初等科國語 六/不沈艦の最期

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 十二月九日の晝過ぎである。
 飛行基地の兵舎では、各攻撃隊の指揮しき官たちが、しきりに作戰をねつてゐる。シンガポール軍港にゐる英國東洋艦隊旗艦プリンス‐オブ‐ウェールズと、戰艦レパルスを、どうしても撃滅しなければならぬ。だが、敵は軍港深くたてこもつて、出港するけはひがない。いつそのこと、こつちから出かけて行つて、軍港内の主力艦をたたきつけるか。さうだ、明日こそ──
 この時であつた。哨戒せうかい中のわが潛水艦から、「敵艦發見。」の第一電が來た。一同、思はず總立ちとなつた。
「各部隊、直ちに出發用意。」
の命令が、八方へ飛ぶ。
 いよいよ出發といふ時は、日沒までわづか一時間餘りしかなかつたが、各部隊は、こをどりして基地を飛び立つた。
 のぼつても、のぼつても、雲である。時々、その切れめから海が見える。わが輸送船が、南下して行くのが見えた。雲はますますこくなり、雲の下では、ものすごくスコールがあばれてゐる。めざす地點に來て、雨をついて雲の下へ出てみたが、敵艦の影はなく、やがて夕やみがたちこめて、何物も見ることができなくなつた。
「引き返せ。」の命令が出た。むちゆうで飛んで來たのが、歸りとなると足が重い。妙に、つかれたやうな、腹立たしいやうな氣持でいつぱいであつた。

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 十日三時四十分、待ちに待つたわが潛水艦から、「敵艦發見。」の第二電が來た。今日こそはと、だれの目にも、固い決意がひらめく。整備員は、燃料ねんれう積み込みに大わらはである。
 全員整列。ほんのりと夜のとばりが明けて行かうとする基地で、出撃の訓示をする司令官の目は、ぎらぎらと光つてゐる。
千載一遇せんざいいちぐうの好機である。全力をつくせ。」
「はい、死んで歸ります。」
訓示に答へるやうに、全員のまなざしがかういつてゐる。死といふものが、この時ほど容易で、當然に思はれたことはなかつた。
 今日も雲が多い。まづ偵察ていさつ機隊が出發し、八時を過ぎて、大編隊は、數隊に分れて次々に南へ飛び立つた。
 進むに從つて空は明かるく、眼下に點々と、白い斷雲だんうんがかかる。
 何時間か飛んで、まさしく潛水艦の報告した地點まで來たには來たが、どこにも敵艦らしいものは見えない。ただ、靑い海原が、はてしなく續くだけである。止むなく反轉する。

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「敵主力艦見ユ。北緯四度、東經百三度五十五分。」
まさしく。わが偵察機の報告である。
 反轉しつつあつたわが隊は、この報をとらへて一路機首を北へ向け、めざすクワンタン東方八十キロメートルの洋上へ、まつしぐら。
 續いて、第二報があつた。
「敵主力ハ、驅逐クチク三隻ヨリ成ル直衛ヲ配ス。」
機内に、どつと喜びの聲があがる。搭乘たふじよう員の目は一つになつて、海の上へ燒きつくやうに注がれる。
 おお、見よ。英國が最新鋭をほこるプリンス‐オブ‐ウェールズを一番艦に、レパルスがこれに續き、驅逐艦三隻が先行してゐるではないか。各艦のけたてる眞白な波が、くつきりと目にしみる。

