こがね丸

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少年文学序

 奇獄小説に読む人の胸のみいためむとする世に、一巻のおさな物語を著す。これも人まねせぬ一流のこころなるべし。ヨーロッパの穉物語も多くはペルシアおうむさっしより伝はり、その本源は印度の古文にありといへば、東洋は実にこの可愛らしき詩形の家元なり。あはれ、ここに染出す新のれん、本家再興の大望を達して、子々孫々までも巻をかさねて栄へよかしといのるものは、

ほんごうせんだぎちょう
おうがい漁史なり

〈[#改ページ]〉


凡例


一 この書題して「少年文学」といへるは、少年用文学との意味にて、ドイツ語の Jugendschrift (juvenile literature) より来れるなれど、我邦に適当の熟語なければ、仮にかくは名付けつ。鴎外兄がいはゆる穉物語も、同じ心なるべしと思ふ。
一 されば文章に修飾をつとめず、趣向に新奇をもとめず、ひたすら少年の読みやすからんを願ふてわざと例の言文一致も廃しつ。時に五七の句調など用ひて、趣向も文章もあっぱれ時代ぶりたれど、これかへつて少年には、しょうしやすく解しやすからんか。
一 作者この『こがね丸』を編むに当りて、彼のゲーテーの Reineke Fuchs(狐の裁判)その他グリム、アンデルゼン等の Maerchen(奇異談)また我邦には桃太郎かちかち山を初めとし、古きは『こんじゃく物語』、『うじしゅうい』などより、天明ぶりのきびょうし類など、種々思ひ出して、立案の助けとなせしが。されば引用書として、名記するほどにもあらず。
一 ちとてまえみそに似たれど、かかる種の物語現代の文学界には、先づけうのものなるべく、いばりていへば一の新現象なり。されば大方の詞友諸君、たといわが作取るに足らずとも、この後諸先輩の続々討て出で賜ふなれば、とかくこの少年文学といふものにつきて、充分あげつらひ賜ひてよト、これもあらかじめ願ふて置く。
一 詞友われをもくして文壇の少年家といふ、そはわがものしたる小説の、多く少年を主人公にしたればなるべし。さるにこの度また少年文学の前坐を務む、思へば争はれぬものなりかし。

かのえとらろうげつ。もう八ツ寝るとお正月といふ日

昔桜亭において  さざなみさんじんしるす

〈[#改丁]〉


上巻


第一回[編集]

 むかしみやまの奥に、一匹の虎住みけり。いくとしつきをや経たりけん、からだよのつねこうしよりもおおきく、まなこは百錬の鏡を欺き、ひげひとつかの針に似て、ひとたびゆれば声さんこくとどろかして、こずえの鳥も落ちなんばかり。一さんさいろうびろくおそれ従はぬものとてなかりしかば、虎はますます猛威をたくましうして、自らきんぼう大王と名乗り、あまたけものを眼下にみくだして、一山ばんじゅうの君とはなりけり。

 ころしも一月のはじめかた、春とはいへど名のみにて、きのうからの大雪に、野も山も岩も木も、つめたわたに包まれて、寒風そぞろに堪えがたきに。金眸は朝よりほらこもりて、ひとうずくまりゐる処へ、かねてよりきにいりの、ちょうすいといふふるぎつねそば伝ひに雪踏みわげて、ようやく洞の入口まで来たり。雪を払ひてにじり入り、まづいんぎんに前足をつかへ、「昨日よりの大雪に、そともいずる事もならず、洞にのみ籠り給ひて、さぞかしつれづれにおはしつらん」トいへば。金眸は身を起こして、「とや近く往かんとする時、かれめざとくも僕をみつけて、まっしぐらとんかかるに、不意の事なれば僕はうろたへ、急ぎ元入りし垣の穴より、走り抜けんとする処を、かれわがしりおくわへて引きもどさんとす、われははらって出でんとす。その勢にこれ見そなはせ、尾の先少しみ取られて、痛きことはなはだしく、生れも付かぬ不具にされたり。かくては大切なるこの尻尾も、としよりえりまきにさへ成らねば、いと口惜しく思ひ侍れど。他は犬われは狐、とてもかなはぬ処なれば、あだがえしも思ひとどまりて、うらみのんで過ごせしが。大王、やつがれふびんおぼしめさば、わがためにあだを返してたべ。さきに獲物をまいらせんといひしも、まことはこの事願はんためなり」ト、いと哀れげにうったうれば。金眸はうちうなずき、「憎き犬のふるまいかな。よしよし今にひとつかみ、目に物見せてくれんずほどに、心安く思ふべし」ト、かつ慰めかつ怒り、やがて聴水をさきに立てて、すねにあまる雪を踏み分けつつ、山を越えたにわたり、ほどなく麓に出でけるに、さきに立ちし聴水は立止まり、「大王、かしこに見ゆる森の陰に、今煙のたちのぼる処は、即ちしょうややしきにて候が、大王自ら踏み込み給ふては、いたずらにひとを驚かすのみにて、かたきの犬は逃げんも知れず。これには僕よきはかりごとあり」とて、金眸の耳に口よせ、何やらんささやきしが、また金眸がさきに立ちて、高慢顔にぞ進みける。



第二回[編集]

 ここにこの里のしょうやの家に、つきまるはなせとてふうふの犬ありけり。年頃なさけかけて飼ひけるほどに、よくその恩に感じてや、いともまめやかつかふれば、年久しくぬすびとといふ者はいらず、家はますます栄えけり。

 降り続く大雪に、おばに逢ひたるここちにや、月丸はつまもろともに、奥なる広庭に戯れゐしが。折から裏のくってかかり、おめき叫んでしばしがほどは、力の限りたたかひしが。元より強弱敵しがたく、無残や肉裂け皮破れて、悲鳴のうちに息たえたる。そのなきがらくちくわへ、あと白雪をけたてつつ、虎はほらへと帰り行く。あとには流るるちしおのみ、雪に紅梅の花を散らせり。

 つまの花瀬は最前より、物陰にありてくだんの様子を、残りなくながめゐしが。身はかよわめいぬなり。かつはこのほどより乳房れて、常ならぬ身にしあれば、おっとひごうさいごをば、まのあたり見ながらも、たすくることさへ成りがたく、ひとり心をもだへつつ、いとも哀れなる声張上げて、しきりにえ立つるにぞ、人々漸く聞きつけて、ただごとならずと立出でて見れば。門前の雪八方に蹴散らしたる上に、血おびただしく流れたるが、見ればはるかやまかげに、一匹の大虎が、嘴に咬へて持て行くものこそ、まさしく月丸がなきがらなれば、「さては彼の虎めにはれしか、今一足早かりせば、おめおめかれは殺さじものを」ト、あるじあしずりしてくやめども、さてせんすべもあらざれば、悲しみ狂ふ花瀬をかして、その場は漸くに済ませしが。済まぬは花瀬が胸のうち、その日よりして物狂はしく。あけくれ小屋にのみ入りて、与ふるかてはかばかしくくらはず。怪しき声してなき狂ひ、かどを守ることだにせざれば、物の用にもたたぬなれど、主人は事のおこりを知れば、不憫さいとど増さりつつ、心を籠めて介抱なせど。花瀬は次第にやつるるのみにて、今は肉落ち骨ひいで、はなかしら全くかわきて、この世の犬とも思はれず、頼み少なき身となりけり。かかる折から月満ちけん、にわかに産の気きざしつつ、苦痛の中に産み落せしは、いとも麗はしき茶色毛の、雄犬ただ一匹なるが。背のあたりに金色の毛混りて、たえなる光を放つにぞ、名をばそのままこがねまると呼びぬ。

 さなきだにやみ疲れし上に、みどりごを産み落せし事なれば、今まで張りつめし気の、一時にゆるみ出でて、重き枕いよいよ上らず、あすをも知れぬ命となりしが。いまわきわに、兼てよりこころやすくせし、裏のまきばに飼はれたる、ぼたんといふめうしをば、わが枕ひよせ。苦しき息をほっき、「さて牡丹ぬし。見そなはす如きわらわありさま、とてもながらえる身にしあらねば、臨終の際にただ一ことあねごに頼み置きたきことあり。妾がおっと月丸ぬしは、いぬる日猛虎きんぼうがために、非業の最期を遂げしとは、阿姐も知り給ふ処なるが。かの時妾まのあたり、雄がおうしを見ながらに、これをたすけんともせざりしは、見下げ果てたる不貞の犬よと、思ひし獣もありつらんが。元より犬のつまたる身の、たとひその身はほろぶとも、雄が危急を救ふべきは、いふまでもなき事にして、義を知る獣の本分なれば、妾とて心付かぬにはあらねど、かの時命を惜みしは、妾が常ならぬ身なればなり。もし妾もかしこに出でて、虎と争ひたらんには。雄と共に殺されてん。さる時はたれか仇をば討つべきぞ。つまりは親子三匹して、命をすつるに異ならねば、これ貞に似て貞にあらず、まことの犬死とはこの事なり。かくと心に思ひしかば、忍びがたき処を忍び、こらえがたきをようやく堪えて、みすみす雄を殺せしが。これもひとへにはらを、産み落したるその上にて。仇を討たせんと思へばなり。さるに妾不幸にして、いひがいなくも病に打ちし、すでに絶えなん玉の緒を、からつなぎて漸くに、今この児は産み落せしか。これをはぐくむことかなはず、折角頼みし仇討ちも、仇になりなん口惜しさ、推量なして給はらば、なにとぞこの児をあねごの児となし、阿姐がもて育てあげ。かれもし一匹まえの雄犬となりなば、その時こそは妾が今の、この言葉をば伝へ給ひて、妾がためには雄の仇、かれがためには父の仇なる、彼の金眸めを打ち取るやう、力になって給はれかし。頼みといふはこのことのみ。頼む/\」トいふ声も、次第に細る冬の虫草葉の露のいともろき、命は犬も同じことなり。



第三回[編集]

 いたはしや花瀬は、夫のゆくえ追ひ駆けて、あとより急ぐしでの山、その日の夕暮にみまかりしかば。あるじはいとどふびんさに、そのなきがらひつぎに納め、家の裏なる小山の蔭に、これをうずめて石を置き、月丸の名も共にり付けて、かたばかりの比翼塚、あとねんごろにぞとぶらひける。

 かくてみなしごこがねまるは、西東だにまだ知らぬ、わらの上より牧場なる、ぼたんもとに養ひ取られ、それより牛の乳をみ、牛の小屋にておいたちしが。次第に成長するにつけ、ほねぐみよのつねの犬にすぐれ、こころばせおおしくて、あっぱれ頼もしき犬となりけり。

