名大女子学生殺人事件一審判決
殺人未遂,火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反,器物損壊,殺人,現住建造物等放火未遂被告事件
名古屋地方裁判所平成27年(わ)第2236号
平成29年3月24日刑事第1部判決
判 決
職業 無職
被告人 甲 平成7年○○月○日生
主 文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中180日をその刑に算入する。
名古屋地方検察庁で保管中の硫酸タリウム入りのビン1個(平成27年領第4359号符号5)及び押収してある手斧1本(平成29年押第1号の2)を没収する。
理 由
(罪となるべき事実)
第1 被告人は,入手した硫酸タリウムを使ってみたい,他人に硫酸タリウムを摂取させてタリウム中毒の症状を見てみたいとの興味から,硫酸タリウムが劇物であり,これを人に摂取させればタリウム中毒により死亡するかもしれないことを認識しながら,そうなっても構わないと考え,平成24年5月27日,仙台市a区b町c丁目d番e号株式会社P店において,乙(当時16歳)に対し,硫酸タリウム入りのビン(名古屋地方検察庁平成27年領第4359号符号5)から同所備付けのストローに付着させて取り出す方法により,飲料水に硫酸タリウム約0.8グラムを混入し,その頃,同所において,これを同人に飲ませたが,同人に約2年10ヶ月間にわたり下肢末梢神経障害が存するタリウム中毒の傷害を負わせたにとどまり,殺害するに至らなかった。
第2 被告人は,入手した硫酸タリウムを使ってみたい,他人に硫酸タリウムを摂取させてタリウム中毒の症状を見てみたいとの興味から,硫酸タリウムが劇物であり,これを人に摂取させればタリウム中毒で死亡するかもしれないことを認識しながら,そうなっても構わないと考え,平成24年5月28日,仙台市f区g町h番d号M高等学校において,丙(当時16歳)に対し,前記硫酸タリウム入りのビンから耳かきですくう方法により,同人が使用していた飲料水入りのペットボトル内に硫酸タリウム約0.8グラムを混入し,さらに,同年7月19日,前記高等学校において,同人に対し,前記硫酸タリウム入りのビンから事前に作り分けて持っていた水溶液を入れる方法により,同人が使用していた飲料水入りのペットボトル内に硫酸タリウム約0.4グラムを含有する水溶液を混入し,いずれもその頃,前記高等学校内,同区ij番地のkRIE方又はそれらの周辺において,これらをそれぞれ前記丙に飲ませたが,同人に中毒性視神経症の後遺症を伴い,約3年間にわたり下肢末梢神経障害が存するタリウム中毒の傷害を負わせたにとどまり,殺害するに至らなかった。
第3 被告人は,平成26年8月29日頃,仙台市a区m町h番n号N方において,飲料水のペットボトル1本(容量500ミリリットル)に灯油を入れた上,同月30日午前2時49分頃,同区o町d丁目c番e号丁方敷地内において,前記ペットボトルの飲み口に新聞紙を差し込んで点火装置を施し,もって火炎びん1本を製造した。
第4 被告人は,平成26年8月30日午前2時49分頃,前記丁方敷地内において,前記火炎びんに点火した上,これを同人方居間掃き出し窓外の縁側に置き,その火の熱により同人所有の同掃き出し窓をひび割れさせ(損害額1万0800円),もって他人の物を損壊した。
第5 被告人は,自分の手で人を殺す体験をし,そのときの人が死にゆく様子を見てみたいとの興味から,平成26年12月7日,名古屋市p区q町r番地Ss号当時の被告人方において,戊(当時77歳)に対し,殺意をもって,手斧(平成29年押第1号の2)でその頭部を少なくとも6回殴打した上,マフラーでその頸部を4ないし5回絞め,よって,その頃,同所において,同人を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害した。
第6 被告人は,知人方に放火してその住人を殺害し,その焼死体を見てみたいとの興味から,平成26年12月13日午前3時25分頃,殺意をもって,知人方と誤信していた,前記丁(当時66歳)ほか2名が現に住居に使用し,同人らが現にいる同人方前記第3の家屋(木造2階建,床面積合計約88.60平方メートル)の玄関引き戸の郵便受けから玄関内にジエチルエーテルを注ぎ入れた上,火を点けたマッチを同郵便受けから玄関内に入れて火を放ち,その火を同玄関内に掛けられていたカーテン等に燃え移らせ,同人方前記家屋を焼損しようとするとともに,同人らを殺害しようとしたが,同人が消火したため,いずれもその目的を遂げなかった。
(証拠の標目)《略》
(争点に対する判断)
第1 当事者の主張
本件の主たる争点は,判示第1及び第2(タリウム事件)における殺意の有無及び傷害結果の内容並びに判示各行為時の責任能力の有無である。
これらの争点のうち,傷害結果については下肢末梢神経障害の残存期間につき検察官と弁護人らの間で異なる期間が主張されているほか,殺意(判示第1及び第2)について,検察官は,行為の客観的危険性やかかる危険性に対する被告人の認識から,本件各行為時に弱い殺意(未必的殺意)はあった旨主張するのに対し,弁護人らは,被告人が抱える発達障害や双極性障害等の精神障害の影響から殺意が認められない特段の事情がある旨主張する。また,責任能力(判示全て)について,検察官は,精神障害の影響は限定的であり,本件各犯行全体を支配するほど重大かつ広範囲なものではなかったとして,判示各行為のいずれについても完全責任能力であった旨主張するのに対し,弁護人らは,判示各行為は被告人の重複する複雑で重篤な精神障害の影響によるものであるから,被告人が心神喪失の状態であった旨主張する。
そこで,これらの争点について検討する。
第2 当裁判所の判断
1 当裁判所が認定した事実
関係各証拠によれば,本件各犯行に至る経緯,各犯行状況,判示第1及び第2の各被害者の被害状況,タリウムの危険性等について以下の事実が認められる。
(1)被告人の高校時代
ア 被告人の化学薬品に対する興味
(ア)被告人は,高校1年の冬頃から,学校での化学の成績が良かったことなどをきっかけに化学薬品に興味を持つようになり,高校2年であった平成24年7月までの間に,後述する硫酸タリウムのほか,水酸化ナトリウムや硫酸銅,メタノール,亜硝酸ナトリウム,酢酸鉛,水銀をそれぞれ購入して収集した。これらの化学薬品のうち,硫酸銅については,同年4月頃,高校に持参して同級生に舐めさせてその反応を見て楽しんだほか,同月頃,亜硝酸ナトリウムを被告人自身が舐めたり,同年5月頃,酢酸鉛を妹に舐めさせたりした。
また,被告人は,同月5日から同月11日までの間,亜硝酸ナトリウムや多数のタリウム化合物などの化学物質,殺鼠剤,日本の毒物一覧,日本国内で発生したタリウムを用いた複数の事件に関するウェブページなどへインターネットを通じアクセスして閲覧したほか,同月3日から9日までの間,タリウム及びタリウム化合物に関するウェブページへ合計10回アクセスしているところ,同ページには,タリウム及びタリウム化合物の毒性に関して,その毒性が高いことや成人で200ミリグラム以下の死亡例の報告があること,成人の推定致死量について「8 - 12mg/kg」「12mg/kg」「12 - 15mg/kg(タリウム塩として)」「約1g(吸収されたタリウム量として)」との記載があり,その他,中毒症状についての概要や詳細な症状が掲載されていた。
(イ)被告人は,同年4月又は5月頃,被告人が化学薬品を隠し持っている旨を妹から聞いた父から持っている化学薬品を見せるように言われたところ,水酸化ナトリウムと硫酸銅を出させられた。また,被告人は,同年5月22日頃,父から他に化学薬品を持っていないのか問い詰められたのに対し,硫酸タリウム等複数の化学薬品を持っているにもかかわらず持っていない旨答えたところ,父が被告人の部屋の中を調べてベッドの下から亜硝酸ナトリウムを発見し,これを取上げたため,逆上した被告人は家を飛び出し,その後警察官に付き添われて帰宅した。
イ 硫酸タリウムへの興味と平成24年5月における同級生への投与
(ア)被告人は,平成24年5月上旬頃から高校の同級生に硫酸タリウムを投与したいと考え始めていたところ,同月中旬頃,当初投与を考えていた同級生のAが持ってきていないペットボトルを,隣の席に座っている同級生の丙が持ってきていたため,丙を硫酸タリウム投与の候補者と考えるようになった。
また,被告人は,硫酸タリウムをコレクションとしたい気持ちと他人に投与したい気持ちから,同月10日,山形県天童市所在の薬局において,自身が浪人中であって金属樹を作る化学実験で使いたい旨を話し,硫酸タリウムを購入できない満18歳未満であることを隠して19歳と偽り,酢酸鉛500グラムと共に硫酸タリウム25グラム1瓶を発注し,同月20日,前記薬局の店頭でこれらを受け取った。そして,被告人は,同月21日から同月27日までの間に,高校に硫酸タリウムのビンを持参し,同級生であるBに見せるなどした。
(イ)被告人は,同月27日朝,乙に硫酸タリウムを投与しようと考え,乙に対して今日の予定が空いているかメールで尋ねたところ,一度は乙から所持金が少ないことなどを理由に断られたが,東京か神奈川に引っ越すから会えるのが今日で最後になる旨の嘘を付くなどして更に誘い,乙と二人でカラオケに遊びに行く予定を取り付けて仙台市内のカラオケボックスに行った。そして,被告人は,乙の飲み物をドリンクバーへと取りに行く際,同カラオケボックス内の非常階段において,所持していた前記硫酸タリウムのビンを開封し,カラオケボックス備付けのストローを数ミリメートルの深さまで突き刺し,ストローの先に粉末の硫酸タリウムを付着させようとしたが,わずかな量しか付着しなかったため,同所で硫酸タリウムを混入させることは断念したものの,乙がトイレに行くため二人が滞在していた部屋を離れた間に,今度は先端を湿らせたストローを用いて判示第1の行為に及んだ(なお,被告人の認識では,このとき混入した硫酸タリウムの量は約0.5グラムであった。)。
