一身上の弁明

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〇議長(公爵近衞文麿君) 美濃部達吉君ヨリ、同君ノ言論ニ付キ過日當議場ニ於テ議員ヨリ發言ノアリマシタ問題ニ付テ、一身上ノ辯明ガ致シタイト云フ申出ガゴザイマシタ、之ヲ許スコトニ御異議ゴザイマセヌカ

〔「異議ナシ」ト呼フ者アリ〕

〇議長(公爵近衞文麿君) 御異議ナイト認メマス、美濃部達吉君

〔美濃部達吉君演壇ニ登ル〕

〇美濃部達吉君 去ル二月十九日ノ本會議ニ於キマシテ、菊池男爵其他ノ方カラ、私ノ著書ノコトニ付キマシテ御發言ガアリマシタニ付キ、茲ニ一言一身上ノ辯明ヲ試ムルノ已ムヲ得ザルニ至リマシタコトハ、私ノ深ク遺憾トスル所デアリマス、 菊池男爵ハ昨年六十五議會ニ於キマシテモ、私ノ著書ノコトヲ擧ゲラレマシテ、斯ノ如キ思想ヲ懷イテ居ル者ハ文官高等試驗委員カラ追拂フガ宜イト云フヤウナ、激シイ言葉ヲ以テ非難セラレタノデアリマス、 今議會ニ於キマシテ再ビ私ノ著書ヲ擧ゲラレマシテ、明白ナ反逆的思想デアルト言ハレ、謀反人デアルト言ハレマシタ、 又學匪デアルト迄斷言セラレタノデアリマス、 日本臣民ニ取リマシテ反逆者デアル、謀反人デアルト言ハレマスルノハ侮辱此上モナイコトト存ズルノデアリマス、 又學問ヲ專攻シテ居リマス者ニ取ッテ、學匪ト言ハレマスコトハ、等シク堪ヘ難イ侮辱デアルト存ズルノデアリマス、 私ハ斯ノ如キ言論ガ貴族院ニ於テ、公ノ議場ニ於テ公言セラレマシテ、ソレガ議長カラノ取消ノ御命令モナク看過セラレマスコトガ、果シテ貴族院ノ品位ノ爲ニ許サレ得ルコトデアルカドウカヲ疑フ者デアリマスルガ、ソレハ兎モ角ト致シマシテ、貴族院ニ於テ、貴族院ノ此公ノ議場ニ於キマシテ、斯ノ如キ侮辱ヲ加ヘラレマシタコトニ付テハ、私ト致シマシテ如何ニ致シマシテモ其儘ニハ默過シ難イコトト存ズルノデアリマス、 本議場ニ於キマシテ斯ノ如キ問題ヲ論議スルコトハ、所柄甚ダ不適當デアルト存ジマスルシ、又貴重ナ時間ヲ斯ウ云フ事ニ費シマスルノハ、甚ダ恐縮ニ存ズルノデアリマスシ、私ト致シマシテモ不愉快至極ノコトニ存ズルノデアリマスルガ、萬已ムヲ得ザルコトト御諒承ヲ願ヒタイノデアリマス、 凡ソ如何ナル學問ニ致シマシテモ、其學問ヲ專攻シテ居リマスル者ノ學說ヲ批判シ、其當否ヲ論ジマスルニハ、其批評者自身ガ其學問ニ付テ相當ノ造詣ヲ持ッテ居リ、相當ノ批判能力ヲ備ヘテ居ナケレバナラヌト存ズルノデアリマス、 若シ例ヘバ私ノ如キ法律學ヲ專攻シテ居マスル者ガ軍學ニ喙ヲ容レマシテ、軍學者ノ專門ノ著述ヲ批評スルト云フヤウナコトガアルト致シマスナラバ、ソレハ唯物笑ニ終ルデアラウト存ズルノデアリマス、 私ハ菊池男爵ガ憲法ノ學問ニ付テ、ドレ程ノ御造詣ガアルノカハ更ニ存ジナイ者デアリマスガ、菊池男爵ノ私ノ著書ニ付テ論ゼラレテ居リマスル所ヲ速記錄ニ依ッテ拜見イタシマスルト、同男爵ガ果シテ私ノ著書ヲ御通讀ニナッタノデアルカ、假リニ御讀ミニナッタト致シマシテモ、ソレヲ御理解ナサレテ居ルノデアルカト云フコトヲ深ク疑フ者デアリマス、 恐ラクハ或他ノ人カラ斷片的ニ、私ノ著書ノ中ノ或片言隻句ヲ示サレテ、其前後ノ連絡ヲモ顧ミズ、唯其片言隻句ダケヲ見テ、ソレヲアラヌ意味ニ誤解サレテ、輕々ニ是ハ怪シカラヌト感ゼラレタノデハナカラウカト想像セラレルノデアリマス、 若シ眞ニ私ノ著書ノ全體ヲ精讀セラレ、又正當ニソレヲ理解セラレテ居リマスルナラバ、斯ノ如キ批判ヲ加ヘラルベキ理由ハ斷ジテナイモノト確信イタスノデアリマス、 菊池男爵ハ私ノ著書ヲ以テ、我國體ヲ否認シ、君主主權ヲ否定スルモノノ如クニ論ゼラレテ居リマスガ、ソレコソ實ニ同君ガ私ノ著書ヲ讀マレテ居リマセヌカ、又ハ讀ンデモソレヲ理解セラレテ居ラナイ明白ナ證據デアリマス、 我ガ憲法上、國家統治ノ大權ガ天皇ニ屬スルト云フコトハ、天下萬民一人トシテ之ヲ疑フベキ者ノアルベキ筈ハナイノデアリマス、 憲法ノ上論ニハ「國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ」ト明言シテ居リマス、 又憲法第一條ニハ「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」トアリマス、 更ニ第四條ニハ、「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」トアルノデアリマシテ、日月ノ如ク明白デアリマス、 