商法学校設ケザル可ラス

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本文[編集]

『大坂新報』明治12年8月14日第498号所載分

曽テ聞ク、大坂ハ三府ノ一ニ[シテ]、戸数九万三千六百五十九戸、人口二十八万七千五百八十人、人家稠密、豪商軒ヲ並ヘ、西、海ニ接シ、市中溝河相通シ、船舶往来運輸最モ便ニシテ、商売繁昌ノ市街ナリト、余以為ラク、人知ハ世ノ変遷ト与ニ開進シ、商売ハ貿易ト与ニ改良シ、既ニ実業ノ学校ヲ興シ、商家ノ子弟ハ商法ヲ講シ、船乗ノ子弟ハ航海ヲ学フナラント、然リ而[シテ]去ル十日、余輩梅田ノ停車場ヲ下リテ徐ロニ市街ヲ徘徊シ、府中ノ状況ヲ見ルニ、果シテ余ノ前日聞ク所ニ違ハス、戸々密接建築壮麗、溝河四通、屋上ノ楼閣ハ高ク天ニ聳ヘ、商戸ノ旗章ハ翩々風ニ翻リ、実ニ全国商業ノ中心ナリ、然ルニ其中特ニ怪ム可キノ一事アリ、此商売ノ中心府ニシテ、商法学校ノ設ケナキ是ナリ

凡ソ人間ノ事務ニハ内外ノ別アリ、古ヘ鎖国ノ世ニ在テハ、農夫モ能ク耕圃ノ時ヲ察シ、在来ノ作物ヲ耕シ、穀菓ヲ収納シテ一家ヲ支ヘ、余羸ヲ鬻キ、内国人ニ供給スルヲ得ハ、乃チ一家ヲ興シ一身ヲ全フスルヲ得可ク、商人モ能ク国内ノ景気ヲ察シ其機ヲ失ハザレバ、乃チ一家ヲ興シ家名ヲ損セズ、一身ノ生計ヲ立ツルヲ得ベシ、是商人ガ当時内外ニ対スルノ責ヲ尽シタル者ト謂フテ可ナラン、且夫レ農商モ、啻ニ内国ニ於テ相互ノ地位ヲ比較シ、彼ハ貧賤也此ハ富貴ナリ、彼ハ精巧ナリ此ハ拙劣ナリト謂フニ過キザレバ、其栄辱モ単ニ内国ニ止リタレ[トモ]、今ヤ然ラズ、蒸汽船ノ発明ハ以テ世界ヲ縮小シ、今日茫洋万里ノ波濤ヲ航スルハ、昔日近江ノ湖水ヲ渉ルヨリモ易シ、又伝信ノ発明ハ以テ遠国ヲ近隣ニシ、今日欧米人ト通信スルハ、昔日隣町ノ人ニ消息スルヨリ速ナリ、是ヲ以テ今日世界ヲ巡周スルハ、恰モ昔日我国ヲ巡周スルニ異ナラズ、欧米ノ通商モ数十日ニシテ為スヲ得可シ、故ニ外国ノ貿易ハ月々ニ増シ、外人ノ来航ハ年々ニ加リ、俄然事物ノ体面ヲ一変シ、復タ昔日ノ有様ニ安ンス可ラサルニ至レリ、於是乎、昔日ノ豪富ト称セシ者ハ内国ノ富豪ニ[シテ]、前日ノ精巧ト呼ヒシ者ハ内国ノ精巧ニ過キス、今全国ノ富ト諸商人ノ才トヲ合シテ、其強弱大小ヲ海外ノ各国ニ比スレハ、甚タ微カニシテ、其差天地懸隔モ亦啻ナラザルナリ、然リト雖[トモ]、一己[1]ノ商人ニ就テ論ズレバ、諸開港場ニ於テ外国人ト商売ノ取引ヲナシ、或ハ意外ノ利益ヲ占メ、一朝巨万ノ富ヲ致セシ者ナキニ非ラザレ[トモ]、直ニ之ヲ目シテ、日本商人ガ外国ノ商売世界ニ於テ利益ヲ得タリト為ス可ラズ、独リ利益ヲ得タリト為ス可ラザルノミニ止ラズ、又日本商人ガ内外ノ責ヲ全フシタル者ト謂フ可ラズ、是レ取リモ直サズ一時一商人ノ僥倖ノミ、其訳何トナレバ、他ニ数百ノ日本商人ガ、外国商売ニ於テ失敗ヲ取ルアレバナリ

