乱中日記/壬辰日記
壬辰正月
[編集]初一日壬戌。晴。曉。舍弟汝弼及姪子菶,豚薈來話。但離天只。再過南中。不勝懷恨之至。○兵使軍官李敬信。來納兵使簡及歲物,長片箭雜物。
〈初一日壬戌。晴る。
初二日癸亥。晴。以國忌不坐。與金仁甫話。
〈初二日癸亥。晴る。国忌を以て坐せず。金仁甫と話す。〉
初三日甲子。晴。出東軒。別防點考。題送各官浦公事。
〈初三日甲子。晴る。東軒[2]に出づ。別防を点考[3]す。各官浦に公事を送ると題す。〉
初四日乙丑。晴。坐東軒公事。
〈初四日乙丑。晴る。東軒に坐して公事す。〉
初五日丙寅。晴。仍在後東軒公事。
〈初五日丙寅。晴る。仍お東軒の後に在りて公事す。〉
初六日丁卯。晴。出東軒公事。
〈初六日丁卯。晴る。東軒に出でて公事す。〉
初七日戊辰。朝晴。晩雨雪交下終日。菶姪往牙山。○南原陪箋儒生入來。
〈初七日戊辰。朝晴る。晩雨雪終日こもごも下れり。菶姪牙山に往く。○南原の陪箋儒生入来す。〉
初八日己巳。晴。出客舍東軒公事。
〈初八日己巳。晴る。客舍東軒に出でて公事す。〉
初九日庚午。晴。早食後出客舍東軒。封箋文拜送。
〈初九日庚午。晴る。早食の後に客舍東軒に出づ。箋文を封して拝送す。〉
初十日辛未。終日雨雨。防踏新僉使入來。
十一日壬申。小雨終日。晩出東軒公事。李鳳壽往見先生院浮石處。来告已鑿穴大石十七塊云。西門外壕子四把許頹圮。○與沈士立話。
〈十一日壬申。終日小雨る。晩東軒に出でて公事す。李鳳壽先生院の浮石処[6]を往見す。来たりて已に大石十七塊ここに穴を鑿つを告ぐる。西門外壕子四把許り頹圮す。沈士と立話す。〉
十二日癸酉。陰雨不霽。食後出客舍東軒。本營及各浦鎭撫優等試射。
〈十二日癸酉。陰雨霽れず。食後客舍東軒に出づ。本営及び各浦鎮撫優等試射す。〉
十三日甲戌。朝陰。出東軒公事。
〈十三日甲戌。朝陰る。東軒に出でて公事す。〉
十四日乙亥。晴。出東軒公事後射帿。
〈十四日乙亥。晴る。東軒に出でて公事する後に帿を射る。〉
十五日丙子。陰而不雨。曉。行望闕礼。
〈十五日丙子。
十六日丁丑。晴。出東軒公事。各官品官色吏現謁。防踏兵船軍官,色吏。以其兵船不爲修繕决杖。虞候假守。亦不檢飭。至於此極。不勝駭恠。徒事肥己。如是不顧。他日之事。亦可知矣。城底土兵朴夢世。以石手往先生院鎖石浮出處。害及四隣狗子。故决杖八十
〈十六日丁丑。晴る。東軒に出でて公事す。各官品官色吏現れて謁す。防踏兵船の軍官、色吏。其兵船を以て決杖の修繕を為さざる。虞候の仮の守。亦た飭し検せず。此の極に至る。
十七日戊寅。晴。寒如大冬。朝。修簡于廵使及南原半刺處。○夕。鐵鎖孔石回泊事。送四船于先生院。金孝誠領去。
〈十七日戊寅。晴る。寒きこと大冬の如し。朝。簡を廵使及び南原半刺の処に修す。○夕。鐵鎖孔石の回泊する事。四船を先生院に送る。金孝誠領を去る。〉
十八日己卯。晴。出東軒公事。呂島天字船回去。優等啓聞及代加單子。封送于廵營。
〈十八日己卯。晴る。東軒に出でて公事す。呂島[7]の天字船
十九日庚辰。晴。東軒公事後。各軍點考。
