<聖書<我主イエズスキリストの新約聖書
『公敎宣敎師ラゲ譯 我主イエズスキリストの新約聖書』公敎會、
1910年発行
〔ローマ・カトリック訳〕
『ラゲ訳新約聖書』エミール・ラゲ(Emile Raguet,MEP)
ルカ聖福音書
1我等の中に成立ちし事の談を、初より親しく目擊して敎の役者たりし人々の
2我等に言傳へし如く書列ねんとて、多くの人既に着手せるが故に、
3貴きテオフィロよ、我も凡ての事を最初より詳しく取調べて、順序よく汝に書贈るを善と思へり。
4是汝をして敎へられし敎の確實なるを曉らしめん爲なり。
5抑ユデアの王ヘロデの時、アビアの班にザカリアと云へる司祭あり。其妻はアアロンの裔なる女にて、名をエリザベトと云へり。
6二人ながら神の御前に義しき人にして、主の凡ての禁令と規律とを過なく履行ひ居たりしが、
7エリザベトは石女なれば、彼等に子なくして、二人とも年老いたりき。
8然るにザカリア其班の順によりて、神の御前に司祭の務を行ひけるに、
9司祭職の慣例に從ひ、籤を抽きて、主の殿に入り、香を燒く事を得たり。
10香を燒く時に當り、人民群集して、皆外にて祈り居けるに、
11主の使、香臺の右に立ちてザカリアに現れしかば、
12ザカリア之を見て心騷ぎ、且恐ろしさに撲たれたり。
13天使之に云ひけるは、懼るる事勿れザカリア、蓋汝の祈聽容れられたり。妻エリザベト汝に一子を生まん、汝其名をヨハネと名くべし。
14而して汝には喜に堪へざる事となり、多くの人も亦其誕生に由りて喜ばん。
15卽ち彼は主の御前に偉大にして、葡萄酒と醉ふ物とを飲まず、母の胎内より既に聖靈に滿たされん。
16又イスラエルの多くの子を、主たる其神に歸らしめ、
17エリアの精神と能力とを以て主の先に往かん、是主の爲に完全なる人民を備へんとて、先祖の心を子孫に立歸らせ、不信者を義人の知識に立歸らせん爲なり、と。
18ザカリア、天使に云ひけるは、我何に據りてか此事あるを知るべき。蓋我は老人にして、妻も亦年老いたればなり。
19天使答へて云ひけるは、我は神の御前に立つガブリエルにして、我が遣はされたるは、汝に語りて是等の福音を告げん爲なり。
20看よ、時期至りて成就すべき我言を信ぜざりしにより、汝は唖となりて、此事の成る日まで言ふこと能はじ、と。
21人民はザカリアを待ちつつ、其殿内に滯るを怪しみたりしが、
22出づるに及びて言ふ能はざれば、人々彼が殿内にて幻影を見し事を曉れり。彼は手眞似するのみにて、唖は其儘なりしが、
23遂に其務の日數滿ちて己が家に歸りしに、
24日ならずして妻エリザベト懷胎せしかば、隱るる事五箇月にして、
25云へらく、主は人々の間に我が恥を雪がしめんとて、我を顧み給ひたる日に斯も我に爲し給ひしなり、と。
26然て六月目に當り、天使ガブリエルガリレアのナザレトと云へる町に、
27ダヴィド家のヨゼフと名る人の聘定せし童貞女に神より遣されしが、其童貞女名をマリアと云へり。
28天使彼の許に入來りて云ひけるは、慶たし、恩寵に滿てる者よ、主汝と共に在す。汝は女の中にて祝せられたる者なり、と。
29マリア之を見て其言に由りて大いに心騷ぎ此祝詞は如何なるものぞ、と案じ居るを、
30天使云ひけるは、懼るる事勿れマリア、汝神の御前に恩寵を得たればなり、
31然て汝懷胎して一子を生まん、其名をイエズスと名くべし。
32彼は偉大にして、最高き者の子と稱へられん。又主なる神之に其父ダヴィドの玉座を賜ひて、
33ヤコブの家を限なく治め、其治世は終なかるべし、と。
34マリア天使に云ひけるは、我夫を知らざるに、如何にしてか此事あるべき。
35天使答へて曰く、聖靈汝に臨み給ひ、最高き者の能力の蔭汝を覆はん、故に汝より生るべき聖なるものは神の子と稱へらるべし。
36夫汝の親族エリザベトすら、老年ながら一子を懷胎せり、斯て石女と呼ばれたる者今既に六月目なり。