 さてまた牡丹がおっとぶんかくといへるは、うまれえて義気深き牛なりければ、花瀬が遺言を堅く守りて、黄金丸の養育に、あけくれ心を傾けつつ、あまたこうしむれに入れて。或時はすもうを取らせ、またははしりくらなどさせて、ひたすらちからわざを勉めしむるほどに。その甲斐ありて黄金丸も、ちからあくまで強くなりて、おおかたの犬とみ合ふても、打ち勝つべう覚えしかば。文角もななめならず喜び、今は時節もよかるべしと、或時黄金丸をひざ近くまねき、さてそなたまことの児にあらず、かようかようしかじかなりと、いちぶしじゅうを語り聞かせば。黄金丸聞きもあへず、初めて知るわが身のすじょうに、ひとたびは驚き一度は悲しみ、また一度はきんぼうが非道を、はぎしりして怒りののしり、「かく聞く上は一日も早く、彼の山へせ登り、かたき金眸をみ殺さん」ト、いきまきあらくたちかかるを、文角はしばしと押しとどめ、「しか思ふはことわりなれど、暫くまづわが言葉を、心ろを静めて聞きねかし。原来そなたが親のかたき、ただに彼の金眸のみならず。かれが配下にちょうすいとて、いとはらぐろき狐あり。こやつある日鶏を盗みに入りて、はしなく月丸ぬしに見付られ、かれが尻尾を噛み取られしを、深く意恨に思ひけん。おのれの力に及ばぬより、彼の虎が威を仮りて、さてはかかる事に及びぬ。しかればまことかたきとするは、虎よりもまづ狐なり。さるに今そなたが、徒らに猛り狂ふて、金眸が洞に駆入り、かれと雌雄を争ふて、万一誤つて其方負けなば、当の仇敵の狐も殺さず、その身は虎のえじきとならん。これこそわれから死を求むる、ひとりむしよりおろかなるわざなれ。ことあいては年経し大虎、其方は犬の事なれば、たといかなる力ありとも、尋常にみ合ふては、彼にかたんこといと難し。それよりは今霎時、きばみがき爪を鍛へ、まづ彼の聴水めを噛み殺し、その上時節のいたるをまって、彼の金眸を打ち取るべし。今匹夫の勇をたのんで、世のものわらいを招かんより、無念をこらえて英気を養ひもって時節を待つにはかじ」ト、事を分けたる文角が言葉に、げにもと心にさとりしものから。黄金丸はややありて、「かかる義理ある中なりとは、今日まで露しらず、まことちちぎみ母君と思ひて、わがまま気儘にすごしたる、無礼の罪はいくえにも、許したまへ」ト、あまたたび養育の恩を謝し。さてあらためていへるやう、「知らぬむかしは是非もなけれど、かくわが親に仇敵あること、承はりて知る上は、もだして過すは本意ならず、それにつき、ここひとつの願ひあり、聞入れてたびてんや」「願ひとは何事ぞ、聞し上にて許しもせん」「そは余の事にも候はず、それがしいとまを賜はれかし。某これより諸国をぐり、あまねく強き犬とみ合ふて、まづわが牙を鍛へ。かたわら仇敵のふるまいに心をつけ、おりもあらば名乗りかけて、父のあだかえしてん。年頃受けし御恩をば、返しもへずこれよりまた、おんいとまを取らんとは、義を弁へぬに似たれども、親のためなり許し給へ。もしそれがし幸ひにして、見事父の讐を復し、なほこの命つつがなくば、その時こそは心のまま、御恩に報ゆることあるべし。まづそれまでは文角ぬし、しばしの暇賜はりて……」ト、涙ながらにかきくどけば、文角はほほえみて、「さもこそあらめ、よくぞいひし。其方がいはずばこなたより、しいても勧めんと思ひしなり。おもいのままに武者修行して、天晴れ父のかたきを討ちね」ト、いふに黄金丸も勇み立ち。善は急げとしたくして、「見事金眸が首取らでは、再びしゅうかには帰るまじ」ト、けなげにも言葉をちかひ文角牡丹にわかれを告げ、行衛定めぬ草枕、われからのらいぬむれに入りぬ。



第四回[編集]

 きのうふうかの門を守りて、くびに真鍮の輪をかけし身の、今日はそうかとなりはてて、いぬるにとやなく食するに肉なく、は辻堂のゆかしたに雨露をしのいで、ぶしつけなるもぐらに驚かされ。昼はさかなやみせさきぎょこつを求めて、なさけ知らぬ人のしもとおいたてられ。或時はさとのこらかれて、おおじあだし犬と争ひ、或時はいぬころしに襲はれて、やぶかげに危き命をひらふ。さるほどに黄金丸は、主家を出でて幾日か、山に暮らし里に明かしけるに。或る日いと広やかなるのはらにさし掛りて、行けども行けども里へは出でず。日さへはや暮れなんとするに、宿るべき木陰だになければ、さすがに心細きままに、ひたすら路を急げども。今日は朝より、一滴の水も飲まず、一塊の食もくらはねば、ひだるきこといはんかたなく。苦しさに堪えかねて、しばしみちのべうずくまるほどに、夕風はだえを侵し、じき骨にとおりて、ここち死ぬべう覚えしかば。黄金丸は心細さいやまして、「われ主家を出でしより、到る処の犬とあらそいしが、かつてもののかずともせざりしに。うえてふ敵には勝ちがたく、かくてはこの原の露ときえて、からすえじきとなりなんも知られず。……里まで出づればくいものもあらんに、それさへ四足疲れはてて、今はいかにともすべきやうなし。ああいひ甲斐なき事かな」ト、途方にうちくれゐたる折しも。いずくよりか来りけん、たちまち一団のおにびめのまえに現れて、高くあがり低く照らし、ふわふわと宙を飛び行くさま、われを招くに等しければ。黄金丸はややさとりて、「さてはわがなきおやたま、仮にここに現はれて、わが危急を救ひ給ふか。あなかたじけなし」ト伏し拝みつつ、その燐火の行くがまにまに、路四、五町も来ると覚しき頃、忽ち鉄砲の音耳近く聞えつ、燐火は消えて見えずなりぬ。こはそも怎麼なる処ぞと、あたりを見廻はせば、此処はおおいなる寺の門前なり。いぶかしと思ふものから、門のうちに入りて見れば。こは大なるふるでらにして、今は住む人もなきにや、ゆかは落ち柱斜めに、破れたる壁はつたかずらに縫はれ、朽ちたる軒はくもに張られて、ものすごきまでに荒れたるが。折しも秋の末なれば、屋根にひたるめばえかえで、時をえがおに色付きたる、そのひまより、おにがわらの傾きて見ゆるなんぞ、とがくやまふることも思はれ。尾花たかおいしげれる中に、斜めにたてるいしぼとけは、せつざんに悩むしゃかぶつかと忍ばる。――見ればこけ蒸したる石畳の上に。一羽のきぎすみうちたまを受けしと覚しく、飛ぶこともならでくるしみをるに。こはき獲物よと、急ぎ走りよって足に押へ、すでに喰はんとなせしほどに。忽ちうしろに声ありて、「憎き野良犬、そこ動きそ」ト、だいかつせいえかかるに。黄金丸は打驚き、しりえふりかえりて見れば、真白なるかりいぬの、われを噛まんとみがまえたるに、黄金丸も少しいらつて、「無礼なりなにやつなれば、われを野良犬とののしるぞ」「無礼なりとはなんじが事なり。わが飼主の打取りたまひし、きぎすを爾盗まんとするは、言語に断えしやまいぬかな」「いな、こはわれ此処にて拾ひしなり」「否、爾が盗みしなり。見れば頸筋に輪もあらず、爾如き奴あればこそ、いぬころしが世にえて、わがともがらまで迷惑するなれ」「許しておけば無礼なぞうごん、重ねていはば手は見せまじ」「そはわれよりこそいふことなれ、爾曹如きと問答むやくし。けがせぬうちにその鳥を、われに渡してく逃げずや」「返す返すも舌長し、折角拾ひしこの鳥を、おめおめ爾に得させんや」「しゃツ面倒なりかうしてくれん」ト、とんでかかれば黄金丸も、ものものしやと振りはらって、またみ付くをちょうけかえし、そののどぶえかまんとすれば、あなたも去る者身を沈めて、黄金丸のももを噬む。黄金丸はうえに疲れて、勇気日頃に劣れども、またなみなみの犬にあらぬに、かなたもなかなかこれに劣らず、互ひにいどみたたかふさま、彼のかおしょうせきしょうりんに、くもんりゅうと争ひけるも、かくやと思ふばかりなり。

 先きのほどより、かなたの木陰に身を忍ばせ、二匹の問答をききゐたる、一匹の黒猫ありしが。今二匹が噬合ひはじめて、互ひに負けじと争ひたる、そのすきを見すまして、静かに忍び寄るよと見えしが、やにはに捨てたるきぎすくわへて、脱兎の如く逃げ行くを、ややありて二匹は心付き。なむさんしてやられしと思ひしかども今更追ふても及びもせずと、雉子を咬へてついじ〈[#「片+嗇」、U+245FC、75-7]〉をば、越え行く猫の後姿、打ち見やりつつぼうぜんと、噬み合ふくちいたままなり。



第五回[編集]