若シ之ヲシテ否定スル者ガアリマスナラバ、ソレコソ反逆思想デアルト云ハレマシテモ餘儀ナイ事デアリマセウガ、私ノ著書ノ如何ナル場所ニ於キマシテモ之ヲ否定シテ居ル所ハ決シテナイバカリカ、却テ反對ニソレガ日本憲法ノ最モ重要ナ基本原則デアルコトヲ繰返シ說明シテ居ルノデアリマス、 例ヘバ菊池男爵ノ擧ゲラレマシタ憲法精義、十五頁カラ十六頁ノ所ヲ御覽ニナリマスレバ、日本ノ憲法ノ基本主義ト題シマシテ其最モ重要ナ基本主義ハ、日本ノ國體ヲ基礎トシタ君主主權主義デアル、之ニ西洋ノ文明カラ傳ハッタ立憲主義ノ要素ヲ加ヘタノガ日本ノ憲法ノ主要ナ原則デアル、卽チ君主主權主義ニ加フルニ立憲主義ヲ以テシタノデアルト云フ事ヲ述ベテ居ルノデアリマス、 又ソレハ萬世動カスベカラザルモノデ、日本開闢以來曾テ變動ノナイ、又將來永遠ニ亙ッテ動カスベカラザルモノデアルト云フ事ヲ言明シテ居ルノデアリマス、 他ノ著述デアリマスル憲法撮要ニモ同ジ事ヲ申シテ居ルノデアリマス、 菊池男爵ハ御擧ゲニナリマセヌデアリマシタガ、私ノ憲法ニ關スル著述ハ其外ニモ明治三十九年ニ既ニ日本國法學ヲ著シテ居リマスルシ、大正十年ニハ日本憲法第一卷ヲ出版シテ居リマス、 更ニ最近昭和九年ニハ日本憲法ノ基本主義ト題スルモノヲ出版イタシテ居リマスルガ、是等ノモノヲ御覽ニナリマシテモ君主主權主義ガ日本ノ憲法ノ最モ貴重ナ、最モ根本的ナ原則デアルト云フコトハ、何レニ於キマシテモ詳細ニ說明イタシテ居ルノデアリマス、 唯ソレニ於キマシテ憲法上ノ法理論トシテ問題ニナリマスル點ハ、凡ソ二點ヲ擧ゲルコトガ出來ルノデアリマス、 第一點ハ、此天皇ノ統治ノ大權ハ、天皇ノ御一身ニ屬スル權利トシテ觀念セラルベキモノデアルカ、又ハ天皇ガ國ノ元首タル御地位ニ於テ總攬シ給フ權能デアルカト云フ問題デアリマス、 一言デ申シマスルナラバ、天皇ノ統治ノ大權ハ法律上ノ觀念ニ於テ權利ト見ルベキデアルカ、權能ト見ルベキデアルカト云フコトニ歸スルノデアリマス、 第二點ハ、天皇ノ統治ノ大權ハ絕對ニ無制限ナ萬能ノ權力デアルカ、又ハ憲法ノ條規ニ依ッテ行ハセラレマスル制限アル權能デアルカ、此ノ二點デアリマス、 私ノ著書ニ於テ述ベテ居マスル見解ハ、第一ニハ、天皇ノ統治ノ大權ハ、法律上ノ觀念トシテハ權利ト見ルベキモノデハナクテ、權能デアルトナスモノデアリマスルシ、又第二ニ、ソレハ萬能無制限ノ權力デハナク、憲法ノ條規ニヨッテ行ハセラレル權能デアルトナスモノデアリマス、此二ツノ點ガ菊池男爵其他ノ方ノ御疑ヲ生ジタ主タル原因デアルト信ジマスルノデ、成ルベク簡單ニ其要領ヲ述ベテ御疑ヲ解クコトニ努メタイト思フノデアリマス、 第一ニ天皇ノ國家統治ノ大權ハ法律上ノ觀念トシテ天皇ノ御一身ニ屬スル權利ト見ルベキヤ否ヤト云フ問題デアリマスガ、法律學ノ初步ヲ學ンダ者ノ熟知スル所デアリマスガ法律學ニ於テ權利ト申シマスルノハ利益ト云フ事ヲ要素トスル觀念デアリマシテ自己ノ利益ノ爲ニ……自己ノ目的ノ爲ニ存スル法律上ノ力デナケレバ權利ト云フ觀念ニハ該當シナイノデアリマス、 或人ガ或權利ヲ持ツト云フ事ハ其力ヲ其人自身ノ利益ノ爲ニ、言換レバ其人自身ノ目的ノ爲ニ認メラレテ居ルト云フ事ヲ意味スルノデアリマス、 卽チ權利主體ト云ヘバ利益ノ主體目的ノ主體ニ外ナラヌノデアリマス、 從ッテ國家統治ノ大權ガ天皇ノ御一身ノ權利デアルト解シマスナラバ、統治權ガ天皇ノ御一身ノ利益ノ爲メ、御一身ノ目的ノ爲ニ存スルカデアルトスルニ歸スルノデアリマス、 サウ云フ見解ガ果シテ我ガ尊貴ナル國體ニ通スルデアリマセウカ、 我ガ古來ノ歷史ニ於キマシテ如何ナル時代ニ於テモ天皇ガ御一身御一家ノ爲ニ、御一家ノ利益ノ爲ニ統治ヲ行ハセラレルモノデアルト云フ樣ナ思想ノ現ハレデアル事ハ出來マセヌ、 天皇ハ我國開闢以來天ノ下シロシメス大君ト仰ガレ給フノデアリマスガ、天ノ下シロシメスノハ決シテ御一身ノ爲デハナク、全國家ノ爲デアルト云フ事ハ古來常ニ意識セラレテ居タ事デアリマスルシ、歷代ノ天皇ノ大詔ノ中ニモ、其ノ事ヲ明示サレテ居ルモノガ少クナイノデアリマス、 日本書紀ニ見エテ居リマスル崇神天皇ノ詔ニハ「惟フニ我ガ皇祖諸々ノ天皇ノ宸極ニ光臨シ給ヒシハ豈一身ノ爲ナラズヤ蓋シ人神ヲ司牧シテ天下ヲ經倫スル所以ナリ」トアリマスルシ、仁德天皇ノ詔ニハ「其レ天ノ君ヲ立ツルハ是レ百姓ノ爲ナリ然ラハ則チ君ハ百姓ヲ以テ本トス」トアリマス、 西洋ノ古イ思想ニハ國王ガ國ヲ支配スル事ヲ以テ恰モ國王ノ一家ノ財產ノ如クニ考ヘテ、一個人ガ自分ノ權利トシテ財產ヲ所有シテ居リマスル如クニ、國王ハ自分ノ一家ノ財產トシテ國土國民ヲ領有シ支配シテ、之ヲ子孫ニ傳ヘルモノデアルトシテ居ル時代ガアルノデアリマス、 普通ニ斯クノ如キ思想ヲ家產國思想、「パトリモニアル・セオリイ」家產說、家ノ財產デアリマス家產說ト申シテ居リマス、 