今若シ開港以来年々歳々ニ商売ノ全体ヲ平均シテ、其間我ニ利スル者多キヲ得バ、始メテ日本商人ハ内外ニ対スルノ責ヲ尽シタリト謂フヲ得可キナリ、然リト雖[トモ]試ミニ開港以来十数年間ノ貿易表ヲ繙ケ、年々歳々貿易市場、利ヲ網スル者ハ我ニアラスシテ彼ニアルハ、今余ノ弁[2]ヲ待タズシテ明カナリ、果シテ然ラバ、今日我国ノ商人ハ、商売世界ニ於テ未タ以テ内外ノ責ヲ全フセザルナリ、焉恬然古風ニ安ンズルヲ得ンヤ、宜シク商売ノ学ヲ講シ、商売ノ術ヲ研キ、何故ニ我国商人ハ商売上外人ト競フ能ハザル乎、将タ彼の長所ハ何レノ点ニ在ル乎ヲ探求シ、以テ古風ノ弊法ヲ改革シ、外人ト商売世界ニ立テ敗ヲ取ラサルノ手段ヲ為シ、技倆ヲ外人ト戦カハシ、商利ヲ外人ト争ヒ、日本全体ノ富ヲ合セテ海外各国ニ比シ、日本ノ恥辱ヲ招カサル様注意セサル可ラズ、之ヲ是レ日本商人ノ責任ト謂フ


『大坂新報』明治12年8月15日第499号所載分

外国ノ交際日ヲ追テ親密トナリ、通商盛ニ行ハレ、外賓踵ヲ接シテ来ルノ今日ニ当テ、依然古風ニ安ンス可ラザルハ以上記スル所ノ如クナレハ、看客諸君ハ業既ニ了知セラレタルナラン、今ヤ歩ヲ進メテ、現在ノ商売法ニテハ何等ノ差支アルカヲ吟味シ、併セテ其弊ヲ改良スルノ手段ニ論及セント欲ス

近ク例ヲ取テ田舎ニ一ノ商賈アリトセン、此商人ノ鬻ク所単ニ一物ニ止ラス、日用ノ家具農具ヨリ飲食物ニ至ル迄、一切ノ物品ヲ鬻クト雖[トモ]、世間ノ交際狭ク、偶々市場ニ出テゝ商況ヲ聞キ、或ハ書面ヲ往復シテ相場高低ノ一端ヲ窺フニ過キザレバ、毎日其己[3]ガ売買スルノ品物ハ、何ノ土地ニ産スル乎、将タ幾千ノ人工ヲ経テ成リシ乎ヲ知ラズ、且問屋ノ家風手代ノ所為等ヲ弁ヘザルガ故ニ、仕入方常ニ不利ヲ受ケ、正味ノ利潤ハ問屋ノ占ル所ト為リ、僅カニ糟粕ヲ嘗ムルニ過キス、甚シキハ問屋ヨリ売先悪シキ品物ヲ授ケラレ、意外ノ損耗[4]ヲ請ル[コト]モ亦多カラン、加フルニ其内部ニ入テ売捌ノ状況ヲ見レハ、毫モ一定ノ規則ナク、帳簿紊乱、順序錯雑、何品ニ就テ何程ノ利益アリ、何品ニ就テ何程ノ損耗[5]アリシヤハ、主人自ラ知ラス、五里霧中ニテ商売ヲ営マハ、問屋ノ目ヨリ之ヲ見ル[トキ]ハ、其商売ニ迂闊ナル、笑フ可ク又憫ム可キ者アラン