37蓋何事も神には能はざる所あらじ、と。
38マリア云ひけるは、我は主の御召使なり、汝の言の如く我に成れかし、と。是に於て天使彼を去れり。
39日ならずして、マリア立ちて山地なるユダの町に急行きしが、
40ザカリアの家に入りて、エリザベトに挨拶せしに、
41エリザベト、マリアの挨拶を聞くや、其子は胎内にて躍り、エリザベトは聖靈に滿たされ、
42聲高く呼はりて云ひけるは、汝は女の中にて祝せられたり、御胎内の御子も祝せられ給ふ。
43我何によりて我主の母の來臨を辱うしたるぞ。
44抑汝が挨拶の聲我耳に響くや、子喜びて我胎内に躍れり。
45福なる哉信ぜし者。是主より云はれし事必ず成就すべければなり、と。
46マリア云ひけるは、我魂主を崇奉り、
47我精神我救主にて在す神に由て喜びに堪へず、
48其は其御召使の賤しきを顧み給ひたればなり。蓋看よ今より萬代迄も、人我を福なる者と稱へん、
49全能にて在す者、我に大事を爲し給ひたればなり。聖なる哉其御名。
50其矜恤は代々之を畏るる人々の上に在り。
51自ら御腕の權能を現し、己が心の念に驕れる人々を打散らし、
52權力ある者を其座より下し、賎しき者をば高め、
53飢ゑたる者を佳物に飽かせ、富める者をば手を空しうして去らしめ給へり。
54御矜恤を忘れず、其僕イスラエルを引受け給ひ、
55我等の先祖に曰ひし如く、アブラハムにも其子孫にも、世々に限なく及ぼし給はん、と。
56斯てマリア、エリザベトと共に留る事凡三月にして、己が家に歸れり。
57然てエリザベト、産期滿ちて男子を生みしが、
58隣人親戚等、主の之に大いなる惠を賜ひし事を聞きて、祝賀し居たり。
59八日目に至り、人々其子に割禮を施さんとて來り、父の名によりてザカリアと名けんとせしに、
60母答へて、然るべからず、ヨハネと名くべし、と云ひしかば、
61人々、汝の親戚の中に、此名を付けられたる者なしとて、
62父に手眞似して、何と名づけんと欲するぞ、と問ひけるに、
63ザカリア書板を求めて、其名はヨハネなりと記したれば、皆感嘆したりしが、
64軈てザカリアの口開け、舌解け、言ひて神を祝し奉れり。
65斯て隣人皆懼を懷き、此凡ての事ユデアの山里に洽く言弘められしかば、
66聞く人皆之を記憶に止めて、此子は如何なる者に成らんと思ふか、と言合へり、蓋主の御手彼と共に在りき。
67斯て其父ザカリア聖靈に滿たされ、預言して云ひけるは、
68祝すべき哉、イスラエルの神在す主。其は親ら臨て其民の贖を爲し、
69其僕ダヴィドの家に於て、救の角を我等の爲に與し給ひたればなり。
70是古より聖なる預言者等の口に籍りて語り給ひし如く、
71我等の敵より、又總ての我等を憎む者の手より我等を救ひ給ひ、
72我等の先祖に矜恤を垂れて、其聖約を記憶し給はん爲なり。
73而して是我等に賜はんと、我父アブラハムに誓ひ給ひし誓なり。
74然れば我等の敵の手より救はれて、怖なく主に事へ奉り、
75聖と義とに於て生涯主の御前に侍らん。
76孩兒よ、汝は最高き者の預言者と稱へられん。其は主の面前に先ちて其道を備へ、
77其民に罪を赦さるべき救靈の知識を與ふべければなり。是我神の慈悲の腸に由れり。
78是が爲に旭日は上より我等に臨み給ひて、
79暗黑及死の蔭に坐せる人々を照らし、我等の足を平安の道に導かんとし給ふ、と。
80斯て孩兒成長し、精神愈强健にして、イスラエルに顯るる日まで荒野に居れり。
1其頃、天下の戶籍を取調ぶべしとの詔、セザル、オグストより出しが、
2此戶籍調は、シリノがシリアの總督たりし時に始めたるものなり。
3斯て人皆名を屆けんとて、各其故鄕に至りけるに、
4ヨゼフもダヴィド家に屬し且其血統なれば、
5既に懷胎せる聘定の妻マリアと共に名を屆けんとて、ガリレアのナザレト町よりユデアのベトレヘムと云へるダヴィドの町に上れり。