國家ヲ以テ國王ノ一身一家ニ屬スル權利デアルト云フ事ニ歸スルノデアリマス、 斯ノ如キ西洋中世ノ思想ハ、日本ノ古來ノ歷史ニ於テ曾テ現ハレナカッタ思想デアリマシテ、固ヨリ我國體ノ容認スル所デハナイノデアリマス、 伊藤公ノ憲法義解ノ第一條ノ註ニハ「統治ハ大位ニ居リ大權ヲ統ヘテ國土及臣民ヲ治ムルナリ」中略「蓋祖宗其ノ天職ヲ重ンジ、君主ノ德ハ八洲臣民ヲ統治スルニ在ッテ一人一家ニ享奉スルノ私事ニアラザル事ヲ示サレタリ、是レ卽チ憲法ノ依テ以テ基礎ヲナス所以ナリ」トアリマスノモ、是レ同ジ趣旨ヲ示シテ居ルノデアリマシテ統治ガ決シテ天皇ノ御一身ノ爲ニ存スルカデハナク、從テ法律上ノ觀念ト致シマシテ天皇ノ御一身上ノ私利トシテ見ルベキモノデハナイ事ヲ示シテ居ルノデアリマス、 古事記ニハ天照大神ガ出雲ノ大國主命ニ問ハセラレマシタ言葉トイタシマシテ「汝カウシハケル葦原ノ中ツ國ハ我カ御子ノシラサム國」云々トアリマシテ「ウシハク」ト云フ言葉ト書キ別ケシテアリマス、 或國學者ノ說ニ依リマスト、「ウシハク」ト云フノハ私領ト云フ意味デ「シラス」ハ統治ノ意味デ卽チ天下ノ爲ニ土地人民ヲ統ベ治メル事ヲ意味スルト云フ事ヲ唱ヘテ居ル人ガアリマス、 此說ガ正シイカドウカ私ハ能ク承知シナイノデアリマスガ若シ假リニソレガ正當デアルト致シマスルナラバ、天皇ノ御一身ノ權利トシテ統治權ヲ保有シ給フモノト解シマスルノハ卽チ天皇ハ國ヲ「シラシ」給フノデハナクシテ國ヲ「ウシハク」モノトスルニ歸スルノデアリマス、 ソレガ我ガ國體ニ適スル所以デナイ事ハ明白デアラウト思ヒマス、 統治權ハ、天皇ノ御一身ノ爲ニ存スル力デハナク、從テ天皇ノ御一身ニ屬スル私ノ權利ト見ルベキモノデハナイト致シマスルナラバ、其權利ノ主體ハ法律上何デアルト見ルベキデアリマセウカ、前ニモ申シマスル通リ權利ノ主體ハ卽チ目的ノ主體デアリマスカラ、統治ノ權利主體ト申セバ卽チ統治ノ目的ノ主體ト云フ事ニ外ナラヌノデアリマス、 而シテ天皇ガ天ノ下シロシマスルノハ、天下國家ノ爲デアリ、其ノ目的ノ歸屬スル所ハ永遠恆久ノ團體タル國家デアルト觀念イタシマシテ天皇ハ國ノ元首トシテ、言換レバ、國ノ最高機關トシテ此國家ノ一切ノ權利ヲ總攬シ給ヒ、國家ノ一切ノ活動ハ立法モ司法モ總テ天皇ニ其最高ノ源ヲ發スルモノト觀念スルノデアリマス、 所謂機關說ト申シマスルノハ、國家ソレ自身デ一ツノ生命アリ、ソレ自身ニ目的ヲ有スル恆久的ノ團體、卽チ法律學上ノ言葉ヲ以テセバ一ツノ法人ト觀念イタシマシテ天皇ハ此法人タル國家ノ元首タル地位ニ在シマシ國家ヲ代表シテ國家ノ一切ノ權利ヲ總攬シ給ヒ天皇ガ憲法ニ從ッテ行ハセラレマスル行爲ガ、卽チ國家ノ行爲タル效力ヲ生ズルト云フコトヲ云ヒ表ハスモノデアリマス、 國家ヲ法人ト見ルト云フコトハ、勿論憲法ノ明文ニハ揭ゲテナイノデアリマスルガ、是ハ憲法ガ法律學ノ敎科書デハナイト云フコトカラ生ズル當然ノ事柄デアリマスガ倂シ憲法ノ條文ノ中ニハ、國家ヲ法人ト見ナケレバ說明スルコトノ出來ナイ規定ハ少カラズ見エテ居ルノデアリマス、 憲法ハ其ノ表題ニ於テ既ニ大日本帝國憲法トアリマシテ、卽チ國家ノ憲法デアルコトヲ明示シテ居リマスノミナラズ、第五十五條及ビ第五十六條ニハ「國務」トイフ言葉ガ用ヰラレテ居リマシテ、統治ノ總ベテノ作用ハ國家ノ事務デアルト云フコトヲ示シテ居リマス、 第六十二條第三項ニハ「國債」及ビ「國庫」トアリマスルシ、第六十四條及ビ第七十二條ニハ「國家ノ歲出歲入」トイフ言葉ガ見エテ居リマス、 又第六十六條ニハ、國庫ヨリ皇室經費ヲ支出スベキ義務ノアルコトヲ認メテ居リマス、 總ベテ此等ノ字句ハ國家自身ガ公債ヲ起シ、歲出歲入ヲ爲シ、自己ノ財產ヲ有シ、皇室經費ヲ支出スル主體デアルコトヲ明示シテ居ルモノデアリマス、 卽チ國家ソレ自身ガ法人デアルト解シナケレバ、到底說明シ得ナイ處デアリマス、 其ノ他國稅ト云ヒ、國有財產トイヒ、國際條約トイフヤウナ言葉ハ、法律上普ク公認セラレテ居リマスガ、ソレハ國家ソレ自身ノ租稅ヲ課シ、財產ヲ所有シ、條約ヲ結ブモノデアルコトヲ示シテヰルモノデアルコトハ申ス迄モナイノデアリマス、 卽チ國家ソレ自身ガ一ツノ法人デアリ、權利主體デアルコトガ、我ガ憲法及ビ法律ノ公認スルトコロデアルト云ハネバナラナイノデアリマス、 倂シ法人ト申シマスルト一ツノ團體デアリ、無形人デアリマスルカラ、其ノ權利ヲ行ヒマスル爲ニハ、必ラズ法人ヲ代表スルモノガアリ、其ノ者ノ行爲ガ法律上法人ノ行爲タル效力ヲ有スル者デナケレバナラヌノデアリマシテ、斯クノ如キ法人ヲ代表シテ法人ノ權利ヲ行フモノヲ、法律學上ノ觀念トシテ法人ノ機關ト申スノデアリマス、 