被告人は,その帰り道に,薬さじとして使用するための耳かきを購入した。
(ウ)被告人は,同月28日朝,丙がペットボトルを持参していたことから丙に硫酸タリウムを投与しようと決意し,同日午後,学校行事のために同級生が全員講堂へと移動した際にわざとネクタイを教室に忘れて講堂へ移動し,ネクタイを忘れたと周囲の同級生に告げた上で教室へと戻り,判示第2の1回目の行為に及んだ。その際,被告人は,前日に購入した耳かきを使用したほか,硫酸タリウムを混入したペットボトルを回し振り,粉末の硫酸タリウムが溶けきったことを確認した上で講堂へと戻った。
(エ)被告人は,同月30日,透明の水筒を持参していた同級生のCに硫酸タリウムを投与しようと,粉末の硫酸タリウムを前記水筒に混入させたが,水筒を回し振ったものの,滞留して溶けきらなかったため,その水筒の中身を廃棄した。
ウ その後の行動と丙に対する2回目の投与
(ア)被告人は,平成24年5月31日頃,父に連れられて仙台北署に行き,本来年齢制限のため購入できないはずの劇物を所持していたことについて,警察官から厳しく注意を受けた。これに対して被告人は反省の態度を見せたため,それ以上の処分等はなかった。
その後,被告人は,同年6月上旬には警察に捕まることを意識するようになり,仙台から山形県内への逃走ルートを確認したり,山形にある母方の実家に置いてある預貯金から逃走資金を確保したり,逃走の際に捕まりそうになったときに捕まえに来た人に対する妨害の道具として,目つぶし用の水酸化ナトリウム水溶液を準備したりしたほか,この頃,高校から帰る際,警察官が自宅に来ていないか,妹に対して日々確認するなどしていた。これに加えて,被告人は,硫酸タリウムを取り上げられた場合の予備という趣旨から,妹に対して,プラスチックケースに小分けした硫酸タリウムを渡していた。
また,被告人は,同月下旬頃,以前注意した他に買った薬品はないか父から尋ねられたところ,酢酸鉛のビンを出した一方で,持っていた硫酸タリウムは申告することなく隠し通した。
(イ)被告人は,同年7月上旬頃,硫酸タリウムの水溶液を作って持ち歩いていた。そして,同月17日,高校を欠席していた丙が高校に再度登校したところ,同月18日,外見上は丙にタリウム中毒の症状が余りうかがわれなかったことに驚き,更に丙に対して硫酸タリウムを投与することを決意し,翌19日,球技大会で同級生がいなかった教室において,判示第2の2回目の行為に及んだ。
エ 高校3年冬のDに対する首締め
被告人は,高校3年であった平成25年末から平成26年の冬頃,高校の教室において,友人であるDに対して,その承諾の下でマフラーを力一杯引っ張り,首を絞めたものの,前記Dが苦しい旨の意思表示をしたことから,事前の約束どおりに力を緩めて首絞めを中断した。
(2)被告人の大学時代
ア 被告人の大学生活
被告人は,平成26年4月,O大学V1学部へと入学して大学生となり名古屋市内で一人暮らしを始めたところ,大学1年の夏頃までの大学生活においては,講義におおむね出席して学業に勤しむとともに,応援団の部活動やピアノ同好会でのサークル活動にも参加しており,友人関係も問題なく形成していった。
イ 判示第3及び第4の各行為前後の行動
被告人は,帰省中であった平成26年8月29日の夕方から夜頃,仙台市内の実家において,高校2年の時に購入して焼死体に対する興味を抱く契機となった,法医学者の著作である『Z』を再読したところ,焼死体に対する興味が再びわき,高校2年の時に空想していた,妹の同級生方と誤信していた丁方への放火を決意し,判示第3の前半部分の行為に及んだ。そして,人通りが少ない時間帯となるまで待った上,翌30日午前2時から午前2時30分頃,遅くともその頃までに高校時代の制服に着替えた上で実家を出発すると丁方へと自転車で行き,判示第3の後半部分及び判示第4の各行為に及んだ(なお,被告人は,同月29日の午後9時頃には実家を出発して翌30日午前3時頃まで仙台市内を自転車で走り回るなどしていた旨供述するが,母や妹がそのことに気付いた形跡が全くないことや供述が変遷したことについて何ら合理的な説明がなされていないことなどから,被告人のこの供述は信用できない。)。
その後,被告人は,同年9月1日,友人であるDと丁方付近を訪れたところ,丁方を焼失させることに失敗したことを確認した。
また,被告人は,同月26日ないし29日頃,妹が名古屋市内の被告人方を訪れた際に,妹に対して丁方に火炎ペットボトルを設置して放火を試みたことを告白するとともに,判示第4の行為に際して使用した着火剤の処分を依頼した。
ウ 判示第5の行為前後の行動
(ア)被告人は,平成26年11月2日ないし5日,ツイッター上の閲覧者が制限されているアカウントから,「親を刺し殺す夢を見る夢を見た。」「人を殺したいとは思いません。ただ,人を殺してみたいとは思います。」「出来れば大学院に行きたいんだけど、そうすると少年のうちに殺人することを諦めなければならない。葛藤である。」「少年犯罪って、現役合格と同じ感じの輝きがあると思います。」「2012年5月27日が初めて。次の日の5月28日が2回目。2014年8月30日が、3回目。(小さなことはいちいち覚えていないのでカウントしないこととします。)」「部活動の存在は、殺人衝動を抑えてくれる一方で、殺人欲の邪魔をしています。」「人が死ぬという現象に興味があります。」「犯罪を犯して逮捕されるまでの間は、日常のありがたみが身に染みる。しかし、なかなか捕まらないといつしかその気持ちを忘れる。その結果、日常の素晴らしさを思い出すべくまた犯罪をしたくなるのだ。あくまで私の場合だが。」「自分の場合、殺したい対象は人。猫とかハムスターとかはそうでもない。」との各ツイートを書き込んだ。また,被告人は,平成26年11月9日,妹に対して,「丙、なつかしい。今は高3だよな…」「今のところ、殺人未遂なら何回かあるけど殺人はないんだよな」「はぁ~ダメだな自分。未成年のうちに絶対殺ってやるから!」「アハハハハハ、人の人生を狂わすのは面白い」という内容のメールを送信した。
被告人は,同年10月から11月頃,被告人方を訪れる可能性がある大学のサークルの友人を殺害することなどを考えていたところ,同年10月上旬頃から被告人方へと,Pへの宗教勧誘のために訪れていた戊から,同年11月30日,同年12月7日にPの宗教施設であるQで開かれる集会に誘われ,これを承諾した際,これが戊を被告人方に誘い入れる口実になると考え,被告人方において戊を殺害することを決意した。
その後,被告人は,同年11月30日から同年12月6日にかけて戊を殺害する段取りについて検討し,Qに行くために被告人方に迎えに来た戊を被告人方に誘い入れることや,お茶を入れるふりをして戊の背後に回り込んだ上で頭部を手斧の背で殴る方法で殺害することなどを考えたほか,同月5日,ツイッター上の閲覧者が制限されていないアカウントから「O大出身死刑囚ってまだいないんだよな」とのツイートを書き込んだ。また,同月6日,戊から翌日の午前9時30分に迎えに行く旨の電話連絡を受けて都合は大丈夫である旨回答したほか,部屋の片付けをしたり,翌7日に予定されていた応援団の部活動について休む旨の連絡を入れたりした。
(イ)被告人は,同日朝,戊が被告人方へと被告人を迎えに訪れてそのまま出掛ける流れとなったことから,戊と共に前記Qへと向かい,午前10時頃から11時45分頃にかけて開催された集会に出席した。被告人は,集会の前後にF等の多数の参加者から声を掛けられて会話をしていたが,その会話にかみ合わないところなどはなく,いたって普通に会話をしていた。集会終了後,被告人は,戊に対してPに興味を持ったので分からないところを解説してほしい旨申し出て被告人方へと誘い,戊と二人で被告人方へと移動した。
そして,被告人は,被告人方において,戊にいすに座るよう促した上で,「お茶どうですか。」と勧めたところ,戊からその申出を断られて戊の背後に回り込む口実がなくなり動揺したが,戊が被告人の質問に答えて聖書に関する解説を行う中で,戊の背後にティッシュボックスがあることに気が付き,戊に対して「ティッシュを取っていいですか。」と言って戊の背後に回り込み,ティッシュボックスを取るふりをしつつ,バッグに入れていた手斧を取り出し,判示第5の手斧での殴打行為に及んだ。
戊が倒れ込むと,被告人は,カーテンが開いていることに気が付いたためカーテンを閉め,倒れている戊の写真を撮ったほか,血が出ている戊の頭部を触ってへこんでいることや血に粘り気があることを確認し,さらに,戊が依然として呼吸していることなども確認した。そして,被告人は,戊が首に巻いていたマフラーで首を絞めてみようと考え,判示第5の首絞め行為に及んだが,その際,約1分間引っ張っては緩めることを4回繰り返したところ,戊の脈がなくなり,被告人は戊が死亡したものと認識し,その上で蘇生することがないように更に1回マフラーで首を絞めた。なお,この頃,被告人は戊が倒れている様子を携帯電話で写真撮影をしたところ,その撮影時刻は午後0時59分であった。
引き続き,被告人は,戊の遺体にナイフを刺してみようと考え,戊の遺体を浴室へと運んだ上でその首とふくらはぎにナイフを刺したほか,室内にあった戊のかばん等持ち物をクローゼットに片付けるとともに,GPS機能が気になったことから戊の携帯電話の電源が切れていることを確認した。
(ウ)被告人は,同日午後2時9分,妹に対して「今から宮城に行っても良いかな。」とのメールを送信し,以後,妹との間でメールのやり取りを続けていたところ,妹に対して電話をかけ,殺人をしたことを伝えたほか,血が付いたズボンを着替えるなどした上で近所のホームセンターに行き,同日午後2時43分,のこぎりを購入した。
