パリからの手紙

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 パリ、1844年1月2日。――フランスの政治的生活における水銀はこの瞬間に、あなたの温度計における水銀のように、凝固点を指しています。もっともまったく順調なのは、議会が開かれるからですが。諸革命はここでは周知のように夏にしかできず、諸法は冬にしか作られません。全ては最上の状態にあり、国は幸せであり、世界平和は保たれている、と言わせておくために、二、三日前に諸議会が再度共同召集されました。不幸にも、人が別の状態、別の幸運を夢見て、そしてそれゆえ国民の称賛された裕福で我慢しようとはまったく思わなかったあの時代を、下院における最高齢の老人はまだ思い出していました。しかし、この裕福の代表がラフィットの抗議に対して抗議し、そしてそのようにドイツ哲学のよく知られた弁証法的方法に従って、すなわち否定の否定を通じて、全てが老人のもとにとどまりました。

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