率然トシテ天皇ガ國家ノ機關タル地位ニ在マストイフヤウナコトヲ申シマスルト、法律學ノ知識ノナイ者ハ、或ハ不穩ノ言ヲ吐クモノト感ズル者ガアルカモ知レマセヌガ、其意味スルトコロハ天皇ハ御一身、御一家ノ權利トシテ、統治權ヲ保有シ給フノデハナク、ソレハ國家ノ公事デアリ天皇ハ御一身ヲ以テ國家ヲ體現シ給ヒ、國家ノ總テノ活動ハ天皇ニ其ノ最高ノ源ヲ發シ天皇ノ行爲ガ天皇ノ御一身上ノ私ノ行爲トシテデハナク、國家ノ行爲トシテ、效力ヲ生ズルコトヲ言ヒ表ハスモノデアリマス、 例ヘバ憲法ハ明治天皇ノ欽定ニ係ルモノデアリマスガ、明治天皇御一個、御一人ノ著作物デハナク其ノ名稱ニ依ッテモ示サレテ居リマスル通リ大日本帝國ノ憲法デアリ、國家ノ憲法トシテ永久ニ效力ヲ有スルモノデアリマス、 條約ハ憲法第十三條ニ明言シテ居リマスル通リ、天皇ノ締結シ給フトコロデアリマスルガ、倂シソレハ國際條約卽チ國家ト國家トノ條約トシテ效力ヲ有スルモノデアリマス、 若シ所謂機關說ヲ否定イタシマシテ、統治權ハ天皇御一身ニ屬スル權利デアルトシマスナラバ、ソノ統治權ニ基イテ賦課セラレマスル租稅ハ國稅デハナク、天皇ノ御一身ニ屬スル收入トナラナケレバナリマセヌシ、天皇ノ締結シ給フ條約ハ國際條約デハナクシテ、天皇御一身トシテノ契約トナラネバナラヌノデアリマス、 ソノ外國債トイヒ、國有財產トイヒ、國家ノ歲出歲入トイヒ、若シ統治權ガ國家ニ屬スル權利デアルコトヲ否定シマスルナラバ、如何ニシテコレヲ說明スルコトガ出來ルノデアリマセウカ、 勿論統治權ガ國家ニ屬スル權利デアルト申シマシテモソレハ決シテ天皇ガ統治ノ大權ヲ有セラレルコトヲ否定スル趣旨デハナイコトハ申ス迄モアリマセン、 國家ノ一切ノ統治權ハ天皇ノ總攬シ給フコトハ憲法ノ明言シテヰルトコロデアリマス、 私ノ主張シマスルトコロハ只天皇ノ大權ハ天皇ノ御一身ニ屬スル私ノ權利デハナク、天皇ガ國家ノ元首トシテ行ハセラルゝ權能デアリ、國家ノ統治權ヲ活動セシムルカ、卽チ統治ノ總ベテノ權能ガ天皇ニ最高ノ源ヲ發スルモノデアルトイフニ在ルノデアリマス、 ソレガ我ガ國體ニ反スルモノデナイコトハ勿論、最モ良ク我ガ國體ニ通スル所以デアラウト堅ク信ジテ疑ハナイノデアリマス、 第二點ニ我ガ憲法上、天皇ノ統治ノ大權ハ萬能無制限ノ權力デアルヤ否ヤ、コノ點ニ就キマシテモ我ガ國體ヲ論ジマスルモノハ、動モスレバ絕對無制限ナル萬能ノ權力ガ天皇ニ屬シテヰルコトガ我ガ國體ノ存スル處ナルト云フモノガアルノデアリマスルガ、私ハ之ヲ以テ我ガ國體ノ認識ニ於テ大イナル誤デアルト信ジテヰルモノデアリマス、 君主ガ萬能ノ權力ヲ有スルトイフヤウナノハ、コレハ純然タル西洋ノ思想デアル、 「ローマ」法ヤ十七八世紀ノ「フランス」ナドノ思想デアリマシテ、我ガ歷史上ニ於キマシテハ如何ナル時代ニ於テモ、天皇ノ無制限ナル萬能ノ權力ヲ以テ臣民ニ命令シ給フトイフヤウナコトハ曾ツテ無カッタコトデアリマス、 天ノ下シロシメストイフコトハ、決シテ無限ノ權力ヲ行ハセラレルトイフ意味デハアリマセヌ、 憲法ノ上論ノ中ニハ「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ卽チ朕カ祖宗ノ惠撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」云々ト仰セラレテ居リマス、 卽チ歷代天皇ノ臣民ニ對スル關係ヲ「惠撫慈養」ト云フ言葉ヲ以テ御示シニナッテ居ルノデアリマス、 況ヤ憲法第四條ニハ「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」ト明示サレテ居リマス、 又憲法ノ上諭ノ中ニモ、「朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ」ト仰セラレテ居リマシテ天皇ノ統治ノ大權ガ憲法ノ規定ニ從ッテ行ハセラレナケレバナラナイモ提出ノデアルト云フコトハ明々白々疑ヲ容ルベキ餘地モナイノデアリマス、 天皇ノ帝國議會ニ對スル關係ニ於キマシテモ亦憲法ノ條規ニ從ッテ行ハセラルベキコトハ申ス迄モアリマセヌ、 菊池男爵ハ恰モ私ノ著書ノ中ニ、議會ガ全然天皇ノ命令ニ服從シナイモノデアルト述ベテ居ルカノ如クニ論ゼラレマシテ、若シサウトスレバ解散ノ命ガアッテモ、ソレニ拘ラズ會議ヲ開クコトガ出來ルコトニナルト云フヤウナ議論ヲセラレテ居ルノデアリマスルガ、ソレモ同君ガ曾ツテ私ノ著書ヲ通讀セラレナイカ、又ハ讀ンデモ之ヲ理解セラレナイ明白ナ證據デアリマス、 議會ガ天皇ノ大命ニ依ッテ召集セラレ、又開會、閉會、停會及衆義院ノ解散ヲ命ゼラレルコトハ、憲法第七條ニ明ニ規定シテ居ル所デアリマシテ、又私ノ書物ノ中ニモ縷々說明シテ居ル所デアリマス、 