若夫問屋ニシテ、商売取引ノ間ニ不正ノ利益ヲ罟ミセント欲スル者アラハ、此輩ノ金銭ヲ取リ尽ス[コト]甚タ難キニ非ル可シ、又此種ノ商人ガ、偶々田舎ノ産物ヲ運輸シ来テ市場ニ鬻キ、以テ利ヲ射ラント欲スル[コト]アルモ、市場ノ景況ニ暗キガ故ニ、或ハ奸商ノ術中ニ陥リ、或ハ商売ノ機会ヲ失ヒ、目的ヲ達スル者殆ント稀ナラン、好シ幸ニ正直ノ問屋ニ際会シ、尋常ノ取引ヲ為スモ、其間商利ヲ平分スル能ハザルヤ必セリ、盖シ我国商人ガ、現時貿易市場ニ於テ外国人ト商利ヲ争フ者、右ノ場合ニ類スルナキ歟、余ヲ以テ見[トキ]ハ、猶ホ之ヨリ甚シキ者アリ、看ヨ田舎商人ガ都会ノ問屋ト取引ヲナスガ如キハ、縦令帳簿整ハズ機会ヲ知ラザルニモセヨ、兎ニ角適々ハ市場ニ出テ問屋ト談話シ、或ハ手紙ヲ往復シテ消息ヲ通スルヲ得可シト雖[トモ]、我国ノ商人ガ外人ト商売ヲ為スガ如キハ、自ラ英文ヲ解セザレハ文章ノ往復ヲ為スヲ得ス、英語ヲ知ラザレハ親ク談話スルヲ得ス、商法ノ学ヲ修メザレハ商売ノ理ニ疎ク、輸入ノ物品ハ何国ニ産スル乎、物価ノ騰貴ハ何ノ原因ニ出ル乎、物価ノ下落ハ何ノ影響ニ因ル乎ヲ弁セス、其状恰モ暗夜ニ灯ナクシテ歩行スルニ異ナラス、取引ヲ為ス、必ス他人ニ依頼セザルヲ得ス、是ヲ以テ我日本商人ニシテ、外国ニ出店通商スル者ノ如キハ寥々乎トシテ稀ナリ、如此ナレハ、我国ノ貿易ヲナサント欲スル者ハ、独リ五港在留ノ外人ニ依ルアルノミ、故ニ外人等往々奸謀ヲ画キ、恣ニ市場ノ物価ヲ高低シ、商利ヲ網ミスル等ノ[コト]ナキニ非ス、是レ単ニ我国商人ガ商理ニ疎キニ因ルト謂フモ不可ナキ也、剰ヘ商人ノ内幕ニ入テ其実況ヲ視察スレハ、記簿法熟セスシテ帳簿未タ全ク整頓セス、会計未タ全ク明ナラス、如此ノ有様ニシテ、彼鋭敏熟達ノ外人ト商利ヲ争ハント欲ス、泰山ヲ挟ンデ[6]北海ヲ超ユルノ類ナリ、抑亦タ難乎哉、然リト雖[トモ][7]、我国開港以来年ヲ経ル[コト]僅カニ十数年ニ過キサレバ、万般ノ事一々咎ム可ラザルハ勿論ナレ[トモ]、外国貿易ノ如キハ国家興廃ノ存スル所ニシテ、一日権衡ヲ失スレハ、忽チ幾万ノ損害ヲ醸シ、一年権衡ヲ失スレハ、幾百万ノ損耗ヲ来ス、豈一日モ忽諸ニ附ス可ケンヤ、一日モ早ク商法学校ヲ設ケテ商業ノ術ヲ研キ、取捨折衷、従来ノ弊ヲ矯メ、帳簿ヲ改正シテ会計ノ道ヲ明カニシ、貿易市場ニ立テ外人ト商利ヲ争ヒ、彼輩奸謀ヲ看破シ、進ンテ海外ニ通商シ、到底日本商人ノ才ト日本ノ富トヲ合シテ彼ニ比スルモ、敢テ耻チザルノ地位ニ達セザル可ラス、此時ニ至テ現時日本ノ商人ハ、始メテ内外ノ責ヲ全フセシ者ト云フヲ得可キナリ

脚注[編集]

  1. 原文は 「巳」で、「マゝ」 と付記
  2. 原文は 「辨」 で、「マゝ」 と付記
  3. 原文は 「已」で、「マゝ」 と付記
  4. 原文は 「損毛」で、「マゝ」 と付記
  5. 原文は 「損毛」で、「マゝ」 と付記
  6. 原文は 「狭ンテ」 で、「マゝ」 と付記
  7. 原文は 「難[トモ]」で、「マゝ」 と付記

この著作物は、1941年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。