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 十二時四十五分、
「突つ込め。」
の命令である。高度をさげて行くと、敵艦は、いつせいに防空砲火を撃ち出す。すきまもなく炸裂さくれつする砲彈をつて、たちまち爆彈を投下した。大型爆彈が、レパルスに吸い込まれるやうに落下すると思ふと、みごとに後部甲板かんぱんに命中する。こげ茶色の煙とともに、火焔かえんがぱつともえあがつた。
 われわれ爆撃機隊は、更に大きく彈幕の中をめぐつて、二度めの爆撃に移る。と、この時、わが雷撃機の第一隊が敢然と現れた。
 雷撃機隊は、たちまち二隊に分れた。一隊は右からウェールズへ他の一隊は左からレパルスへ襲ひかかる。
 防空砲火は、必死である。ざあつ、ざあつと、スコールのやうに、彈丸の幕が行く手をさへぎる。炸裂する彈の破片が、海上一面にしぶきを立ててゐる。
 まことに死の突撃である。だが、わが機は、まるで演習でもするやうに落ち着いて、極めて正確に次々と襲ひかかつた。
 一番機が海面すれすれにおりて發射した魚雷が、みごとにウェールズに命中して、胴體から、マストの二倍ほどある水柱があがつた。と見るまに、機は艦橋をすれすれに飛び越えながら、激しい掃射を浴びせかける。
 レパルスへ襲ひかかつた一番機の魚雷も、命中する。
 兩戰艦は、ちやうど大きなくぢらがもりをつてあばれるやうにもがきながら、大きく針路しんろを變へた。ウェールズは右へ、レパルスは左へ。
 すかさず、二番機・三番機が、二艦の針路をねらつて、それぞれ右から左から魚雷を發射した。
 ウェールズを襲つた二番機が、魚雷を放つてその右舷前方にさしかかつた時、機はぱつと赤い火を吐きながら、火だるまになつて自爆した。それと同時に、魚雷はウェールズの舷側で、みごとに大きな水柱と火焔をあげた。

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 第二・第三の魚雷機隊が、次々に現れて攻撃にかかる。深手を負つたウェールズは、見る見る傾き始めた。四十五度まで傾いて、あはや沈むと思ふとたん、ふしぎにもむくむくと起き直つた。さすがに、不沈をほこるだけのねばりがあると思はせる。
 レパルスは、速力がぐつと落ちてウェールズの後方、二千五百メートルの海上にある。艦はすでに火災を起してゐたが、砲火はほとんど衰へない。襲ひかかるわが一機が、火だるまになる。その自爆と同時に、魚雷がレパルスに命中する。續いてまた一機、これも自爆と命中といつしよである。それを見るたび、
「おのれ。」
と、一時に怒りがこみあげる。しかし、それも直ちに消えて、
「ああ、りつぱだ。りつぱな最期だ。」
といふ感じに變る。直立して、この勇士に別れを告げた。
 高角砲の目もくらむやうな光の中で、レパルスの水兵が甲板に倒れてゐる姿が、はつきり見えた。わが爆撃機隊の掃射を避けるやうに右手で顔をおほつてゐる兵もあつた。
 大きくめぐつてふり返ると、やがてレパルスの最期が來た。一つ大きくゆれたと見る瞬間しゆんかん、もくもくと黑煙を殘しただけで、海中に沈沒した。
「やつたぞ。やつたぞ。二番艦が、レパルスが、沈んだぞ。」
機内總立ちになり、「萬歳。」を連呼する。この歡喜を胸いつぱいにいだきながら、われわれ爆撃機隊は、引きあげて行つた。

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 わが偵察機は、なほも大空をめぐりながら、旗艦ウェールズの最期を見とどけた。
 プリンス‐オブ‐ウェールズは、中央と艦尾から煙を吐きながら、八ノットぐらゐの速力で走つてゐた。船體は、ぐつと左へ傾いてゐる。そのすぐあとから、驅逐艦がついて行く。まもなくウェールズの速力は急に落ちて、ほとんど停止したかと思はれた。驅逐艦が寄りそふやうに、傾いたウェールズにぴたりと横着けになつた。そのとたんウェールズから爆發の一大音響が起り、火焔が太く、大きく立ちあがつた。續いてもう一度爆發するとともに、不沈艦は、船尾からするするとマライの海へのまれて行つた。
 あたり一面油の海に、南の太陽が、きらきらと光つてゐた。

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 基地へ歸ると、司令は泣いてゐた。大任を果したわれわれ搭乘員も泣いた。地上勤務の者も泣きながら走り寄つて、われわれの手をにぎつた。押さへきれない、あらしのやうな感動が、全員の胸を走りまはるのであつた。
 それから三日め、われわれの一隊は、もう一度あの戰場の上空を飛んだ。直下には、何事もなかつたやうに、靑い波頭がかがやいてゐた。この波頭へ向けて、大きな花束を落した。
「敵ながら、最後まで戰ひぬいた數千の靈よ。靜かに眠れ。」
といふ、われわれの心やりであつた。