私ノ申シテ居リマスルノハ唯是等憲法又ハ法律ニ定ッテ居リマスル事柄ヲ除イテ、ソレ以外ニ於テ卽チ憲法ノ條規ニ基カナイデ、天皇ガ議會ニ命令シ給フコトハナイト言ッテ居ルノデアリマス、 議會ガ原則トシテ天皇ノ命令ニ服スルモノデナイト言ッテ居リマスルノハ其ノ意味デアリマシテ「原則トシテ」ト申スノハ、特定ノ定アルモノヲ除イテト云フ意味デアルコトハ言フ迄モナイノデアリマス、 詳シク申セバ議會ガ立法又ハ豫算ニ協贊シ緊急命令其ノ他ヲ承諾シ又ハ上奏及建議ヲ爲シ、質問ニ依ッテ政府ノ辯明ヲ求ムルノハ、何レモ議會ノ自己ノ獨立ノ意見ニ依ッテ爲スモノデアッテ、勅命ヲ奉ジテ勅命ニ從ッテ之ヲ爲スモノデハナイト言フノデアリマス、 一例ヲ立法ノ協贊ニ取リマスルナラバ、法律案ハ或ハ政府カラ提出セラレ、或ハ議院カラ提出スルモノモアリマスルガ、議院提出案ニ付キマシテハ固ヨリ君命ヲ奉ジテ協贊スルモノデナイコトハ言フ迄モナイコトデアリマス、 政府提出案ニ付キマシテモ、議會ハ自己ノ獨立ノ意見ニ依ッテ之ヲ可決スルト否決スルトノ自由ヲ持ッテヰルコトハ、誰モ疑ハナイ所デアラウト思ヒマス、 若シ議會ガ陛下ノ命令ヲ受ケテ、其ノ命令ノ儘可決シナケレバナラヌモノデ、之ヲ修正シ又ハ否決スル自由ガナイト致シマスレバ、ソレハ協贊トハ言ハレ得ナイモノデアリ、議會制度設置ノ目的ハ全ク失ハレテシマフ外ハナイノデアリマス、 ソレデアルカラコソ憲法第六十六條ニハ、皇室經費ニ付キマシテ特ニ議會ノ協贊ヲ要セズト明言セラレテ居ルノデアリマス、 ソレトモ菊池男爵ハ議會ニ於テ政府提出ノ法律案ヲ否決シ、其協贊ヲ拒ンダ場合ニハ、議會ハ違勅ノ責ヲ負ハナケレバナラヌモノト考ヘテオイデナノデアリマセウカ、 上奏、建議、質問等ニ至リマシテ、君命ニ從ッテ之ヲ爲スモノデナイコトハ固ヨリ言フ迄モアリマセヌ、 菊池男爵ハ其御演說ノ中ニ、陛下ノ御信任ニ依ッテ大政輔弼ノ重責ニ當ッテ居ラレマスル國務大臣ニ對シテ、現內閣ハ儀表タルニ足ラナイ內閣デアルト判決ヲ下スヨリ外ハナイト言ハレマスルシ、又陛下ノ至高顧問府タル樞府院議長ニ對シテモ、極端ナ惡言ヲ放タレテ居リマス、 ソレハ畏クモ陛下ノ御任命ガ其ノ人ヲ得テ居ラナイト云フコトニ外ナラナイノデアリマス、 若シ議會ノ獨立性ヲ否定イタシマシテ、議會ハ一ニ勅命ニ從ッテ其ノ權能ヲ行フモノトシマスルナラバ、陛下ノ御信任遊バサレテ居リマス是等ノ重臣ニ對シ、如何ニシテ斯ノ如キ非難ノ言ヲ吐クコトガ、許サレ得ルデアリマセウカ、 ソレハ議會ノ獨立性ヲ前提トシテノミ說明シ得ラルル所デアリマス、 或ハ又私ガ議會ハ國民代表ノ機關デアッテ、天皇カラ權限ヲ與ヘラレタモノデハナイト言ッテ居ルノニ對シテ甚シイ非難ヲ加ヘテ居ルモノモアリマス、 倂シ議會ガ天皇ノ御任命ニ係ル官府デハナク、國民代表ノ機關トシテ設ケラレテ居ルコトハ一般ニ疑ハレナイ所デアリ、ソレガ議會ガ舊制度ノ元老院ヤ今日ノ樞密院ト法律上ノ地位ヲ異ニスル所以デアリマス、 元老院ヤ樞密院ハ、天皇ノ官吏カラ成立ッテ居ルモノデ、元老院議官ト云ヒ、樞密院顧問官ト云フノデアリマシテ官ト云フ文字ハ天皇ノ機關タルコトヲ示ス文字デアリマス、 天皇ガ之ヲ御任命遊バサレマスルノハ、卽チソレニ其ノ權限ヲ授與セラルゝ行爲デアリマス、 帝國議會ヲ構成シマスルモノハ之ニ反シテ、議員ト申シ議官トハ申シマセヌ、 ソレハ天皇ノ機關トシテ設ケラレテ居ルモノデナイ證據デアリマス、 再ビ憲法義解ヲ引用イタシマスルト、第三十三條ノ註ニハ「貴族院ハ貴紳ヲ集メ衆議院ハ庶民ニ選ブ兩院合同シテ一ノ帝國議會ヲ成立シ以テ全國ノ公議ヲ代表ス」トアリマシテ、卽チ全國ノ公議ヲ代表スル爲ニ設ケラレテ居ルモノデアルコトハ憲法義解ニ於テモ明ニ認メテ居ル所デアリマス、 ソレガ元老院ヤ樞密院ノヤウナ天皇ノ機關ト區別セラレネバナラヌコトハ明白デアラウト思ヒマス、 以上述ベマシタコトハ憲法學ニ於テ極メテ平凡ナ眞理デアリマシテ、學者ノ普通ニ認メテ居ル所デアリ、又近頃ニ至ッテ初メテ私ノ唱ヘ出シタモノデハナク、三十年來既ニ主張シ來ッタモノデアリマス、 今ニ至ッテ斯ノ如キ非難ガ本議場ニ現ハレルト云フヤウナコトハ、私ノ思モ依ラナカッタ所デアリマス、 今日此席上ニ於テ斯ノ如キ憲法ノ講釋メイタコトヲ申シマスノハ甚ダ恐縮デアリマスガ、是モ萬已ムヲ得ナイモノト御諒察ヲ願ヒマス、 私ノ切ニ希望イタシマスルノハ、若シ私ノ學說ニ付テ批評セラレマスルナラバ處々カラ拾ヒ集メタ斷片的ナ片言隻句ヲ捉ヘテ徒ニ讒誣中傷ノ言ヲ放タレルノデハナク、眞ニ私ノ著書ノ全體ヲ通讀シテ、前後ノ脈絡ヲ明ニシ、眞ノ意味ヲ理解シテ然ル後ニ批評セラレタイコトデアリマス、 之ヲ以テ辯明ノ辭ト致シマス、 (拍手)