 いつぼう互ひに争ふ時はついに猟師のえものとなる。それとこれとは異なれども、われ二匹争はずば、彼の猫如きに侮られて、おめおめ雉子は取られまじきにト、黄金丸も彼のかりいぬも、これかれひとしく左右に分れて、ひたすら嘆息なせしかども。今更に悔いてもせんなしト、ようやくに思ひ定めつ。ややありて猟犬は、黄金丸にうち向ひ、「さるにてもおんみは、そもいずこの犬なれば、かかる処ににさまよひ給ふぞ。最前よりかみあひ見るに、世にも鋭き御身がきばさきそれがし如きが及ぶ処ならず。もし彼の鳥猫に取られずして、なほも御身と争ひなば、わが身は遂にかみたおされて、雉子は御身がものとなりてん。……これを思へば彼の猫も、わがためには救死の恩あり。ああ、危ふかりし危ふかりし」ト、あまたたび嘆賞するに。黄金丸も言葉を改め、「こは過分なるほめことかな。さいふ御身がてなみこそ。なかなかおよばぬ処なれト、心ひそかに敬服せり。今は何をかつつむべき、某が名は黄金丸とて、以前は去る人間につかへて、守門の役を勤めしが、宿願ありていとまひ、今かくはなれいぬとなれども、決して怪しき犬ならず。さてまた御身が尊名いかに。苦しからずば名乗り給へ」ト、いへばかりいぬうちうなずき、「さもありなんさもこそと、某もすいしたり。さらば御身が言葉にまかせて、某が名も名乗るべし。見らるる如く某は、このあたりかりうどに事ふる、猟犬にて候が。ある時わしとって押へしより、名をばわしろうと呼ばれぬ。こは鷲をりししろいぬなれば、わししろといふ心なるよし。元よりかずならぬ犬なれども、かりには得たる処あれば、近所の犬ども皆恐れて、某が前に尾をれぬ者もなければ、天下にわれより強き犬は、多くあるまじと誇りつれど。今しも御身がてなみを見て、わが慢心をいたく恥ぢたり。そはともあれ、今御身が語られし、宿願のしさいは怎麼にぞや」ト、問ふに黄金丸はあたりを見かへり、「さらばくわしく語りはべらん……」とて、父が非業の死を遂げし事、わが身は牛に養はれし事、それより虎と狐をかたきとねらひ、しゅうかを出でて諸国を遍歴せし事など、落ちなく語り聞かすほどに。鷲郎はしばしば感嘆の声を発せしが、ややありていへるやう、「その事なれば及ばずながら、某一肢の力を添へん。われ彼のきんぼううらみはなけれど、きゃつ猛威をたくましうして、余のけものみだりにしいたげ。あまつさへうゆる時は、いちに走りてひとを騒がすなんど、片腹痛き事のみなるに、おりもあらばとりひしがんと、常より思ひゐたりしが。名に負ふ金眸は年経し大虎、われいかかりけたりとも、互角の勝負なりがたければ、虫を殺して無法なる、かれふるまいを見過せしが。今御身が言葉を聞けば、わりふあわす互ひの胸中。これより両犬心を通じ、力を合せてきゃつねらはば、いづれの時か討たざらん」ト。いふに黄金丸も勇み立ちて、「頼もしし頼もしし、御身すでにそのこころならば、某また何をか恐れん。これより両犬義を結び、親こそかわれこののちは、兄となりおとととなりて、共に力を尽すべし。某この年頃諸所を巡りて、あまたの犬とみ合ひたれども、一匹だにわが牙に立つものなく、いとほいなく思ひゐしに。今日ゆくりなく御身にであいて、かく頼もしきともを得ること、まことなき父のひきあわせならん。さきに路を照らせしおにびも、今こそ思ひ合はしたれ」ト、ひとり感涙にむせびしが。猟犬はしばしありて、「某今御身とちぎりを結びて、彼の金眸を討たんとすれど、飼主ありては心に任せず。今よりわれもくびわすてて、御身と共にはなれいぬとならん」ト、いふを黄金丸はおしとどめ、「こはそぞろなり鷲郎ぬし、わがために主をすつる、その志はかたじけなけれど、これ義に似て義にあらず、かへつて不忠の犬とならん。この儀は思ひ止まり給へ」「いやとよ、そのこころづかいは無用なり。某かりうどの家につかへ、をさをさ猟のわざにもけて、あけくれ山野を走り巡り、数多のとりけものを捕ふれども。つらつら思へば、これまことおおいなる不義なり。たとひ主命とはいひながら、罪なきものいたずらにいためんは、快き事にあらず。彼の金眸に比べては、その悪五十歩百歩なり。ここをもて某常よりこのなりわいを棄てんと、思ふことしきりなりき。今日このおりを得しこそさちなれ、断然いとまを取るべし」ト。いひもあへず、頸輪を振切りて、その決心を示すにぞ。黄金丸も今は止むるすべなく、「かく御身の心定まる上は、某また何をかいはん。幸ひなるかなこの寺は、荒果てて住む人なく、われがためにはすみかなり。これより両犬ここに棲みてん」ト、それより連立ちて寺のうちに踏入り、方丈と覚しき所に、畳少し朽ち残りたるをえらびて、そこをば棲居と定めける。



第六回[編集]

 かくて黄金丸はわしろうと義を結びて、兄弟の約をなし、このふるでらを棲居となせしが。元より養ふ人なければ、食物も思ふにまかせぬにぞ、心ならずも鷲郎は、なれわざとて野山にかりし、小鳥などりきては、ようやくその日のかてとなし、ここに幾日を送りけり。

 或日黄金丸は、用事ありて里に出でしかえるさ、独りはたみちたどくに、見ればかなたの山岸の、野菊あまた咲き乱れたるもとに、黄なるけものねぶりをれり。おおきさ犬の如くなれど、どこやらわがみうちの者とも見えず。近づくままになほよく見れば、耳立ち口とがりて、まさしくこれ狐なるが、その尾のさきの毛抜けて醜し。この時黄金丸思ふやう、「さきにぶんかくぬしが物語に、ちょうすいといふ狐は、かつてわが父つきまるぬしのために、尾の尖かみ切られてなしと聞きぬ。今彼の狐を見るに、尾の尖ちぎれたり。恐らくは聴水ならん。あな、有難やかたじけなや。此処にて逢ひしは天の恵みなり。いでひとかみに……」ト思ひしが。さすが義を知る獣なれば、ねごみを噬まんは快からず。かつは誤りて他の狐ならんには、無益のせっしょうなりと思ひ。やや近く忍びよりて、一声高く「聴水」ト呼べば、くだんの狐は打ち驚き、まなこも開かずそのままに、一けんばかりけしとんで、あわただしくげんとするを。逃がしはせじと黄金丸は、おめき〈[#「口+畫」、U+35F2、79-4]〉叫んでおっかくるに。かなたの狐も一生懸命、はたの作物をけちらして、里のかたへ走りしが、ある人家のそとべに、結ひめぐらしたるいけがきを、ひらりおどり越え、家のうちに逃げ入りしにぞ。続いて黄金丸も垣を越え、家の中を走り抜けんとせし時。むつばかりなるおさなごの、余念なく遊びゐたるを、あやまちて蹴倒せば、たちまわっと泣き叫ぶ。その声を聞きつけて、稚児の親なるべし、三十ばかりなる大男、裏口より飛でいりしが。今走り出でんとする、黄金丸を見るよりも、さてはこやつみしならんト、思ひひがめつおおいいかって、あり合ふ手頃の棒おつとり、黄金丸のまっこうより、骨も砕けと打ちおろすに、さしもの黄金丸肩を打たれて、「あっ」ト一声叫びもあへず、後にはたと倒るるを、なほ続けさまに打ちたたかれしが。やがて太きあさなわもて、ひしひしいましめられぬ。そのひまに彼の聴水は、危き命助かりて、ゆくえも知らずなりけるに。黄金丸は、無念に堪へかね、はぎしりしてえ立つれば。「おのれひとの子をきずつけながら、まだ飽きたらでたけり狂ふか。憎きやまいぬよ、今に目に物見せんず」ト、ひき立て曳立て裏手なる、えんじゅの幹につなぎけり。

 ぐふたいてんの親のあだ、たまさか見付けて討たんとせしに、その仇は取り逃がし、あまつさへその身はわずかの罪に縛められて邪見のしもとうくる悲しさ。さしもに猛き黄金丸も、ひとはむかふこともならねば、ぢつと無念をおさゆれど、くやし涙に地は掘れて、あしずりに木もゆらぐめり。

 かへつてとく鷲郎は、けさより黄金丸が用事ありとて里へ行きしまま、日暮れても帰り来ぬに、漸く心安からず。いくたびか門に出でて、かなたこなたながむれども、それかと思ふ影だに見えねば。万一かれが身の上に、あやまちはなきやと思ふものから。「かれ元よりなみなみの犬ならねば、むざいぬころしに打たれもせまじ。さるにても心元なや」ト、しきりに案じ煩ひつつ。うかうかとおのれも里のかたさまよひ出でて、或る人家のかたわらよぎりしに。ふと聞けば、垣のうちにてあやしうめき声す。耳傾けて立聞けば、どこやらん黄金丸のこわねに似たるに。今は少しもためらはず。結ひめぐらしたる生垣の穴より、入らんとすればあやにくに、からたちの針腹を指すを、かろうじてくぐりつ。声を知るべに忍びよれば。太きえんじゅくくり付けられて、うごめきゐるは正しくそれなり。鷲郎はつと走りよりて、黄金丸をいだき起し、耳に口あてて「のう、黄金丸、気をたしかに持ちねかし。われなり、鷲郎なり」ト、呼ぶ声耳に通じけん、黄金丸は苦しげにこうべもたげ、「こは鷲郎なりしか。うれしや」ト、いふさへ息もたえだえなるに、鷲郎は急ぎ縄を噬み切りて、みうちきずねぶりつつ、「いかにや黄金丸、苦しきか。そも何としてこのありさまぞ」ト、かついたはりかつ尋ぬれば。黄金丸は身を震はせ、かくいましめられし事のおこりを言葉短に語り聞かせ。「とかくは此処を立ちかん見付けられなば命危し」ト、いふに鷲郎も心得て、ふかでになやむ黄金丸をわが背に負ひつ、元入りし穴を抜け出でて、わがすみかへと急ぎけり。



第七回[編集]

 鷲郎に助けられて、黄金丸は漸く棲居へ帰りしかど、これよりみうち痛みて堪えがたく。しかのみならず右の前足ほねくじけて、物の用にも立ち兼ぬれば、くやしきこと限りなく。「われこのままに不具の犬とならば、年頃の宿願いつかかなへん。この宿願叶はずば、やしないおやなる文角ぬしに、また合すべきおもてなし」ト、はぎしりしてかきくどくに、鷲郎もその心中すいしやりて、共に無念の涙にくれしが。「さな嘆きそ。世はななころびやおきといはずや。心静かに養生せば、いつかいえざらん。それがしかたわらにあるからは、心丈夫に持つべし」ト、あるいはののしりあるいは励まし、甲斐々々しく介抱なせど、はかばかしきしるしみえぬに、ひたすら心をいらちけり。或日鷲郎は、食物を取らんために、ひるまえよりかりに出で、黄金丸のみ寺に残りてありしが。折しも小春の空のどけく、ひさしれてさす日影の、ほかほかと暖きに、黄金丸はとこをすべり出で、えんがわはしいして、独りものおもいに打ちくれたるに。忽ち天井裏に物音して、たすけを呼ぶねずみの声かしましく聞えしが。やがて黄金丸のかたわらに、一匹の鼠走り来て、ももの下に忍び入りつ、たすけを乞ふものの如し。黄金丸はいとふびんに思ひ、くだんの雌鼠をこわきかばひ、そも何者に追はれしにやと、かなたきっト見やれば、れたる板戸の陰に身を忍ばせて、こなたうかがふ一匹の黒猫あり。見ればいぬる日鷲郎と、かのきぎすを争ひける時、すきを狙ひて雉子をば、盗み去りし猫なりければ。黄金丸はおおいに怒りて、一飛びにくってかかり、あわてて柱によじのぼる黒猫の、尾をくわへて曳きおろし。ふみにじみ裂きて、たちどころに息の根とどめぬ。