その後,同日午後9時30分から午後10時頃,前記集会に戊と共に参加していた前記FとGが,戊の夫から戊が帰宅していない旨の連絡を受けて被告人方を訪ねてきた。これに対し,被告人は,特に動揺することなく,戊は午後3時頃に帰っており,玄関からアパートの通路を歩いて行くのを見送った旨話した。
なお,被告人は,同日いずれかの時刻に,ツイッター上の閲覧者が制限されていないアカウントから「ついにやった。」とのツイートを書き込んだ。
そして,被告人は,翌8日午前5時頃,被告人方を出発して朝一番の新幹線で仙台の実家へと向かったところ,その際,手斧やナイフ,血の付いたズボンのほか,同年10月31日に注文して同年11月16日に受領していたジエチルエーテル等の薬品類などを持って帰った。そして,仙台の実家に着くと,直接妹に対して,宗教の勧誘に来たおばさんを斧で殴って殺した旨を話すとともに,血が付いたズボンを洗ってほしいことやメールを消去してほしいことを伝えた。
エ 判示第6行為前後の行動
被告人は,平成26年12月8日に帰省して以降,妹に対して,もう捕まるからお金を使って遊びたいとか,もう1回丁方に火を点けたい旨話していたほか,同月14日にはPの集会があることから,その頃には戊を殺害したことが発覚して警察に捕まるのではないかと考えていた。そして,同月12日昼頃には,妹に対して丁方に火を点けると話しており,同日午後9時頃から,実家のリビングにおいて,最後の晩餐のようなつもりで妹と相当量のウィスキーを飲むなどしていたところ,最終的には,捕まる前に8月に失敗した放火を成功させて,以前から興味を抱いていた生活反応のある焼死体を見てみたい,という思いを抱いて丁方への放火を決意した。
被告人は,玄関で妹とマッチを探していたところ,マッチが見付からなければ丁方への放火は取りやめようなどと考えていたが,結局見付かったため,翌13日午前3時頃,ジエチルエーテル等が入ったかばんを持ち,実家を出発して丁方へと向かった。その際,佐世保市で同級生殺害事件を起こした少女が事件時に着ていた洋服を模して被告人が製作したパーカーを着て出掛けたところ,自分が放火犯であると特定できないようにするため,丁方へと自転車に乗って向かう道中,防犯カメラを避けて通常と異なる小道を走ったり,途中から自転車のライトを消したりフードをかぶったりした。
被告人は,丁方に到着すると,丁方の敷地内の通路などから周囲に人がいないことを確認した上,持ってきたジエチルエーテルのビンを開封し,判示第6の行為に及んだが,その際,丁方の玄関にカーテンが掛かっていることは認識していた(なお,被告人はカーテンを認識していなかった旨供述するものの,玄関先がセンサーライトで明るく照らされ,玄関ドアの上半分の片方は透明なガラスである上,捜査段階において被告人が描いた絵の内容などからも,被告人のこの供述は信用できない。)。そして,被告人は,やけどを負うこともなく再び自転車に乗り,途中でスーパーに寄って買物をした上で実家へと戻った。
(3)乙及び丙の被害状況
乙は,遅くとも平成24年5月29日には足に明らかな痛みを感じ始め,その後,両足のしびれによる歩行困難等の神経症状や腹痛等の消化器症状,脱毛等の皮膚症状が顕著に現れた。その後,これらの症状は日常生活を送れる程度にまで回復したものの,平成27年4月9日,足の神経伝導速度検査で明らかな異常値がみられたほか,足首の腱反射にも異常がみられ,また,同年5月19日時点で足のつま先の感覚が鈍く,違和感が残っていた。
また,丙は,遅くとも平成24年6月6日には刺すような腹痛を感じ始め,その後,より重度の腹痛等の消化器症状や脱毛等の皮膚症状,視力の著しい低下,足の痛みやしびれ等の神経症状が顕著に現れた。その後,消化器症状と皮膚症状は次第に回復したものの,平成28年9月1日,足の神経伝導速度検査で明らかな異常値がみられたほか,平成29年2月9日の時点で視力は0.01ないし0.02程度であり,足の違和感も残っていた。
(4)タリウムの危険性
硫酸タリウムはタリウムを約80パーセント含む化合物であり,強い毒性を有することから法律上劇物に指定され,年齢による販売制限がなされている。その主な中毒症状は,腹痛や下痢,嘔吐等の腹部症状,視神経障害や足の痛み,しびれ等の神経症状,脱毛や爪の異常等の皮膚症状に分けられるところ,その中毒症状は急症状でも8時間ないし12時間,通常の自覚症状で2日ないし3日ほどで現れてくる。タリウムの摂取は,その毒性からタリウム中毒を引き起こすところ,その致死量は,一般的にはタリウム量として成人の推定致死量は1グラムとする見解が多く,WHOによる文献調査の結果としては,タリウム量として成人で体重1キログラムあたり6ミリグラムないし40ミリグラム,治療がなされないことを想定すると成人で体重1キログラムあたり10ミリグラムないし15ミリグラムがその致死量とされ,文献によっては,硫酸タリウム量として成人1キログラムあたり2ミリグラムないし3ミリグラムを致死量とするものもある。また,タリウム量で200ミリグラムの摂取において,成人の死亡例もある。
2 殺意の有無について(判示第1及び第2)
(1)各行為の客観的危険性
まず,判示第1及び第2の1回目に投与した硫酸タリウム約0.8グラム(タリウム量としては約0.64グラム)という量は,死亡例があるタリウム量0.2グラムを優に超える上,WHOによる文献調査に基づく致死量に照らしてもその下限は超えており,一般的にいわれるタリウム量としての致死量である約1グラム(ほぼ確実に死に至るといってよい量)に満たないとはいえ,これだけの量を投与された場合,死に至る可能性は決して低くはないと考えられる。また,判示第2の2回目に投与した硫酸タリウム約0.4グラム(タリウム量としては約0.32グラム)という量は,1回目の半分程度で致死量の半分以下ではあるものの,死亡例があるタリウム量0.2グラムは超えているほか,丙にタリウム中毒の症状が依然として残存する状況での投与であることにも照らせば,その数量以上の危険性を有するものといえる。
これらの事情からすれば,被告人による硫酸タリウムの各投与行為はいずれも乙又は丙を死亡させる客観的な危険性の高い行為であったと認められる。
(2)被告人の認識内容
ア 被告人は,前記のとおり本件各犯行以前にタリウム及びタリウム化合物の毒性について強い関心を持ち,これらに関するウェブページを複数回にわたって訪れていたところ,被告人自身は致死量につき硫酸タリウム量と誤信していたものの,成人において0.2グラムでの死亡例があることや致死量が約1グラムとされることを知識としては本件各犯行時において有しており,その上で投与量につき判示第1の行為時は約0.5グラム,判示第2の1回目の行為時は約0.8グラム,2回目の行為時は約0.4グラムと認識してそれぞれ硫酸タリウムを混入させたものと認識していたと認められるのであるから,被告人は自身の行為により乙又は丙が死亡する危険性があることを十分に認識して敢えてその行為に及んだものと推認される。また,各犯行後,被告人は,乙又は丙が死亡する危険性があり,タリウム中毒の症状は投与後一定時間をおいてから発現することを理解し,現に乙及び丙が体調不良を訴えたことを認識しながら,タリウム投与を示唆するなどの何らの措置も採っておらず,またかかる場合に備えた形跡などは何らうかがえないのであって,これは前記推認を強める事情といえる。
したがって,被告人は,本件各犯行時において,結果的に乙又は丙が死亡してしまっても仕方がないと考えて各犯行に及んだものと合理的に推認できる。
イ これに対して,被告人は,硫酸タリウムの投与量が1グラム未満となるように体積と密度からその重さを計算して計量し,乙又は丙が死亡することがないように考えて投与したのであるから,乙又は丙が死んでも構わないと考えてはいなかった旨供述する。
確かに,被告人が硫酸タリウム約1グラムを半数致死量と捉えていた可能性は否定できず,現に投与量がいずれの機会においても1グラム未満となるように意識して,投与に及んだと認められることからすれば,硫酸タリウムの投与が乙又は丙の死亡を意欲しての行為とまではいえず,被告人が強い殺意をもって本件各犯行に及んだとまでは認められない。
しかしながら,被告人が認識したとする投与量はいずれも目分量での計測による大雑把なものといわざるを得ず,硫酸タリウムの密度からして目測による体積の若干の誤差がその重さを大きく左右する関係にあることにも照らせば,被告人が認識したとする硫酸タリウムの重さはそもそも幅を持った概算量にすぎず、被告人もそのように認識していたと合理的に推認できる。したがって,被告人が供述するように硫酸タリウムの量を計算していたとしても,被告人が乙又は丙が死亡しても仕方ないと考えたという前記推認を左右するものではない。
(3)弁護人らの主張について(特段の事情の有無)
これに対して,弁護人らは,被告人がその発達障害からくる興味の限局と双極性障害の躁状態からくる万能感に支配され,いわゆる思考が突き抜けた状態になって,致死量等のタリウムの毒性に関する知識については全く意識することができないまま行動してしまったのであり,前記殺意の推認を妨げる(殺意が認められない)特段の事情がある旨主張する。
しかしながら,後述するとおり,被告人の各投与行為時における精神状態は軽躁状態にあったにすぎず,被告人が有する発達障害の影響を踏まえてもその判断力が失われていたとは認められないほか,前記のとおり,被告人において,大雑把ながらもその投与量を意識していたと認められ,見当識も失われていないことも併せ考慮すれば,タリウムの毒性や自身の行為の危険性に何ら思い至らない状態にあったとは到底認められないから,弁護人らのこの主張は採用できない。
(4)結論
以上からすれば,被告人は,乙又は丙を殺害するという意欲,すなわち強い殺意まではなかったものの,乙又は丙が死亡する可能性が十分にあることを認識し,たとえ死亡しても構わないと考え,敢えて硫酸タリウムの各投与行為に及んだものと認められ,本件各犯行時,いずれにおいても弱い殺意があったものと優に認められる。