現代表記[編集]

〇議長(公爵近衛文麿君

美濃部達吉君より、同君の言論につき過日当議場において議員より発言のありました問題について、一身上の弁明が致したいという申出がございました、これを許すことに御異議ございませぬか。

〔「異議なし」と呼ふ者あり〕

〇議長(公爵近衛文麿君)

御異議ないと認めます。美濃部達吉君。

〔美濃部達吉君演壇に登る〕

〇美濃部達吉君

去る2月19日の本会議におきまして、菊池男爵その他の方から、私の著書のことにつきまして御発言がありましたにつき、ここに一言一身上の弁明を試むるのやむを得ざるに至りましたことは、私の深く遺憾とする所であります。

菊池男爵は昨年65議会におきましても、私の著書のことを挙げられまして、このごとき思想を懐いている者は文官高等試験委員から追払うが宜いというような、激しい言葉をもって非難せられたのであります。

今議会におきまして再び私の著書を挙げられまして、明白な反逆的思想であると言われ、謀反人であると言われました。

また学匪であるとまで断言せられたのであります。

日本臣民に取りまして反逆者である、謀反人であると言われまするのは侮辱この上もないことと存ずるのであります。

また学問を専攻しております者にとって、学匪と言われますことは、等しく堪え難い侮辱であると存ずるのであります。

私はこのごとき言論が貴族院において、公の議場において公言せられまして、それが議長からの取消の御命令もなく看過せられますことが、果して貴族院の品位の為に許され得ることであるかどうかを疑う者でありまするが、それはともかくと致しまして、貴族院において、貴族院のこの公の議場におきまして、このごとき侮辱を加えられましたことについては、私と致しましていかに致しましてもそのままには黙過し難いことと存ずるのであります。

本議場におきましてこのごとき問題を論議することは、所柄はなはだ不適当であると存じまするし、また貴重な時間をこういう事に費しまするのは、はなはだ恐縮に存ずるのでありますし、私と致しましても不愉快至極のことに存ずるのでありまするが、万やむを得ざることと御了承を願いたいのであります。

およそいかなる学問に致しましても、その学問を専攻しておりまする者の学説を批判し、その当否を論じまするには、その批評者自身がその学問について相当の造詣を持っており、相当の批判能力を備えていなければならぬと存ずるのであります。

もし例えば私のごとき法律学を専攻していまする者が軍学にくちばしをいれまして、軍学者の専門の著述を批評するというようなことがあると致しますならば、それはただ物笑いに終わるであろうと存ずるのであります。

私は菊池男爵が憲法の学問について、どれほどの御造詣があるのかは更に存じない者でありますが、菊池男爵の私の著書について論ぜられておりまする所を速記録によって拝見いたしますると、同男爵が果して私の著書を御通読になったのであるか、仮りに御読みになったと致しましても、それを御理解なされているのであるかということを深く疑う者であります。

恐らくはある他の人から断片的に、私の著書の中のある片言隻句を示されて、その前後の連絡をも顧みず、ただその片言隻句だけを見て、それをあらぬ意味に誤解されて、軽々にこれは怪しからぬと感ぜられたのではなからうかと想像せられるのであります。

もし真に私の著書の全体を精読せられ、また正当にそれを理解せられておりまするならば、このごとき批判を加えらるべき理由は断じてないものと確信いたすのであります。

菊池男爵は私の著書をもって、わが国体を否認し、君主主権を否定するもののごとくに論ぜられておりますが、それこそ実に同君が私の著書を読まれておりませぬか、または読んでもそれを理解せられていらない明白な証拠であります。

我が憲法上、国家統治の大権が天皇に属するということは、天下万民一人としてこれを疑うべき者のあるべきはずはないのであります。

憲法の上論には「国家統治の大権は朕がこれを祖宗に承けてこれを子孫に伝うる所なり」と明言しております。

また憲法第1条には「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」とあります。

更に第4条には、「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規に依りこれを行う」とあるのでありまして、日月のごとく明白であります。

もしこれをして否定する者がありますならば、それこそ反逆思想であるといわれましても余儀ない事でありましょうが、私の著書のいかなる場所におきましてもこれを否定している所は決してないばかりか、かえって反対にそれが日本憲法の最も重要な基本原則であることを繰り返し説明しているのであります。

例えば菊池男爵の挙げられました憲法精義、15頁から16頁の所を御覧になりますれば、日本の憲法の基本主義と題しましてその最も重要な基本主義は、日本の国体を基礎とした君主主権主義である、これに西洋の文明から伝わった立憲主義の要素を加えたのが日本の憲法の主要な原則である、すなわち君主主権主義に加うるに立憲主義をもってしたのであるという事を述べているのであります。

またそれは万世動かすべからざるもので、日本開闢以来かつて変動のない、また将来永遠にわたって動かすべからざるものであるという事を言明しているのであります。

他の著述でありまする憲法撮要にも同じ事を申しているのであります。

菊池男爵はお挙げになりませぬでありましたが、私の憲法に関する著述はその外にも明治39年にすでに日本国法学を著しておりまするし、大正10年には日本憲法第1巻を出版しております。

更に最近昭和9年には日本憲法の基本主義と題するものを出版いたしておりまするが、これらのものを御覧になりましても君主主権主義が日本の憲法の最も貴重な、最も根本的な原則であるということは、いずれにおきましても詳細に説明いたしているのであります。

ただそれにおきまして憲法上の法理論として問題になりまする点は、およそ2点を挙げることができるのであります。

第1点は、この天皇の統治の大権は、天皇の御一身に属する権利として観念せらるべきものであるか、または天皇が国の元首たる御地位において総攬したまう権能であるかという問題であります。

一言で申しまするならば、天皇の統治の大権は法律上の観念において権利と見るべきであるか、権能と見るべきであるかということに帰するのであります。

第2点は、天皇の統治の大権は絶対に無制限な万能の権力であるか、または憲法の条規によって行わせられまする制限ある権能であるか、この2点であります。

私の著書において述べていまする見解は、第1には、天皇の統治の大権は、法律上の観念としては権利と見るべきものではなくて、権能であるとなすものでありまするし、また第2に、それは万能無制限の権力ではなく、憲法の条規によって行わせられる権能であるとなすものであります、この2つの点が菊池男爵その他の方の御疑を生じた主たる原因であると信じまするので、成るべく簡単にその要領を述べて御疑を解くことに努めたいと思うのであります。

第1に天皇の国家統治の大権は法律上の観念として天皇の御一身に属する権利と見るべきや否やという問題でありますが、法律学の初歩を学んだ者の熟知する所でありますが法律学において権利と申しまするのは利益という事を要素とする観念でありまして自己の利益の為に……自己の目的の為に存する法律上の力でなければ権利という観念には該当しないのであります。

ある人がある権利を持つという事はその力をその人自身の利益の為に、言い換ればその人自身の目的の為に認められているという事を意味するのであります。

すなわち権利主体といえば利益の主体目的の主体に外ならぬのであります。

したがって国家統治の大権が天皇の御一身の権利であると解しますならば、統治権が天皇の御一身の利益の為め、御一身の目的の為に存するかであるとするに帰するのであります。

そういう見解が果して我が尊貴なる国体に通するでありましょうか。

我が古来の歴史におきましていかなる時代においても天皇が御一身御一家の為に、御一家の利益の為に統治を行わせられるものであるというような思想の現われである事はできませぬ。

天皇は我国開闢以来天の下しろしめす大君と仰がれたまうのでありますが、天の下しろしめすのは決して御一身の為ではなく、全国家の為であるという事は古来常に意識せられていた事でありまするし、歴代の天皇の大詔の中にも、その事を明示されているものが少くないのであります。

