば國家組織も社會組織も相並びて發現し居るなり。一の會社は個人の自由に結びしなれども或る點に於ては國家の意志に屈服しつゝあるなり。

個人は統ーせる人格を有し、其ー方面に於て國家を組織す。一方面に於て種々の社會現象を組織す。皆個人を以て原子となすなり。社會は意志結合によりて維持せられ、權力は其一部にして國家も權力と必然の關係ある一部なり。

第三章 法律論[編集]

一 國家機關の會員[編集]

國家の組織せらるゝは權力の之れが基礎たるに由るなり。即ち始めより主權者に意志結合するものあり。又は意志結合の大團體の成立を見て之を慴れて結合する者あり。故に國家の骨髄は權力にあり。而して主權者の意志に依りて司配せらる。

人は言ふ國家の意志と。恰も國家を以て一の活動せる者、一の意志ある者となすが如し。其意味如何。今之れを硏究せんとす。

̣國家の組織は主權者の意志によりて决定せらる。組織は他にあらず。個人がー定の方向に於て活動しつゝあるのみ。隨て其組織が實際に維持せられつゝあるは即ち個人が主權者の意志のまゝに活働しつゝあるに外ならず。此個人の活働に付きて區別す可き者ニあり。國家機關の活働と一般臣民の活働と是れなり。國家の主權者は統治の目的を達する爲め種々の機關を設く。機關は個人又は個人の集合にして、其れ等個人は機關の目的を達するに必要なる行動をなす。故に倔人が國家の機關に係屬し、其一員をなしたる以上は主權者の意志のまゝに行動しつゝある者となさゞる可らず。換言すれば一員としての個人は國家の目的に吸收せられつゝあるなり。然らば個人は此以外の生活なきか。換言すれば全人格が吸收せられ居るなるか。袖象的理論より見れば全人格のー方面に外ならず。一員としては其機關の目的を達するに必要なる行動をなせば足れり。然れども此れ比較的の事なるが故に主權者は其目的を達するには全人格を吸收するを必要なりと規定するを得べし。或は全人格の一部を吸收するのみとなすことを得べし。例へば官吏は官省に之きたる時のみ官吏たるに非ずして家居しても亦官吏た官吏たり、服務規律に眼從せざるベからざる者となすが如きは個人の大部生活を吸收したるなり。然る時は官吏は一の職にあらずして個人生活の髓腦たるなり。官吏は一個の機械の類にして人格は頗る遙か减殺せられたる者と謂はざる可らず。或は官吏は單に官省に出仕したる時に於て官吏たり。其外に於ては私人と異なるなく、私人の業務をもなし得るとなすことを得べし。其範圍は主權者の隨意に定め得る所なり。然れども一機關の會員は如何なる塲合に於ても其機關の目的を達し、其機關の利益を達するに勉めざる可からず、少くとも其機關の害とならざる事を勉めざる可らず。此れ會員の行動を束縛する公正なる標準たらずんばあらず。故に國家の機關に係屬する者は一般臣民よりも遙かに束縛せられ居るなり。臣民は其一方面に於て國家の一員たれども官吏は多少の特權あるにせよ、國家の一員たる外に機關の一員として束縳せられつゝあるなり。此故に官吏は其全人格を發揮すること能はず、小天地に跼蹐せざるを得ざるなり。故に官吏としての生活は單調子なるを常とす。

國家の機關は其全員が各々其職を成就するによりて成立し、國家の全組織は其全員が主權者の意志に從ひて活働しつゝあるによりて成立す。國家は則ち個人の一定の活働之れのみ。之を措て他に國家あることなきなり。

二 法律の所在[編集]

凡て倫理なり、法律なり、社會存在しゝあると云ふは記錄の上にて存在するにあらず。各人の實行に於て存在しつゝあるなり。實行しつゝあるが爲めに其社會には理ありと云ひ、法律ありと云はるゝなり。倫理が個人を離れて存在せんか。是れ木石の類なり。個人を離るゝは即ち個人之を實行せざるを意味するなり。此地方に正月樹松の習慣ありと云ふは其地方の人が之を實行しつゝあるを意味するに外ならず。