6其處に居りし程に、マリア産期滿ちて、
7家子を生み、布に包みて馬槽に臥させ置きたり。是、旅舎に彼等の居る所なかりし故なり。
8然るに此地方に牧者等ありて、夜中交代して己が群を守り居りしが、
9折しも主の使其傍に立ちて、神の榮光彼等を環照らしたれば、彼等大いに懼れたり。
10天使彼等に云ひけるは、懼るる事勿れ、其は我人民一般に及ぶべき大いなる喜の福音を汝等に告ぐればなり。
11蓋今日ダヴィドの町に於て、汝等の爲に救主生れ給へり、是主たるキリストなり。
12汝等之を以て徵とせよ、卽ち布にて包まれ、馬槽に置かれたる嬰兒を見るべし、と。
13忽ち夥しき天軍天使に加はりて、神を贊美し、
14「最高き處には神に光榮、地には御好意の人々に平安」と唱へたり。
15天使等天に去りて後、牧者等云ひけるは、將我等ベトレヘムまで行き、主の我等に示し給へる事の次第を見ん、と。
16乃ち急ぎ至りて、マリアとヨゼフと馬槽に置かれたる孩兒とに遇へり。
17然て面りに見て、此孩兒に就きて云はれし事を知らせければ、
18聞ける人皆牧者等より云はるる事を不思議に思ひしが、
19マリアは是等の事を悉く心に納めて考合せ居たり。
20斯て牧者等は、己に云はれしに違はず、見聞せし一切の事に就きて、神に光榮を歸し、且贊美し奉りつつ歸れり。
21孩兒の割禮を授かるべき八日目に至りて、未胎内に孕らざる前に天使より云はれし如く、名をイエズスと呼ばれ給へり。
22然てモイゼの律法の儘に、マリアが潔の日數滿ちて後、[兩親]孩兒を主に獻げん爲、携へてエルザレムに往けり。
23是主の律法に錄して「總て初に生るる男子は、主の爲に聖なる者と稱へらるべし」とあるが故にして、
24又主の律法に云はれたる如く、山鳩一雙か、鴿の雛二羽かを犧牲に獻げん爲なりき。
25折しもエルザレムに、シメオンと云へる人あり。義人にして神を畏敬し、イスラエル[の民]の慰められん事を待ちて、聖靈の居給ふ所となり、
26聖靈より、主のキリストを見ざるうちは、死せざる事を示されたりしが、
27[聖]靈によりて、[神]殿に至りしに、恰も彼兩親孩兒イエズスを携へ、是が爲に律法の慣例に從ひて行はんとて來りければ、
28シメオン孩兒を抱き、神を祝し奉りて云ひけるは、
29主よ、今こそ御言に從ひて僕を安樂に逝かしめ給ふなれ、
30其は我目主の救を見たればなり。
31是ぞ主が萬民の前に備へ給ひし者にして、
32異邦人を照らすべき光、主の民たるイスラエルの光榮なる、と。
33イエズスの父母は、孩兒に就きて云はれたる事を驚嘆したりしが、
34シメオン彼等を祝して、母マリアに云ひけるは、此子は、是イスラエルに於て、多くの人の墮落と復活との爲に置かれ、且反抗を受くる徵に立てられたり、
35汝の魂も剣にて刺貫かるべく、而して多くの心の念顯るべし、と。
36又アゼル族なるファヌエルの女に、名はアンナ[と云ひて]、既に至極の老年に及べる女預言者あり。處女の時より七年の間、夫と共に在りしに、
37寡婦となりて、齡八十四に至り、[神]殿を離れず、斷食と祈祷とを以て晝夜奉事し居りしが、
38是も同時に來りて、主を稱贊し、エルザレムに於て、贖罪を待てる人々に孩兒の事を語り居たりき。
39[兩親は]主の律法の儘に何事をも果し、ガリレアのナザレトなる己が町に歸りしが、
40孩兒漸く成長して、智惠に滿ち、精神の力彌增し給ひ、神の恩寵其上に在りき。
41然て過越の大祝日には、兩親年每にエルザレムに往き居りしが、
42イエズス十二歲になり給ひし時、兩親祝日の慣例の儘にエルザレムに上りしに、
43祝日過ぎて歸る時、幼きイエズスはエルザレムに留り給へり。兩親は之を知らず、
44道連の中に在らんと思ひつつ、一日路を往き、然て親族知己の中を求めたれども、逢はざりしかば、
45尋ねつつエルザレムに立歸りしに、
46三日目に、イエズスが[神]殿にて學者の中に坐し、彼等に聞き且問ひ居給へるを見付けたり。