 この時雌鼠は恐る恐る黄金丸の前へひ寄りて、いんぎんに前足をつかへ、あまたたびこうべを垂れて、再生の恩を謝すほどに、黄金丸はにっこと打ちみ、「なんじいずこむ鼠ぞ。また彼の猫はいかなる故に、爾をきずつけんとはなせしぞ」ト、尋ぬれば。鼠は少しくひざを進め、「さればよとの聞き給へ。わらわが名はおこまと呼びて、この天井に棲む鼠にてはべり。またこの猫はうばたまとて、このあたりに棲むどらねこなるが。かねてより妾にけそうし、道ならぬたわぶれなせど。妾は定まるおっとあれば、更にうけひく色もなく、常につれなき返辞もて、かへつてかれたしなめしが。かくても思切れずやありけん、今しも妾が巣に忍び来て、無残にも妾が雄を噬みころし、妾を奪ひ去らんとするより、逃げ惑ふて遂にかく、殿のまくらべを騒がせし、無礼の罪は許したまへ」ト、涙ながらに物語れば、黄金丸も不憫の者よト、くだんの鼠を慰めつつ、彼の烏円をしりめにかけ、「さりとては憎き猫かな。しゃつはいぬる日わが鳥を、盗み去りしことあれば、われまたうらみなきにあらず。年頃なせし悪事の天罰、今報ひ来てかく成りしは、まことに気味よき事なりけり」ト、いふ折から彼の鷲郎は、小鳥二、三羽くちはへて、かりより帰り来りしが。このていたらくを見て、事のおこりを尋ぬるに、黄金丸はありし仕末を落ちなく語れば。鷲郎もそのてがらを称賛しつ、「かくては御身がいたつきも、遠ほからずして癒ゆべし」など、いひて共に打ち興じ。やがて持ち来りし小鳥と共に、烏円が肉を裂きて、思ひのままにこれをくらひぬ。

 さてこの時より彼の阿駒は、再生の恩に感じけん、あけくれ黄金丸が傍にかしずきて、何くれとなくまめやかに働くにぞ、黄金丸もそのこころよみし、なさけかけて使ひけるが、もとこの阿駒といふ鼠は、去るこうぐしに飼はれて、さまざまの芸を仕込まれ、縁日のみせものいでし身なりしを、ゆえありて小屋を忍出で、今このふるでらに住むものなれば。折々は黄金丸が枕辺にて、うろおぼえの舞のてぶり、または綱渡りかごぬけなんど。むかとったるきねづかの、おぼつかなくもかなでけるに、黄金丸も興に入りて、病苦もために忘れけり。



第八回[編集]

 黄金丸が病に伏してより、やや一月にも余りしほどに、みうちの痛みもせしかど、前足いまだえずして、歩行もいと苦しければ、心しきりにいらちつつ、「このままに打ち過ぎんには、遂に生れもつかぬ跛犬となりて、親のあださへ討ちがたけん。今のあいだによき薬を得て、足をいやさではかなふまじ」ト、その薬をたずねるほどに。或日鷲郎はあわただしく他より帰りて、黄金丸にいへるやう、「やよ黄金丸喜びね。それがし今日くすしを聞得たり」トいふに。黄金丸はひざを進め、「こは耳寄りなることかな、その医師とはいずこたれぞ」ト、いそがはしく問へば、鷲郎はこたへて、「さればよ。某今日里に遊びて、古き友達にめぐりあひけるが。その犬語るやう、此処を去ること南の方一里ばかりに、とくさが原といふ処ありて、其処にあかめおきなとて、とうとき兎住めり。この翁若き時は、彼のしばかりのじじがために、かたきたぬきを海に沈めしことありしが。その功によりてげっきゅうでんより、れいきょれいきゅうとを賜はり、そをもてよろずの薬をきて、今はゆたかに世を送れるが。この翁がもとにゆかば、おおかたけものやまいは、癒えずといふことなしとかや。その犬もいぬる日さとのこに石を打たれて、左のあとあしを破られしが、くだんの翁が薬を得て、そのきずとみに癒しとぞ。さればわれ直ちに往きて、薬を得て来んとは思ひしかど。御身自ら彼が許にゆきて、親しくその痍を見せなば、なほたよりよからんと思ひて、われは行かでやみぬ。御身少しは苦しくとも、全く歩行出来ぬにはあらじ、あすにも心地よくば、試みに往きて見よ」ト、いふに黄金丸は打喜び、「そはまことに嬉しき事かな。さばれかく貴きくすしのあることを、今日まで知らざりしおぞましさよ。とかくは明日往きて薬を求めん」ト、くらげの骨を得し心地して、そのあけのひあさまだきより立ち出で、教へられし路をたどりて、とくさが原に来て見るに。はじかえでなんどの色々に染めなしたるこだちうちに、柴垣結ひめぐらしたるいおりあり。丸木の柱に木賊もてのきとなし。ちくえん清らかに、かけひの水も音澄みて、いかさまよしある獣のすみかと覚し。黄金丸はしばのとに立寄りて、ほとほとおとなへば。中より「ぞ」ト声して、あかめ自ら立出づるに。見れば耳長く毛はましろに、まなこくれないに光ありて、みるからよのつねの兎とも覚えぬに。黄金丸はまづうやうやしく礼を施し、さて病の由をもうしきこえて、薬を賜はらんといふに、彼の翁心得て、まづそのきずを打見やり、しばしねぶりて後、何やらん薬をすりつけて。さていへるやう、「わがこの薬は、かしこくもげっきゅうでんじょうがみずから伝授したまひし霊法なれば、たといいかなる難症なりとも、とみにいゆることしんの如し。今御身が痍を見るに、ときおくれたればやや重けれど、こよいうちには癒やして進ずべし。ともかくもあす再び来たまへ、いささか御身に尋ねたき事もあれば……」ト、いふに黄金丸打よろこび、やがて別を告げて立帰りしが。みちすがらある森の木陰をよぎりしに、忽ちおいしげりたる木立のうちより、ひょうト音して飛び来る矢あり。心得たりと黄金丸は、身をひねりてその矢をば、はっしト牙にみとめつ、矢の来しかたきっト見れば。ふたかかへもある赤松の、幹ふたまたになりたる処に、一匹の黒猿昇りゐて、ゆんでに黒木の弓を持ち、めてに青竹の矢を採りて、なほ二の矢をつがへんとせしが。黄金丸がつけし、まなこの光に恐れけん、その矢もはなたで、あわただしく枝に走り昇り、こずえ伝ひにこがくれて、忽ち姿は見えずなりぬ。かくて次の日になりけるに、不思議なるかなえたる足、朱目が言葉に露たがはず、全く癒えて常に異ならねば。黄金丸はこおどりして喜び。急ぎ礼にゆかんとて、ちとばかりのきらずを携へ、朱目がもとに行きて、全快の由もうしきこえ、言葉を尽してよろこびべつ。「はなれいぬにて思ふに任せねど、心ばかりの薬礼なり。ねがわくは納め給へ」ト、彼の豆滓を差しいだせば。朱目も喜びてこれを納め。ややありていへるやう、「きのう御身に聞きたきことありといひしが、余の事ならず」ト、いひさしてかたちをあらため、「それがしいくとせこうろうて、やや神通を得てしかば、おのずから獣の相を見ることを覚えて、とおひとつあやまりなし。今御身が相を見るに、世にもまれなる名犬にして、しかもちからばんじゅうひいでたるが、遠からずして、抜群の功名あらん。某このとしつきあまたの獣に逢ひたれども、御身が如きはかつて知らず。思ふに必ずよしある身ならん、その素性聞かまほし」トありしかば。黄金丸少しもつつまず、おのが素性来歴を語れば。朱目は聞いて膝を打ち。「それにてわれもえとくしたり。総じてけものは胎生なれど、多くは雌雄すひきはらみて、一親一子はいと稀なり。さるに御身はただ一匹にて生まれしかば、その力五、六匹を兼ねたり。しかのみならず牛に養はれて、牛の乳にはぐくまれしかば、また牛の力量をもうけえて、けだしよのつねの犬の猛きにあらず。さるにいかなればかく、おぞくも足をやぶられ給ひし」ト、いぶかり問へば黄金丸は、「これには深きしさいあり。原来某は、彼の金眸と聴水を、ぐふたいてんあだねらふて、常にゆだんなかりしが。いぬる日くだんの聴水を、途中にて見付しかば、名乗りかけて討たんとせしに、かへつてかれたばかられて、遂にかかる不覚を取りぬ」ト、彼のときの事つぶさに語りつつ、「思へば憎き彼の聴水、重ねて見当らばただ一噬みと、あけくれ心をばれども、彼も用心して更に里方へ出でざれば、うらみを返す手掛りなく、無念に得堪えず候」ト、いひおわりてはがみをすれば、朱目もうなずきて、「御身が心はわれとくすいしぬ、さこそ無念におはすらめ。さりながら黄金ぬし。御身まことかれを討たんとならば。われにはかりごとあり、及ばぬまでも試み給はずや、およきつねたぬきたぐいは、そのさがいたっわるがしこく、うたがい深き獣なれば、なまじいにたくみたりとも、たやすく捕へ得つべうもあらねど。その好む処には、君子も迷ふものと聞く、かれが好むものをもて、釣りいだしてわなに落さんには、さのみ難きことにあらず」トいふに。黄金丸は打喜び、「その釣り落す罠とやらんは、かねてより聞きつれど、某いまだ見し事なし。いかにして作り候や」「そはかようかようにしてこしらへ、それにえばをかけ置くなり」「してかれが好む物とは」「そは鼠のてんぷらとて、こえ太りたる雌鼠を、油に揚げて掛けおくなり。さすればその香気かれが鼻をうがちて、心魂忽ち空になり、われを忘れておおかたは、その罠に落つるものなり。これよくかりうどのなす処にして、かの狂言にもあるにあらずや。御身これより帰りたまはば、まづその如く罠を仕掛て、他がきたるを待ち給へ。今宵あたりは彼の狐の、その香気に浮かれ出でて、御身が罠に落ちんも知れず」ト、ねんごろに教へしかば。「こはきことを聞き得たり」ト、あまたたび喜び聞え、なほよもやまの物語に、時刻を移しけるほどに、日もやまのはかたぶきて、ねぐらに騒ぐむらがらすの、声かしましく聞えしかば。「こは意外長坐しぬ、ゆるしたまへ」ト会釈しつつ、わがすみかをさして帰り行く、途すがら例の森陰まで来たりしに、昨日の如く木の上より、矢を射かくるものありしが。こたびは黄金丸肩をかすらして、思はず身をも沈めつ、大声あげて「おのれ今日もろうぜきなすや、ひっとらへてくれんず」ト、走りよって木の上を見れば、果して昨日の猿にて、黄金丸の姿を見るより、またもこのはうちに隠れしが、われにこづたふ術あらねば、おっかけて捕ふることもならず。憎き猿めと思ふのみ、そのままにして打棄てたれど。「さるにてもなにゆえに彼の猿は、一度ならず二度までも、われを射んとはしたりけん。われら猿とはいにしえより、仲しきもののたとえに呼ばれて、互ひにきばを鳴らし合ふ身なれど、かくわれのみが彼の猿に、しゅうねく狙はるる覚えはなし。明日にもあれ再び出でなば、ひっとらへてたださんものを」ト、その日は怒りを忍びて帰りぬ。――ひっきょうこの猿は何者ぞ。また狐罠のなりゆきいかん。そは次のまきを読みて知れかし。


