初等科國語 七/ビスマルク諸島

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ビスマルク諸島[編集]

ニューアイルランド島[編集]

 汽船に乘つて、南洋のトラック島を出發し、眞南へくだつて行くと、一日半ぐらゐで赤道に達する。それからまた一日半ぐらゐ南へ航海を續けると、一つの島が見えて來る。ニューアイルランド島である。
 汽船をこの島へ寄せるとしたならば、だれでもその北端にあるカビエングといふ港をえらぶであらう。
 そこには、緑靑ろくしやうを薄くとかして流したやうな、美しい靜かな海が奥深く入り込み、目もさめるやうな緑の葉の椰子やしの木や、鳳凰木はうわうぼくなどが茂り、その間に、眞赤な佛桑華ぶつさうげの花が咲き亂れてゐる。空は紺靑こんじやうに澄み渡り、せたけの十倍二十倍もある樹木のかげを行くと、梢には赤・黄・靑などの美しい羽をしたいろいろな小鳥が、聞きなれない鳴き聲をして飛びまはつてゐる。
 黄色に熟したレモンがすずなりになつてゐる畠の向かふには、靑いパパイヤが、手を延せばとどきさうなところに、千なりべうたんのやうにぶらさがつてゐる。パイナップルも、道のすぐそばで、にこにこした顔を見せてゐるし、南洋りんごと呼ばれる小さなトマトぐらゐの大きさの實の生つてゐる木が、早くたべてくださいといはんばかりに、往來まで枝をさしのべてゐる。もぎ取つて口へ入れると、かすかすと齒ごたへがして、乾ききつたのどへ、あまずつぱい汁が流れ込む。
 附近には、わづかな住民の家がところどころに點在し、内地のゐなかの村を歩いてゐるやうな靜かさである。住民はパプア族で、色は黑檀こくたんのやうに黑くてつやつやしてをり、髮はちぢれて、四五センチ以上にはのびない。腰にラップラップといふ短い腰巻を着けてゐるばかりで、いつもはだかで暮してゐる。せいは日本人よりもずつと高く、力も強い。しかし氣立てはやさしく、日本人を心から尊敬して、なかなか勤勉に働く。
 昭和十七年一月二十三日、わが海軍特別陸戰隊が、この土地に敵前上陸して、濠洲がうしう兵を追ひ拂ひ、日本領の標柱を打ちたてた當時から、住民たちは、日本軍の強さと心のやさしさを知つて、すつかりなついてしまつた。

ニューブリテン島[編集]

 ニューアイルランド島をあとにして、更に南へ航海を續けると、半日もたつたのち、南へずつと連なる大きな島が見えて來る。ニューブリテン島である。
 島の北の端に、深い水をたたへた廣い灣があつて、その灣の奥に、ラバウルといふりつぱな町がある。
 朝夕、町の姿をうつすこの廣い灣は、ラバウルの生命で、一萬トン級の船が百五十隻ぐらゐはらくにはいれる。パプア島にも、ソロモン諸島にも、濠洲の東北部にも、これと肩を並べるやうな港はない。赤道をさしはさんで、わが南洋のトラックを北の最良の港とすれば、南の最良港はこのラバウルである。
 港がよければ、しぜん政治せいぢ交通かうつう・産業の中心となるので、以前はここにニューギニア州の總督そうとくが住んでゐた。しかし今では、日本軍がここにどつかり腰をすゑて、濠洲のかなたまでじつとにらみつけてゐるのだ。
 この島の中央を、屋根のやうな山脈が走つてゐる。ラバウルの町も、その後にこの山脈を控へ、神戸かうべ横須賀よこすかなどと同じく、ひなだんのやうに家々が山の中腹に並んでゐる。
 ラバウルは、南洋の町としてはりつぱであるが、戸數は五六百を數へるに過ぎない。西洋人の殘して行つた家は床が高く、その下を立つたままでらくに通行することができる。窓も廣く、金網を張つて壁の代りにしてゐるが、これらはみんな風通しをよくするためである。
 家の軒下には、直徑一メートルもある、トタンで作つた圓筒ゑんとう形の天水桶てんすゐをけが並べてある。このあたりの島々は珊瑚礁さんごせうからできてゐるせゐか、井戸をほつても水は出て來ない。屋根に落ちる雨水は、樋(とひ)で殘らずこの桶にたくはへておくやうにする。
 船がラバウルの灣の入口にさしかかつた時、目の前に立ちふさがつてゐる火山が、白い煙を吐いてゐたが、時々この火山が爆發して、火山灰をラバウルの町へふりまく。殊に、季節きせつ風が南西にかはる三月ごろから始つて、十一月ごろまではよく灰が降り、植物は枯れ、名物のほたるまでが死んでしまふ。皇軍がこの島を治めるやうになつてから、火山灰の降らないところに、新ラバウルの市街を作ることになつてゐる。
 この島の住民の數は九萬人餘りで、みんなパプア族である。パンの實、バナナ・タロいもを常食としてゐる。魚を取ることも上手である。
 子どもが、椰子の梢にのぼつて實を取つてゐることがある。椰子の實からコプラを取るためである。その木かげでぶたが遊び、あちらこちらに鷄の鳴き聲が聞かれるのも、のどかな風景である。