若し樹松の戸なくんば奚んぞ習償ありと謂ふ可ん。

公德ある社會とは個人が善く公德を實行するを謂ふなり。公德は個人の精神內に在るのみ。離れて公園を逍遙しつゝある者にあらず、又道路に彳立するものにあらず、人々之を行ひ、之に由る。之れ公德ある所以なり。人の行はざる倫理習慣の如きは、社會に存すと云ふ可らず。但だ口碑又は記錄の上にて存在するに外ならず。例へは古人は某々の習慣ありしと謂ふが如し。今夫れ法律も亦個人の實行に於て生命を保つなり。個人の實行は即ち個人の精神中に存在するなり、法律は收めて六法全書の中に在りとは、活字の法律にして現行の法律にあらず。活字の法律は六法全書の灰滅せらるゝと共に灰減すべし。

現行の法律は人の精神中に存するものなれば國家全人類の滅亡せざる限りは存在しつゝあるものなり。

今假りに或る法文あり、主權者自身之を忘れ、全人民亦之を忘れたりとせんか、此れ旣に生命を失ひたるものにして其社會に存在せざるなり。羅馬の法律は記錄上存在するも今日の社會に存在せず。德川時代の法律も亦記錄上には存在するも今日の社會に存在せざるなり。又主權者が之を實行せんとするも臣民之を奉ぜざる時は即ち其社會に存在すと謂ふ可らず。要するに法律が社會に存在するとは實際個人の意志を司配しつゝあるときに謂ふ可きのみ。

三 法律の變動[編集]

法律は人の精神中に存在す。然るに精神は不斷變動す。即ち社會の變遷に件ひ、其精神的構造は自ら變動す。血緣時代の人の精神と、封建時代の人の精神と現在の人の精神と如何に大なる差あるかを見む。

精神の變動は如何にして起るかと云ふに二方面あり。一は國家的行動の影響にして、一は社會的行動の影響なり。法令は個人の行動を規定す。個人は法令のまゝに行ふ事あり。或は法令を恐れ、又は法令を厭ひ其行動を偏せしむる事あり。何れにせよ、皆個人の精神に影響する大なりと謂つべし。社會的行動は即ち衣食なり、交通なり、百工技藝を行ふなり、讀書なり、研究なり、皆然らざるなし。之れ等が個人精神に影響するの大なる何人も認めざるなし。然らば則ち個人の精神は國家的行動に於て將た又社會的行動に於て影響せられつゝある者と謂はざるべからず。

個人精神の變動は此くして起らざるを得ざるなり。即ち其精神的構造が變動しつゝあるなり。即ち諸般の感情も變動しつゝあるなり。或る事柄に對する感情も亦變動しつゝあるなり。例へば結婚に對する古代人の思想と今人の思想と大なる差あるを見るべし。古人は妾を以て輕蔑すべき者となさゞりしが今人は以て不道德となすなり。古人は路傍に溺するを以て惡む可き行爲となさゞりしが今人は公德を失する行爲となすなり。故に法律は明文に於ては變遷なく、終始なしと雖も之に對する社會的感情は業に旣に變動しつゝあること少からず。乃ち個人精神に對する法律の價値は不斷變動す。法律の變動は此くの如くにして起るものなり。維新の際法律の變更せられしも亦人情の變遷に由るなり。

四 法律社會を指導す[編集]

律が却て社會の指導者となり、之を導くこと少からず。例へば少年禁烟令の如き、戸籍上妾を認めざる如き、皆社會の指導者となり、其の弊風を打破せんとするに外ならず。又刑法に於て父母に對する罪は一切宥恕するなきが如きも消極的に孝の重んず可きを示す所以なり。凡そ此れ等の塲合に於ては法律が社會に一步を進むるなれども此の如きを實行するには適當の時期を撰ばざる可らず。會が未だ此の法令を實行するに不適當なる時ならんか却て多くの弊害を伴生すベし。由是觀之。法令の實行は社會の人情を以て標準となす者なり。是れ實に根本原浬なりとなさる可らず。

五 法令の意味[編集]

法令は主權者の意志なり。其意志は何を標準として活働しつゝありや。之れ法律の標準にして複雜なる問題なり。故に之を別論に讓り玆に之を省略す。法令は主權者の意志なるを知れば足れり。主權者の意志として各人の標準となり、各人の行動を規定す。精神の變動と共に不斷變動しつゝあり。臣民は法令の儘行動し、社會は由りて以て立つ。

六 國家の意志[編集]