3 傷害結果について(判示第1及び第2)
(1)下肢末梢神経障害の残存期間
H医師は,公判廷において,乙については平成27年4月9日の時点において,依然として軽度から中等度の下肢末梢神経障害が,丙については平成28年9月1日の時点において,下肢末梢神経障害が,それぞれ残存していた旨供述するところ,神経障害を把握するための自覚症状,臨床兆候,神経伝導検査という三つの観点からみたときに,乙及び丙のいずれについても全ての症状又は検査結果の異常が認められることを根拠としていることなどからすれば,かかる供述は十分に信用できる。
これに加えて,乙については平成27年5月19日の時点で,丙については公判廷で供述した平成29年2月9日の時点で,それぞれ足の違和感といった自覚症状が依然としてあると認められることからすれば,乙及び丙のそれぞれの足に痛みやしびれが現れた時期にも照らして,乙については少なくとも約2年10ヶ月間にわたる下肢末梢神経障害が,丙については少なくとも約3年間にわたる下肢末梢神経障害が,それぞれあると認められる。
(2)弁護人らの主張について
これに対して,弁護人らは,乙の傷害について,乙から自覚症状の申告がない時期があり平成27年5月19日時点での供述が信用できない旨主張する。しかしながら,乙が自覚症状について言及しなかったのは生活への大きな支障がなかったためと合理的に理解できるから,乙の前記供述の信用性を左右するものではない。
また,弁護人らは,乙及び丙の傷害について,警察からの依頼で行われた検査結果等に基づくものにすぎず,治療の必要性も特になかったのであるから,下肢末梢神経障害の残存期間はより短いものであると主張する。
しかしながら,傷害とは,あまねく健康状態を不良に変更した場合を含み,生活機能に与えられた障害を意味すると解されるところ(最高裁昭和30年(あ)第803号昭和32年4月23日第三小法廷決定・刑集11巻4号1393頁参照),発覚の経緯が傷害の該当性を左右するものではなく,また,積極的な治療の必要性や生活に大きな支障がない場合であっても,依然として生活機能の障害が認められるのであれば,傷害に該当することを妨げるものではない。
したがって,弁護人らのこれらの主張は採用できない。
(3)結論
よって,乙については約2年10ヶ月間にわたり残存する,丙については約3年間にわたり残存する,各下肢末梢神経障害を伴うタリウム中毒の傷害があると優に認められる。
4 責任能力の有無について
(1)被告人の精神障害について
ア I鑑定の要旨
I医師は,検察官から嘱託を受け,平成27年3月3日から同年4月10日に判示第5に関する精神鑑定(以下,「I第1鑑定」という。)を,平成28年8月29日から同年9月30日にその余の判示各事実に関する精神鑑定(以下,I第1鑑定と併せて単に「I鑑定」という。)をそれぞれ実施し,その鑑定結果につき当公判廷において供述したところ,その要旨は次のとおりである。
被告人は,他人の内面に対する想像力の欠如から共感性がなく,相手の表情や空気を読むことは苦手であり,被告人には社会的コミュニケーションや対人的相互関係の持続的障害がみられ,また,極めて限局された領域に固着した関心を抱く傾向にあることから,特定不能の広汎性発達障害又はアスペルガー症候群に分類される発達障害を有している。もっとも,被告人は,その学校生活において多くの友人と交流ができているなど,そのIQが120ないし122という高い知的能力や社交性により社会への適応ができていたことからすれば,その発達障害の程度は重度ではなかった。
また,各鑑定時には診断基準を完全には満たさなかったものの,被告人の幼少期から大学時代の出来事からすれば注意欠陥多動性障害の疑いがあり,現在は大いに改善しているものの衝動性の部分は残存していた。さらに,一方では被告人が中学1年のときに学校を休みがちとなったことや大学1年のときに人としゃべらなくなったことなどが抑うつエピソードに該当し,他方でハイテンションが続いて寝なくなる時期があることなどが軽躁病エピソードに該当し,これらのエピソードを繰り返している状態であるところ,軽躁病エピソードに該当する出来事に身近な家族が気付いておらず,社会生活が破綻している様子もなく,まとまりのない行動や言動,会話内容や思考の奔逸もないことから,軽躁状態にとどまるとして,被告人は本件各犯行当時双極性〈2〉型障害を抱えていた。
イ I鑑定の信用性
I医師は豊富な司法手続上の鑑定経験を有していることを背景に,DSM- 〈4〉やICD - 10といった国際的な診断基準に依拠して診断名を特定する説明をしているほか,与えられた鑑定期間において十分な回数の面接を被告人との間で実施して被告人の供述を検討するのみならず,被告人の供述以外の証拠から認められる本件各犯行に関する事実(なお,I医師が依拠したかかる事実については当裁判所が認定した前記事実とおおむね相違ない。)についても総合的に判断しており,公判廷における証言をみても,訴訟関係人からの尋問に対しておおむね適切で納得のいく供述をしており,その信用性は高いものであるといえる。
これに対して,弁護人らは,I鑑定について,特に被告人が双極性〈2〉型障害であるとする点について,I第1鑑定時には双極性〈2〉型障害を見落としたことなどを指摘し,信用できない旨主張する。
しかしながら,I第1鑑定時には被告人が前記軽躁病エピソードについて供述しておらず,前記抑うつエピソードもそれ単体でみれば生活環境の変化に伴う気分の沈みなどとみられても不自然ではないから,I第1鑑定で双極性〈2〉型障害を指摘していないことは,I鑑定の信用性を左右する事情とはいえない。なお,後述のとおり,前記軽躁病エピソードにはいささか誇張されている側面がうかがわれることも併せ考慮すると,I第1鑑定時に双極性〈2〉型障害の指摘がないことももっともといえる。
そうすると,本件各犯行時における被告人の精神状態を検討する上で,I鑑定の結果は依拠するに足りる十分な信用性があるものといえる。したがって,信用性の高いI鑑定を基に,各犯行の動機,各犯行時を含めその前後の被告人の行動,各犯行当時の被告人の認識・意識などを分析検討して,責任能力の有無及び程度を判断するのが相当である。
(2)判示第1及び第2各犯行時の責任能力
ア 動機及びその形成過程
まず,被告人は,硫酸タリウムを他人に投与してタリウム中毒の症状を見てみたいという動機から本件各犯行に及んだものと認められるところ(ただし,科学実験をしようとしたというにはお粗末なもので,後述する点を踏まえると,単に手に入れたタリウムを他人に投与したらどうなるか見てみたいという好奇心に由来するものと考えられる。),被告人が硫酸タリウムに強い興味を抱いていたことを踏まえれば,その動機は十分に了解可能である。また,動機形成の過程をみると,硫酸タリウム1瓶を発注し,硫酸タリウムが現に手元に届くと,嬉しくなって高校へと持っていき同級生に見せるなどもしており,硫酸タリウムを投与してタリウム中毒の症状を自分の目で見ることが次第に現実のものとして近づく中で,徐々にその欲求を膨らませ,自身の気分を高揚させていったことがうかがわれる。そして,判示第1の犯行及び第2の1回目の犯行は,当時16歳であった被告人が自らの強い興味の対象が手元にあることから使いたくなり,実際に他人に使ったというものであり,また,判示第2の2回目の犯行も,想像したほどの症状が出ていないことから更に硫酸タリウムを投与したという単純な動機とみることができ,いずれも通常の心理過程の延長のものとしても十分に理解が可能である。
もっとも,被告人の硫酸タリウムに対する興味から現実の投与に至る過程には限局した興味の深まりがうかがわれるほか,共感性の欠如から被害者が受ける苦痛や心情などについて我が事のように思いを致すことができず,情緒面から犯行を思いとどまることが通常人に比して困難である点において,被告人が抱える発達障害が一定の影響を与えていたものと認められる。また,本件各犯行に向けて気分が高揚していく過程,取り分け犯行の決意が若干唐突にもみえる判示第1の犯行については,被告人が抱える衝動性や双極性〈2〉型障害による軽躁状態も一定の影響を与えているといえ,これらが投与の実行に一定程度弾みをつけたことは否定できない。
イ 本件各犯行前後の行動
被告人は,各犯行の準備段階において,年齢を偽って硫酸タリウムを入手したり,いずれの犯行についても適切な投与対象者を見定めたりと,各犯行に向けて筋の通った合目的的な行動をしているほか,被告人の生活状況をみても,自宅や高校で特に異常な言動はしておらず,おおむね通常の範疇に収まる行動をとっていた。そして,判示第1の犯行時には,前記のとおり投与量を意識して行動しているほか,1度目はドリンクバーを避けて非常階段を選択していたり,2度目は乙が席を立つのを見計らって硫酸タリウムを混入させていたりと,状況に応じた行動をとっており,また,判示第2の犯行時には,教室に同級生がいない状況を狙って,特に1回目の犯行時にはわざと教室に一人で戻る口実も作った上で実際にそのような状況を作り出すなどしていることからすれば,被告人は,いずれの犯行時にも冷静に周囲の状況を意識しながら行動しており,かつ,人目を気にして行動していることからも,社会的に許されない行為であることを十分に認識していたものといえる。
ウ 小括
以上からすれば,判示第1及び第2の各犯行については,被告人が抱える発達障害や当時の被告人の年齢が各犯行動機の形成に一定程度影響を及ぼしている上,衝動性,双極性〈2〉型障害等の精神障害もその実行に一定程度弾みをつける形で影響を及ぼしているものの,犯行前後の行動は冷静な判断に基づく犯行実現のための適当な行動といえ,全体としてみるとその影響は限定的であるから,正に自らの意思で各犯行に踏み切ったものと認められる。
