そぞろごと

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動


ふりがな付き版[編集]

 ○

山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。

 ○

一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。

 ○

額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。

 ○

われは愛(め)ず。新しき薄手(うすで)の玻璃(はり)の鉢を。
水もこれに湛ふれば涙と流れ。
花もこれに投げ入るれば火とぞ燃ゆる。
愁ふるは、若し粗忽(そこつ)なる男の手に碎(くだ)け去らば。――
素焼の土器(どき)より更に脆く、かよわく。

 ○

青く、且つ白く、
剃刀の刃のこころよきかな。
暑(あつ)き草いきれにきりぎりす啼き、
ハモニカを近所の下宿に吹くは懶(ものう)けれども。
わが油じみし櫛笥(くしげ)の底をかき探れば、
陸奥紙(みちのくがみ)に包まれし細身の剃刀こそ出づるなれ。

 ○

にがきか、からきか、煙草の味は。
煙草の味は云ひがたし、
甘(あま)しと云はば、かの粗忽者(そこつもの)
砂糖の如く甘しとや思はん。
われは近頃煙草を喫(の)み習へど、
喫むことを人に秘めぬ。
蔭口に男に似ると云はるるもよし。
唯おそる。かの粗忽者こそいと多(さわ)なれ。

 ○

「鞭を忘るな」と
ツアラツストラは云ひけり。
女こそ牛なれ、また羊なれ。
附け足して我は云はまし。
「野に放てよ。」

 ○

わが祖母(そぼ)の母はわが知らぬ人なれど、
すべてに華奢(かしゃ)を好みしとよ
水晶の数珠にも倦(あ)き、珊瑚の数珠にも倦き、
この青玉(せいぎょく)の数珠を爪繰(つまぐ)りしとよ。
我はこの青玉の数珠を解(ほぐ)して、
貧しさに与ふべき玩具(おもちゃ)なきまま、
一つ一つ児等(こら)の手に置くなり。

 ○

わが歌の短ければ
言葉を省(はぶ)くと人おもえり
わが歌に省くべきもの無かりき。
また何を附け足さん。
わが心は魚ならねば鰓(えら)を有(も)たず、
ただ一息(ひといき)にこそ歌ふなれ。

 ○

すいつちよよ、すいつちよよ。
初秋(はつあき)の小(ちいさ)き篳篥(ひちりな)を吹くすいつちよよ。
蚊帳(かや)にとまれるすいつちよよ。
汝(な)が声に青き蚊帳は更に青し。
すいつちよよ、なぜに声をば途切(とぎら)すぞ。
初秋(はつあき)の夜の蚊帳は水銀(みずがね)の如く冷(つめた)きを、
ついつちよよ、すいつちよ。

 ○

油蝉のじじ、じじと啼くは、
アルボオス石鹸(しゃぼん)の泡なり、
慳貪(けんどん)なる男(おとこ)の方形(ほうけい)に開(ひら)く大口(おおぐち)なり、
手握(てづか)みの二錢銅貨なり、
近頃の芸術の批評なり、
誇りかに語るかの若き人等の恋なり

 ○

夏の夜のどしや降(ぶり)の雨、
わが家は泥田の底となるらん。
柱みな草の如く撓み、
そを伝(つた)ふ雨漏(あまもり)の水は蛇の如し。
寝汗(ねあせ)の香、かなしさよ。よわき子の歯ぎしり。
青き蚊帳は蛙(かえる)の如く脹(ふく)れ、
肩なる髪は鹿子菜(ひるむしろ)の如く戦(そよ)ぐ。
この中(なか)に青白きわが顔こそ。
芥(あくた)に流れて寄れる月見草なれ。

ふりがななし版[編集]

 ○

山の動く日来る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女今ぞ目覚めて動くなる。

 ○

一人称にてのみ物書かばや。
われは女ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。

 ○

額にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏るらん。

 ○

われは愛ず。新しき薄手の玻璃の鉢を。
水もこれに湛ふれば涙と流れ。
花もこれに投げ入るれば火とぞ燃ゆる。
愁ふるは、若し粗忽なる男の手に碎け去らば。――
素焼の土器より更に脆く、かよわく。

 ○

青く、且つ白く、
剃刀の刃のこころよきかな。
暑き草いきれにきりぎりす啼き、
ハモニカを近所の下宿に吹くは懶けれども。
わが油じみし櫛笥の底をかき探れば、
陸奥紙に包まれし細身の剃刀こそ出づるなれ。

 ○

にがきか、からきか、煙草の味は。
煙草の味は云ひがたし、
甘しと云はば、かの粗忽者
砂糖の如く甘しとや思はん。
われは近頃煙草を喫み習へど、
喫むことを人に秘めぬ。
蔭口に男に似ると云はるるもよし。
唯おそる。かの粗忽者こそいと多なれ。

 ○

「鞭を忘るな」と
ツアラツストラは云ひけり。
女こそ牛なれ、また羊なれ。
附け足して我は云はまし。
「野に放てよ。」

 ○

わが祖母の母はわが知らぬ人なれど、
すべてに華奢を好みしとよ
水晶の数珠にも倦き、珊瑚の数珠にも倦き、
この青玉の数珠を爪繰りしとよ。
我はこの青玉の数珠を解して、
貧しさに与ふべき玩具なきまま、
一つ一つ児等の手に置くなり。

 ○

わが歌の短ければ
言葉を省くと人おもえり
わが歌に省くべきもの無かりき。
また何を附け足さん。
わが心は魚ならねば鰓を有たず、
ただ一息にこそ歌ふなれ。

 ○

すいつちよよ、すいつちよよ。
初秋の小き篳篥を吹くすいつちよよ。
蚊帳にとまれるすいつちよよ。
汝が声に青き蚊帳は更に青し。
すいつちよよ、なぜに声をば途切すぞ。
初秋の夜の蚊帳は水銀の如く冷きを、
ついつちよよ、すいつちよ。

 ○

油蝉のじじ、じじと啼くは、
アルボオス石鹸の泡なり、
慳貪なる男の方形に開く大口なり、
手握みの二錢銅貨なり、
近頃の芸術の批評なり、
誇りかに語るかの若き人等の恋なり

 ○

夏の夜のどしや降の雨、
わが家は泥田の底となるらん。
柱みな草の如く撓み、
そを伝ふ雨漏の水は蛇の如し。
寝汗の香、かなしさよ。よわき子の歯ぎしり。
青き蚊帳は蛙の如く脹れ、
肩なる髪は鹿子菜の如く戦ぐ。
この中に青白きわが顔こそ。
芥に流れて寄れる月見草なれ。

このファイルについて[編集]

  • 底本: 小林富美枝『『青鞜』セレクション 「新しい女」の誕生』人文書院、1987年10月30日 初版第一刷発行
  • 初出: 雑誌『青鞜』1911年9月1日創刊号
  • 底本中の表記について
    • 字体、かなづかいを常用漢字・新かなづかいに改めた。
    • 副詞・接続詞・代名詞に使われている一部の漢字をかなにした。
    • 送りがなや句読点を整理し、誤記・誤植・脱字を補った。
    • 新たにふりがなをつけている。
  • 本項の表記について
    • 底本には、その説明に反し、なお旧字が使われていたため(例: 「青」の旧字など)、それらはすべて新字に改めた。
Wikiquote