47聞く人皆其智惠と應答とに驚き居たりしが、
48兩親は之を見て感嘆せり。斯て母はイエズスに向ひ、子よ、何故我等に斯る事を爲ししぞ。看よ、汝の父と我とは憂ひつつ汝を尋ね居たり、と云ひければ、
49イエズス曰ひけるは、何ぞ我を尋ねたるや。我は我父の事を務むべきを知らざりしか、と。
50兩親は此語給ひし御言を曉らざりき。
51然てイエズス彼等と共に下り、ナザレトに至りて彼等に從ひ居給ひしが、母は此總ての事を心に納め居たりき。
52斯てイエズス智惠も齡も、神と人とに於る寵愛も次第に彌增し居給へり。
1チベリオ、セザルの在位の十五年、ポンシオ、ピラトはユデアの總督たり、ヘロデはガリレア分國の王たり、其兄弟フィリッポはイチュレア及トラコニト地方分國の王たり、リサニアはアビリナ分國の王たり、
2アンナとカイファとは司祭長たりし時、ザカリアの子ヨハネ、荒野に在りて主の御言を蒙り、
3ヨルダン[河]の全地方を巡りて、罪の赦を得させん爲に、改心の洗禮を宣傳へたり。
4預言者イザヤの言の書に錄して「荒野に呼はる者の聲ありて曰く、汝等主の道を備へ、其徑を直くせよ。
5凡ての谷は填められ、凡ての山丘は坦され、曲れるは直くせられ、險しき處は平なる路となり、
6人皆神の救を見ん」とあるに違はず。
7然てヨハネ、己に洗せられんとて出來れる群衆に云ひけるは、蝮の裔よ、來るべき怒を遁るる事を、誰か汝等に敎へしぞ。
8然れば改心の相當なる果を結べよ。又我等の父にアブラハム在りと云はんとすること勿れ。蓋我汝等に告ぐ、神は是等の石よりアブラハムの爲に子等を起すことを得給ふ。
9既に斧樹の根に置かれたり。故に總て善き果を結ばざる樹は、伐られて火に投入れらるべし、と。
10群衆ヨハネに問ひて、然らば我等何を爲すべきぞ、と云ひければ、
11彼答へて、二枚の肌着を有てる人は有たぬ人に與へよ、食物を有てる人も同じ樣にせよ、と云ひ居たり。
12又稅吏ありて、洗せられんとて來り、師よ、我等何を爲すべきぞ、と云ひしかば、
13ヨハネ彼等に向ひ、汝等は定まりたる物の外、何をも取ること勿れ、と云へり。
14兵卒も亦之に問ひて、我等は何を爲すべきぞ、と云へば、ヨハネ彼等に向ひ、汝等は、誰をも惱ますこと勿れ、又讒訴すること勿れ、己が給料を以て足れりとせよ、と云へり。
15人民は待佗びて、ヨハネを或はキリストならんと、皆心に推量りつつありければ、
16ヨハネ答へて人々に云ひけるは、實に我は水にて汝等を洗す、然れど我に優りて力或もの將に來らんとす、我は其履の紐を解くにも足らず。彼は聖靈と火とにて汝等を洗し給ふべし。
17彼の手に箕ありて其禾場を潔め、麥は倉に收め、殼は滅えざる火にて燒き給ふべし、と。
18ヨハネ尙多くの事を人に敎へて、福音を宣べ居たり。
19然れど分國の王ヘロデ、其兄弟の妻ヘロヂァデの事に就き、又自ら爲せる凡ての惡事に就きてヨハネに諌められければ、
20諸の惡事に今一を加へてヨハネを監獄に閉籠めたりき。
21人民擧りて洗せらるる時、イエズスも洗せられて祈り給ふに、天開け、
22聖靈形に顯れて、鴿の如くイエズスの上に降り給ひ、又天より聲して、汝は我愛子なり、我汝によりて心を安んぜり、と曰へり。
23イエズス齡凡三十にして[聖役を]始め給ひ、人にはヨセフの子と思はれ居給ひしが、ヨセフの父はヘリ、其父はマタト、
24其父はレヴィ、其父はメルキ、其父はヤンネ、其父はヨゼフ、
25其父はマタチヤ、其父はアモス、其父はナホム、其父はヘスリ、其父はナッゲ、
26其父はマハト、其父はマタチヤ、其父はセメイ、其父はヨゼフ、其父はユダ、
27其父はヨハンナ、其父はレサ、其父はゾロバベル、其父はサラチエル、其父はネリ、
28其父はメルキ、其父はアッヂ、其父はコサン、其父はエルマダン、其父はヘル、
29其父はイエズ、其父はエリエゼル、其父はヨリム、其父はマタト、其父はレヴィ、
