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十八史略新解/殷

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殷 又號商、外紀云、盤庚以後方始號殷、

殷王成湯子姓名は履(り)。其の先を契(せつ)と曰う。帝嚳の子なり。中略 契、唐虞の司徒と為り、商に封(ほう)ぜられて姓を賜う。十四世の後、天乙 (てんいつ)湯と為る。

〔殷王成湯〕子姓、名履、其先曰契、帝嚳子也、母簡狄、有娀氏女、見玄鳥墮卵呑之、生契、爲唐虞司徒、封於商賜姓、【成湯】王號也、或曰諡、蔡氏曰、武功成、故曰成湯、【契】音薛、【娀】音嵩、【玄鳥】燕也、【卵】欒上聲、【司徒】官掌邦敎、敷五典擾兆民、【商】州屬陝西、【賜姓】賜子姓也、傳昭明、相士、昌若、曹圉、曰冥、曰振、曰微、曰報丁、報乙、報丙、主壬、主癸、主癸子天乙、是爲湯、始居亳、從先王居、【昭明】契子、【相士】昭明子、相去聲、【昌若】相士子、【曹圉】昌若子、圉音語、【冥】曹圉子、【振】冥子、【微】振子、【報丁】微子、【報乙】報丁子、【報丙】報乙子、【主壬】報丙子、【主癸】主壬子、【亳】音薄、蔡氏曰、亳在宋州穀熟縣、今歸德府是也、案全書、相士嘗都於此、故曰從先王居、


人をして幣を以て伊尹を莘(しん)に聘(へい)せしめ、之を夏桀に進む。用いず。尹復た湯に帰す。桀、諌者(かんしゃ)関龍逢を殺す。湯、人をして之を哭せしむ。桀怒り湯を召して、夏台に囚う。已(すで)にして釈(ゆる)さるるを得たり。

伊尹、湯に相として桀を伐ち、之を南巣に放つ。諸侯、湯を尊んで天子と為す。

使人以幣聘伊尹于莘、進之夏桀、不用、【伊尹】伊姓、尹字、名摯、【莘】音瑟平聲、國名、史記注、在汴州陳畱縣東、趙氏曰、在同州郃陽縣、未詳孰是、尹復歸湯、桀殺諫者關龍逢、湯使人哭之、桀怒召湯、囚夏臺、已而得釋、【復歸】說見孟子、【逢】音龐、【夏臺】獄名、疏云、周曰圜土、殷曰羑里、夏曰釣臺、秦曰囹圄、一也、【釋】解也、湯出、見有張網四面而祝之、曰從天降、從地出、從四方來者、皆罹吾網、湯曰、嘻盡之矣、乃解其三面、改祝曰、欲左左、欲右右、不用命者、入吾網、諸侯聞之曰、湯德至矣、及禽獸、【罹】音離、遭也、【至】極也、伊尹相湯伐桀、放之南巢、諸侯尊湯爲天子、【南巢】蔡氏曰、廬江六縣有居巢城、今無爲州巢縣也、桀奔於此、因以放之、【尊湯爲天子】通鑒、湯旣革夏命、乃以建丑月爲正月、色尙白、牲用白、以白爲徽號、服冔冠而縞衣、

契 堯の異母兄にあたる  唐虞の司徒 唐は堯、虞は舜、司徒は文部大臣   幣 進物  莘 地名  聘せしめ 招聘し  相 宰相  南巣に放つ  南巣(地名)に追放した


大旱七年。太史之を占うて曰く、当に人を以て祷(いの)るべし、と。湯曰く、吾が為に請う所の者は民なり。若し必ず人を以て祷れとならば、吾請う自ら当らん、と。遂に斎戒し、中略 桑林の野(や)に祷る。六事を以て自ら責めて曰く、 政(まつりごと)、節あらざるか、民、職を失えるか、宮室崇(たか)きか、女謁(じょえつ)盛んなるか、苞苴(ほうしょ)行わるるか、讒夫(ざんぷ)昌んなるか、と。言未だ已(や)まざるに、大いに雨ふること方数千里。

