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マーヘヴナのクフーリン

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         マーヘヴナのクフーリン


                                レ イ デ イ・グ レ ゴ リ


 むかしむかしネスの息子のコナチユーアと云ふアルスターの王様はエメン・マーハと云ふ御殿で政治せいぢをとつて

居りました。これからコナチユーアが王様になつた次第を御話しするのです。コナチユーアのまだ子供の時分に

お父さんが死にましたが、其時アルスターの王様だつた、ローの息子のファーガスと云ふ人がコナチユーアのお

母さんのネスに結婚けつこんを申込みました。

 昔は愛蘭中で一等しとやかな、親切な女として名高かつたネスもこの頃には不親切ふしんせつな、裏切うらぎりをするやうな悪い人間ひと

なつてゐました。これは他の者がネスに對して不都合なことをしたからでありました。そこでネスは自分の息子

にファーガスの國を取つてやらうと思ひました。ネスはファーガスに云ひました、「一年の間コナチユーアに王國

たせてやつて下さい、コナチユーアの子供達が親が死んだあと王子と云はれますから。これが私があなたにの

ぞむ結納ゆひなうです。」

 アルスターの人は「コナチユーアが名義めいぎ上王様と云ふことになつても始終しじう吾々をお治めになるのはあなたです

から、さうなつたとて差支さしつかへはありません。」と申しましたので、王様のファーガスはネスの申出を承諾してネスを

きさきむかへ、ネスの息子のコナチユーアを自分の代りに王様にしました。

 ところが、ネスは息子に王國を乘取のつとらせようと思つて一年中骨を折りました。そしてアルスターのえらい人逹に

立派な贈物おくりものをして自分の味方になるやうにしました。コナチユーアはその頃ほんの子供ではありましたが、物分

りがよく、戰爭いくさに出ては勇ましく働き、風采ふうさいもいゝと云ふので、多くの人に大へん好かれました。その年の末に

ファーガスが又王様にならうとしましたが、皆が相談さうだんしてやはりコナチユーアを王様にしておくことに定まりま

した。そして皆かう云ひました、『ファーガスはすぐ一年の間人に政治をとらせる位だから、吾々の利益ためを思つて

はゐないのだ。コナチユーアを王樣にして、ファーガスには今めとつた妃を有たしておけば澤山だ』

 ある日コナチユーアが妹のデクタイアとロイグの息子のサルチムとの結婚を祝ふ爲めに、エメンマーハで宴會えんくわい

を致しました。そのときデクタイアはのどかわいて葡萄酒をコツプに一杯貫ひました。それを飲んでみるとはいが一

匹コツプの中に飛び込みましたが、 デクタイアはそれとは知らずにその蠅を葡萄酒と一緒に飲み込みました。

デクタイアはやがて五十人の侍女達こしもとたちと共に立派な居間に引取つてぐつすり寝込みましたが、寝てゐる間に光の神

が現はれて、『コツプに飛び込んだ蠅は自分であるぞ、お前は私と一緒に今他所よそへ行かねばならん。お前の五十人

侍女達こしもとたちもお前と一緒に行かねばならん。』と云ひました。そして光の神はみんなを鳥の姿に變へて了ひました。皆は

光の神と一緒に南へ〳〵と飛んで行き、とう〳〵シイの住んであるブルーナ・ボインへ參りました。そしてエメ

ン・マーハの者は誰も皆の消息せうそくはさつぱり分らず、何處に行つたのかどうなつたのか知りませんでした。

 それから一年程經つて又宴會があつてコナチユーアや重立つた人達が宴席に出たことがありましたが、其時皆

は澤山の鳥が地面に下りて草の薬を一枚も殘さず食ひ盡すのを窓越しまどごしに見たのでした。


 アルスターの人々は島が何もかも食ひ荒してみるのを見て當惑たうわくしました。そして九つの戰車せんしやを引き出して鳥を

追ひ拂ひました。コナチユーアも自分の戰車に乘つて出かけ、續いてローの息子のファーガスや、荒武者のリゲ

イア・バーダクや、ウイゼカの息子のケルトヘアの面々、其他多勢の者が出て行きました。又口の惡いブリック

リューも一緒に出て行きました。

 みんなはフュアードの山を越え、アス・レザンや、ファー・ロイスとファー・アーディの間にあるアス・ガラクや、マ