30其父はシメオン、其父はユダ、其父はヨセフ、其父はヨナ、其父はエリヤキム、
31其父はメレヤ、其父はメンナ、其父はマタタ、其父はナタン、其父はダヴィド、
32其父はイエッセ、其父はオベド、其父はボオズ、其父はサルモン、其父はナアッソン、
33其父はアミナダブ、其父はアラム、其父はエスロン、其父はファレス、其父はユダ、
34其父はヤコブ、其父はイザアク、其父はアブラハム、其父はタレ、其父はナコル、
35其父はサルグ、其父はラガウ、其父はファレグ、其父はヘベル、其父はサレ、
36其父はカイナン、其父はアルファクサド、其父はセム、其父はノエ、其父はラメク、
37其父はマチュサレ、其父はエノク、其父はヤレド、其父はマラレエル、其父はカイナン、
38其父はヘノス、其父はセト、其父はアダム、其父は神なり。
1イエズス、聖靈に滿ちてヨルダン[河]より歸り、聖靈によりて荒野に導かれ、
2四十日の間[留りて]惡魔に試みられ居給ひしが、此間何をも食し給はず、日數滿ちて飢ゑ給へり。
3惡魔イエズスに向ひ、汝若神の子ならば、此石に命じて麪とならしめよ、と云ひしかば、
4イエズス答へ給ひけるは、錄して「人の活くるは、麪のみに由らず、又神の凡ての言に由る」とあり、と。
5惡魔之を高き山に携へ行き、寸時に世界の國々を示して、
6云ひけるは、我此所有權力と國々の榮華とを汝に與へん。蓋是等のもの我に任せられて、我は我が好む者に之を與ふ。
7故に汝若我前に禮拜せば、是等悉く汝の有と成るべし。
8イエズス答へて曰ひけるは、錄して「汝の神たる主を拜し、是にのみ事へよ」とあり、と。
9惡魔又イエズスをエルサレムに携へ、[神]殿の頂に立たせて云ひけるは、汝若神の子ならば、此處より身を投げよ、
10其は錄して「神其使等に命じて、汝を守らせ給ひ、
11汝の足の石に突當らざる樣、彼等手にて汝を支へん」とあればなり。
12イエズス答へ給ひけるは、錄して「汝の神たる主を試むべからず」とあり、と。
13凡ての試終りて、惡魔一時イエズスを離れたり。
14イエズス[聖]靈の能力によりてガリレアに歸り給ひしに、其名聲全地方に廣まり、
15所々の會堂にて敎へ給ひ、凡ての人に崇められ給ひつつありき。
16然て曾て育てられ給ひしナザレトの地に至り、安息日に當りて例の如く會堂に入り、讀まんとて立ち給ひしに、
17預言者イザヤの書を付され、之を開きて次の如く錄されたる處に見當り給へり。
18「主の靈我上に在せば、我に注油して遣はし給ひ、貧者に福音を宣べしめ、心の碎けたるたる人を醫さしめ、
19虜には免を、瞽者には見ゆる事を告げしめ、壓へられたる人を解きて自由ならしめ、主の喜ばしき年及報の日を告げしめ給ふ」と。
20イエズス書を卷きて役員に還し、然て坐し給ひしかば、堂内の人皆之に注目し居たり。
21イエズス先彼等に向ひて、此書は今日汝等の耳に成就せり、と說出し給ひしかば、
22人皆彼を證明し、其口より出づる麗しき言に驚きて、是ヨゼフの子に非ずや、と云ひければ、
23イエズス彼等に曰ひけるは、汝等必ず我に、醫者自らを醫せとの諺を引きて、汝がカファルナウムにて爲せりと我等の聞ける程の事を、己が故鄕なる此處にも爲せ、と云はん、と。
24又曰ひけるは、我誠に汝等に告ぐ、預言者にして、其故鄕に歡迎せらるる者はあらず。
25我誠に汝等に告ぐ、エリアの時、三年六箇月の間、天閉ぢて全地上に大飢饉ありしに、イスラエルの中に多くの寡婦ありしかど、
26エリアは其中の一人にも遣はされず、唯シドンのサレプタの一人の寡婦にのみ遣はされたり、
27又預言者エリゼオの時、イスラエルの中に多くの癩病者ありしかど、シリア人ナアマンの外は、其中一人も潔くせられざりき、と。
28堂内の人々之を聞きて、皆怒に堪へず、
29起ちてイエズスを町より逐出し、其町の立てる山の斷崖に連行き、投落さんとせしかども、