日本書紀に見えておりまする崇神天皇の詔には「おもうに、わが皇祖もろもろの天皇の宸極に光臨したまいしは、あに一身の為ならずや。けだし人神を司牧して天下を経倫するゆえんなり」とありまするし、仁徳天皇の詔には「それ天の君を立つるはこれ百姓の為なり。しからばすなわち君は百姓をもって本とす」とあります。

西洋の古い思想には国王が国を支配する事をもってあたかも国王の一家の財産のごとくに考えて、一個人が自分の権利として財産を所有しておりまするごとくに、国王は自分の一家の財産として国土国民を領有し支配して、これを子孫に伝えるものであるとしている時代があるのであります。

普通にかくのごとき思想を家産国思想、パトリモニアル・セオリイ、家産説、家の財産であります家産説と申しております。

国家をもって国王の一身一家に属する権利であるという事に帰するのであります。

このごとき西洋中世の思想は、日本の古来の歴史においてかつて現われなかった思想でありまして、もとより我が国体の容認する所ではないのであります。

伊藤公の憲法義解の第1条の注には「統治は大位におり大権を統べて国土及臣民を治むるなり」中略「けだし祖宗その天職を重んじ、君主の徳は八州臣民を統治するにあって一人一家に享奉するの私事にあらざる事を示されたり、これすなわち憲法のよってもって基礎をなすゆえんなり」とありますのも、これ同じ趣旨を示しているのでありまして統治が決して天皇の御一身の為に存するかではなく、したがって法律上の観念と致しまして天皇の御一身上の私利として見るべきものではない事を示しているのであります。

古事記には天照大神が出雲の大国主命に問わせられました言葉といたしまして「汝がうしはける葦原の中つ国は我か御子のしらさむ国」云々とありまして「うしはく」という言葉と書き別けしてあります。

ある国学者の説に依りますと、「うしはく」というのは私領という意味で「しらす」は統治の意味で、すなわち天下の為に土地人民を統べ治める事を意味するという事を唱えている人があります。

この説が正しいかどうか私はよく承知しないのでありますがもし仮りにそれが正当であると致しまするならば、天皇の御一身の権利として統治権を保有したまうものと解しまするのは、すなわち天皇は国を「しらし」たまうのではなくして国を「うしはく」ものとするに帰するのであります。

それが我が国体に適するゆえんでない事は明白であろうと思います。

統治権は、天皇の御一身の為に存する力ではなく、したがって天皇の御一身に属する私の権利と見るべきものではないと致しまするならば、その権利の主体は法律上何であると見るべきでありましょうか。

前にも申しまする通り権利の主体は、すなわち目的の主体でありますから、統治の権利主体と申せば、すなわち統治の目的の主体という事に外ならぬのであります。

しかして天皇が天の下しろしまするのは、天下国家の為であり、その目的の帰属する所は永遠恒久の団体たる国家であると観念いたしまして天皇は国の元首として、言い換れば、国の最高機関としてこの国家の一切の権利を総攬したまい、国家の一切の活動は立法も司法も総て天皇にその最高の源を発するものと観念するのであります。

いわゆる機関説と申しまするのは、国家それ自身で一つの生命あり、それ自身に目的を有する恒久的の団体、すなわち法律学上の言葉をもってせば一つの法人と観念いたしまして天皇はこの法人たる国家の元首たる地位に在しまし国家を代表して国家の一切の権利を総攬したまい天皇が憲法に従って行わせられまする行為が、すなわち国家の行為たる効力を生ずるということをいい表わすものであります。

国家を法人と見るということは、もちろん憲法の明文には掲げてないのでありまするが、これは憲法が法律学の教科書ではないということから生ずる当然の事柄でありますが、しかし憲法の条文の中には、国家を法人と見なければ説明することのできない規定は少なからず見えているのであります。

憲法はその表題においてすでに大日本帝国憲法とありまして、すなわち国家の憲法であることを明示しておりますのみならず、第55条及び第56条には「国務」という言葉が用いられておりまして、統治の総ての作用は国家の事務であるということを示しております。

第62条第3項には「国債」および「国庫」とありまするし、第64条および第72条には「国家の歳出歳入」という言葉が見えております。

また第66条には、国庫より皇室経費を支出すべき義務のあることを認めております。

総てこれらの字句は国家自身が公債を起し、歳出歳入を為し、自己の財産を有し、皇室経費を支出する主体であることを明示しているものであります。

すなわち国家それ自身が法人であると解しなければ、到底説明し得ないとことであります。

その他国税といい、国有財産といい、国際条約というような言葉は、法律上あまねく公認せられておりますが、それは国家それ自身の租税を課し、財産を所有し、条約を結ぶものであることを示しているものであることは申すまでもないのであります。

すなわち国家それ自身が一つの法人であり、権利主体であることが、我が憲法及び法律の公認するところであるといわねばならないのであります。

しかし法人と申しますると一つの団体であり、無形人でありまするから、その権利を行いまする為には、必ず法人を代表するものがあり、その者の行為が法律上法人の行為たる効力を有する者でなければならぬのでありまして、かくのごとき法人を代表して法人の権利を行うものを、法律学上の観念として法人の機関と申すのであります。

率然として天皇が国家の機関たる地位にありますというようなことを申しますると、法律学の知識のない者は、あるいは不穏の言を吐くものと感ずる者があるかも知れませぬが、その意味するところは天皇は御一身、御一家の権利として、統治権を保有したまうのではなく、それは国家の公事であり天皇は御一身をもって国家を体現したまい、国家の総ての活動は天皇にその最高の源を発し天皇の行為が天皇の御一身上の私の行為としてではなく、国家の行為として、効力を生ずることを言い表わすものであります。

例えば憲法は明治天皇の欽定に係るものでありますが、明治天皇御一個、御一人の著作物ではなくその名称によっても示されておりまする通り大日本帝国の憲法であり、国家の憲法として永久に効力を有するものであります。

条約は憲法第13条に明言しておりまする通り、天皇の締結したまうところでありまするが、しかしそれは国際条約、すなわち国家と国家との条約として効力を有するものであります。

もしいわゆる機関説を否定いたしまして、統治権は天皇御一身に属する権利であるとしますならば、その統治権に基づいて賦課せられまする租税は国税ではなく、天皇の御一身に属する収入とならなければなりませぬし、天皇の締結したまう条約は国際条約ではなくして、天皇御一身としての契約とならねばならぬのであります。

その外国債といい、国有財産といい、国家の歳出歳入といい、もし統治権が国家に属する権利であることを否定しまするならば、いかにしてこれを説明することができるのでありましょうか。

もちろん統治権が国家に属する権利であると申しましてもそれは決して天皇が統治の大権を有せられることを否定する趣旨ではないことは申すまでもありません。

国家の一切の統治権は天皇の総攬したまうことは憲法の明言しているところであります。

私の主張しまするところはただ天皇の大権は天皇の御一身に属する私の権利ではなく、天皇が国家の元首として行わせらるる権能であり、国家の統治権を活動せしむるか、すなわち統治の総ての権能が天皇に最高の源を発するものであるというにあるのであります。