國家の意志なる語を用ひ得るとせば之れ國家的組織の內に發生せる意志ならざる可らず。此意志たるや象竟人間の意志なり。人間の意志が如何なる進路を經て國家の意志となるか。吾人を以て之を見るに主權者の意志の軌道によりて發生せる者は國家組織內の意志にして隨て國家の意志と謂ふべきなり。今例を以て之を明にせむ。一個人の意志に就て之を論ぜんに個人に大なる意志あり、其中に小なる意志あり。例へば今食事をなさんとするは大なる意志なり。起ちて一步一步足を動かすは小なる意志なり。小なる意志は大なる意志と矛楯せざるのみならず。其內に豫想せられ居るなり。一團體は「ホッブス」の言へる如く一個の意志なかる可らず。其意志は,原始的狀態に於ては單に多くの人の一般に唱ふる所のものなり。

然れども多くの人の一般に唱ふる所を以て事を决せんとするは不便少なからず。是に於てー會社は規則を設け意志創作の機關を定む。評議員會議と社長の捺印との如き是れなり。此れ等の機關によりて决定せられたる意志は即ち其會社の意志なり。精密に言へば規則上の意志に外ならざるなり。會員が規則を重んずる丈其れ丈遙かの範圍に於て此意志を以て滿足し居るなり。

會社の規則を重んずるは、會員資格の骨髓なり。會員は此根本的動機を有す。此を以て其規則內に作られたる意志は有効なるなり。

國家の意志も亦之れに同じ。發現の方面より見れば法律なり、命令なり、諭達なり、公布なり、凡そ日本の法律系統內にて作られし者は皆國家の意志なり。日本の「規則」は統一せられたる一體なり。此一體は個人の意志を拘束しつゝある者なり。故に之の軌道によりて生じたる者即ち國家の意志となさゞる可らず。若し精密に言へば議會の協賛を經たる主權者の意志を第一次的の意志となし。縣會又は郡會の議决したるものを第二次的の意志となし、市、町、村會の議决したるものを第三次的の意志となすべし。此れ等の意志は皆「規則」の內にて產出せられし者、故にみな國家の意志となすべきなり。三次的意志は二次的意志の豫想する所二次的意志は一次的意志の豫想する所なり。然れども茲に述べざる可らざるは意志と人格との別なり。

意志は其れ自身獨立なる作用なるか又は或る「人格」の作用なるか。曰く個人に在りては固より人格の一作用なり。然れども國家の人格は擬名なり。國家なる人格の意志と云ふを得ず。故に國家の意志は法律により組織せられたる人間間に生じ法律の定めたる目的を達する所の意志に外ならず。其法律が變更せられ、其組織が變更又は消滅したればとて一度發せられたる意志は人民が之を遵奉しつゝある以上は存續して滅する事なし。然れども其實行が必ず此組織を待つものに在りては其組織の亡滅と共に亡滅せざるを得ざるなり。要するに國家の意志とは人格より發したるものにあらずして法律によりて定められたる人間組織の間に起り法律に定めたる目的を達する所の意志なり。而かも所謂三次的、二次的、一次的の意志は相ひ豫想し相ひ統一する者なり。然かも皆ー樣に新法令をなす者なり。然り而して此系統の基礎となり居るは權力其者なり。今此關係を圖にて示さば左の如し。

權力

  • イ 一次的意志
  • ロ 二次的意志
  • ハ 三次的意志

社會の意志は之に對して自由に各個人の思考する所の者なり。即ち一般の人の一致する所の意志なり。

國家の意志は社會意志に依りて影響せらる。之れ法律にて組織せらるゝ團體の官吏も同じく有靈的にして社會意志の在る所を知り之を採用するが爲めなり。

七 臣民の意志と國家の意志[編集]

臣民は國家組織の會員なり。會員としての個人が述ぶる所の意志は國家の意志とならざるか。吾人の觀る所を以てするに凡そ「某」の意志と云へば其主體より出でたる者ならざる可らず。今國家の意志と云へば國家の主體より出でたるものならざる可らず。國家の主體は主權者なり。臣民の意志は主權者に出でず。故に國家の意志たる能はざるなり。

明治三十八年七月廿八日印刷 國家論
明治三十八年七月丗三日發行 正價 二十錢
  著作者 遠藤隆吉
發行者 東京本鄕四丁目五番地
淸水金右衛門
印刷者 東京京橋日吉町十番地
中村彌助
發行所 東京市本鄕四丁目五番地
電話下谷二千二十九番
文明堂

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