(3)判示第3及び第4各犯行時の責任能力
ア 動機及びその形成過程
被告人は,生活反応のある焼死体を見てみたいという動機から妹の同級生方への放火を意図して各犯行に及んだものと認められるところ,被告人が人の死や焼死体に以前から強い興味を抱いていたことからすれば,その動機は十分に了解可能なものといえる。また,放火の手段として火炎ペットボトルの製造と設置に思い至る点は一見すると突飛な発想ともみえるものの,高校2年の時に当時の被告人なりに計画した内容を実行していることを前提とすれば稚拙ではあるものの何ら異常なものではなく,放火目的で火力を利用する合目的的な手段といえるほか,死体を見ることができるように葬儀に参列が可能でありそうな妹の同級生方を狙った点においても,相応に合理的な対象の選択であったといえる。
もっとも,人の死や焼死体に対する興味が現実の焼死体を見たいとの動機形成につながった点や火炎ペットボトルというやや特殊な手段を選択した点に限局した興味の深まり,ある種のこだわりが垣間見えるほか,前記(2)アと同様に通常人に比して情緒面から犯行を思いとどまることが困難である点において,被告人が抱える発達障害が一定の影響を与えていたといえる。また,本を再読して本件各犯行を決意して実行に移した経緯にはやや唐突な面があり,興味に沿った行為を現実化していく過程で期待に胸を膨らませて自然と気分が高揚していることも踏まえると,被告人の衝動性や双極性〈2〉型障害による軽躁状態が一定程度各犯行の実行に弾みをつけるという形で影響を与えたことは否定できない。
イ 各犯行前後の行動
被告人は,各犯行を決意した後に各犯行に及ぶ時間帯として人通りの少ない深夜を選択しており,状況を冷静に判断しているといえるほか,各犯行前後に異常な言動はなく,各犯行を決意した夜頃から敢えて深夜まで待って計画を実行に移したことからすれば,その判断に基づき自己の行動を適切にコントロールできていたといえる。
ウ 小括
以上からすれば,判示第3及び第4の各犯行については,被告人が抱える発達障害が犯行動機の形成過程に一定程度の影響を及ぼし,衝動性,双極性〈2〉型障害等の精神障害がその実行に一定程度の弾みをつけてはいるものの,各犯行前後の行動は冷静な状況判断の下で適切な行動をとっており,全体としてみるとその影響は限定的であるから,正に自らの意思で各犯行に踏み切ったものと認められる。
(4)判示第5犯行時の責任能力
ア 動機及び犯行に至る経緯
被告人は,自分の手で人を殺す体験をして,そのときの人が死にゆく様子を見てみたい,という動機で犯行に及んだと認められるところ,20歳に達していなかった被告人が人の死や少年犯罪に強い関心を抱いていたことからすれば,その動機は十分に了解可能なものといえる。また,犯行に至る経緯をみると,少年犯罪,取り分け殺人の実行に対する憧れがあり,19歳となり少年である期間が1年を切ったことが若干の焦りを生む一方,警察に捕まることで将来の大学院進学が困難になることにも思い至り,現実に殺人に及ぶことを逡巡した末に犯行を決意したと認められ,限られた時間の中において自身の興味や欲求との間で悩むという通常人と変わらない葛藤が生じていたこともうかがわれる。
この点,人の死や少年犯罪に対する興味が現実の殺人につながった点に限局した興味の深まりがみられるほか,前記(2)アと同様に通常人に比して情緒面から犯行を思いとどまることが困難である点において,被告人が抱える発達障害が一定の影響を与えたことは否定できないものの,前記のとおり捕まることで被告人自身が失うものが大きいことも自覚していたことなどからすればその影響の程度は若干にとどまる。また,本件犯行前から犯行時にかけて被告人には気分の高揚がみられるものの,犯行直後のものとみられるツイートからもうかがわれるように,憧れていた犯行を目前にして胸が膨らみ,それを実現した達成感を覚えるという通常の心理過程から生じるものと大差はなく,被告人の衝動性や双極性〈2〉型障害による軽躁状態の影響も余りないように思われる。
イ 犯行前後の行動
犯行の準備段階においては,1週間前には犯行を決意すると,その目的を達成するべく殺害方法に考えを巡らせるなどの準備を進め,被告人方に誘い入れた戊の背後に回る口実まで予め検討するなど,計画的かつ犯行に向けて筋の通った行動を取っている。また,計画とは異なる事態が生じても臨機応変に対応して計画を修正し,犯行に着手後もカーテンを閉めるなど,状況を冷静に理解しているほか,仙台に帰省して現場を離れた上で妹にズボンを洗わせるなど,人目を気にするような行動や証拠を隠滅する行動もうかがわれ,許されない行動をとっているとの認識もあるといえる。そして,犯行の前後においても異常な言動はみられず,これらの状況判断に基づく合理的な行動といえる。なお,被告人は,戊を殺害した後,遺体をどうするか事前に考えを巡らせておらず,綿密な計画性があったとはいえないが,被告人が戊を殺害すること自体に意識が集中し,遺体の扱いに注意が向かなかったことも,被告人の特性を考慮すれば,十分にあり得ることであり,被告人が衝動的に場当たり的な行動をとっていたことにはならない。
ウ 小括
以上からすれば,判示第5の犯行については,被告人が抱える発達障害が犯行動機の形成過程に若干の影響を及ぼしたものの,被告人の衝動性や双極性〈2〉型障害による軽躁状態の影響はさほどみられず,犯行時の判断能力や行動制御能力に問題はなく,自らの意思で犯行に踏み切ったものと認められる。
(5)判示第6犯行時の責任能力
ア 動機及び犯行に至る経緯
被告人は,生活反応のある焼死体を見てみたいという動機から犯行に及んだものと認められ,被告人が人の死や少年犯罪に強い関心を抱いていたことからすれば,その動機は十分に了解可能なものといえる。また,その犯行に至る経緯をみると,若干性急に犯行を決意したともみえるが,判示第5の犯行後から実家に帰省する前後の被告人の言動からすれば唐突なものではなく,また,被告人が,間もなく警察に捕まると考えており,その前に今度こそ丁方への放火を成功させたいとの思いもあったといえることからすれば,十分に理解できるものである。
もっとも,人の死や焼死体に対する興味が現実の焼死体を見たいとの動機形成につながった点に限局した興味の深まりが垣間見えるほか,前記(2)アと同様に通常人に比して情緒面から犯行を思いとどまることが困難である点において,被告人の発達障害が一定程度の影響を及ぼしているといえる。また,被告人は,本件犯行時に相当程度気分が高揚していたと認められるところ,興味の対象の実現に胸が膨らむという通常の期待感や高揚感があることを前提としても,飲酒の影響や被告人が抱える双極性〈2〉型障害による軽躁状態の影響もあったといえ,それらが犯行の実行を相応に後押ししたといえる。
イ 犯行前後の行動
被告人が自身の犯行と分からないように丁方への移動時に様々な工夫をしたことや丁方に着いてから周囲を気にした行動をとっていることからは,人目や捕まる可能性を気にしており悪いことをしているとの意識があったことがうかがわれるほか,揮発性が高く危険性の高いジエチルエーテルを用いつつも火種となるマッチを郵便受けから玄関内に投げ入れる方法をとっていることなどは,適切な状況判断に基づく行為といえる。また,犯行を決意した実家での飲酒時から丁方に向けて出発するまでの間や犯行後帰宅した際に特段異常な言動はみられず,実家からの出発前にマッチが見つからなければ犯行をやめようと考えていたことや危険が伴うにもかかわらずやけども負うことなく犯行を遂げていることからすれば,自身の行動をおおむね適切にコントロールできていたといえる。
ウ 小括
以上からすれば,動機形成の過程においては,被告人の発達障害が相応に影響している上,飲酒や双極性〈2〉型障害といった精神障害がその実行に一定程度影響を及ぼしたといえるものの,犯行時に適切な状況判断をし,その判断に基づいたおおむね合理的な行動をとっていることからすれば,その判断能力と行動制御能力に与えた影響は限定的であって,全体としてみれば被告人自身の意思に基づいて犯行を決意し実行したといえる。
(6)弁護人らの主張
これに対して,弁護人らは,被告人の精神鑑定及び情状鑑定を実施したJ医師及びK医師の供述に依拠して,被告人の精神障害について,〔1〕被告人が有する発達障害は重篤なものであること,〔2〕被告人は重度の躁状態を伴う双極性〈1〉型障害であることをそれぞれ主張し,かかる精神障害を前提に〔3〕本件各犯行時における被告人の言動に異常性が認められることなどを主張する。そこで,まずは弁護人らの主張が依拠するJ医師及びK医師による鑑定について検討する。
ア J・K鑑定の要旨
J医師は,家庭裁判所から依頼を受け,平成27年7月頃に精神鑑定(以下,「J第1鑑定」という。)を,J医師及びK医師は,当裁判所から依頼を受け,平成28年5月17日から同年8月16日に共同して精神鑑定及び情状鑑定(以下,J第1鑑定と併せて単に「J・K鑑定」という。)をそれぞれ実施し,その鑑定結果につき両医師は当公判廷において供述したところ,その要旨は次のとおりである。
J医師が開発した道徳観倫理観検査及び比ゆ皮肉検査並びに多数回に及ぶ面接によれば,被告人は,道徳観や倫理観が欠如しており善悪の判断が全くできず,また,言葉の社会的な意味も全く理解できず,共感性が全く欠如しているほか,その社会性の欠如に由来して興味の対象が限られており,その興味が深まる傾向にあり,その一例として被告人は死に対する極めて限局した強い興味を抱いていた。また,主に幼少期に顕著であったものの,被告人の行動には衝動性がうかがわれ,これらの事情に加えて本件各犯行に及んだこと自体を併せ考慮すると,被告人の発達障害は重度のものである。また,被告人が人を殺さない人間になりたいと考えているにもかかわらず,人を殺したいという気持ちがわき上がってくる旨供述することからすれば,被告人には死への興味に関して自生思考や強迫症状が現れており,限局した興味に重ねて衝動性が強く現れている。