30イエズスは彼等の中を通りて步み居給へり。
31斯てガリレアの町なるカファルナウムに下り、安息日每に敎へ給ひけるに、
32其語り給ふ所權威を帶びたるにより、人々其敎に驚き居たり。
33茲に會堂の内に汚鬼に憑かれたる人ありて、聲高く叫びて云ひけるは、
34ナザレトのイエズスよ、我等を措け、我等と汝と何の關係かあらん。我等を亡さんとて來り給へるか。我汝の誰なるかを知れり、卽神の聖なる者なり、と。
35イエズス之を責めて、默せよ、此人より出でよ、と曰ひしかば、惡鬼其人を中央に投倒し、少しも害を加へずして彼より出でたり。
36是に於て人々大に驚き怖れ、是は何事ぞ、彼權威と能力とを以て汚鬼等に命じ給へば、卽ち出づるよ、と語合ひ、
37イエズスの名聲、彼地方到處に廣まり行きたり。
38イエズス會堂を立出でて、シモンの家に入り給ひしに、シモンの姑重き熱を煩ひ居りしを、
39人々彼の爲に願ひければ、イエズス其傍に立ちて熱に命じ給ふや、熱去りて、彼直に起きて彼等に給仕したり。
40日没りて後、種々の患者を有てる人々、皆之をイエズスの許に連來りければ、一々按手して之を醫し居給へり。
41又惡魔多くの人より出でて、叫びつつ、汝は神の子なり、と云ひければ、イエズス之を誡めて、言ふ事を許し給はざりき、蓋惡魔は其キリストたる事を知ればなり。
42夜明けて後、イエズス出でて寂しき處に往き給ひしに、群衆尋ねて其許に至り、己等を離れざらしめんとて引止めければ、
43イエズス彼等に曰ひけるは、我は又他の町にも神の國の福音を宣傳へざるべからず、我は是が爲に遣はされたればなり、と。
44斯てガリレアの諸會堂にて說敎しつつ居給へり。
1然て群衆神の御言を聞かんとて押迫りければ、イエズスゲネザレトの湖の邊に立ち給へるに、
2二艘の船の岸に繫れるを見給へり。漁師は既に下りて、網を洗ひ居りしが、
3イエズス、シモンの船なる一艘に乘り、請ひて少しく岸を離れしめ、坐して船中より群衆に敎へ居給ひき。
4語終へ給ひて、シモンに向ひ、沖に乘出し網を下して漁れ、と曰ひしかば、
5シモン答へて云ひけるは、師よ、我等終夜働きて何をも獲ざりき、然れど仰せによりて我は網を下さん、とて、
6其如く爲したるに、取籠めたる魚甚だ多く、網將に裂けんとしければ、
7來り扶けしめんとて、他の船なる仲間を麾きしかば、彼等來りて二艘の船に魚を滿載し、殆沈まんばかりになれり。
8シモン、ペトロ之を見て、イエズスの足下に平伏し、主よ、我は罪人なれば、我より遠ざかり給へ、と云へり。
9其は、彼も共に居る者も皆、漁りたる魚の夥しきに驚きたればなり。
10シモンの友なる、ゼベデオの子ヤコボとヨハネとも亦其中に在りき。斯てイエズス、シモンに向ひ、懼るること勿れ、汝今より人を生捕る者とならん、と曰ひしかば、
11彼等船を岸に寄せ、一切を措きてイエズスに從へり。
12イエズス或町に居給へる時、全身に癩を病める人ありて、イエズスを見るよ、平伏して願ひ、主よ、思召ならば我を潔くすることを得給ふ、と云ひしに、
13イエズス、手を伸べて之に觸れ給ひ、我意なり潔くなれ、と曰ふや、癩直に其身を去れり。
14イエズス之を誰にも語らざるよう誡めて、然て、[曰ひけるは]但往きて己を司祭に見せ、潔くなりたる爲に、彼等への證據として、モイゼの命ぜし如く獻物を爲せ、と。
15然るにイエズスの名聲益廣がりて、群衆夥しく是に聞き、且病を醫されんとて、集ひ來りければ、
16荒野に避けて祈り居給へり。
17一日イエズス坐して敎へ給ひけるに、ガリレア、ユデアの凡ての村落、及びエルザレムより來りしファリザイ人、律法學士等も坐し居たりしが、主の能力人を醫す爲に現れつつありき。
18折しも人々、癱瘋を病める人を床にて舁來り、内に入れてイエズスの御前に置んと力むれども、