〈十九日庚辰。晴る。東軒に公事する後。各軍点考す。〉
二十日辛巳。晴而大風。東軒坐起公事。
〈二十日辛巳。晴るるに而れども大風なり。東軒に坐起して公事す。〉
二十一日壬午。晴。出東軒公事。監牧官來宿。
〈二十一日壬午。晴る。東軒に出でて公事す。監牧官[8]来宿る。〉
二十二日癸未。晴。朝。光陽倅來謁。
〈二十二日癸未。晴る。光陽の倅来謁す。〉
二十三日甲申。晴。以仲兄忌日不坐。司僕寺受來留養馬上送。
〈二十三日甲申。晴る。仲兄の忌日を以て坐せず。司僕寺留養馬を受け来たりて上送す。〉
二十四日乙酉。晴。以伯兄忌日不坐。見廵使答狀。則以古阜郡守李崇古仍留狀啓。重被物論。以是辞狀云。
〈二十四日乙酉。晴る。仲兄の忌日を以て坐せず。廵使の答狀を見る。則ち古阜郡守李崇古を以て仍りて状啓を留む。重ねて物論を被る。是を以て状これを辞す。〉
二十五日丙戌。晴。出東軒公事後射帿。
〈二十五日丙戌。晴る。東軒に出でて公事する後に帿を射る。〉
二十六日丁亥。晴。出東軒公事後。與興陽,順天兩倅共話。
〈二十六日丁亥。晴る。東軒に出でて公事する後。興陽[9],順天[10]の両倅と共に話す。〉
二十七日戊子。晴。午後光陽倅来。
〈二十七日戊子。晴る。午後光陽の倅来たる。〉
二十八日己丑。晴。出東軒公事。
〈二十八日己丑。晴る。東軒に出でて公事す。〉
二十九日庚寅。晴。出東軒公事。
〈二十九日庚寅。晴る。東軒に出でて公事す。〉
三十日辛卯。陰而不雨。暖如初夏。東軒公事後。射帿。
〈三十日辛卯。陰るに而れども雨らず。暖きこと初夏の如し。東軒に公事する後。帿を射る。〉
二月
[編集]初一日壬辰。曉。行望闕礼。煙雨暫灑晩霽。出船滄。点択可用板子。時水塲内鯈魚雲集。張網獲二千余箇。可謂壯矣。仍坐戦船上飲酒。與虞候共看新春景色。
〈初一日壬辰。暁。望闕礼を行う。煙雨暫く晩霽に灑ぐ。船滄に出づ。時に水塲の内に鯈魚雲集す。網を張りて二千余箇を獲る。壮と謂うべし。仍りて戦船の上に坐し酒を飲む。虞候と共に新春の景色を看る。〉
初二日癸巳。晴。東軒公事。○鐵鎖橫設。大中石塊八十余箇載来。○射帿十廵。
〈初二日癸巳。晴る。東軒に公事す。○鉄鎖を橫設す。大中の石塊八十余箇載せて来る。○帿を射ること十廵なり。〉
初三日甲午。晴。曉。虞候以各浦摘奸事。乗船出去。○公事後。射帿。○耽羅人率子女並六口逃出。泊于金鰲島。防踏循環船。被捉上使。故捧招。送囚昇平。書送行移。○是夕。火臺石四箇輸上。
〈初三日甲午。晴る。暁。虞候各浦を以て奸事を
初四日乙未。晴。出東軒公事後。上北峯築煙臺處。築處甚善。萬無頹落之理。李鳳壽之勤事。可知矣。終日觀望。當夕下來。廵視垓坑。
〈初四日乙未。晴る。東軒に出でて公事する後。北峯の煙台を築く処に上る。築く処甚だ善し。万に頹れ落つるの理無し。李鳳壽の勤める事。知るべし。終日観望す。夕に当りて下り来。垓坑を廵視す。〉
初五日丙申。晴。出東軒公事後。射帿十八廵。
〈初五日丙申。晴る。東軒に出でて公事する後。帿を射ること十八廵なり。〉
初六日丁酉。晴。終日大風。出東軒公事。廵使簡二度來。
