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伊集院町志/緒言

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緒  言

 胡馬は北風にいななき越鳥は南杖に巣くふ。磁針が絶えず北を指すやうに人の本然の心もまた常に故郷へ/\と向つて居る。世に故郷ほどなつかしき戀しきものはあるまい。花につれ喜びにつけ思い出さるるは故郷のことである。故郷は何故かにかくの如きか、思ふに郷土は我等を生み、我等をはぐくみ成長せしめた最もなつかしき存在であり、他に求め難いありがたい地であるといふだけのものではない。

 思ふに、郷土は我らの生れざる悠久の昔、幾多我等祖先を生み續け、それらの人々が次代の子孫のために孜々營々として努力や開發を續け來り今日に及んだところのものである。かく考へ來ればかしこの鎮守の森、こゝの囁く小川苟も一草一木と雖も無言の建物、無言の墓碑であつて、凡てこれ祖先累代の霊の籠つたところのもんもであり、同時に我等の幼い時からの魂の呼び醒まされたるところに外ならないのである。

 かく考へ來れば、我々は常に郷土の歴史を追懐し、過去の姿を凝視し、現在の立場をよく了解しなければならぬ。過去と現在と未來とは密接なる聯鎖をなす。現在の立場をよく知らんとせばその根ざした過去の姿をよく知らねばならぬ。それがよく分りはじめて未來の發展に力を盡し得ることとなる。郷土は則ち過去の記憶と想像とを以て建立されたる神殿なることを思ふ時、その郷土發展のため力を竭し、地下に眠りたる幾多有名無名の祖先の霊に報ゆると共に、子孫に贈るべき責任を有す。實に愛郷の精神は人間本然のものであり、それが大となりては愛國心の發露となるものである。言を換へていへば一町村を愛する心がやがて國家を愛する心にまで發展すべきもので郷土愛は取りも直さず愛國心の基礎であり根幹をなすものであつて、愛郷心に根ざさぬ愛國心は一つの空花にもひとしきものであらねばならぬ。

 抑も我が伊集院町は西薩の名邑に當り、古來幾多の美しき歴史と傳統とに輝き、その遺風を受け民俗淳朴敦厚の風を成し、比隣相和し、相済し、昭和の今日有ゆる方面に日進月歩たゆみなき發展を迎りつゝあるのであるが、不幸にして今日迄何等郷土史として見るべきものがなつかつた。これは甚だ遺憾の事である。よりて今回こゝに伊集院町志刊行の事を思ひ立ち、在郷の人士は勿論廣く四方に活躍しつゝある郷土出身の諸氏に配付し、以て本町過去の正しき姿を明かにし、現在将来の活動に資すべく企圖したものである。然るに比較的短日月の間に作成したため内容不備の點多きは申譯のない事であるが、少く共此小冊子の現出が契機となつて、他日完全なる郷土史の生れ出る基礎となる事あらば此上なき幸福と存するものである。

 尚今次の支那事變に際し、一身を君國に捧げて名譽の忠死を遂げたる人々は陸軍少佐門松幸男氏、同大尉松下武男氏同少尉園田司氏等以下既に二十餘柱を數へ、また海軍大佐蓑輪中五氏、同有馬正文氏、陸軍中佐前田國治氏、同山口毅氏、同少佐家村新七氏、同門松正一氏、同永山仙一氏、同今村吉太郎氏等陸海空軍約五百餘の将兵は今日尚ほ聖戦に從事せられ北はソ滿國境より南は海南諸島に互る各地又は要路に夫々活躍中であるが、此等の實情はまだ公表を憚る點があるので稿を他日に譲らなければならぬことを遺憾とするのである。

 終りに過去の史實の蒐集、本志の編纂については鹿兒島史談會員たる歴史家陸軍中佐林吉彦氏の一方ならぬ御努力を煩はしたもので本誌の成る十中八九は氏の熱意なる研究に依りたるものなることをこゝに銘記して滿腔の謝意を表すると共に中學時代以來の畏友池田二中校長並に東田伊集院校長、在京西藤右衛門氏等が有形無形の多大なる援助を與へられたることを述べて感謝の意を表する次第である。

昭和十四年春三月
伊 集 院 町 長   黑江  可

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