また,J医師が,高校1年から大学1年当時及び逮捕後の気分を回想して被告人に付けさせた「気分障害のグラフィング」と称する検査結果(以下,「グラフィング」という。)及び平成27年12月当時について日記と照らし合わせながら1日を四つの時間帯に区分して各時間帯における気分を7段階に分けて付けた「気持ちのお天気表」(以下,「お天気表」という。)並びに多数回に及ぶ面接の結果によれば,被告人の躁状態が周期的に繰り返されていることや躁状態となったときに限局した興味に従った行動に及んでいること,1日の中でも躁状態と抑うつ状態とが繰り返されており,子どもの重症躁状態に特徴的な短時間だけの日内変動が強く表れていること,被告人が「ハイテンションである」「行動せずにはいられない」などと供述しており,被告人が思いつくままに突き抜ける感じで行動する誇大妄想に至るような状態であることなどから,被告人は本件各犯行時に双極性〈1〉型障害の状態であり,かつ,重症躁状態であった。なお,被告人は,本件各犯行当時において,犯罪行為に現に及んでしまうほどであったことから,その躁状態は入院治療が必要であるほど重篤なものであり,国際的な診断基準であるDSM - 5によっても,双極性〈1〉型障害であるといえる。
イ J・K鑑定の信用性
(ア)J・K鑑定全体(特に鑑定の手法)について
被告人の精神鑑定を主に実施したのはJ医師であるところ,J医師は,判示第5の事実以外については被告人の供述以外の証拠資料を細かく検討しておらず,証拠資料を検討したとする同第5についても,J医師自身が検討したメカニズムと著しくずれていないとする程度である。証拠資料から認められる事実(被告人の行動や意識など)について真摯に分析し,それらの事情をも踏まえて被告人の精神障害と本件各犯行との間のそれぞれの結びつきを検討しておらず、被告人の行動等を十分に精査しているのか疑問を禁じ得ない。また,その鑑定結果をみると,いわば被告人の説明や供述に基づく診断ありきの精神鑑定という側面が拭えず,これが臨床医によるアプローチとして適切であるかは措くとしても,あらゆる事情について上記診断結果(自らが立てた仮説)から説明しようとする不相当なアプローチといわざるを得ず,精神鑑定の手法としてはおよそ適切なものとはいえない(仮に,その仮説を前提とした場合,前記1(1)イ(エ)の高校2年のときにCに硫酸タリウムを投与しようとしたことや,前記1(1)エの高校3年冬のDに対する首締め行為については,なぜにその行為をやめることができたのかについて,合理的に説明することは著しく困難であり,仮説の論証が十分に行われているともいえない。)。しかも,J医師は,被告人において殺人が社会的に許されていないという知識を有しているかどうかの質問に対し,被告人が人を殺すということは物を壊すと同じ意味に捉えていたかもしれないなどとして被告人がその知識すら有していなかったことを示唆する不可解な供述をしており,自己の立てた仮説に固執する余り,柔軟な考察ができていないところがうかがわれる上,「もう一度,私の書いた鑑定書をよくよく読んで,もし私が間違ってるなら,いつでも出てきます。それをよくよく読まない限り彼女の理解はあり得ないです。しっかり読んで検討してください。」などとも述べ,常人の理解を超える鑑定内容の説明責任を放擲するかのような供述までしており,J医師が児童精神医学の第一人者であるとはいえ,裁判員裁判事件の精神鑑定を依頼するのにふさわしい人物であるか疑問符が付くといわざるを得ない。
(イ)発達障害の程度について
J医師が根拠とする各検査の内容をみると,正に「子ども」というべき幼児や小学生を主たる対象として作られたものといえ,およそ大学生,しかも国内有数の難関国立大学であるO大学のV1学部に現役合格を果たすだけの知的能力を有する被告人の精神鑑定に用いることが不適切であることは明らかである(被告人の言語能力で十分に正解に達し得るものであり,被告人がJ医師の立てた仮説に迎合すべく虚偽の回答をした可能性を払拭できず,検査の妥当性に疑問がある。)。また,自生思考や強迫症状に関する被告人供述は,後述するとおりJ医師による面接を受けての供述といえ,被告人が各犯行当時にとった行動等に照らし,その信用性は低く,仮にそのような自生思考が存在するとしても,本件各犯行以外にほとんど現実の行動に移しておらず,本件各犯行と結びつく事情とはいえない。そして,犯罪行為に及んだこと自体をもって発達障害が重度であるとすることは論理の飛躍といわざるを得ず,これまで家庭や学校生活に破綻をきたしていなかったことにつき納得のいく説明がされていないことも併せ考慮すると,被告人の発達障害が重度であるとの説明は全く信用できないのであって,この点の鑑定結果は採用できない。
(ウ)双極性障害の類型について
グラフィングは,あくまで被告人の説明や供述に依存する検査結果であり,その信用性は慎重に検討する必要があるところ,J医師は,被告人がプロットした点について,そのような気分であったことの裏付けとなる出来事を面接で詳細に聴取り,気分の高低が正確であることを検証した旨供述している。しかしながら,最大で約4年前のある一時の気分の高低について,何ら出来事と関連させることなく記憶しているとは常識に照らして到底考えられないものであって,記憶している出来事からその時の気分の高低を推測して考えているとするのが自然である。そうすると,J医師が供述する検証方法は,そもそも被告人がプロットするに至った経緯をなぞる以上の意味はなく,気分の高低が正確であるのかを検証する方法としては無意味といわざるを得ない。また,J医師は,J第1鑑定における被告人の面接の過程において,一定程度被告人から話を聞き出す中で被告人が躁状態にあった可能性に思い至ると,「こんなうつがあったらこういうハイテンションの時もあったんじゃないの」などと,質問者の意図が透けて見えるような方法で質問しており,その面接方法は精神鑑定を実施する鑑定医による面接方法としては不相当といわざるを得ず(殊に知的能力が高く質問者の意図を汲み取ることができる被告人に対する質問としては極めて不適切であり,詐病の有無も判断しなければならない鑑定人としては余りに軽率な行為であったといわねばならない。),現に被告人もJ医師に言われてハイテンションであったことに気付いたと供述しているほか,I第1鑑定の時点では躁状態に関するエピソードが出てきていなかったことからすれば,その根拠となる被告人の供述の信用性は低く,J医師が自身の立てた仮説に沿って,被告人の供述を結果的に誇張させてしまった可能性すらあるといわざるを得ない。そうすると,グラフィングの結果をその判断の基礎とすることは相当とはいえず,お天気表も同様の問題点を抱えるものとしてにわかには判断の基礎とはできない。
また,被告人が,DSM - 5に照らしても双極性〈1〉型障害を抱えていたとする点について,前記のとおり,被告人は本件各犯行前後においても外見上は逸脱した行為に及ぶことなく社会に適合した生活を営むことができており,家庭や学校における社会生活に著しい障害を引き起こすような状態であったとはいえないほか,本件各犯行前後をみても自己又は他者に危害を及ぼすような行為に出たのは本件各犯行時のみであった。そうすると,被告人の躁状態がDSM - 5の基準における「入院治療が必要であるほど重篤である」とはいえない。
(エ)小括
以上からすると,J・K鑑定のうち,被告人の発達障害が重症であるとする点と被告人が重症躁状態を伴う双極性〈1〉型障害である点については到底信用できない。したがって,J・K鑑定に依拠する弁護人らの前記〔1〕及び〔2〕の主張は採用できない。
ウ 本件各犯行時の被告人の言動
弁護人らは,本件各犯行時及びそれらの前後における被告人の行動について,その行動にずさんな点や場当たり的な点があることを挙げて,前記〔1〕及び〔2〕の主張を前提としてその異常性を指摘する。
しかしながら,被告人が重症でないとはいえ発達障害を抱えており,興味が限局する特性を有していることからすれば,本件各犯行時には意識がその当該犯行ばかりに向いており,その周辺的な部分や事後のことなどに関心が向かず,その行動にずさんな点や場当たり的な点が生じていても何ら不自然なことではない。そして,弁護人らが指摘する点は,いずれもかかる被告人の発達障害に対する適切な理解を基礎とすれば,十分に説明が付くものであって,前記〔1〕及び〔2〕の主張が採用できないことも併せれば,本件各犯行時の判断能力や行動制御能力に問題があるとの疑いを差し挟む事情とはいえない。
したがって,弁護人らの前記〔3〕の主張は採用できない。
(7)結論
以上からすれば,被告人は,本件各犯行のいずれについても,その発達障害や双極性〈2〉型障害等の精神障害の影響を一定程度受けつつも,その範囲と程度は限定的であり,最終的には被告人自身の意思に基づいて各犯行を決意し実行したといえる。
よって,被告人は,本件各犯行時のいずれにおいても完全責任能力であったと認められる。
(法令の適用)
罰条
判示第1の行為 刑法203条,199条
判示第2の行為 包括して刑法203条,199条
判示第3の行為 火炎びんの使用等の処罰に関する法律3条1項
判示第4の行為 刑法261条
判示第5の行為 刑法199条
判示第6の行為のうち
各殺人未遂の点 いずれも刑法203条,199条
現住建造物等放火未遂の点 刑法112条,108条
科刑上一罪の処理
判示第6について 刑法54条1項前段,10条(1個の行為が4個の罪名に触れる場合であるから,1罪として犯情の最も重い現住建造物等放火未遂罪の刑で処断する。)
刑種の選択
判示第1,第2及び第6について いずれも有期懲役刑を選択
判示第3及び第4について いずれも懲役刑を選択