それが我が国体に反するものでないことはもちろん、最も良く我が国体に通するゆえんであろうと堅く信じて疑わないのであります。

第2点に我が憲法上、天皇の統治の大権は万能無制限の権力であるや否や、この点に就きましても我が国体を論じまするものは、動もすれば絶対無制限なる万能の権力が天皇に属していることが我が国体の存するところなるというものがあるのでありまするが、私はこれをもって我が国体の認識において大いなる誤りであると信じているものであります。

君主が万能の権力を有するというようなのは、これは純然たる西洋の思想である、ローマ法や17~8世紀のフランスなどの思想でありまして、我が歴史上におきましてはいかなる時代においても、天皇の無制限なる万能の権力をもって臣民に命令したまうというようなことはかつてなかったことであります。

天の下しろしめすということは、決して無限の権力を行わせられるという意味ではありませぬ。

憲法の上論の中には「朕が親愛する所の臣民は、すなわち朕が祖宗の恵撫慈養したまいし所の臣民なるをおもい」云々と仰せられております。

すなわち歴代天皇の臣民に対する関係を「恵撫慈養」という言葉をもって御示しになっているのであります。

いわんや憲法第4条には「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規に依りこれを行う」と明示されております。

また憲法の上諭の中にも、「朕及朕が子孫は将来この憲法の条章に循いこれを行うことを愆らざるべし」と仰せられておりまして天皇の統治の大権が憲法の規定に従って行わせられなければならないものであるということは明々白々疑いを容るべき余地もないのであります。

天皇の帝国議会に対する関係におきましてもまた憲法の条規に従って行わせらるべきことは申すまでもありませぬ。

菊池男爵はあたかも私の著書の中に、議会が全然天皇の命令に服従しないものであると述べているかのごとくに論ぜられまして、もしそうとすれば解散の命があっても、それにかかわらず会議を開くことができることになるというような議論をせられているのでありまするが、それも同君がかつて私の著書を通読せられないか、または読んでもこれを理解せられない明白な証拠であります。

議会が天皇の大命によって召集せられ、また開会・閉会・停会および衆義院の解散を命ぜられることは、憲法第7条に明に規定している所でありまして、また私の書物の中にもしばしば説明している所であります。

私の申しておりまするのはただこれら憲法または法律に定っておりまする事柄を除いて、それ以外において、すなわち憲法の条規に基づかないで、天皇が議会に命令したまうことはないと言っているのであります。

議会が原則として天皇の命令に服するものでないと言っておりまするのはその意味でありまして「原則として」と申すのは、特定の定あるものを除いてという意味であることは言うまでもないのであります。

詳しく申せば議会が立法または予算に協賛し緊急命令その他を承諾しまたは上奏及建議をなし、質問によって政府の弁明を求むるのは、いずれも議会の自己の独立の意見によってなすものであって、勅命を奉じて勅命に従ってこれをなすものではないというのであります。

一例を立法の協賛に取りまするならば、法律案はあるいは政府から提出せられ、あるいは議院から提出するものもありまするが、議院提出案につきましては、もとより君命を奉じて協賛するものでないことは言うまでもないことであります。

政府提出案につきましても、議会は自己の独立の意見によってこれを可決すると否決するとの自由を持っていることは、誰も疑わない所であろうと思います。

もし議会が陛下の命令を受けて、その命令のまま可決しなければならぬもので、これを修正し、または否決する自由がないと致しますれば、それは協賛とは言われ得ないものであり、議会制度設置の目的は全く失われてしまう外はないのであります。

それであるからこそ憲法第66条には、皇室経費につきまして特に議会の協賛を要せずと明言せられているのであります。

それとも菊池男爵は議会において政府提出の法律案を否決し、その協賛を拒んだ場合には、議会は違勅の責めを負わなければならぬものと考えておいでなのでありましょうか。

上奏・建議・質問等に至りまして、君命に従ってこれをなすものでないことは、もとより言うまでもありませぬ。

菊池男爵はその御演説の中に、陛下の御信任によって大政補弼の重責に当っていられまする国務大臣に対して、現内閣は儀表たるに足らない内閣であると判決を下すより外はないと言われまするし、また陛下の至高顧問府たる枢府院議長に対しても、極端な悪言を放たれております。

それは畏くも陛下の御任命がその人を得ておらないということに外ならないのであります。

もし議会の独立性を否定いたしまして、議会は一に勅命に従ってその権能を行うものとしまするならば、陛下の御信任遊ばされておりますこれらの重臣に対し、いかにしてこのごとき非難の言を吐くことが、許され得るでありましょうか。

それは議会の独立性を前提としてのみ説明し得らるる所であります。

あるいはまた私が議会は国民代表の機関であって、天皇から権限を与えられたものではないと言っているのに対して、はなはだしい非難を加えているものもあります。

しかし議会が天皇の御任命に係る官府ではなく、国民代表の機関として設けられていることは一般に疑われない所であり、それが議会が旧制度の元老院や今日の枢密院と法律上の地位を異にするゆえんであります。

元老院や枢密院は、天皇の官吏から成立っているもので、元老院議官といい、枢密院顧問官というのでありまして官という文字は天皇の機関たることを示す文字であります。

天皇がこれを御任命遊ばされまするのは、すなわちそれにその権限を授与せらるる行為であります。

帝国議会を構成しまするものはこれに反して、議員と申し議官とは申しませぬ。

それは天皇の機関として設けられているものでない証拠であります。

再び憲法義解を引用いたしますると、第33条の注には「貴族院は貴紳を集め、衆議院は庶民に選ぶ。両院合同して一の帝国議会を成立し、もって全国の公議を代表す」とありまして、すなわち全国の公議を代表する為に設けられているものであることは憲法義解においても明らかに認めている所であります。

それが元老院や枢密院のような天皇の機関と区別せられねばならぬことは明白であろうと思います。

以上述べましたことは憲法学において極めて平凡な真理でありまして、学者の普通に認めている所であり、また近頃に至って初めて私の唱え出したものではなく、30年来すでに主張し来たったものであります。

今に至ってこのごとき非難が本議場に現われるというようなことは、私の思いもよらなかった所であります。

今日この席上においてこのごとき憲法の講釈めいたことを申しますのは、はなはだ恐縮でありますが、これも万やむを得ないものと御了察を願います。

私の切に希望いたしまするのは、もし私の学説について批評せられまするならば処々から拾い集めた断片的な片言隻句を捉えて、いたずらに讒誣中傷の言を放たれるのではなく、真に私の著書の全体を通読して、前後の脈絡を明にし、真の意味を理解してしかる後に批評せられたいことであります。

これをもって弁明の辞と致します。

(拍手)