大旱七年、太史占之曰、當以人禱、湯曰、吾所爲請者民也、若必以人禱、吾請自當、遂齋戒剪爪斷髮、素車白馬、身嬰白茆、以身爲犧牲、禱于桑林之野、以六事自責曰、政不節歟、民失職歟、宮室崇歟、女謁盛歟、苞苴行歟、讒夫昌歟、言未已、大雨數千里、【太史】官、掌羲和之職、卽今之欽天監官也、【占】音瞻、【以人禱】殺人以祭、【爲請】之爲、去聲、言湯爲民請雨、【齋戒】洗心曰齋、防患曰戒、【爪】側巧切、【斷】音端上聲、【嬰】纏也、【女謁】婦女請謁、【苞苴】饋遺也、苞如今合子、苴子魚切、其藉也、

太史 天文官  人を以て祷る 人をいけにえにして雨乞いをする 六事 政治に節度があるか、失職者がいないか、住まいが立派すぎないか、女官の 内緒の頼みごとがないか、賄賂が横行していないか、讒言する者がいないか。 苞苴 つと、わら 物を贈るとき、つとに包み、わらを敷いたから 賄賂。


<書き下し文 作成中>

湯崩、太子〔太丁〕早卒、次子〔外丙〕立、二年崩、弟〔仲壬〕立、四年崩、太丁之子〔太甲〕立、不明、伊尹放之桐宮、居憂三年、悔過自責、尹乃奉歸亳修德、諸侯歸之、【卒】音遵入聲、曲禮、大夫死曰卒、太丁未立而死、故亦稱卒、【不明】不明厥德、孟子曰、太甲顚覆湯之典刑、【桐宮】桐湯墓所在、伊尹營宮、放置太甲於此、【三年】太甲爲仲壬、後、故爲居憂三年、自太甲、歷〔沃丁〕〔太庚〕〔小甲〕〔雍己〕至〔太戊〕亳有祥、桑穀共生于朝、一日暮大拱、伊陟曰、妖不勝德、君其修德、太戊修先王之政、二日而祥桑枯死、殷道復興、號稱中宗、【沃丁】太甲子、【太庚】沃丁弟、【小甲】太庚子、【雍己】小甲弟、己音紀、【大戊】雍己弟、戊音茂、後皆倣此、【朝】音潮、【祥】孔安國曰、祥妖怪也、二木合生、不恭之罰、【拱】兩手所圍曰拱、通鑒作七日大拱、【伊陟】伊尹子、【中宗】號太戊爲中宗、自太戊、歷〔仲丁〕〔外壬〕至〔河亶甲〕避水患遷于相、【仲丁】太戊子、通鑒、是時亳都有河決之患、乃遷都于囂、【外壬】仲丁弟、【河亶甲】亶音丹上聲、外壬之弟、【水患】河決之患、【相】去聲、州屬河東、今彰德府、至〔祖乙〕居耿、又圮于耿、【祖乙】河亶甲子、【耿】鄒氏曰、在河中府龍門縣、有故耿城、通鑒云、相都又有河決之害、復遷于耿、【圮】音皮上聲、河水所毀曰圮、歷〔祖辛〕〔沃甲〕〔祖丁〕〔南庚〕〔陽甲〕至〔盤庚〕自耿復遷于亳、殷道復興、【祖辛】祖乙子、【沃甲】祖辛子、【祖丁】沃甲子、【南庚】沃甲子、【陽甲】南庚弟、【盤庚】陽甲弟、自盤庚、歷〔小辛〕〔小乙〕至〔武丁〕夢得良弻、曰說、說爲胥靡、築于傅巖、求得之、立爲相、武丁祭湯、有飛雉、升鼎而雊、武丁懼而反己、殷道復興、號稱高宗、【小辛】盤庚弟、【小乙】小辛弟、【武丁】小乙子、【弻】輔也、【說】音悅、下同、臣名、姓傅、【爲胥】之爲去聲、【傅巖】案、傅巖在陝州虞虢之界、嘗有㵎水壞道、使胥靡刑人築之、說賢而隱、代築以供食、高宗使人求說、至此而得之、孟子曰、傅說擧於版築之閒、是也、【相】去聲、【雉】野雞、【雊】音構、嗚也、【反己】思道、猶孟子所謂反其仁之類、己音紀、自武丁、歷〔祖庚〕〔祖甲〕〔廩辛〕〔庚丁〕至〔武乙〕無道、爲偶人、謂之天神、與之博、令人爲行、天神不勝、乃僇辱之、爲革囊盛血、仰射之、命曰射天、出獵、爲暴雷震死、【祖庚】高宗子、【祖甲】祖庚弟、【廩辛】祖甲子、【庚丁】祖甲次子、【武乙】庚丁子、【偶人】以土木爲人曰偶人、【博】局戲曰博、【爲行】之爲、【爲暴】之爲、竝去聲、【行】代行博釆、【革囊】革皮、囊袋也、【盛】音成、下同、【射】音石、下同、釋音云、凡泛而言射、則音麝、指物而射、則音石、【震死】以其非命、故不稱崩、