   上巻終

〈[#改頁]〉


下巻


第九回[編集]

 かくて黄金丸は、ひたすらかえりを急ぎしが、みちのほども近くはあらず、かつは途中にて狼藉せし、猿をおいかけなどせしほどに。おもいのほかに暇どりて、日も全く西に沈み、夕月たのもに映るころようやくにして帰り着けば。わしろうははや門にりて、黄金丸がかえりを待ちわびけん。かれが姿を見るよりも、いそがわしく走り迎へつ、「やよ〈[#「口+約」、U+55B2、89-6]〉、黄金丸、今日はなにとてかくはおそかりし。待たるる身より待つわが身の、きづかはしさをすいしてよ。いぬる日の事など思ひ出でて、安き心はなきものを」ト、かことがましく聞ゆれば、黄金丸はかやかやと打ち笑ひて、「さな恨みそ。今日はあかめぬしに引止められて、思はずはなしに時を移し、かくはかえりおくれしなり。構へて待たせし心ならねば……」ト、ぶるに鷲郎も深くはとがめず、やがて笑ひにまぎらしつつ、そのままうちに引入れて、共にゆうげくらひ果てぬ。

 しばらくして黄金丸は、鷲郎に打向ひて、今日朱目がもとにて聞きし事どもくわしく語り、「かかる良計ある上は、すみやかに彼の聴水を、おびいだしてとらえんず」ト、いへば鷲郎もうちうなずき、「狐を釣るにねずみてんぷらを用ふる由は、われかりうどつかへし故、とくよりその法は知りて、わなの掛け方も心得つれど、さてそのえばに供すべき、鼠のあらぬにためらひぬ」ト、いひつつ天井をうちながめ、少しく声を低めて、「御身がかつてたすけたる、彼のおこまこそくっきょうなれど。かれこのごろはわれなずみて、いとまめやかかしずけば、そを無残に殺さんこと、情も知らぬやまいぬなら知らず、かりにも義を知るわがともがらの、すに忍びぬ処ならずや」「まことに御身がいふ如く、われもみちすがら考ふるに、まづの阿駒に気は付きたれど。われその必死を救ひながら、今またかれが命を取らば、いかにも恩をするに似て、わが身も快くは思はず。とてもかくてもこの外に、鼠をさがらんにかじ」ト、言葉いまだおわらざるに、たちまち「あっ」と叫ぶ声して、かもいよりはたまろびおつるものあり。二匹は思はず左右に分れ、落ちたるものをきっと見れば、今しも二匹がうわさしたる、かの阿駒なりけるが。なにとかしたりけん、口より血おびただしく流れいずるに。鷲郎は急ぎいだき起しつ、「こや阿駒、怎麼にせしぞ」「見ればおもても血にまみれたるに、……また猫にや追はれけん」「いたちにや襲はれたる」「くいへかたきは討ちてやらんに」ト、これかれひとしくいたはり問へば。阿駒は苦しき息の下より、「いやとよ。猫にも追はれず、鼬にも襲はれず、わらわ自らかく成りはべり」「さは何故のしょうがいぞ」「仔細ぞあらん聞かまほし」ト、またいそがわしくといかくれば。阿駒ははらはらと涙を落し、「さても情深き殿たちかな。かかる殿のためにぞならば、すつる命もおしくはあらず。――妾が自害は黄金ぬしが、御用に立たんねがいに侍り」「さては今の物語を」「なんじは残らず……」「鴨居の上にて聞いて侍り。――妾いぬる日うばたまめに、無態の恋慕しかけられて、すでかれつめに掛り、絶えなんとせし玉の緒を、黄金ぬしのおんなさけにて、不思議につなぎ候ひしが。かの時わがおっとうばたまのために、非業の死をば遂げ給ひ。残るは妾ただ一匹、年頃契り深からず、いわみぎんざんますおとし、地獄落しも何のその。たとひ石油の火の中も、たらいの水の底までも、死なば共にとちこふたる、恋し雄に先立たれ、何がこの世のたのしみぞ。生きて甲斐なきわが身をば、かくながらへて今日までも、君にかしずきまゐらせしは、妾がために雄の仇なる、かの烏円をその場を去らせず、討ちて給ひし黄金ぬしが、御情にほだされて、いつかは君のおんために、この命をまいらせんと、思ふ心のあればのみ。かくて今宵図らずも、殿たち二匹の物語を、鴨居の上にてれ聞きつ。さても嬉しや今宵こそ、御恩に報ゆる時来れと、心ひそかに喜ぶものから。今殿たちが言葉にては、とても妾をきばにかけて、殺しては給はらじと、思ひ定めつさてはかく、われからのどみはべり。恩のために捨る命の。露ばかりも惜しくは侍らず。まいてや雄は妾より、先立ち登る死出の山、峰にひたる若草の、根をかじりてやわれを待つらん。追駆け行くこそなかなかに、心楽しく侍るかし。願ふはわが身をこのままに、天麩羅とやらんにしたまひて、彼の聴水を打つてべ。日頃だいこくてんに願ひたる、その甲斐ありて今ぞかく、わが身は恩ある黄金ぬしの、御用に立たん嬉れしさよ。……ああ苦しや申すもこれまで、おさらばさらば」トゆうつげの、とり乱したる前き合せ。西に向ふてもろてを組み、まなこを閉ぢてそのままに、息絶えけるぞ殊勝なる。

 二匹の犬ははじめより耳そばたてて、おこまが語る由を聞きしが。黄金丸はまづさたんして、「さても珍しき鼠かな。国にはぬすびと家に鼠と、ひとに憎まれいやしめらるる、鼠なれどもかくまでに、恩には感じ義にはいさめり。これを彼の猫の三年こうても、三日にして主を忘るてふ、烏円如きに比べては、雪と炭とのけじめあり。むかしもろこしさいかふといふひと、水を避けてなんろうに住す。或夜おおいなる鼠浮び来て、嘉夫がとこほとりに伏しけるを、あわれみて飯を与へしが。かくて水退きて後、くだんの鼠せいけんぎょくかささげて、奴に恩を謝せしとかや。今この阿駒もその類か。ふくしゅうむくいに復讐の、用に立ちしも不思議の約束、思へばのがれぬ因果なりけん。さばれいきとし生ける者、何かは命を惜まざる。あしたに生れゆうべに死すてふ、ふゆといふ虫だにも、追へばのがれんとするにあらずや。ましてこの鼠の、恩のためとはいひながら、自ら死しててんぷらの、辛き思ひをなさんとは、まことに得がたき阿駒が忠節、むるになほ言葉なし。……とまれかれのぞみに任せ、無残なれども油に揚げ。彼のちょうすいつりよせて、首尾よくきゃつを討取らば、いささぼだいたねともなりなん、善は急げ」ト勇み立ちて、黄金丸まづ阿駒のなきがらを調理すれば、鷲郎はまた庭にり立ち、青竹を拾ひ来りて、罠の用意にぞ掛りける。



第十回[編集]

 ここにまた彼の聴水は、いぬる日途中にて黄金丸に出逢ひ、すでに命も取らるべき処を、かろうじて身一ツを助かりしが。その時よりしておじけ附き、ひるは更なり、も里方へはいで来らず、をさをさゆだんなかりしが。そののち他の獣うわさを聞けば、彼の黄金丸はそのゆうべいたひとちょうちゃくされて、そがために前足えしといふに。少しくあんどの思ひをなし、忍び忍びに里方へ出でて、それとなく様子をさぐれば、そのきずおもいのほか重くして、日をれどもえず。さるによつてあすよりは、とくさはらあかめもとに行きて、療治をはんといふことまで、いかにしけんさぐりしりつ、「こはておけぬ事どもかな、かれもし朱目が薬によりて、その痍全く愈えたらんには、再び怎麼なるうきめをや見ん。とかくきゃつを亡きものにせでは、まくらを高くねぶられじ」ト、とさまかうさま思ひめぐらせしが。忽ちこひざはたち、「ここによきはかりごとこそあれ、このころきんぼう大王がみうちつかへて、新参なれどもまめだちて働けば、大王のおおぼえ浅からぬ、彼のこくえこそよかんめれ。彼の猿弓を引くわざけて、先つ年かれが叔父さわがにと合戦せし時も、軍功少からざりしと聞く。そののち叔父はうすたれ、かれは木からおちざるとなつて、この山にさまよひ来つ、金眸大王に事へしなれど、むかしとったるきねづかとやら、ひとつかの矢ひとはりの弓だに持たさば、彼の黄金丸如きは、事もなくいころしてん。まづかれもときて、事のおこりあからさまに語り、このことを頼むにかじ」ト思ふにぞ、直ちに黒衣が許へ走り往きつ、ひたすらに頼みければ。元より彼の黒衣も、心ねじけし悪猿なれば、異議なくうけあひ、「われも久しくためさねば、少しは腕も鈍りたらんが。たかの知れたる犬一匹、われ一矢にて射て取らんに、何の難き事かあらん。さらば先づ弓矢を作りて、明日かれの朱目が許より、帰る処を待ち伏せて、見事仕止めてくれんず」ト、いと頼もしげに見えければ。聴水は打ち喜び、「よろづはおぬしまかすべければ、よきに計ひ給ひてよ。謝礼は和主が望むにまかせん」ト。それより共に手伝ひつつ、はじの弓におにづたつるをかけ、なまだけく削りて矢となし、用意やがてととのひける。

 さてつぎのひの夕暮、聴水はくだんの黒衣が許に往きて、首尾いかにと尋ぬるに。黒衣まづほこりがおあざわらひて「さればよ聴水ぬし聞き給へ。われ今日かのとくさはらに行き、みちのほとりなる松の幹の、よき処に坐をしめて、黄金丸がかえりを待ちけるが。われいまだかれを見しことなければ、もしあやまちての犬をきずつけ、後のわざわいをまねかんもほいなしと、案じわづらひてゐけるほどに。しばらくしてかなたより、茶色毛の犬の、しかも一そくえたるが、おぼつかなくも歩み来ぬ。かねて和主が物語に、かれはその毛茶色にて、右の前足痿えしとききしかば。ひつじょうこれなんめりと思ひ。やごろを測つてひょうと放てば。ねらい誤たず、かれが右のまなこのぶかくもつったちしかば、さしもにたけき黄金丸も、何かはもってたまるべき、たちまはたと倒れしが四足をもがいてしんでけり。仕済ましたりと思ひつつ、松よりするすると走り下りて、かれむくろを取らんとせしに、いずくより来りけん一人の大男、思ふにいぬころしなるべし、手に太やかなる棒持ちたるが、歩みよってわれをさえぎり、なほ争はば彼の棒もて、われを打たんずいきおいに。われもかれさへ亡きものにせば、躯はさのみ要なければ、わがてがらよこどりされて、残念なれども争ふて、きずつけられんもむやくしと思ひ、そのまま棄てて帰り来ぬ。されども聴水ぬし、かれたしかに仕止めたれば、証拠の躯はよし見ずとも、心強く思はれよ。ああ彼の黄金丸も今頃は、かわやが軒につりさげられてん。思へばわれにうらみもなきに、無残なことをしてけり」ト、まことしやかに物語れば、聴水喜ぶことななめならず、「こは有難し、われもこれより気強くならん。原来彼の黄金丸は、われのみならずかしこくも、大王までをかたきねらふて、かれあしのきずいえなば、この山にうちいりて、大王をたおさんと計る由。……いかかれしし畑時能が飼ひし犬の名)の智勇ありとも、わが大王にはむかはんことしょっけんの日をゆる、愚を極めしわざなれども。大王これをきこし召して、いささか心に恐れ給へば、かるがるしくはそとでもしたまはず。さるをいま和主が、一ぜんもといころしたれば、わがためにうれいを去りしのみか、とりもなおさず大王が、めのうえこぶを払ひしに等し。今より後は大王も、枕を高く休みたまはん、これひとへに和主が働き、その功実に抜群なりかし。われはこれより大王にまみえ、和主が働きを申上げて、重き恩賞得さすべし。」とて、いと嬉しげに立去りけり。