〈初六日丁酉。晴る。終日大風なり。東軒に出でて公事す。廵使の簡二度来る。〉
初七日戊戌。晴而大風。出東軒公事。鉢浦到任公狀來。
〈初七日戊戌。晴るるに而れども大風なり。東軒に出でて公事す。鉢浦任に到る公状来る。〉
初八日己亥。晴又大風。出東軒公事。是日。捧龜船帆布二十九疋。○當午射帿。趙而立與卞存緖爭雄。趙不勝。○虞候還自防踏。極言防踏盡心防備事。○東軒庭。立石柱火臺。
〈初八日己亥。晴るるも又大風なり。東軒に出でて公事す。この日。亀船に帆布二十九疋を捧ぐ。○当午帿を射る。趙而立と卞存緖雄を争う。趙勝たず。○虞候防踏より還る。防踏に心を尽くし防備する事極言す。○東軒の庭。石柱火台を立てる。〉
初九日庚子。晴。曉。以鐵鎖貫長木斫伐事。李元龍領軍送斗山島。
〈初九日庚子。晴る。曉。鉄鎖を以て長き木を斫り伐る事。李元龍軍を領して斗山島へ送る。〉
初十日辛丑。煙雨。或晴或暗。出東軒公事。○金仁問自廵營還。見廵使簡。則通事等多受賂物。誣告中朝。致有請兵之擧。非但此也。中原疑我國與日本有他志。其爲凶悖。極爲無謂。通事等已爲拿囚云。不勝駭恠痛憤。
〈初十日辛丑。煙雨なりて。或いは晴れて或いは暗し。東軒に出でて公事す。○金仁問廵營より還り。廵使簡を見る。則ち通時等賂物を多く受け。中朝に誣告し。兵の挙ぐるを請う有るに到るは。但だ此れのみに非ざるなり。中原の疑うは我が国と日本に他志有りて。其れ凶悖を為すことなり。極めて謂れ無きことを為す。通時等已にここに拿囚せらる。駭恠痛憤に勝えず。〉
十一日壬寅。晴。食後出船上。新選點考。
〈十一日壬寅。晴る。食後船上に出づ。新選を点考す。〉
十二日癸卯。晴且風靜。食後出東軒公事。移坐海雲臺射帿。觀沈獵雉。極其從容。軍官輩亦皆起舞。趙而立吟絶句。乘夕還來。
〈十二日癸卯。晴且つ風静かなり。食後東軒に出でて公事す。海雲台に移り坐りて帿を射る。観沈して雉を猟す。其れを極めて従容す。軍官の輩亦た皆起舞す。趙而立絶句を吟す。乗りて夕に還り来る。〉
十三日甲辰。晴。右水使軍官來。箭竹大中百箇。鐵五十斤送之。
〈十三日甲辰。晴る。右水使[11]の軍官来る。箭竹大中百箇。鉄五十斤之れを送る。〉
十四日乙巳。晴。牙山問安。羅將二名出送。
〈十四日乙巳。晴る。牙山に問安し。羅將二名出で送る。〉
十五日丙午。大風雨。出東軒公事。石手等。以新築浦坑多致頹落。决罪。使之更築。
〈十五日丙午。大いに風雨る。東軒に出でて公事す。石手等。新たに浦坑を築くを以て多く頹れ落つるに致す。罪を決める。之をして更に築かせしむ。〉
十六日丁未。晴。出東軒公事後。射帿六廵。新舊番點考。
〈十六日丁未。晴る。東軒に出でて公事する後。帿を射ること六廵なり。新旧番を点考す。〉
十七日戊申。晴。以國忌不坐。
〈十七日戊申。晴る。国忌を以て坐らず。〉
十八日己酉。陰。
〈十八日己酉。陰る。〉
十九日庚戌。晴。發廵到白也串監牧官處。則昇平府伯率其弟來待。妓生亦來。雨後山花爛開。景物之勝。難可形言。暮到梨木龜尾。乘船到呂島。則瀛洲倅與呂島權管出迎。防備點閱。興陽以其明日行祭先行。