判示第5について 無期懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法45条前段,46条2項本文
(判示第5の罪について無期懲役に処するので,他の刑を科さない)
未決勾留日数の算入 刑法21条
没収 いずれも刑法19条1項2号,2項本文
(主文記載の硫酸タリウム入りのビン1個(名古屋地方検察庁平成27年領第4359号符号5)は,判示第1及び第2の各犯罪行為の用に,主文記載の手斧1本(平成29年押第1号の2)は,判示第5の犯罪行為の用に,それぞれ供した物で,いずれも被告人以外の者に属しない)
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法181条1項ただし書
(公訴棄却の主張について)
第1 弁護人らの主張
弁護人らは,本件における家庭裁判所の検察官送致決定(以下,「本件決定」という。)には,少年法の健全育成の基本理念を無視して保護処分を選択しなかった点で少年法20条の解釈適用を誤った重大な違法があり無効であって,本件決定を受けてなされた本件公訴の提起もまた違法で無効となるから,公訴棄却の判決がなされるべきである旨主張する。
第2 当裁判所の判断
1 少年法20条に関する解釈適用の誤りが公訴提起の効力に影響を及ぼす場合
(1)問題の所在
本件は,被告人が満20歳に満たないときに本件決定を受けて本件各事件が検察官に送致され,被疑者段階で満20歳に達した後に起訴された事案である。家庭裁判所の検察官送致決定を受けて起訴されたという経過からすれば,本件決定は公訴提起における訴訟条件といえるから,家庭裁判所の検察官送致決定,更には同決定を受けた公訴の提起がいかなる場合に違法・無効となるのか,そもそも刑事事件を取り扱う裁判所が同決定の判断内容の当否などを判断することが許されるのかが法解釈上問題となるから,これらについてまず検討する。
(2)検察官送致決定の判断内容に対する地方裁判所による審査の可否
刑事事件を取り扱う裁判所における判断が事後的に裁判の当否を審査するという点において不服申立て類似の構造であることから,家庭裁判所の検察官送致決定に関する不服申立制度を検討すると,少年法20条に基づく家庭裁判所による検察官送致決定に対する不服申立ての規定はなく,これに対する特別抗告も許されず(最高裁平成17年(し)第346号同年8月23日第二小法廷決定・刑集59巻6号720頁参照),抗告も許されない。また,検察官送致決定に対して不服があるとしても,刑事事件手続の中で少年法55条に基づく家庭裁判所への事件の移送を主張して裁判所の職権発動を促すことができ,検察官送致決定に対する事実上の不服申立ての機能を有する手続が用意されている。かかる規定ぶりからすれば,手続法上,立法者は敢えて検察官送致決定に対する不服申立制度を規定しなかったものと解される。
これに加えて,保護処分に対する抗告理由が限定されていること(少年法32条)や抗告審において保護処分に対する自判が認められていないこと(少年法33条2項)にも照らすと,家庭裁判所の判断については,同様の一件記録に基づいてなされる上級審との関係ですら,十分に尊重されるべきものと位置付けられており,少年鑑別所による心身鑑別や家庭裁判所調査官による調査が行われるなどの専門性を背景に,広範な裁量が認められているといえる。
以上のほか,社会記録が取り調べられていないなど判断資料が家庭裁判所におけるものと異なっていることなども踏まえると,刑事事件を取り扱う裁判所において,訴訟条件としての検察官送致決定の適法性を審査するとしても,実質的判断内容の当否に踏み込むことは躊躇すべきであり(不服申立審でもない刑事事件を取り扱う裁判所が家庭裁判所の検察官送致決定の判断内容の当否について踏み込んだ審査をすることに適さない面もある。),その判断内容の当否が訴訟条件としての適法性判断まで左右するような解釈を採ることは基本的に相当ではない。
(3)検察官送致決定後の刑事事件手続中に満20歳に達した場合
被告人のように刑事事件手続中に満20歳に達した場合(検察官送致後公訴提起までに満20歳に達した場合を含む。),少年法55条がその対象につき「少年の被告人」と規定していることから,もはや家庭裁判所へ事件を移送することはできず,事実上の不服申立ての機会すらもないこととなる。
しかしながら,手続の途中で少年が満20歳に達する場合は容易に想定でき,現に年齢超過の規定(少年法19条2項,23条3項)があるにもかかわらず,検察官送致決定後に少年である被疑者又は被告人が満20歳に達した場合については何ら規定がないことからすれば,満20歳に達した被疑者又は被告人については年齢超過の一事をもって原則どおりに成人と同様の刑事手続として取り扱うこともやむを得ないと解するのが法文上自然である。また,実質的にみても,刑事手続の途中で満20歳に達するような少年は通常年長少年であって,類型的に刑事処分が相当である可能性が高く,さらに,家庭裁判所の保護事件手続中に満20歳に達した少年が家庭裁判所の審判を受けることなく検察官送致となることとの均衡からすれば,少年法55条による事件の移送がなし得ないことも特段不利益になるとも考えられない。加えて,検察官送致決定における事実認定上の誤りについては,送致を受けた検察官における公訴の提起の判断(少年法45条5号但書参照)や刑事裁判における判断(量刑判断も含む。)に取り込んで救済することもできる。
したがって,立法者の意思としては,刑事手続の途中で満20歳に達した被疑者又は被告人について,敢えて何らの特則も置かなかったのであり,その制度設計自体も合理的なものと考えられるから,本件のように刑事事件手続中に被告人が満20歳に達した場合でも,前記(2)における検討内容は左右されない。
(4)当裁判所が採用する解釈
以上の検討を踏まえると,少年の処遇選択について広範な裁量を有する家庭裁判所の判断に対する審査は極めて謙抑的であるべきである反面,家庭裁判所が検察官送致決定をする際,決定に影響を及ぼすような手続違反を行う場合のほか,その裁量を明らかに逸脱したり,権限を濫用したりする場合があることも否定できず,これらの点は,刑事裁判所が検察官送致決定の実質的判断内容にまで踏み込まずとも審査できるものであることに鑑みると,検察官送致決定が違法・無効であるとされ,送致を受けた検察官による公訴の提起もまた違法であるとして無効となる場合(刑事訴訟法338条4号)とは,例えば検察官送致決定を行うこと自体が職務犯罪を構成する場合や,家庭裁判所が故意に事件を長期間にわたり放置していたにもかかわらず検察官送致決定を行った場合など,極限的な場合に限られると解するのが相当である。
なお,弁護人らは最高裁判所の判決(最高裁平成8年(あ)第838号同9年9月18日第一小法廷判決・刑集51巻8号571頁)を引用し,家庭裁判所の判断内容に重大な違法があれば公訴棄却すべきである旨主張するが,同判決は,差戻しを受けた家庭裁判所において検察官送致決定を選択することが保護処分より不利益な処分であるから許されない旨判示したもので,公訴棄却の理由につき手続法上の違法があることを示したにすぎず,検察官送致決定の判断内容の誤りをもって違法として公訴棄却の判決をしたものとは解されないから,弁護人らの主張は前記最高裁判決の趣旨を正解しておらず,本件に適切な判例を引用したものとはいえない。
2 本件公訴提起の適法性(あてはめ)
そこで,本件における弁護人らの主張をみると,その実質は単に家庭裁判所が保護処分相当性に関する判断を誤ったとして,その判断内容に対する不服をいうものにすぎないところ(前記解釈に鑑み,本件決定が違法性を帯びることをうかがわせる主張はしておらず,主張自体失当といえる。),当審における証拠調べの結果によれば,本件決定に至るまでの間,捜査や保護事件手続に相応の時間がかかっており,結果的に本件決定は被告人が満20歳に達する5日前に言い渡されているものの,それはかかる手続中に捜査機関及び家庭裁判所においてそれぞれ精神鑑定が行われたことによるところが大きく,各鑑定が手続の遅延を意図したものとも認められないことからすれば違法性を帯びる事情とは到底いえず,その余をみても,本件決定が違法性を帯びることをうかがわせるような事情は認められない。
よって,本件決定は適法であり,それを受けた公訴の提起も適法であるから,弁護人らによる公訴棄却の主張は採用できない。
3 本件決定の相当性(補足)
なお,弁護人らの主張等当審における審理経過に鑑み,本件決定の判断内容につき検討すると,本件決定に弁護人らがいうような論理的矛盾はもとより,少年法20条の解釈に関する誤りはなく,また,当審における証拠調べの結果の限度で被告人の要保護性の判断等,家庭裁判所による刑事処分相当性の判断についてみても,その判断に誤りがあることはうかがわれず,弁護人らの主張は前提を欠く。
したがって,この点からも弁護人らの公訴棄却の主張は採用できない。
(量刑の理由)
1 判示各事実に関する量刑事情
(1)判示第5の犯行(殺人事件)について
多数回にわたり戊の頭部を殴打し又は首を絞め,確実に死亡させるべく脈が止まっても更に首を絞めたという犯行態様は,執拗かつ残虐で,強固な殺意に基づく冷酷な犯行といわざるを得ない。宗教の勧誘のために被告人方を訪れただけで何らの落ち度もなく,老後の生活を楽しみにしていた戊の尊い生命を奪った結果は誠に重く,遺族の処罰感情が厳しいのも当然である。犯行動機も知的な欲求とは異なる興味本位の自己中心的なものであり,相応の計画性に基づいて,少年であるから刑が軽くなるとの考えも抱きつつ犯行に及んだ点も併せ考慮すると,犯情は非常に厳しい非難に値するものといわざるを得ない。