19群衆の爲に入るべき路を得ず、屋上に昇り瓦を剥ぎて、其人を床の儘、イエズスの御前に眞中に吊下せり。
20イエズス、彼等の信仰を見て。人よ、汝の罪赦さる、と曰ひしかば、
21律法學士ファリザイ人等考始めて、云ひけるは、此冒涜の言を出すは誰ぞ。神獨りの外、誰か罪を赦すことを得んや、と。
22イエズス彼等の思ふ所を知り、答へて曰ひけるは、汝等心に何を考ふるぞ。
23汝の罪赦さると云ふと、起きて步めと云ふと、孰か易き。
24然て人の子地に於て罪を赦すの權ある事を汝等に知らしめん、とて癱瘋の人に向ひ、我汝に命ず、起きよ、床を取りて己が家に歸れ、と曰ひしかば、
25其人直に彼等の前に起上り、己が臥居たりし床を取りて、神に光榮を歸しつつ、家に歸りしが。
26人皆驚入りて、神に光榮を歸し奉り、又懼れ畏みて、我等今日眞に不思議なる事を見たり、と云ひ居たり。
27其後イエズス出でて、レヴィと名くる稅吏が收稅署に坐せるを見て、我に從へ、と曰ひしかば、
28彼一切を措き、起ちて從へり。
29斯てレヴィ自宅に於てイエズスの爲に大なる饗筵を設けしに、稅吏など夥しく彼等と席を同じうしければ、
30ファリザイ人及び其徒なる律法學士等呟きて、イエズスの弟子等に向ひ、汝等は何故に稅吏罪人と飲食を共にするぞ、と云ひけるに、
31イエズス答へて曰ひけるは、醫者を要するは、壯健なる人に非ずして病める人なり、
32我が來りしは義人を招ぶ爲に非ず、罪人を招びて改心せしめん爲なり、と。
33彼等イエズスに云ひけるは、ヨハネの弟子等は數次斷食し又祈祷し、ファリザイ人のも亦然するに、汝の者等は何故に飲食するぞ、と。
34イエズス彼等に曰ひけるは、汝等豈新郞の朋友をして、其新郞と共に居る間に斷食せしむるを得んや。
35然れど新郞彼等より奪はるる日來るべく、其日には斷食すべし、と。
36イエズス又彼等に喩を語り給ひけるは、新しき衣服を裂取りて、古き衣服に補ぐ人はあらず、若然する時は、新しき物を破り、且新しき衣服より取れる布片は古き物に似合はず。
37又新しき酒を古き皮嚢に盛る人はあらず、若然せば、新しき酒は古き皮嚢を裂き、且流出でて皮嚢も亦廢らん。
38新しき酒は新しき皮嚢に盛るべく、然てこそ兩ながら保つなれ。
39又古き酒を飲みながら直に新しき酒を望む人はあらず、誰も古きを善しと云へばなり、と。
1過越祭の二日目の後、初の安息日に、イエズス麥畑を過り給ふ時、弟子等穗を摘み、手に揉みて食しければ、
2ファリザイの或人々彼等に云ひけるは、何ぞ安息日に爲すべからざる事を爲せるや。
3イエズス答へて曰ひけるは、ダヴィドが己及伴へる人々の飢ゑし時爲しし事を、汝等讀まざりしか。
4卽彼神の家に入り、司祭等の外は食すべからざる供の麪を取りて食し、伴へる人々にも與へしなり、と。
5又彼等に曰ひけるは、人の子は亦安息日の主たるなり、と。
6又他の安息日に當り、イエズス會堂に入りて敎へ給へるに、右の手萎えたる人其處に居りければ、
7律法學士、ファリザイ人等、イエズスを訟ふる廉を見出さん爲に、彼安息日に醫すやと窺ひ居りしが、
8イエズス其心を知りて、手萎えたる人に、起きて眞中に立て、と曰ひければ、彼起きて立てり。
9イエズス彼等に向ひ、我汝等に問はん、安息日に許さるるは善を爲す事か、惡を爲す事か、生命を救ふ事か、之を亡ぼす事か、と曰ひて、
10一同を見廻らし給ひ、彼人に、手を伸べよ、と曰ひしかば、彼伸べて其手痊えたり。
11然るに彼等が愚を極めたるや、如何にしてイエズスを處分せんかと語合ひ居たり。
12其頃イエズス祈らんとて山に登り、終夜祈祷し居給ひしが、
13天明に至りて弟子等を招び、其中より十二人を選みて、更に之を使徒と名け給へり。
14卽ちペトロと名け給へるシモンと其兄弟アンデレア、ヤコボとヨハネ、フィリッポとバルトロメオ、
15マテオとトマ、アルフェオの子ヤコボとゼロテと云へるシモン、