第十一回[編集]

 かくて聴水は、こくえすみかを立出でしが、かれが言葉をいつわりなりとは、月にきらめくみちのべの、露ほどもさとらねば、ただ嬉しさに堪えがたく、「明日よりは天下晴れて、里へも野へも出らるるぞ。のう、嬉れしやよろこばしや」ト。ながひとやつながれしひとの、急にこのよへ出でし心地して、足も空にきんぼうほらきたれば。金眸は折しも最愛の、ともしといへるそばめの鹿を、ほとり近くまねきよせて、酒宴に余念なかりけるが。聴水はかくと見るより、まづいんぎんに安否を尋ね。さて今日かようのことありしとて、黒衣が黄金丸を射殺せし由を、ありのままに物語れば。金眸もななめならず喜びて、「そはおおいなるてがらなりし。さばれなんじ何とてかれを伴はざる、他にほうびを取らせんものを」ト、いへば聴水は、「やつがれしか思ひしかども、今ははや夜もけたれば、今宵は思ひとどまり給ふて、明日の夜更に他をまねき、酒宴を張らせ給へかし。さすれば僕明日里へ行きて、さかなあまたもとめて参らん」ト、いふに金眸もうなずきて、「とかくは爾よきに計らへ」「おおせかしこまり候」とて。聴水は一礼なし、おのすみかへ帰りける。

 さてそのあけのあさ、聴水はみじたくなし、里のかたへ出で来つ。ここの畠かしこくりやと、日暮るるまであさりしかど、はかばかしき獲物もなければ、尋ねあぐみてあるやぶかげいこひけるに。忽ち車のきしる音して、一匹のおおうしおおいなる荷車をき、これに一人の牛飼つきて、ののしりたてつつこなたをさして来れり。聴水は身を潜めてくだんの車の上を見れば。いずくの津より運び来にけん、俵にしたる米のほかに、しおざけほしかなんどあまた積めるに。こはき物を見付けつと、なほ隠れて車をり過し、ひらりとその上に飛び乗りて、積みたるさかなをば音せぬやうに、少しづつみちのべなげおとすを、牛飼は少しも心付かず。ただかの牛のみ、車の次第に軽くなるに、いぶかしとや思ひけん、折々立止まりて見返るを。牛飼はまださとらねば、かへつて牛の怠るなりと思ひて、ひたすら罵り打ち立てて行きぬ。とかくして一町ばかり来るほどに、肴大方取下してければ、はや用なしと車を飛び下り。投げたる肴を一ツに拾ひ集め、これを山へ運ばんとするに。かさおもいのほかに高くなりて、一匹にては持ても往かれず。さりとて残し置かんも口惜し、こはいかにせんと案じ煩ひて、しばしたたずみける処に。あなたの森の陰より、まっしぐらこなたをさしてせ来る獣あり。何者ならんと打見やれば。こは彼の黒衣にて。小脇に弓矢をかかへしまま、わきめもふらず走り過ぎんとするに。聴水はいそがわしく呼び止めて、「のうのう、黒衣ぬし待ちたまへ」と、声をかくれば。漸くに心付きし、黒衣は立止まり、聴水のかたを見返りしが。ただ眼を見張りたるのみにて、いまだ一言も発し得ぬに。聴水はおかしさをこらえて、「あわただし何事ぞや。おもての色も常ならぬに……物にや追はれ給ひたる」ト、といかくれば。黒衣は初めてといきき、「さても恐しや。今かの森の中にて、こがね……黄金色なる鳥を見しかば。一矢に射止めんとしたりしに、あに計らんやかれおおいなるわしにて、われを見るよりひとつかみに、攫みかからんと走り来ぬ。ああ 恐しや恐しや」ト、胸をでつつ物語れば。聴水は打ち笑ひ、「そはまことあやうかりし。さりながら黒衣ぬし、今日は和主はかくぼんにて、居ながらかこうくらひ得んに、なにを苦しんでか自らかりに出で、かへつてかかる危急き目に逢ふぞ。毛を吹いてきずを求むる、ものずきもよきほどにしたまへ。そはともあれわれ今日は大王のおおせを受け、和主を今宵招かんため、けさより里へあさり来つ、かくまでさかなは獲たれども、余りにかさ多ければ、独りにては運び得ず、しあんにくれし処なり。今和主の来りしこそさちなれ、大王もさこそ待ち侘びておわさんに、和主も共に手伝ひて、このさかなを運びてたべ。なさけあだしためならず、皆これ和主にまいらせんためなり」ト、いふに黒衣も打ちわらいて、「そはいとやすき事なり。幸ひこれに弓あれば、これにて共にき往かん。まづ待ち給へせん用あり」ト。やがておおいなるふるごもを拾ひきつ、これに肴を包みて上よりなわをかけ。くだんの弓をさし入れて、ひとかごなど扛くやうに、二匹まえうしろにこれをになひ、金眸が洞へと急ぎけり。



第十二回[編集]

 聴水黒衣の二匹の獣は、彼のしおざけほしかなんどを、すべて一包みにして、金眸が洞へ扛きもて往き。やがてこれを調理して、あまたけものを呼びつどひ、酒宴を初めけるほどに。皆々黒衣が昨日の働きを聞て、口を極めてほめそやすに、黒衣はいと得意顔に、鼻うごめかしてゐたりける。金眸も常にこころけゐて、後日の憂ひを気遣ひし、彼の黄金丸を失ひし事なれば、そのよろこびに心ゆるみて、常よりは酒を過ごし、いと興づきて見えけるに。聴水も黒衣も、ここせんどきげんを取り。聴水がうたへば黒衣が舞ひ、彼がしのだの森をおどれば、これはあり合ふふじづるを張りて、綱渡りの芸などするに、金眸ますます興に入りて、しきりに笑ひどよめきしが。やがてえいも十二分にまはりけん、ともしが膝を枕にして、前後も知らずたかいびきしばしこだまに響きけり。かくて時刻も移りしかば、はやまからんと聴水は、他の獣わかれを告げ、金眸が洞を立出でて、よろめ〈[#「にんべん+陵のつくり」、U+5030、98-15]〉〈[#「にんべん+登」、U+50DC、98-15]〉く足をふみしめ踏〆め、わがすみかへとたどりゆくに。このとき空は雲晴れて、十日ばかりの月の影、くまなくえて清らかなれば、野も林もひとつらに、まひるの如く見え渡りて、得も言はれざるながめなるに。聴水はうかうかと、わがへ帰ることも忘れて、次第にふもとかたへ来りつ、ある切株に腰うちかけて、しばし月を眺めしが。「ああ、心地や今日の月は、ことさら冴え渡りて見えたるぞ。これも日頃けぶたしと思ふ、黄金を亡き者にしたれば、胸にこだはる雲霧の、一時に晴れし故なるべし。……さても照りたる月かな、われもし狸ならんには、腹鼓も打たんに」ト、彼の黒衣がいつわりを、それとも知らで聴水が、かるがるしくも信ぜしこそ、年頃なせし悪業の、天罰ここに報い来て、今てる空の月影は、即ちその身の運のつき、とはさとらずしてひたすらに、興じゐるこそ愚なれ。

 折しもそよふく風のまにまに、いずくより来るとも知らず、いともたえなるかおりあり。怪しと思ひなほぎ見れば、正にこれおのが好物、鼠のてんぷらの香なるに。聴水忽ちまなこを細くし、「さてもうまくさや、うまくさや。いずくの誰がわがために、かかるちそうこしらへたる。いできてもてなしうけん」ト、みちなきくさむらを踏み分けつつ、香をしるべたどり往くに、いよいよその物近く覚えて、香しきりに鼻をつにぞ。こころも今は空になり、そこここかとあさるほどに、おざさひとむら茂れる中に、ようやく見当る鼠のてんぷら。得たりと飛び付きはんとすれば、忽ちぱっしと物音して、その身のくびは物にめられぬ。「なむさんわなにてありけるか。おぞくもられしくちおしさよ。さばれひとの来らぬ間に、のがるるまでは逃れて見ん」ト。力の限りもがけども、更にそのせんなきのみかのどは次第にしばり行きて、苦しきこといはんかたなし。

 かかる処へ、左右の小笹がさがさと音して、たちいずるものありけり。「さてはいよいよかりうどよ」ト、見やればこれひとならず、いとたくましき二匹の犬なり。この時めてなる犬は進みよりて、「やをれ聴水われをみしれりや」ト、いふに聴水おぼつかなくも、彼の犬を見やれば、こはいかに、昨日黒衣に射らせたる黄金丸なるに。再びいたく驚きて、物いはんとするに声は出でず、まなこを見はりてもだゆるのみ。犬はなほ語をぎて、「怎麼に苦しきか、さもありなん。されど耳あらばよく聞けかし。なんじよくこそわが父をたぶらかして、金眸にははしたれ。われもまた爾がためには、罪もなきにひとに打たれて、いたく足をきずつけられたれば、重なるうらみいと深かり。然るに爾そののちは、われを恐れて里方へは、少しも姿をいださざる故、意恨をはらす事ならで、いともほいなく思ふ折から。あかめぬしが教へに従ひ、今宵此処に罠をかけて、ひそかに爾がきたるを待ちしに。さきにわがため命をすてし、おこままごころ通じけん、おぞくも爾釣り寄せられて、罠に落ちしもがれぬ天命。今こそ爾を思ひのままに、肉を破り骨を砕き、ずたずたに噛みさきて、わがうらみを晴らすべきぞ。思知つたか聴水」ト、いひもあへず左右より、つかみかかつて噛まんとするに。思ひも懸けず後より、「やよ〈[#「口+約」、U+55B2、101-4]〉黄金丸しばらく待ちね。それがしいささか思ふ由あり。しゃつが命は今しばし、助け得させよ」ト、声かけつつ、しずしずたちいずるものあり。二匹は驚き何者ぞと、つきあかりすかし見れば。いつのほどにか来りけん、これなん黄金丸がやしないおやおうしぶんかくなりけるにぞ。「これはこれは」トばかりにて、二匹は再びきもを消しぬ。