帝辛、名は受、号して紂と為す。資 弁捷疾、猛獣を手挌す。智は以て諌を拒(こばむ)に足り、言は以て非を飾るに足る。始めて象箸を為(つく)る。箕子嘆じて曰く、彼、象箸を為る。必ず盛るに土簋(どき)を以てせじ。将に玉杯を為らんとす。玉杯象箸、必ず藜藿(れいかく)を羹(あつもの)にし、短褐(かつ)を衣(き)て茆茨の下に舎(やど)らじ。則ち錦衣九重、高台広室、此に稱(かの)うて以て求めば、天下も足らじ、と。

歷〔太丁〕〔帝乙〕至〔帝辛〕名受、號爲紂、【太丁】武乙子、【帝乙】太丁子、【帝辛】帝乙子、【受】通鑒作受德、【紂】諡法、殘義損善曰紂、資辯捷疾、手挌猛獸、智足以拒諫、言足以飾非、始爲象箸、箕子歎曰、彼爲象箸、必不盛以土簋、將爲玉杯、玉杯象箸、必不羹藜藿、衣短褐、而舍茆茨之下、則錦衣九重、高臺廣室、稱此以求、天下不足矣、【挌】音格、擊也、【象箸】象牙箸也、象獸名、長鼻長牙、生南越、其牙可作器、箸音除去聲、【箕子】箕國、子爵、紂諸父也、【土簋】簋內圓外方、以盛黍稷、土簋瓦器、【將】音漿、【藜藿】藜野菜、藿豆葉、【衣】去聲、著也、【褐】毛布曰褐、【九重】謂宮闕深也、重平聲、【臺】築土爲臺、【稱】去聲、

手挌 手でうつ  箕子 紂の庶兄  土簋 粗末な器  藜藿 あかざと豆の葉 短褐 丈の短い着物  茆茨 かやぶき 


紂、有蘇氏を伐つ。有蘇、妲己を以て女(めあ)わす。寵有り。其の言皆従う。賦税を厚うして、以て鹿台の財を実(み)て、鉅橋の粟を盈つ。沙丘の苑台を広め、酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、長夜の飲を為す。百姓(せい)怨望(えんぼう)し、諸侯畔(そむ)く者有り。紂乃(すなわ)ち刑辟(へき)を重くす。銅柱を為り、膏(あぶら)を以て之に塗り、炭火の上に加え、罪有る者をして之に縁(よ)らしむ。足滑らかにして跌いて火中に墜つ。妲己と之を観て大いに楽しむ。名づけて炮烙の刑と曰う。淫虐甚だし。庶兄微子数々(しばしば)諌むれども従わず。之を去る。比干(ひかん)諌めて三日去らず。紂、怒(いか)って曰く、吾れ聞く、聖人の心(むね)には、七竅有り、と。剖(さ)いて其の心を観る。箕子。佯狂して奴と為る。紂之を囚(とら)う。殷の大師、其の楽器祭器を持して周に奔(はし)る。

