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中岡慎太郎全集/論策一 時勢論

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天下の勢変遷いつならず、有志の眼を着く可き所果して何所にあるか、すべて相分りかね候得共、当地辺りは四方の人傑往来仕候故、時におくれ兼申候。当時洛西の人物を論じ候得、薩藩には西郷吉之助あり。ひととなり肥大にして後免ごめん要石かなめいしにも不劣、古の安倍貞任などは如斯者かと思はれ候。此の人学識あり、胆略あり、常に寡言にして最も思慮深く、雄断に長じ、偶々たまたま一言を出せぱ確然人の肺腑を貫く。且徳高くして人を服し、屡々艱難を経て事に老練す。其の誠実武市に似て学識有之者、実に知行合一の人物也。是れ即ち洛西第一の英雄に御座候。
是れに次で有胆、有識、思慮周密、廟堂の論に耐ゆる者は長州の桂小五郎。
胆略兵に臨みて不惑、機を見て動き、奇を以て人に勝つ者は高杉東行。是れ亦洛西の一奇才。
其他諸藩の英傑に度々出合仕候。討論も仕候事故、愚昧の吾々と雖、時勢の万一を察知するを得たり。
抑々吾人熟々つら/\時勢を見聞仕候に、国勢の衰ふる其の来る事遠しと雖、外夷の起りしより天下擾々ぜう/\、困難此秋このときより甚しきはなく、且夫れ封建の勢たるや利害相反す。
抑々そもそも国家苟安こうあん三百年、士気頗る惰弱、上下事を忘る。
加ふるに封建の勢を以てして、各藩趨向を異にし、一旦強敗、大敵率然として我れに迫る。こゝにおいて大命攘夷の必戦に出づ。而して天下これを挙行すること能はず。議論百端、各異人の国体、於茲や不立、是れ則ち封建の害ある所也。而して其論のわかるゝ処、或は攘夷の論となり、又開国論となり、武備充実の論となる。開国の諭なるものは、略々、海外諸国の情実を知るとは乍申、大旨苟安偸生とうせいの徒、所謂座上の空論にして頗る人情に害あり、もとより取るに足らず。武備充実の論に至つては固陋の見にして事態に暗きあり、又は実の卓論上より出る英断あり。然るに其の見、或は異なりと雖、皆以て義を重んじ、死を軽んじ、利害を以て其の節を動かさゞる輩にして、天下をして慷慨義烈の風を生ぜしむるに足る。而して其の固陋に出づる者に至っては気を負ひ、敵を侮り、若一敗する時は或は惑ふ事あり。其の大卓識の者に至っては、機に臨みて勢に達し、百敗くじけずと雖、敢て不惑、何ぞ一二の破敗を以て其の有為の志を屈せんや。且、夫れ国に兵権有て然る後可和、可戦、可開、可鎖、皆権は我に在りて而して其兵権なるものは武備に在り。其の気は士気にあり、故に卓見者の言に曰く、富国強兵と云ふものは、戦の一字にあり。是れ実に大卓見にして千載の高議、確乎として不抜、則ち知能の事に処する者、且和し、且戦ひ、終始変化無窮極る者なり。吾は嘗て此の論を得て信ぜず、今にして其実に確論たるを知る。何ぞや丑年以来天下を救ふ者は悉く暴客の大功也。是れ暴客と雖、其事大抵大卓見有りて、然後能く断ずるものに似たり。かつて水藩の暴挙壬戌の勢をかもし、薩州の暴客生麦に発し、長州は馬関に暴発、且屡々兵を内地に動かし、其跡或は無略に似て国に益なき事ありと雖、時勢一層一層として運び、遂に天下を干戈かんくわの世となし、自藩をして不逃の死地に陥れ、天下大有為の基本始めて立てり。是れ則ち鬼神に通ぜざる者の能くする処に非らず。
第一、其の卓識なる者を久坂玄瑞と云ふ。此人吉田寅次郎の門弟にして英学も少々仕り、夷情も大に知れり。此人常に論じて曰く、西洋諸国と雖、魯王のペートル、米利堅めりけんのワシントン師の如き、国を興す者の事業を見るに、是非共百戦中より英傑起り、議論に定りたる者に非らざれば、役に立たざるもの也。是非共早く一旦戦争を始めざれば、議論ばかりになりて事業は何時迄も運び不申と云ふ。実に名論と相考申候。其旨の証拠と云ふは大箇条二ツあり、一ツは生麦の挙也。是れは不計のものと雖、其の国に益ある事、実におびたゞし。是れより亥七月鹿児島の戦争を引出し、一旦の和は心外なれども、藩論の起る全くは戦争に基く。是れよりして一国大に憤り、是非々々此の大恥を雪ぐと云ふ者にて、人材登庸、武備充実の論となり、西郷吉之助を島より引出して、忽ち執政の役を設けられ、其の三州の中にも、人材なる者あれば軽輩にても執政にするとて国論定まり、海陸の実備、日々に出来、国政も大に一新し、実に目をさまし申候。
又左の一ヶ条は長の事也。
馬関の戦争を開き京師変動を生じ候より、内外の大難一時に迫り、外は夷に和し、内は天下の軍兵を引受け、遂に内輪の戦迄に至り候得共、小五郎、東行の如き、昨年英より帰りし井上聞太、伊藤俊助等の如きもの、国君を補佐し所置を得候より、国論大に一定せし故、事益々一新し、二国(防長)の人民悉く必死不逃の地に入り、於是か士気益々真実に赴き、武備日々に整ひ、此の頃は議論なくして実行と相成り、悉く国中の大勢を一新し、鉄砲の一隊のみになし、銃はミネール、砲は元込もとごめ、長玉等にて兵制全く改まり、又騎馬隊も頗る盛也。国中に毎日大隊調練有之、先づ一日に大抵四十六隊位は一度も断ちたる日なし。実に其勢あたるべからず。此の一事は全く戦争の功にして、他にて如何様に仕度くも出来ぬ事に御座候。薩と雖こゝに於ては閉口せざるを得ず、且国内諸所に水車場を築き、砲銃を製し、ミネールも日々製造し、海軍も亦盛んにせんとす。右の通り両藩の実地に運び候は、全く戦争の功にして、卓見家の事業如此、自今以後天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し。吾思ふに天下近日の内に二藩の令に従ふこと鏡に掛けて見るが如し。他日国体を立て外夷の軽侮を絶つも亦此の二藩に基くなる可し。是又封建の天下に功ある処なり。又士気と武備と如何程盛に相成候共、国体立たざれば敵国外患を待つ所以ゆえんにあらず。且国の大体は何をもととするや、吾曰く、内には名分大義を明にし、祭政一致と共に皆朝延に帰し、天下の大基本を立つるを以て急務とす。今日の如きは天下の大機会にして上下勉強し候はゞ、禍を転じて福とし、今日の敵国外患、他日より見候得へば天下の名灸めいきゅうと相成り候へば、実に天下の大功、之に過ぎ不申と奉存候。然るに元弘の事柄思合せ候得者、上中下共に一通りの艱難にては思ひも寄らぬ事に御座候。何分当時勢の変に御先立被成、御活論御雄断有之度、実に此の節は最早や田舎の迂濶先生に偶々逢ひ、時勢に後れ候論承り候ては、何共気の毒に候間、諸君井蛙の見に御落不成候様遙かに奉祈候。
其他可歎可悲事、如山御座候得共、今更一言不仕申、只々老婆心の様なる事、思出次第に乱筆仕候。取急候間清書不能、御推読奉願候。不宣。

夜已に四更 石川誠之助

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。