ー・ゴッサを通つて南へ〳〵と鳥を追つて行きましたが、いくら行つてもその鳥に追ひ付くことは出來ませんで

した。その鳥は誰も見たことのない美しい島で、九つのむれに分れて居りました。その一群は四羽で二羽づゝ分

れ、その間が銀のくさりでつないでありました。各の群の前には色の違ふ二羽の鳥がをつて、金の鎖でつながれて居

りました。又別れて飛んでゐる三羽の鳥がをりました。これ等の鳥は國境まで戰車に追はれて飛んで行きました

が、とう〳〵日が暮れて見えなくなりました。

 日が暮れてあたりがくらくなつた時、コナチユーアは部下の者に『もう戰車をとゞめて何處かとまる處をさがすがい

ゝ。』と云ひました。

 そこでファーガスは泊る處をさがしに行きました。ファーガスは見すぼらしい、小さい家を見付けました。その

家には男が一人、女が一人をりましたが、ファーガスを見て、『あなたのつれの方を連れてお出でなさい、お泊め致し

ます。』と云ひました。ファーガスは連の者のところへかへつて來て、その話をしました。しかしブリックリュー

は『部屋もない食べ物もない、屋根もない、そんな家に行くには及ばん。そんな處に行つたつて仕方がないぢや

ないか』と云ひました。

 そこでブリックリューが自分でその家へ行つて見ました。ところがそれは立派な新築の家で、あかりもついてゐまし

た。そして武装ぶさうをした丈の高い美しい靑年わかものがゐて、かう云ひました、『內にお這入りなさいブリックリュー殿、なぜ

そんなにあたりを見廻しておいでですか。』その靑年のそば側にはちゞれ毛の立派な女が居りました。その女は『貴方

は是非私がお泊め致します。』と云ひました。『どうしてあの女が自分を泊めると云ふのかしら。』とブリックリューは

云ひました。すると靑年が『私があなたをお泊めするのはあの女の爲めなのです。エメンでゐなくなつた者は

ありませんか。』と云ひました。『たしかにゐなくなつた者があります。私達はこの一年の間に五十人の娘をくしま

した。』とブリックリューは云ひました。『その娘達を御覚になれば、わかりますか。』と靑年は云ひました。『一年の間

に見違へる程變つてゐさへしなければ分ります。』とブリックリューは云ひました。『分るかどうか御覧下さい、その

五十人の娘はこの家にをりますから。で、私の側にゐるこの女は妻のデックタイアと云ふ者です。あなたをここ

に連れて來る爲めに、エメン・マーハに行つた娘達が鳥の姿に變へられたのです。』さう云つてデックタイアはブ

リックリューに黄金きん縁取へりとりをした紫色の外套ぐわいとうをやりました。ブリックリューは自分の連を見付けにかへりました。し

かしブリックリューは歸る途中かう思ひました。『コナチユーアは五十人の娘と妹を見付けたなら、大へんない

ゝものを褒美ほうびに呉れるだらう。自分がそれを見付けたことをコナチユーアには知らすまい。美しい婦人のをる家

を見付けたこと丈け知らせよう、その他のことは何も云ふまい。』

 コナチユーアはブリックリューに會つた時、『ブリックリュー、どんな様子だつたか。』と尋ねました。そこでブリッ


クリューはかう云ひました、『私は一軒の立派な、かんかんあかりのついてる家に參りました。私は一人の女王にあひ

ました。その女王は氣品きひんがあり、親切しんせつで、如何にも女王らしい風采ふうさいで、毛髪かみのけがちゞれてゐました。その婦人ひとのと

ころに立派な服装なりをした澤山の美人が居りました。また私はせいの高い、深切な、その家の主人にもあひました。』

するとコナチユーアは『今夜はそこへとまりに行かう。』と云ひました。そしてコナチユーアは馬をつれ戰車と武器ぶき

を持つて行きました。そして家に入るとすぐ、いろ〳〵の食べ物や飲み物をコナチユーア達に出してくれまし

た。その晩は皆大へん愉快に過しました。そして皆が食事をし終へようとした時、コナチユーアは靑年に對つて

かう云ひました、『奥さんはここにお見えになりませんが、何處へお出でになりました。』『あなたは今夜妻にお會

ひになることは出來ません、妻はお產で苦しんでゐますから。』と靑年は答へました。

 さてその晚は皆そこに休みました。そして次の朝コナチユーアは一番早く起きましたが、主人の姿は見えませ

んでした。そして赤ん坊の泣聲がしてゐました。そこでコナチユーアは赤ん坊の泣聲のする部屋へ行つて見まし

た。そこにはデックタイアがをるのでした。そしてそのぐるりに例の娘達がをり、その側に赤ん坊がをりました。