〈十九日庚戌。晴る。廵に発して白也串[12]の監牧官の処に到る。則ち昇平府伯[13]其弟を率いて来待てり。妓生亦た来る。雨後山花爛開す。景物の勝。形言すべきこと難し。暮梨木亀尾[14]に到る。船に乗りて呂島に到る。則ち瀛洲[15]の倅[16]と呂島權管[17]出迎える。防備を点閱す。興陽[18]其を以て明日行祭に先ず行く。〉
二十日辛亥。晴。朝點各項防備戰船。則皆新造。軍器。亦皆少完。晚發到瀛洲。左右山花。郊外芳草如畫。古有瀛洲。亦如此景耶。
〈〉
二十一日壬子。晴。公事後。主人設席射帿。丁助防將亦來見。黃叔度亦來同醉。裵秀立出同盃酌。甚歡。夜深而罷。使申弘憲釀酒。分飮前日使喚三班下人等。
〈〉
二十二日癸丑。朝。公事後。往鹿島。黃叔度亦同行。先到興陽戰船所。親點船與什物。仍往鹿島。直上新築峯頭門樓上。景槩之勝。境內尤最也。萬戶之盡心。無處不到矣。興陽,黃綾城及萬戶飮醉。兼觀放砲。明燭移時而罷。
〈〉
二十三日甲寅。陰。晩發船至鉢浦。逆風大吹。舟不能行。艱到城頭。下船馬行。雨勢大作。一行上下。盡濕花雨。入鉢浦。日已暮矣。
〈〉
二十四日乙卯。細雨滿山。咫尺不辨。冒雨發程。到馬北山底沙梁。乘舟促櫓。到蛇渡。則興陽亦已至矣。戰船點考。日暮仍宿。
〈〉
二十五日丙辰。陰。各項戰備多有頉處。軍官,色吏决罪。僉使捉入。敎授出送。防備。五浦中最下。而以廵使褒啓。未能撿罪。可笑。逆風大吹。未能發船。仍宿。
〈〉
二十六日丁巳。早朝發船。到介伊島。則呂島船與防踏迎逢船出待。日暮到防踏。公私禮畢後。軍器點考。則長片箭。無一部可用。可悶。戰船則差完。可喜。
〈〉
二十七日戊午。陰。朝畢點後。登北峯。觀望形勢。則孤危絶島。四面受敵。城池且極齟齬。可慮可慮。僉使則盡心。而未及施設。奈何奈何。晩乘船到京島。汝弼,而立與軍官,虞候。載酒出迎。與之共樂。日沒還衙。
〈〉
二十八日己未。陰而不雨。出東軒公事後。射帿。
〈〉
二十九日庚申。晴而大風。出東軒公事。廵使關來到。而中衛將改定順天云。可歎。
〈〉
三月
[編集]初一日辛酉。行望闕禮。食後。點別軍及正兵。下番軍點放。公事後。射帿十廵。
初二日壬戌。陰而風。以國忌不坐。僧軍百名拾石。
初三日癸亥。雨雨終夕。是日佳節。而雨勢若此。不能踏靑。與趙而立,虞候軍官輩。共話盃酌于東軒。
初四日甲子。晴。朝。趙而立餞別。出客舍中大廳公事後。廵見西門垓坑及城加築處。僧軍拾石不實。故首僧决杖。牙山問安羅將入來。聞天只平安。多幸多幸。
初五日乙丑。晴。出東軒公事。軍官等射帿。 ○暮。上京鎭撫入來。左台簡與增損戰守方略冊送來。見之則水陸戰火攻等事。一一論議。誠萬古之奇論也。
初六日丙寅。晴。朝食後。出坐。軍器點閱。弓甲兜鍪筩兒環刀。則多有破毁之物。不成㨾者甚多。色吏,弓匠,監考等論罪。
初七日丁卯。晴。出東軒公事。射帿。
初八日戊辰。雨雨終日。
初九日己巳。雨雨終日。出東軒公事。
初十日庚午。晴而風。出東軒公事後。射帿。
十一日辛未。晴。