第十三回[編集]

 かかる処へ文角の来らんとは、思ひ設けぬ事なれば、黄金丸驚くこと大方ならず。「珍らしや文角ぬし。そも何として此処にはきたりたまひたる。そはとまれかくもあれ、そののちは御健勝にて喜ばし」ト、一礼すれば文角はうなずき、「その驚きはことわりなれど、これにはちとの仔細あり。さて其処にゐる犬殿は」ト、わしろうゆびさし問へば。黄金丸も見返りて、「こは鷲郎ぬしとて、いぬる日かようかようの事より、図らず兄弟のちかひをなせし、世にも頼もしき勇犬なり。さて鷲郎この牛殿は、日頃それがしうわさしたる、養親の文角ぬしなり」ト、互にひきあわすれば。文角も鷲郎も、うやうやしく一礼なし、初対面のあいさつもすめば。黄金丸また文角にむかひて、「さるにても文角ぬしには、いかなる仔細のそうろうて、今宵此処には来たまひたる」ト、いそがわしく尋ぬれば。「さればとよよくききね、われ元より御身たちと、今宵此処にてめぐりあはんとは、夢にだも知らざりしが。今日しも主家のこものかれて、このあたりなる市場へ、塩鮭ほしか米なんどを、車につみて運び来りしが。彼のおおやぶの陰を通る時、一匹の狐物陰より現はれて、わが車の上に飛び乗り、さかなとって投げおろすに。しゃツ憎き野良狐めト、よくよく見れば年頃日頃、憎しと思ふ聴水なれば。しゃついまだ黄金丸が牙にかからず、なほこの辺をはいかいして、かかる悪事を働けるや。いで一突きに突止めんと、気はあせれども怎麼にせん、われは車にけられたれば、心のままに働けず。これを廝に告げんとすれど、悲しやことば通ぜざれば、かれは少しも心付かで、おめおめ肴を盗み取られ。やがて市場に着きし後、しろものみつひとつは、あらぬに初めて心付き。廝はいたうろたへて、さまざまにののしり狂ひ。さては途中にふり落せしならんと、引返して求むれど、これかと思ふ影だに見えぬに、今はたせんなしとあきらめしが。あきらめられぬはわが心中。彼の聴水がしわざなること、まのあたり見て知りしかば、いかにも無念さやるせなく。ことにはかれは黄金丸が、ぐふたいてんあだなれば、意恨はかの事のみにあらず。よしよし今宵はひっとらへて、後黄金丸に逢ひし時、みやげになして取らせんものと、心に思ひ定めつつ。さきに牛小屋を忍び出でて、其処よ此処よと尋ねめぐり、はしなくこの場に来合せて、思ひもかけぬ御身たちに、邂逅ふさへ不思議なるに、憎しと思ふかの聴水も、かく捕はれしこそ嬉しけれ」ト、語るを聞きて黄金丸は、「さは文角ぬしにまで、かかるいたずらしけるよな。返す返すも憎き聴水、いで思ひ知らせんず」ト、みかかるをば文角は、再びしばしと押し隔て、「さないらちそ黄金丸。かれすでに罠に落ちたる上は、まないたの上なるうおに等しく、殺すもいかすも思ひのままなり。されども彼の聴水は、金眸がここうの臣なれば、かれを責めなばおのずから、金眸がほらの様子も知れなんに、暫くわがさんやうを見よ」ト、いひつつ進みよりて、聴水がえりがみひっつかみ、罠をゆるめてわがひざの下に引きえつ。「いかにや聴水。かくわれが計略に落ちしからは、なんじが悪運もはやこれまでとあきらめよ。原来爾はいなりだいみょうじんかみつかいなれば、よくその分を守る時は、人もとうとみてきずつくまじきに。性よこしまにして慾深ければ、奉納のあげ豆腐をて足れりとせず。われから宝珠を棄てて、明神のみやしろを抜け出で、穴も定めぬ野良狐となりて、彼の山にさまよひ行きつ。金眸がひげちりをはらひ、あゆたくましうして、その威を仮り、あまたけものを害せしこと、その罪すわの湖よりも深く、またなすのはらよりもおおいなり。さばれ爾が尾いまだ九ツにけず、さんごくひぎょうの神通なければ、つひにおぞくも罠に落ちて、この野の露と消えんこと、けだしのがれぬ因果応報、大明神のみょうばつのほど、今こそ思ひ知れよかし。されども爾たしかに聞け。過ちて改むるにはばかることなく、まつごの念仏一声には、いかなる罪障も消滅するとぞ、爾今前非を悔いなば、すみやかに心を翻へして、われがために尋ぬることを答へよ。すでに爾も知る如く、年頃われ曹彼の金眸をあだと狙ひ。おりもあらば討入りて、かれが髭首かかんと思へと。怎麼にせん他が棲む山、みちけんにして案内知りがたく。しかのみならず洞のうちには、怎麼なる猛獣はんべりて、いかなるそなえある事すら、更に探り知る由なければ、今日までかくはためらひしが、いつか爾を捕へなば、糺問なして語らせんと、日頃思ひゐたりしなり。されば今われが前にて、彼の金眸が洞の様子、またあの山の要害怎麼に、くわしく語り聞かすべし。かくてもなお他を重んじ、事のまことを語らずば、その時こそは爾をば、われ曹三匹かわる更る。角に掛け牙に裂き、思ひのままにうきめを見せん。もしまたいはば一思ひに、息の根止めて楽に死なさん。とても逃れぬ命なれば、いまわの爾が一言にて、地獄にも落ち極楽にも往かん。とくしあんして返答せよ」ト、あるいはおどしあるいはすかし、言葉を尽していひ聞かすれば。聴水は何思ひけん、両眼よりはふりおつる涙きあへず。「ああわれ誤てり誤てり。ことわりめし文角ぬしが、今の言葉にやつがれが、いくとしつきの迷夢め、今宵ぞ悟るわが身の罪障思へば恐しき事なりかし。とまれ文角ぬし、わどのが言葉にせめられて、今こそ一の思ひ出に、聴水物語り候べし。黄金ぬしも聞き給へ」ト、いひつつしわぶきひとつして、く息も苦しげなり。



第十四回[編集]

 この時文角は、捕へしえりがしら少しゆるめつ、されどもいささか油断せず。「いふ事あらばくいへかし。この期に及びわれを欺き、すきねらふて逃げんとするも、やはかそのに乗るべきぞ」ト、いへば聴水こうべを打ちふり、「そのうたがいことわりなれど、やつがれすでに罪を悔い、心を翻へせしからは、などてひきょうなるふるまいをせんや。さるにても黄金ぬしは、いかにしてかくつつがなきぞ」ト。いぶかり問へばあざわらひて、「われまことなんじたばかられて、いぬる日ひとの家に踏み込み、いたちょうちゃくされし上に、裏のえんじゅつながれて、明けなば皮もはがれんずるを、この鷲郎に救ひいだされ、あやうき命は辛く拾ひつ。その時足をくじかれて、しばしは歩行もならざりしが。これさへあかめおきなが薬に、かくもとの身になりにしぞ」ト、あしぶみして見すれば。聴水は皆まで聞かず、「いやとよ、和殿がかのときひとに打たれて、足をやぶられたまひし事は、僕ひそかに探り知れど。僕がいふはその事ならず。――さても和殿に追はれし日より、わが身かたきつけねらはれては、いつまた怎麼なる事ありて、われ遂に討たれんも知れず。とかく和殿を亡き者にせでは、わが胸到底安からじト、とさまこうさま思ひめぐらし。おりうかがふとも知らず、和殿は昨日彼のきずのために、朱目の翁を訪れたまふこと、ひそかに聞きて打ち喜び。直ちにわが腹心の友なる、黒衣と申す猿に頼みて、途中に和殿を射させしに、見事仕止めつと聞きつるが。……さてはきゃつに欺かれしか」ト。いへば黄金丸からからと打ち笑ひ、「それにてわれも会得したり。いまだ鷲郎にも語らざりしが。昨日朱目が許よりかえるさ、森の木陰を通りしに、われを狙ふて矢を放つものあり。ひっきょうさとのこらいたずらならんと、その矢をくちひ止めつつ、矢の来しかたを打見やれば。こは人間と思ひのほか、おおいなる猿なりければ。にっくき奴めとにらまへしに、そのまましゃつは逃げせぬ。されどもわれ彼の猿に、うらみを受くべきおぼえなければ、なにゆえかかる事をすにやト、更に心に落ちざりしに、今爾が言葉によりて、かれが狼藉のゆえも知りぬ。然るにかれ今日もまた、同じ処に忍びゐて。われを射んとしたりしかど。こたびもその矢われには当らず、肩のあたりをかすらして、後のきのねに立ちしのみ」ト。聞くに聴水は歯をくいしばり、「口惜しや腹立ちや。聴水ともいはれし古狐が、黒衣ごとき山猿に、おめおめ欺かれし悔しさよ。かかることもあらんかと、覚束なく思へばこそ、ゆうべ他がを訪づれて、首尾いかなりしと尋ねしなれ。さるにかれ事もなげに、見事仕止めて帰りぬト、語るをわれも信ぜしが。今はた思へば彼時に、むくろひとに取られしなどと、いひくろめしもいつわりの、尾を見せじと思へばなるべし。かくて他われを欺きしも、もしこののち和殿に逢ふことあらば、事あらわれんと思ひしより、再び今日も森に忍びて、和殿を射んとはしたりしならん。それにて思ひ合すれば、さきに藪陰にて他に逢ひし時、いたく物にぢたる様子なりしが、これも黄金ぬしに追はれし故なるべし。さりとは露ほども心付かざりしこそ、返す返すも不覚なれ。……ああ、これも皆聴水が、悪事のむくいなりと思へば、他を恨みん由あらねど。しゃつなかりせば今宵もかく、わなめの恥辱はうけまじきに」ト、くいやちたびももちたび、眼を釣りあげてもだえしが。ややありて胸押ししずめ、「ああ悔いても及ぶことかは。とてもかくてもすつる命の、ただこの上は文角ぬしの、言葉にまかせて金眸が、洞の様子を語り申さん。――そもかの金眸大王が洞は、麓を去ること二里あまり、山を越え谷をわたること、その数幾つといふことを知らねど。もし間道より登る時は、わずか十町ばかりにして、そのほらのくちに達しつべし。さてまた大王が配下には、こんかひぐまこくめんしし)を初めとして、猛き獣なきにあらねど。そは皆各所の山に分れて、おのが持場を守りたれば、常には洞のほとりにあらずただやつがれとかの黒衣のみ、あけくれ大王のかたわらに侍りて、かれが機嫌をとるものから。このほど大王いずくよりか、ともしといへるめじかを連れ給ひ、そが容色におぼれたまへば、われちょうは日々にがれて、ひそかに恨めしく思ひしなり。かくて僕いぬる日、黄金ぬしに追れしより、かのつきまるわすれがたみ、僕及び大王を、かたきと狙ふ由なりと、金眸に告げしかば。れもまた少しく恐れて、くだんの鯀化、黒面などを呼びよせ、洞ちかく守護さしつつ、おのれかるがるしくそとでしたまはざりしが。これさへ昨日黒衣めが、和殿を打ちしと聞き給ひ、喜ぶことななめならず、たちままもりを解かしめつ。今宵は黄金丸を亡き者にせしいわいなりとて、さかんに酒宴を張らせたまひ。僕もその席に侍りて、先のほどまで酒みしが、独り早くまかいでつ、そのかえるさにかかるありさま、思へば死神の誘ひしならん」ト。いふに黄金丸は立上りて、あなたの山をきっにらめつ、「さては今宵彼の洞にて、金眸はじめ配下の獣さかもりなしてたわぶれゐるとや。時節到来今宵こそ。宿願成就する時なれ。あな喜ばしやうれしや」ト、天に喜び地に喜び、さながら物に狂へる如し。聴水はなほ語をぎて、「に今宵こそくっきょうなれ。さきに僕まかりでし時は、大王はともしが膝を枕として、前後も知らずえいふしたまひ。そのほとりには黒衣めが、興に乗じて躍りゐしのみ、余の獣們は腹を満たして、おのおのすみかに帰りしかば、洞には絶えてまもりなし。これよりかしこへ向ひたまはば、かの間道よりのぼりたまへ。少しは路のけわしけれど、幸ひ今宵は月冴えたれば、たどるに迷ふことはあらじ。その間道は……あれみそなはせ、かしこに見ゆるひとむらの、杉の森のこかげより、小川を渡りて東へ行くなり。さてまた洞は岩畳み、おにづたあまたひつきたれど、ほとりにえのきの大樹あれば、そをめじるしに討入りたまへ」ト、残る隈なく教ふるにぞ。鷲郎聞きて感嘆なし、「げにや悪に強きものは、また善にも強しといふ。なんじ今前非を悔いて、吾がために討入りの、はかりごとを教ふることまめなり。さればわれそのこころざしで、おつつけ彼の黒衣とやらんをうって、爾がためにうらみすすがん。心安くじょうぶつせよ」「こは有難きおおせかな。かくては思ひ置くこともなし、くわがのどみたまへ」ト。覚悟むればなかなかに、ちっとも騒がぬ狐が本性。あっぱれなりとたたへつつ、黄金丸は牙をらし、やがて咽喉をぞ噬み切りける。