そしてデックタイアはコナチユーアによくおいで下さつたと云ひました。そして自分の身の上に起つたことを一

部始終コナチユーアにして聞かせました。またデックタイアとデックタイアの子をエメン・マーハに連れ歸つて

貰う爲めにデックタイアがコナチユーアをそこへ呼んだのだと云つて聞かせました。そこでコナテューアは云ひ

ました、『あなたは私に深切にしてくれました。デックタイアさん、あなたは私と私の戰車を家に入れ、私の馬が寒

ひ目をしないやうにしてくれました。また私と私の部下に食べ物をくれて下すつた。そして今このいいものをく

れて下すつた、妹のフイン・チョームにその子を育てさせませう。』そこでアルスターの裁判長さいばんちやうであり、第一流の詩

人であるアイレルの息子のセンチャはかう云ひました、『いやその子を育て上げるのはあの人ではいけません、私

が育てます。私は器用きやうです。喧嘩けんくわも上手、物覺ものおぼえもよろしい。私は何人の前でも話します、王様の前でも話しま

す。私は王様の云はれることも氣を付けて聞いてゐます。私は王様達の爭も裁判いたします。私はアルスターの

人の裁判官であります。コナチユーア様以外私の要求えうきうに對してとやかく云ふことの出來るものはありません。』

食事がゝりのブレイは云ひました、『若し私にその子を育てさして下さるなら、精々せい〴〵氣をつけて、大事に育て上げ、

こまらせるやうな事は致しません。コナチユーア様の御滿足なさるやうに致します。私は愛蘭全國アイルランドの軍人を呼び出

すことが出來ます。又その軍人達に一週間か十日間位も、食物たべものをやつてやることも出來ます。私は戦争や軍人達

の爭を落着らくちやくさせることも出來ます。私は軍人の體面たいめんを保たしてやることも出來るし、軍人の受けた侮辱ぶじよくに對して

名譽回復めいよくわいふくみちを講じてやることも出來ます。』

 『あなたは御自分をあまりにえらい者と思つておいでだ。その子を育てるのは私です。私は力も強いし、色々物

も知つてるます。私は王様の勅使ちよくしです。名譽と云ひ、財産ざいさんと云ひ、誰も私と肩並べることは出來ません。私は

戰爭も出來るし、又立派な職人しよくにんでもあります。私はその子を育て上げるにふさはしい者です。私は誰でも不幸な

人をかばつてたすけてやり、強い者は私を恐れて居ります。私はまた弱い者を助けてやります。』とファーガスは云

ひました。

 『最後に私の云ふことをお聽きになると皆さんはだまつてしまはれるでせう。私はその子を王様らしく育て上げ


ることが出來ます。皆は私の名譽や、剛勇ごうゆうや、智慧ちえやをほめます。また私の運のいゝことや、年の若いことや、

話ぶりや、名聲や、勇氣や、家系のいゝことやをほめます。私は軍人でありますが詩人でもあります。私は王樣

に可愛がられる男だと思ひます。私は戰車に乘つていくさをするのが誰よりも上手です。私はコナチユーア樣以外の

人には恩を受けて居りません。 私は王様以外の人の云ひ付けには從ひません。』とアマージンは云ひました。

 そこでセンチャはかう云ひました、『私達がエメンに行くまでその子をフィンチョームに育てさせたらいゝでせ

う。エメンに着いたら裁判官のモランが何とか定めて呉れませう。』

 そこでフィンチョームがその子を連れ、アルスターの人達はエメンに向つて出發しました。そして皆がエメンに

着くとモランはコナチユーアが一番近い親類しんるいだから、その子にいゝ名をつけるのがよろしい、センチャに言葉や

話方を敎へさせ、ファーガスにその子を抱かせるがよろしい、そしてアマージンを家庭教師にするがいいと云ひ

ました。そしてモランは又かう云ひました、『その子は戰車の禦者ぎよしやにも、軍人にも、王樣にも、賢人達にも誰にも

彼にもほめられる人になります。その子は多くの人に愛されます。危害きがいを加へる者があれば復讐ふくしふをしますでせ

う、渡場を守り、あなたのいくさに出てはたらきます。』

 そこでモランの云ふ通りにしました。そしてその子は分別の出來るまで母のデックタイアとその夫のスアルチ

ムのところにおいて育てました。皆はその子をマーヘヴナの野で育て上げました。そしてその子はスアルチムの

息子セタンタと云ふ名で通つてゐました。

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