十二日壬申。晴。食後出往船上。點京江船。乘舟出召浦。時東風大起。無格還歸。直坐東軒。射帿十廵。
十三日癸酉。朝陰。廵使簡來。
十四日甲戌。大雨終日。早朝。以廵使相會事往順天。雨勢大作。去路不辨。艱到先生院秣馬。行到海農倉坪。路上水深。幾至三尺。間關到府。夕。與廵使話阻。
十五日乙亥。陰而細雨。晩收。坐樓上射帿。軍官等分邊射。
十六日丙子。晴。順天設酌于喚仙亭。兼射帿。
十七日丁丑。晴。曉。告歸廵使。來到先生院。秣馬後。還營。
十八日戊寅。晴。出東軒公事。
十九日己卯。晴。出東軒公事。
二十日庚辰。雨勢大作。晩出東軒公事。各房會計。 ○順天搜討。未及期限。故代將及色吏,都訓導等推論。蛇渡亦以期會事移文。而獨爲搜討。又半日之內。內外羅老島大小平斗搜討。同日還浦云。事甚虛僞。以此推考事行移興陽,蛇渡。以氣甚不平早入。
二十一日辛巳。晴。氣不平。終朝卧痛。晩出東軒公事。
二十二日壬午。晴。以城北峯下水渠掘出事。虞候及軍官十人分送。食後。出東軒公事。
二十三日癸未。朝陰晩晴。食後。東軒公事。寶城板子趁未輸納。色吏更爲發關推捉。順天上使蘇國進。决杖八十。廵使送簡言鉢浦權管。不合領軍之才。處置云。故姑勿遆差。仍留防備事。答送。
二十四日甲申。以國忌不坐。虞候搜討。無事還來。廵使,都事答簡。宋希立並持來。廵使簡中。嶺南方伯致簡曰。島主書契。曾有一船出送。而若未到貴國。則必爲風所敗云。其言極凶詐。東萊相望之海。萬無如是之理。而作辭如此。其爲譎詐難測云。
二十五日乙酉。晴而大風。出東軒公事後。射帿十廵。慶尙兵使。不到平山浦而直向南海云。余以未得相面爲恨之意答送。廵見新築城。而南邊九把許頹破矣。
二十六日丙戌。晴。虞候與宋希立往南海。 ○晩出東軒公事後。射帿十五廵。
二十七日丁亥。晴而無風。早食後。騎船到召浦。監鐵鎖橫設。終日觀立柱木。兼試龜船放砲。
二十八日戊子。晴。東軒公事。射帿十廵。則五廵連中。二廵四中。三廵三中。
二十九日己丑。晴。以國忌不坐。牙山問安羅將入來。聞天只平安。多幸多幸。
四月
[編集]初一日庚寅。陰。曉行望闕禮。公事後。射帿十五廵。別助防默考。
初二日辛卯。晴。食後氣甚不平。漸漸痛重。終日達夜呻吟。
初三日壬辰。晴。氣力眩亂。苦痛達夜。
初四日癸巳。晴。朝。始似暫歇。
初五日甲午。晴。晩小雨。出東軒公事。
初六日乙未。晴。出鎭海樓公事後。令軍官射帿。餞別舍弟汝弼。
初七日丙申。以國忌不坐。巳時。備邊司秘密行移來到。嶺南方伯與右兵使啓聞據行移也。
初八日丁酉。陰而不雨。朝。封天只前送物。晩汝弼離去。獨坐客窓。懷思萬端也。
初九日戊戌。朝陰晩晴。出東軒公事。方應元到防公事。成貼而送。 ○軍官等射帿。光陽以搜討事乘船來。昏告歸。
初十日己亥。晴。食後出東軒公事。射帿十廵。
十一日庚子。朝陰晩晴。公事後。射帿。 ○廵使簡及別錄。軍官南僴持來。 ○始製布帆。
十二日辛丑。晴。食後騎船。放龜船地,玄字砲。 ○廵使軍官南公審去。 ○午移。坐東軒。射帿十廵。上衙時。見路臺石。
十三日壬寅。晴。出東軒公事後。射帿十五廵。
十四日癸卯。晴。出東軒公事後。射帿十廵。