紂伐有蘇氏、有蘇以妲己女焉、有寵、其言皆從、厚賦稅、以實鹿臺之財、盈鉅橋之粟、廣沙丘苑臺、以酒爲池、懸肉爲林、爲長夜之飮、百姓怨望、諸侯有畔者、紂乃重刑辟、爲銅柱以膏塗之、加於炭火之上、使有罪者緣之、足滑跌墜火中、與妲己觀之大樂、名曰炮烙之刑、淫虐甚、庶兄微子數諫、不從、去之、比干諫、三日不去、紂怒曰、吾聞聖人之心有七竅、剖而觀其心、箕子佯狂爲奴、紂囚之、殷大師、持其樂器祭器奔周、【妲】丹入聲、【己】音紀、【女】去聲、【縣】懸同、【畔】叛同、背也、【辟】音平入聲、法也、【膏】油也、【跌】音迭、【樂】音洛、【炮烙】音庖洛、炮炙、烙燒也、【庶兄】妾母所生曰庶、【微子】微國、子爵、名啓、【數】音朔、【比干】紂諸父、王子也、【竅】苦弔切、孔也、【剖】普口切、刳也、【箕手佯狂爲奴】古人奴婢、皆以罪人爲之、箕子因諫得罪而遭囚、故爲奴、○愚案、微子去之、欲存宗祀、比干死爭、欲悟君心、箕子佯狂、意猶規諫、跡雖不同、爲仁一也、【大師】微子、【周】文王所封之國、○鄒氏曰、案論語言、微子去之、是不仕於王朝而遯耳、初不言其歸周也、夫以商主同父之兄、而自歸於周、是忘君辱身、而先亡其宗國矣、微子其肯爲之乎、

鹿台鉅橋 財宝や穀類を貯蔵する場所  怨望 望もうらむ  刑辟 辟は罰   庶兄 妾腹の兄  比干 紂の諸父  七竅 七つのあな  佯狂 狂人を装う 大師 音楽を司る長官


周公昌及び九侯、鄂侯は、紂の三公たり。紂、九侯を殺す。鄂侯争う。并(あわ)せて之を脯(ほ)にす。昌聞いて嘆息す。紂、昌を羑里(ゆうり)に囚(とら)う。昌の臣散宜生、美女珍宝を求めて進む。紂大いに悦び、乃ち昌を釋(ゆる)す。昌退いて徳を修む。諸侯多く紂に叛いて之に帰す。昌卒す。子發立つ。諸侯を率いて紂を伐つ。紂牧野に敗れ、宝玉を衣(き)て自ら焚死(ふんし)す。殷亡ぶ。

周侯昌、及九侯、鄂侯、爲紂三公、紂殺九侯、鄂侯爭、幷脯之、昌聞而歎息、紂囚昌羑里、昌之臣散宜生、求美女珍寶進、紂大悅、乃釋昌、昌退而修德、諸侯多叛紂歸之、昌卒、子發立、率諸侯伐紂、紂敗于牧野、衣寶玉自焚死、殷亡、【昌】文王、【三公】太師太傅太保曰三公、漢襲秦以丞相御史太尉爲三公、後以大司馬大司徒大司空爲三公、復置師傅保、在三公上、光武二十七年詔、司徒司空竝去大字、改大司馬爲大尉、一也、【爭】諍同、諫止也、【脯】焟乾其肉、【羑】音酉、【散宜生】散氏、宜生名、【牧野】在紂都朝歌之南、【衣】去聲、箕子後朝周、過故殷墟、傷宮室毀壞生禾黍、欲哭不可、欲泣則爲近婦人、乃作麥秀之歌曰、麥秀漸漸兮、禾黍油油兮、彼狡童兮、不與我好兮、殷民聞之皆流涕、【朝周】案史記、武王旣克殷、乃封箕子於朝鮮、而不臣、今曰朝周、猶左氏所謂於周爲客者也、【墟】去聲、【禾黍】禾五穀總名、黍苗似蘆穗黑色、實圓重、俗謂曰糯粟、【欲泣云云】泣者淚下而不敢發聲、近婦人所爲、【漸漸】漸當作𦾶、麥秀貌、【油油】盛貌、【狡童】史記云、紂也、【好】如字、善也、殷爲天子三十一世、六百二十九年、九、通鑒作八、案、紀年、殷有天下、實六百四十五年、

脯 干し肉