光緒二十六年宣戦詔書

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動


我朝の初より淸國に渡來する外國人は凡て寛大の待遇を受け道光咸豐の朝に際し淸國に通商し且基督宗の布敎を允許せり然るに近年に到り外國人は我叛徒を占奪し我臣民を劫掠し我財産を邁取し以て我邦土を凌辱せんとし愈其惡を重ねたり而して是れが結果は即ち其敎堂の破壞及其宣敎者の殺害にあり然れ共我政府は其保護に盡力し再び公使館の保全及改宗者の救難を命じたるに拘はらず外國人は毫も其恩に感せず其强兵を利用し暴力を以て大沽砲臺の撤兵を要求せり夫れ其敵抗の方法此の如し生きて侮辱に居らんよりは寧ろ極力交戰に從事せんとするは朕の涙を呑で嚴然誓言する所にして忠實愛國の臣民千百群を爲して直隸及山東より帝都に集來し二千餘省の版圖と四億の民衆とを以て勝敗を決せんとするは朕の希望する所なり外夷を鎭壓し國威を維持することは敢て難事にあらず凡て外國人に交戰し若くは軍費を箋捐せんとするものは朕の深く自ら歡迎する處なり云々

右等の詔敕は正しく端郡王より出でたるものと諒察せらる

Wikipedia
ウィキペディア義和団の乱のページがあります。

この著作物は、1927年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は1925年1月1日より前に発行された(もしくはアメリカ合衆国著作権局に登録された)ため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。