十五日甲辰。晴。以國忌不坐。修廵使答簡及別錄。卽令驛子馳送。日沒時嶺南右水使傳通內。倭船九十餘出來。釜山前絶影島駐泊。一時又到水使關。倭賊三百五十餘隻。已到釜山浦越邊云。故卽刻馳啓。兼移廵使,兵使,右水使處。嶺南方伯關。亦到如是。
十六日乙巳。二更。嶺南右水使移關。釜山巨鎭。已爲陷城云。不勝憤惋。卽馳啓。又移文三道。
十七日丙午。陰雨晩晴。嶺南右兵使送關。賊倭釜山陷城後。仍留不退云。晩射帿五廵。仍番水軍及奔赴水軍。續續到防。
十八日丁未。朝陰。早朝。出東軒公事。廵使關來到。鉢浦權管。已爲汰去。假將定送云。故羅大用卽日定送。未時。到嶺南右水使關。東萊亦爲陷沒。梁山,蔚山兩守。亦以助防將入城。並爲見敗云。其爲憤惋。不可勝言。兵使,水使領軍到東萊後面。遽卽回軍云。尤可痛也。夕。順天領軍兵房。留在石堡倉。不爲領付。故捉致囚禁。
十九日戊申。晴。朝。品防掘鑿事。定送軍官。早食後。出東門上。親督品防役。午後。廵見上隔臺。是日。奔赴軍七百名。逢點役事。
二十日己酉。晴。出東軒公事。嶺南方伯移關。大賊熾張。其鋒莫能敵者。長驅乘勝。如入無人之境云。而整理戰艦來援事請啓云。
二十一日庚戌。晴。城頭軍列立事。坐于帿基出令。午後。順天馳來。聽約而去。
二十二日辛亥。曉。候望摘奸事。軍官發送。裵應祿往折甲島。宋日成往金鰲島。又使李景福,宋漢連,金仁問等斗山島敵臺木運下事。各率軍人五十名送之。餘軍品防役事
五月
[編集]初一日庚午。舟師齊會前洋。是日。陰而不雨。南風大吹。坐鎭海樓。招防踏僉使,興陽倅,鹿島萬尸。則皆憤激忘身。可謂義士也。
初二日辛未。晴。宋漢連自南海還言。南海倅,彌助項僉使,尙州浦,曲浦,平山浦等。一聞賊倭聲息。輒已逃散。使其軍器等物。盡散無餘云。可愕可愕。午時。乘船下海結陣。與諸將約束。則皆有樂赴之志。而樂安則似有避意。可歎。然而自有軍法。雖欲退避。其可得乎。夕。防踏疊入船三隻。回泊前洋。軍號龍虎。伏兵則山水。
初三日壬申。細雨終朝。招中衛將。約明曉發行。卽修啓聞。是日。呂島水軍黃玉千。逃避其家。捕斬梟示。
初四日癸酉。晴。質明發船。直到彌助項前洋。更爲約束。由介伊島。過平山浦,尙州浦,彌助項。
二十九日戊戌。晴。右水使不來。獨率諸將。曉發直到露梁。則慶尙右水使來會。問賊所泊處。則賊在泗川船滄云。故直至其處。倭人已爲下陸。結陣峯上。列泊其船于峯下。拒戰甚固。余督令諸將。一時馳突。射矢如雨。放各㨾銃筒。亂如風雷。賊徒畏退。逢箭者不知幾百數。多斬倭頭。焚滅十三隻。軍官羅大用中丸。余亦左肩上中丸。貫于背。不至重傷。
六月
[編集]初一日己亥。晴。蛇梁後洋。結陣經夜。
初二日庚子。晴。朝發直到唐浦前船滄。則賊船 二十餘隻列泊。回擁相戰。大船一隻。大如我國板屋船。船上粧樓。高可二丈。閣上。倭將巍坐不動。以片箭及大中勝字銃筒。如雨亂射。倭將中箭墜落。諸倭一時驚散。諸將卒一時攢射。逢箭顚仆者不知其數。盡殲無餘。俄而。倭大船二十餘隻。自釜山列海入來。望見我師。奔入介島。
初三日辛丑。晴。朝更勵諸將。挾攻介島。則已爲奔潰。四無餘類。欲往固城等地。則兵勢孤弱。憤鬱留宿。