第十五回[編集]

 黄金丸はまづ聴水を噬みころして、喜ぶこと限りなく、勇気日頃に十倍して、直ちに洞へむかはんと、いそがわしく用意をなし。文角鷲郎もろともに、彼の聴水が教へし路を、ひたすら急ぎ往くほどに、やがて山のはざまに出でしが、これより路次第にけわしく。けいきょくいやが上にひ茂りて、折々ゆくてさえぎり。しょうはく月をおおひては、暗きこといはんかたなく、ややもすれば岩に足をとられて、せんじんたにに落ちんとす。鷲郎は原来かりいぬにて、かかる路には慣れたれば、「われあんないせん」とて先に立ち、なほ路を急ぎけるほどに、とかくしてあるおのえに出でしが。此処はただ草のみ生ひて、樹はまれなればつきあかりに、路のたよりもいとやすかり。かかる処にみちのほとりくさむらより、つと走り出でて、鷲郎が前を横切るものあり。「しゃつ伏勢ござんなれ」ト、身構へしつつきっと見れば、いとおおいなる黒猿の、おもてすおうさもにたるが、酒に酔ひたるひとの如く、よろめ〈[#「にんべん+陵のつくり」、U+5030、109-3]〉〈[#「にんべん+登」、U+50DC、109-3]〉きよろめきかなたに行きて、太き松の幹にすがりつ、よじ登らんとあせれども、いかにしけん登り得ず。いくたびかすべり落ちては、また登りつかんとするに。鷲郎は見返りて、黄金丸に打向ひ、「怎麼に黄金丸、かしこを見ずや。松の幹に攀らんとして、しきりにあせる一匹の猿あり。もし彼の黒衣にてはあらぬか」ト、し示せば黄金丸は眺めやりて、「いかさまみまごふべきもあらぬ黒衣なり。きゃつ松の幹に登らんとして登り得ぬは、思ふに今まで金眸が洞にありて、酒を飲みしにやあらん。ひっとらへて吟味せば、洞の様子も知れなんに……」「かれ果して黒衣ならば、われまづ往きて他をまん。さきに聴水とも約したれば」ト、いひつつ走りよりて、「やをれ黒衣、にぐるとて逃さんや」ト、一声高くえかくれば。猿ははたと地にひれふして、じゅくし臭き息をき、「こはいずくの犬殿にて渡らせ給ふぞ。やつがれはこのあたりいやしき山猿にて候。今のたもふ黒衣とは、僕が無二の友ならねば、元より僕が事にも候はず」ト。いふ時鷲郎が後より、黄金丸は歩み来て、からからと打笑ひ、「なんじ黒衣。たとひ酒に酔ひたりともわがおもては見忘れまじ。われは昨日とくさはらにて、爾に射られんとせし黄金丸なるぞ」ト、罵れば。他なほ知らぬがほにて、「黄金殿かしろかね殿か、われは一向ちかづきなし。くろがねを掘りに来給ふとも、この山にはあかがねも出はせじ」ト、訳も解らぬことをいふに。「酔ひたる者と問答無益し、ただ一噬み」ト寄らんとすれば、黒衣は慌しく松の幹にすがりつつ、「こは情なの犬殿かな。和殿も知らぬことはあるまじ、わがとおつおやいわのえのみかざるは。和殿が先祖あやしのおおしろぎみと共に、ひとしもものおおいらつこに従ひて、おにがじまに押し渡り、軍功少からざりけるに。いつのほどよりかひまを生じて、互に牙をならし争ふこと、まことに本意なき事ならずや。さるによつてやつがれは、常に和殿を貴とみ、いつかよしみを通ぜんとこそ思へ、いささかも仇する心はなきに、なにとがあつて僕を、かまんとはしたまふぞ。山王権現のたたりも恐れ給はずや」ト、様々にいひ紛らし、すきまを見て逃げんと構ふるにぞ。鷲郎おおいいらちて、「なんじ悪猿、いかに人間に近ければとて、かくはわれを侮るぞ。われ曹くより爾が罪を知れり。たとひ言葉をたくみにして、いひのがれんと計るとも、われ曹いかで欺かれんや。重ねていつわりいへぬやう、いでその息の根止めてくれん」ト、おめきさけ〈[#「口+畫」、U+35F2、110-10]〉んで飛びかかるほどに。元よりごくうが神通なき身の、まいて酒に酔ひたれば、いかで犬にかなふべき、黒衣は忽ちひ殺されぬ。



第十六回[編集]

 鷲郎は黒衣がくびを咬ひちぎり、血祭よしと喜びて、これをくちひっさげつつ、なほ奥深くたどり行くに。忽ち路きわまり山そびえて、進むべきそばみちだになし。「こはいぶかし、路にや迷ふたる」ト、あなたすかし見れば、年りたるえのきおぐらく茂りたる陰に、これかと見ゆる洞ありけり。「さては金眸がすみかなんめり」ト、なほ近く進み寄りて見れば、彼の聴水がいひしにたがはず、岩高く聳えて、のみもて削れるが如く、これに鬼蔦のひ付きたるが、折からもみじして、さながら絵がけるびょうぶに似たり。また洞の外には累々たる白骨の、うずたかく積みてあるは、年頃金眸が取りくらひたる、とりけものの骨なるべし。黄金丸はまづほらぐちによりて。うちの様子をうかがふに、ただ暗うしてしかとは知れねど、奥まりたるかたよりいびきの声高くれて、地軸の鳴るかと疑はる。「さてはかれなほうまいしてをり、このひまおどり入らば、たやすく打ち取りてん」ト。黄金丸は鷲郎とおもてを見合せ、「ぬかり給ふな」「脱りはせじ」ト、互に励ましつ励まされつ。やがて両犬進み入りて、今しもともしともろともに、いわかどを枕としてねぶりゐる、金眸がひばらちょうれば。蹴られて金眸がばはねおき、一声ゆる声百雷の、一時に落ちきたるが如く、さんこくために震動して、物凄きこといはん方なし。

 去るほどに三匹の獣は、互ひに尽す秘術はやわざ、右にき左に躍り、縦横むげれまはりて、はんときばかりもたたかひしが。金眸はさきより飲みし酒に、四足の働き心にまかせず。あいては名に負ふ黄金丸、鷲郎もなみなみの犬ならねば、さしもの金眸も敵しがたくや、少しひるんで見えける処を、得たりとつけいる黄金丸、金眸がのんどをねらひ、あごも透れとみつけ、鷲郎もすかさず後より、金眸がふぐりをば、力をこめて噬みたるにぞ。きゅうしょの痛手に金眸は、一声おう〈[#「口+翁」、U+55E1、112-16]〉と叫びつつ、あえなくむくろは倒れしが。これに心の張り弓も、一度に弛みて両犬は、左右にどうひれふして、しばしは起きも得ざりけり。

 文角は今まで洞口にありて、二匹の犬の働きを、まなこも放たず見てありしが、この時おもむろに進み入り、悶絶なせし二匹をば、さまざまにねぶいたはり。漸く元にかえりしを見て、今宵の働きを言葉を極めてほめたたへつ。やがて金眸がくびを噬み切り、これを文角が角に着けて、そのまま山をくだり、しょうやが家にと急ぎけり、かくて黄金丸は主家に帰り、くだんの金眸がくびを奉れば。あるじおおかたすいしやりて、喜ぶことななめならず、「さてもでかしたり黄金丸、また鷲郎もあっぱれなるぞ。その父のあだうちしといはば、事わたくしの意恨にして、深くむるに足らざれど。年頃あまたけものしいたげ、あまつさへ人間をきずつけ、猛威日々にたくましかりし、彼の金眸を討ち取りて、けもののために害を除き、人間のためにうれいを払ひしは、その功けだしばくだいなり」トて、言葉の限りほめたたへつ、さて黄金丸には金のくびわ、鷲郎には銀の頸輪とらして、共に家のまもりとなせしが。二匹もその恩に感じて、忠勤怠らざりしとなん。めでたしめでたし。

この著作物は、1933年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。