共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解

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共産党は、第5回全国協議会(昭和26年〈1951年〉)で採択した「51年綱領」と「われわれは武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」に基づいて武装闘争の戦術を採用し、各地で殺人事件や騒擾(騒乱)事件などを引き起こしました(注1)。

その後、共産党は、武装闘争を唯一とする戦術を自己批判しましたが、革命の形態が平和的になるか非平和的になるかは敵の出方によるとする「いわゆる敵の出方論」を採用し、暴力革命の可能性を否定することなく(注2)、現在に至っています。

こうしたことに鑑み、当庁は、共産党を破壊活動防止法に基づく調査対象団体としています。


(注1)共産党は、「(武装闘争は)党が分裂した時期の一方の側の行動であって、党の正規の方針として『暴力革命の方針』をとったことは一度もない」(3月24日付け「しんぶん赤旗」)などとしていますが、共産党自身が5全協を「ともかくも一本化された党の会議であった」と認めています(第7回党大会中央委員会報告、昭和33年)。

また、不破哲三前議長と上田耕一郎元副委員長の共著「マルクス主義と現代イデオロギー」では、当時の武装闘争について、次のように述べています。「たんに常識はずれの『一場の悪夢』としてすまされることのできない、一国の共産党が全組織をあげ、約2年間にわたって国民にさし示した責任のある歴史的行動であった」

(注2)共産党は、「『議会の多数を得て社会変革を進める』-これが日本共産党の一貫した方針であり、『暴力革命』など縁もゆかりもない」(3月24日付け「しんぶん赤旗」)などと主張していますが、同党が、日本社会党の「議会を通じての平和革命」路線を否定してきたことは、不破前議長の以下の論文でも明らかです。

  • 「『暴力革命唯一論』者の議論は、民主主義を擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義の議論である。しかし、反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた、米日支配層の反動的な攻撃にたいする労働者階級と人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり、解放闘争の方法を誤まらせるものなのである」(不破哲三著「日本社会党の綱領的路線の問題点」)


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