もっとも,動機形成の過程において,発達障害や本件犯行当時19歳2ヶ月の年長少年であった被告人の未熟さが一定程度影響し,双極性〈2〉型障害による軽躁状態の影響が若干あることは否めず,これらの点を考慮すべきではあるものの,被告人がその知的能力の高さを背景に理性的な判断をなし得るだけの能力を備えているといえることからすれば,その責任非難の程度を減ずるにも限定的とならざるを得ない。以上からすれば,被害者が1名の殺人事件としてみても,相当重い部類に属する事案といわざるを得ない。
(2)判示第1及び第2の各犯行(硫酸タリウム投与事件)について
硫酸タリウムの投与量は致死量に照らして相応に多く,特に判示第2の犯行は約50日を空けての投与であるとはいえ合計すると一般的な致死量に迫る投与量であって,いずれも生命に対する危険性が相当に高い行為である。そして,弱い殺意に基づく犯行であるとはいえ,乙及び丙に中毒症状が出たことを認識したにもかかわらず,何らの措置も採らずに傍観した点も併せ考慮すれば,その行為は厳しい非難に値する。また,被告人の友人又は同級生であったにすぎない乙及び丙に対して多大かつ長期間にわたる肉体的及び精神的な苦痛を与えた末,将来の進路変更をも余儀なくさせ,更に丙からは視力の大半までも奪ったもので,その被害結果は非常に重大であって,乙及び丙の処罰感情が厳しいのも当然である。さらに,タリウム中毒の症状を見てみたいという動機も,本件各犯行前後における被告人の言動に照らして,純粋な科学的興味とはおよそいえないような,興味本位で身勝手なものといわざるを得ず,到底許容し得ないものである。
もっとも,前述のとおり,本件各犯行に対しては,被告人の発達障害や衝動性,双極性〈2〉型障害が一定の影響を与えているほか,本件各犯行当時16歳であった被告人の年齢相応の未熟さも影響を与えていることからすれば,その責任非難の程度は相応に減じられるべきといえる。
以上のとおり,行為の危険性や被害結果の重大性などからすれば,その犯情は極めて悪く,被害者が2人である殺人未遂事件としてみて最も重い部類に含まれる事案に属するといわざるを得ないものの,前記障害の影響や年齢等を考慮すれば,その刑事責任は相当程度重いというにとどまる。
(3)判示第3及び第4並びに第6の各犯行(丁方事件)について
丁方における各事件の量刑上,中心となる判示第6の犯行から検討すると,引火性の高いジエチルエーテルを玄関内に注ぎ込み,人通りが少なく住人が寝静まった深夜に木造の一戸建て住宅を内側から焼損させようとした犯行であり,三,四ヶ月前に敢行した判示第4の犯行に引き続いて同じ家を再び狙ったことにも照らせば、家屋全体を焼失させて家人を確実に焼死させようとする執拗かつ強い意欲に基づく,家屋や住人の生命に対する危険性が非常に高い犯行態様である。偶然にも放火後間もなく火炎に気付いた住人が消火活動に奔走し,かろうじて消火できたことで放火は未遂にとどまり死傷者も出ないなど大事に至らなかったものの,住人3名の生命や財産が現実的な危険にさらされた点や公共の安全に与えた危険も大きい点を踏まえると,被害結果は決して軽視できるものではない。また,動機も焼死体を見たいという自身の興味に基づく欲求に従っただけの身勝手かつ自己中心的なものである上,明らかに重大犯罪である殺人(判示第5)に及んだわずか6日後に再び重大犯罪である放火殺人に及ぼうとした経緯からも厳しい非難は免れず,以上からすれば判示第6の犯行は相当悪質であって,後述のとおり責任非難の程度が減少する事情を考慮しても,放火未遂や被害者3名の殺人未遂事件としてみた場合にもその刑事責任は相当重い事案に属するものといわざるを得ない。
加えて,同様の動機に基づく判示第3及び第4の各犯行についても,火炎びんを製造して社会生活の平穏を乱し,かつ,現に窓を損壊して財産的損害を生じさせたものであり,看過できるものではない。
もっとも,前述のとおり,本件各犯行に対しては,被告人が抱える発達障害や衝動性,双極性〈2〉型障害,更に判示第6の犯行については飲酒が,一定程度影響を及ぼしているほか,被告人が本件各犯行時18歳10ヶ月又は19歳2ヶ月の年長少年であり,その一定の未熟さも犯行に影響を与えたことは否定できないから,限定的とはいえ責任非難の程度が減少することについて考慮する必要がある。
2 本件に共通する量刑事情(一般情状)
被告人の反省の点についてみると,公判廷において謝罪の言葉を口にすることはなく,身柄拘束を受けてから2年以上という事件について考える十分な時間がありながらも,自身が行った行為や被害結果の大きさを受け止めておらず,その深まりは全く足りないといわざるを得ない。その反面,被告人は,共感性が欠如しているなど通常人と同様に心からの反省を期待することは困難であるという特性を有するところ,弁護活動の方針によるところもあってか被告人が本件各犯行に係る事実を受け止めて理解する機会が失われていたともいい得る中で,検察官の最終論告を受け,被告人が遅まきながらも事件の重大性を理解し始め,反省の萌芽が現れているとみる余地があるから,前記のような反省の深まりのなさを殊更非難すべきということにはならない。
また,被告人に社会適応に向けた療育,衝動性及び双極性〈2〉型障害に対する治療は必要であるものの,精神障害がいずれも重篤なものとはいえないことに照らすと,一定の治療等が医療刑務所を含む刑事施設内処遇の枠組みの中で対処可能である上,現時点では被告人の精神障害に由来する再犯のおそれと表裏一体の関係にあることにも鑑みれば,療育及び治療が必要なことを量刑上さほど重視するのは相当でない。
そして,その他,社会的影響の大きさや,生育環境(特段の問題があったとはいえない。),家族による被害弁償の試み(内容や実現可能性が明らかではない。),更生を望む母と妹の存在などを考慮しても,いずれも大きな量刑事情とはなり得ず,以上からすれば,量刑上,軽重いずれの方向にも大きく左右する一般情状があるとはいえない。
3 本件全体での量刑
そこで,以上の事情を基に被告人に対する量刑を検討すると,前記1のとおり,複数の重大かつ悪質な犯罪に及んだ犯情は全体としてみて誠に重いのであり,各犯行時の被告人の年齢や精神障害等の影響を,程度の差こそあれ,それぞれ考慮し得ることから相応にその刑事責任が減じられることを踏まえても,有期懲役刑の上限である懲役30年では軽すぎるといわざるを得ないから,無期懲役刑を選択せざるを得ないように思われる(諸般の事情を考慮すると,本件で死刑を選択する余地はない。)。
他方,本件は検察官の主張するような死刑の選択が視野に入るような事案とまではいえない上,被告人が判決宣告時に21歳と若年であり,その平均余命に鑑みれば,無期懲役刑と懲役30年の有期懲役刑との隔絶に由来する刑量の差異が大きいともみることができることから,懲役30年では軽すぎるというだけで直ちに無期懲役刑を選択することには躊躇を覚えるところである。
しかし,本件に即して本邦の刑法を適用すると,上限が懲役30年である有期懲役刑,無期懲役刑,死刑から刑を選択するほかはないところ(なお,本件が死刑の選択が相当な事案ではないことは前述したとおりである。),無期懲役刑は10年を経過することで仮釈放を受けることが法律上可能であること(刑法28条)からすると,無期懲役刑には懲役30年を超える不定期刑といい得る側面があり,そもそもその内実としても有期懲役刑に比較的近いもの(仮釈放を柔軟に運用することが相当なもの)から,中程度のもの,そして終身刑に近い運用が期待されるような死刑に近いものまで,一定の幅を持っていると解することができる。このような考え方からすれば,観念的に生涯受刑が続くこととなる無期懲役刑を若年者が宣告される場合であっても,懲役30年では軽すぎるとしてその見合う刑として無期懲役刑が相当であると考える以上,そこに特段の躊躇を覚えて敢えて有期懲役刑の上限である懲役30年を選択しなければならないとすべきものではない。
したがって,前記1の各事件で指摘した事情のほか,前記2の事情をも最大限被告人に有利に考慮するとしても,被告人に対しては,有期懲役刑に処するのでは軽すぎるのであるから,主文のとおり無期懲役刑(有期懲役刑に近い最も軽い部類に属するものとする趣旨)に処するのが相当である。
(被告人の処遇に対する意見)
前述した量刑の理由並びに本件審理及び評議の経過に鑑み,被告人の受刑中の処遇や仮釈放の運用に関して意見を明確にすべきと考え,以下のとおり意見を述べる。
まず,被告人に責任を自覚させ,刑事施設内での受刑を通じた償いを実効性のあるものとするため,被告人に対して,その障害の状況に応じた適切な療育及び治療について,刑事施設内処遇として最大限採り得る措置を講じられたい。
また,被告人に宣告した無期懲役刑の趣旨は,量刑の理由で述べたとおり,有期懲役刑に近い無期懲役刑であり,死刑に近い無期懲役刑として生涯にわたり刑務所内での現実の服役を求める趣旨とは異なる。むしろ,有期懲役刑の上限にあたる懲役30年の宣告を受けた場合に想定される服役期間,すなわち仮釈放の運用も考慮して考えられる現実の服役期間に比して相応に長い期間にわたり現実の服役がなされた後であれば,被告人が抱える障害の克服状況にも照らして,仮釈放の弾力的な運用により比較的早期の社会復帰が図られることが適切である。
これらの刑事施設内処遇の内容や仮釈放については,専ら矯正機関により判断されるべきものであるが,当裁判所としては,これらの趣旨を踏まえた適切な運用がなされることを期待する。
(求刑 無期懲役,主文掲記の没収)
(検察官渡部洋子,同布目武,同藤本裕人,同北野達也,同二瓶寿信,私選弁護人多田元(主任),同高橋直紹(副主任),同粕田陽子,同兼子千佳,同北川喜郎,同杉浦宇子,同服部朗,同福谷朋子,同間宮静香,同山谷奈津子各出席)
平成29年3月28日
名古屋地方裁判所刑事第1部
裁判長裁判官 山田耕司 裁判官 角田温子 裁判官 小暮純一
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