初四日壬寅。晴。懸望右水使之來。日午。右水使領諸將。懸帆而來。一陣將士無不踴躍。合兵申明約束。宿鑿浦梁。
初五日癸卯。朝發。到固城唐項浦。則倭大船一隻。如板屋船。船上樓閣巍巍。賊將坐其上。中船十二隻。小船二十隻。一時撞破。逢箭死者不知其數。斬倭將七級。餘倭下陸而走。然餘數甚少。軍聲大振。
初六日甲辰。晴。
初七日乙巳。晴。探賊船朝發到永登前洋。聞賊船在栗浦。令伏兵船指之。則賊船五隻。先知我師。奔走南大洋。諸船一時追及。蛇渡僉使金浣。一隻全捕。虞候李夢龜。一隻全捕。鹿島萬戶鄭運。一隻全捕。合計倭頭三十六級。
初八日丙午。晴。與右水使留泊洋中。
初九日丁未。晴。直到天城加德。則無一賊船。再三搜見。旋師還唐浦。經夜。未曉。發船到彌助項前洋。與右水使話。
初十日戊申。晴。
八月
[編集]二十四日干支。缺晴。申時。發船促櫓。到露梁後洋下碇。三更。乘月行船。到泗川毛思郞浦。東方已曙。曉霧四塞。咫尺不辨。
二十五日干支。缺晴。辰時霧捲。由三千前洋。幾到唐浦。慶尙右水伯繫舟相話。申時。泊于唐浦宿。
二十六日干支。缺晴。行到見乃梁駐船。與右水伯相話。順天亦到。夕。移舟到角呼寺前洋宿。
二十七日干支。缺晴。與嶺右水伯同議。移舟到巨濟漆乃島。熊川倅李宗仁來話。聞斬倭三十五級云。暮渡薺浦,西院浦。則夜已二更。西風吹冷。客思不平。
二十八日干支。缺晴。
脚注
[編集]- ↑ 兵馬節度使(병마절도사):李氏朝鮮の軍官職。
- ↑ 李氏朝鮮時代の地方官署。政務の中核を担っていた。동헌(韓国文化百科事典)
- ↑ 点検の意
- ↑ 防踏鎮(방답진):1523年から1895年まで突山島(大韓民国全羅南道麗水市突山邑)に設置されていた軍事基地。
- ↑ 僉使(첨사):李氏朝鮮の軍官職。軍鎮(ここでは防踏鎮)の司令官を担う。
- ↑ この石切り場は全羅南道麗水市栗村面のどこかにあったと思われるが未だに定説が定まっていない
- ↑ 呂島鎮(여도진):1491年に呂島(全羅南道高興郡占岩面)に築かれた軍事基地。
- ↑ 監牧官(감목관):牧場を管理する李氏朝鮮の公職。監牧官(韓国文化百科事典)
- ↑ 興陽県監(흥양현감)裵興立(배흥립):李氏朝鮮の軍人。1546年生。李舜臣の元で朝鮮戦役を戦い抜き、最終的には忠清道兵馬節度使まで昇進した。1608年没。
- ↑ 順天都護府使(순천도호부사)權俊(권준):李氏朝鮮の軍人。1547生。李舜臣と共に朝鮮戦役を戦い抜き、1607年に失脚するまで各節度使を歴任した。
- ↑ 全羅右道水軍節度使(전라우수사):李氏朝鮮の軍官職。全羅道西半部を管轄する。
- ↑ 白也串(백야곶):現在の白也島(全羅南道麗水市華井面白也里)
- ↑ 昇平は順天の古名。昇平府伯はここでは權俊のことを指している。
- ↑ 梨木龜尾(이목구미):現在の麗水市華陽面梨木里にある龜尾のことを指す
- ↑ ここでは高興(고흥)/全羅南道高興郡のこと
- ↑ ここでは裵興立のことを指す
- ↑ 黃玉千 (황옥천)
- ↑ ここでは興陽県監である裵興立のことを指す