16ヤコボの兄弟ユダと謀叛人となりしイスカリオテのユダとなり。
17イエズス、是等と共に下りて平かなる處に立ち給ひしが、弟子の一群と共に又夥しき群衆あり。是イエズスに聽き且病を醫されんとて、ユデアの全地方、エルザレム及びチロとシドンとの湖邊より來れるものなり。
18斯て汚鬼に惱まさるる人々醫され、
19群衆皆イエズスに觸れんと力め居たり、其は靈能彼の身より出でて、凡ての人を醫せばなり。
20イエズス弟子等の方に目を翹げて曰ひけるは、福なる哉汝等貧しき人、其は神の國は汝等の有なればなり。
21福なる哉汝等今飢うる人、其は飽かさるべければなり。福なる哉汝等今泣く人、其は笑ふべければなり。
22福なる哉汝等、人の子の爲に憎まれ、遠ざけられ、罵られ、其名は惡しとして排斥せらるる時、
23其日には歡び躍れ、其は汝等の報天に於て大いなればなり。卽ち彼等の先祖は預言者等に斯く爲したりき。
24然れども、汝等富める人は禍なる哉、其は今己が慰を有すればなり。
25汝等飽足れる人は禍なる哉、其は飢うべければなり。汝等今笑ふ人は禍なる哉、其は嘆き且泣くべければなり。
26汝等人々に祝せらるる時は禍なる哉、卽ち彼等の先祖は僞預言者等に斯く爲したりき。
27然れば我、聽聞する汝等に告ぐ、汝等の敵を愛し、汝等を憎む人を惠み、
28汝等を詛ふ人を祝し、汝等を讒する人の爲に祈れ、
29人汝の頰を打たば、是に他の頰をも向けよ。又汝の上衣を奪ふ人には、下衣をも拒むこと勿れ。
30總て汝に求むる人に與へよ、又汝の物を奪ふ人より取戾すこと勿れ。
31汝等が人に爲られんと欲する所を、汝等も其儘人に行へ、
32己を愛する人を愛すればとて、汝等に何の酬かあらん、蓋罪人も猶己を愛する人を愛するなり。
33又汝等に惠む人を惠めばとて、汝等に何の酬かあらん、蓋罪人も猶之を爲すなり。
34又受くる所あらんことを期して人に貸せばとて、汝等に何の酬かあらん、蓋罪人も猶均しき物を受けんとて、罪人に貸すなり。
35然れど汝等は己が敵を愛し、又報を望まずして貸し、且惠め、然らば汝等の報大いにして、最高き者の子たるべし、其は恩を知らざる者、惡き者の上にも仁慈に在せばなり。
36然れば汝等も亦慈悲あること、汝等の父の慈悲に在す如くなれ。
37人を是非すること勿れ、然らば汝等も是非せられじ。人を罪すること勿れ、然らば汝等も罪せられじ。宥せ、然らば汝等も宥されん。
38與へよ、然らば汝等も與へられん。卽ち量を善くし、壓入れ、搖入れ、溢るる迄にして、汝等の懷に入れられん。其は己が量りたる所の量にて、己も亦量らるべければなり、と。
39然てイエズス喩を彼等に語り給ひけるは、瞽者は瞽者を導き得るか、二人ながら坑に陷るに非ずや。
40弟子は師に優らず、誰にもあれ、己が師の如くならば完全なるべし。
41汝何ぞ兄弟の目に塵を見詰めて、己が目に在る梁を省みざる、
42又己が目の梁を見ずして、爭でか兄弟に向ひて、兄弟よ、我をして汝の目より塵を除かしめよ、と言ふを得んや。僞善者よ、先己が目より梁を除け、然らば目明にして、兄弟の目より塵を除くを得べし。
43惡き果を結ぶは善き樹に非ず、又善き果を結ぶは惡き樹に非ず、
44卽ち樹は各其果によりて知らる。茨より無花果を採らず、藪覆盆子より葡萄を取らざるなり。
45善き人は其心の善き庫より善き物を出し、惡き人は惡き庫より惡き物を出す。口に語るは心に溢れたる所より出づればなり。
46汝等、主よ主よ、と呼びつつ、我が言ふ事を行はざるは何ぞや。
47總て我に來りて、我言を聞き且行ふ人の誰に似たるかを汝等に示さん。
48卽ち彼は家を建つるに地を深く掘りて基礎を岩の上に据ゑたる人の如し。洪水起りて激流其家を衝けども、之を動かす能はず、其は岩の上に基したればなり。
49然れど聞きて行はざる人は、基礎なくして土の上に家を建てたる人の如し、激流之を衝けば、直に倒れて其家の壞甚し、と。