作者:中根重一
表示
←作者索引: な | 中根重一、なかね・しげかず (1851–1906) |
日本人の医学者、ドイツ語翻訳者。広島県の福山藩士の家に生まれる。大学東校医学部を卒業後、新潟医学所で教鞭をとる傍ら翻訳、通訳に従事。ドイツ語に堪能で、1882年ごろからは東京で行政官となり、太政官文書局御用掛准判任官、外務省翻訳官、独逸学協会幹事、またのちに設置された帝国議会で貴族院書記官長も務める。のちには政争で失職し相場で財産を失うなどし苦境のまま腎臓炎を悪化させ死去。妻はカツ(豁)。3人の娘(キヨ、トキ、ウメ)がおり、キヨは夏目漱石の妻となった(夏目鏡子)。 |
翻訳文献
- 1885年 王室財政論(リヨンネ原著)、独逸学協会雑誌第18号
- ------年 貴族特権 (ハシュルチェー、モーゼル、スタール、ブルンチュリ、ロエスレル原著) NDL
- 1883年 政治学 (ヨハン・カスパール・ブルンチュリ原著、Bluntschli, Johann Caspar原著) NDL
- 1884年 戦時鉄道の用 (8月8日Neue Freie Presse誌)、独逸学協会雑誌第14号
- 1885年 独逸国貧民救助法、独逸学協会雑誌第17号
- 1885年 行政官吏養成論 (ヨルリー原著)、独逸学協会雑誌第19号
- 1885年 人類の性情は政治の基礎 (ブルンチュリ原著)、独逸学協会雑誌第20号
- 1885年 本年5月12日独逸学協会春季総会に於いて協会会員独逸国博士リョースレル氏の演説、独逸学協会雑誌第21号
- 1887年 独逸及日本 (独逸普通新聞)、独逸学協会雑誌第45号
- 1887年 宇内経済の前途 (ヱ・ヱッキス・フォン・ノイマン原著、5月19日ウィーン商業雑誌)、独逸学協会雑誌第48号
- 1888年 日本農業及北海道殖民論 (マックス・フェスカ、Fesca, Max原著) NDL
- 1888年 歳計予算論 (ルードルフ・グナィスト、Gneist, Rudolph原著) NDL
- 1889年 地方財政学 (カール・ラートゲン、Rathgen, Karl原著) NDL
- 1890年 独孛政典(第1巻 - 第10巻) (ヒュー・デ・グレー、Hue de Grais, Robert Achill Friedrich Hermann, Graf原著、平田東助校閲) NDL
著述
- 1890年 日本貨幣の流通高を論ず、学林 NDL
- 1890年 府県制郡制釈義 (山脇玄共著) NDL
- 1892年 鉄道問題 NDL
- 1894年 中根重一君招待會に於ける河田烋君の演説・中根重一君の演説、速記彙報 NDL
- 1895年 戦後の処分に関する外国の事例 NDL
二次文献
- 1898年 貴族院書記官長行政法協會評議員正五位勳四等中根重一君肖像、「行政法協会雑誌」 NDL
- 1920年 竹山屯傳(附)中根重一伝(小川劍三郞著)、「実験眼科雑誌」 NDL
- 1957年 夏目漱石と中根重一(杉野大澤著)、「日本医事新報」 NDL[1]
- 1995年 夏目漱石、中根重一、カール・シュミット(宮本盛太郎著)、「史」 NDL[1]
- 2010年 『獨逸學協會雑誌』掲載論説の変遷に関する考察(兼田信一郎著)、「獨協大学学術リポジトリ」[1]
官報(辞令)
- 1887年5月7日官報、法制局 NDL
- 1890年10月27日官報、内務省 NDL
- 1891年4月8日官報、内閣 NDL
- 1892年11月10日官報、内閣 NDL
- 1893年12月4日官報、内閣 NDL
- 1893年12月5日官報、逓信省 NDL
- 1893年12月23日官報、内閣 NDL
- 1894年2月17日官報、内閣 NDL
- 1894年2月27日官報、内閣 NDL
- 1897年7月5日官報、内閣 NDL
- 1898年11月19日官報、内閣 NDL
- 1898年12月12日官報、宮内省 NDL
- 1900年3月12日官報、行政裁判所 NDL
- 1900年11月1日官報、内務省 NDL
- 1901年4月6日官報、内務省 NDL
- 1901年12月28日官報、内閣 NDL
関連項目
注記
この作者の作品は、1929年1月1日より前に公表され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。後に出版された翻訳や版にも著作権が発生する場合があります。死後の作品は、特定の国や地域で出版された期間に応じて著作権が発生する場合があります。
|