遠足唱歌

• 底本: 巌谷小波 著 ほか『遠足唱歌』,武田芳進堂,明42.3. 国立国会図書館デジタルコレクション:info:ndljp/pid/855064
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  • 凡例

    親字 → 異体字 (Unicode番号) ; 異体字の説明。

  • 黄 → 黃 (U+9EC3) ; 「廣」のまだれを除いた字形
  • 緑 → 綠 (U+7DA0) ; 旁が「碌」の旁部分となる字形
  • 神 → 神 (U+FA19) ; 偏が「示」となる字形
  • 産 → 產 (U+7522) ; 「偐」の旁から「彡」を除き「生」を足した字形
  • 諸 → 諸 (U+FA22) ; 「者」の部分が「偖」の旁部分となる字形
  • 暑 → 暑 (U+FA43) ; 「者」の部分が「偖」の旁部分となる字形
  • 頼 → 賴 (U+8CF4) ; 8、9画目が「刀」となる字体
  • 内 → 內 (U+5167) ; 「人」の部分が「入」となる字形
  • 姫 → 姬 (U+59EC) ; 旁が「熙」のれっかと巳を除いた部分となる字形
  • 祝 → 祝 (U+FA51) ; 偏が「示」となる字形
  • 歩 → 步 (U+6B65) ; 7画目を除いた字形
  • 郎 → 郞 (U+90DE) ; 偏が「良」となる字形
• 註: 異体字セレクタに対応したブラウザ及びフォントを利用することで、原文に近い字体を表現することができます。対応していない場合は、基底となる文字がそのまま表示されます。
• 註: この文書ではルビが使用されています。ここでは「単語（ルビ）」の形で再現しています。一部の古いブラウザでは、ルビが正しく見えない場合があります。

遠󠄁足唱歌

巖谷小波作歌

山崎謙󠄁太郞作曲

春の部

1. 照（て）る日（ひ）の影（かげ）は 長閑（のどか）にて、吹（ふ）き來（く）る風（かぜ）も あたたかし。さらば友（とも）どち 打（うち）つれて、花󠄁（はな）さく野邊（のべ）を 探（さぐ）らなん。
2. 畑（はた）に色（いろ）添（そ）ふ 蓮󠄀（れん）花󠄁（げ）草（さう）、徑（こみち）に咲󠄁（さ）ける すみれぐさ、黃（き）なる山吹（やまぶき） 赤（あか）き桃（もも）、送󠄁（おく）り迎󠄁（むか）ふる 美（うつく）しさ。
3. 流（なが）れささめく 野（の）川（がは）には、浮󠄁（う）くよ目（め）高（だか）の 鰭（ひれ）ふりて、獨（まる）木（き）の橋（はし）の 危󠄁（あやふ）きに、友（とも）よ落（お）つるな 心（こころ）して。
4. 遠󠄁山里（とほやまさと）の うすがすみ、春（はる）の御（み）神（かみ）の 佐保（さほ）姬（ひめ）が、裳（もすそ）とばかり 麗󠄁（うるは）しき。あれぞ櫻（さくら）の 盛󠄁（さか）りなる。
5. 黃（こ）金（がね）と擬（まが）ふ 菜󠄁（な）の花󠄁（はな）の、蜜（みつ）に浮󠄁（う）かるる 蝶蝶（てふてふ）や、麥（むぎ）の葉（は）浪（なみ）に 高高（たかだか）と、なのるも嬉（うれ）し 揚（あげ）雲（ひ）雀（ばり）。
6. 袴（はかま）の褶（ひだ）の 正（ただ）しくも、並（なら）びて立（た）てる つくづくし、踏（ふ）むな手折（たを）るな これもまた、春（はる）の惠（めぐ）みに うまれしを。
7. 鍬（くは）を伴󠄁侶（とも）なる 野（の）の人（ひと）に、行（ゆ）くての道󠄁（みち）を 尋󠄁（たづ）ねつつ、進󠄁（すす）む彼（か）方（なた）の 花󠄁（はな）かげに、姥（をば）が澁茶（しぶちや）の 店（みせ）もあり。
8. 姿󠄁（すがた）見（み）せねど うぐひすは、垣（かき）根（ね）の花󠄁（はな）の 間（あひだ）より、ホーホケキョーと いくたびか、繰（く）り返󠄁（かへ）しつつ 歌（うた）ふなり。
9. 小（こ）高（だか）き丘（をか）の 上（うへ）に來（き）て、杖󠄀（つえ）を立（た）つれば 遠󠄁近󠄁（おちこち）の、あかぬ眺（なが）めに しばらくは、我（われ）を忘󠄁（わす）るる 思（おも）ひかな。
10. 遠󠄁（とほ）く流（なが）るる 川筋（かはすぢ）は、誰（た）が解（とき）すてし 帶（おび）やらん、立（た）つ漣（さざなみ）に 日（ひ）をうけて、撚（よ）るや銀絲（ぎんし）の きらめくを。
11. 杉（すぎ）の綠（みどり）に 交󠄁（まじ）りつつ、椿（つばき）さくなる 木（こ）の間（ま）より、半󠄁（なか）ば見（み）えたる 大鳥（おほとり）居（ゐ）、あれこそ村（むら）の 鎭守（ちんじゅ）なれ。
12. 友（とも）よ此（こ）方（なた）を かへり見（み）よ。柳（やなぎ）の若（わか）葉（ば） 萠󠄁（も）え初（そ）めし、橋（はし）の袂（たもと）に いななきて、驅（か）け行（ゆ）く駒（こま）の 勇󠄁（いさま）しさ。
13. 思（おも）へば雪󠄁（ゆき）の 冬󠄀（ふゆ）の日（ひ）は、野（の）中（なか）の草（くさ）も 枯（か）れ果（は）てて、花󠄁（はな）の紅（くれなゐ） 葉（は）のみどり、鳥（とり）の唄（うた）さへ なかりしを。
14. めぐる月（つき）日（ひ）の 其內（そのうち）に、かくこそ花󠄁（はな）は 咲󠄁（さ）き出（で）たれ。されば吾（われ）等（ら）も 怠（おこた）らず、進󠄁（すす）みて花󠄁（はな）を 咲󠄁（さ）かせまし。
15. 花󠄁（はな）野（の）の中（なか）を 右（みぎ）ひだり、心（こころ）のままに 見（み）步（ある）きて、隱（かく）れし自（し）然（ぜん）の 工（たくみ）をば、啓（ひら）き求（もと）めん 術󠄁（すべ）もがな。
16. 花󠄁（はな）に蜜（みつ）とる 虻蜂（あぶはち）や、空󠄁（そら）に蟲（むし）驅（か）る 乙鳥（つばくろ）も、いづれか鑑（かがみ） ならざらん、我（われ）等（ら）も彼（かれ）に 劣（をと）るべき。
17. 春（はる）の光（ひかり）の 遲󠄃々（ちち）として、花󠄁（はな）の木（こ）の間（ま）に 落（お）つる頃（ころ）、草（くさ）刈（か）り終󠄁（を）へし 里（さと）の子（こ）は、犢（こうし）を牽（ひ）きて 急󠄁（いそ）ぐなり。
18. 花󠄁瓣閉（はなびらとざ）す たんぽぽの、陰（かげ）に夢（ゆめ）みる 蟲（むし）もあり、霞（かすみ）の幕（まく）に つつまれて、一夜（や）を明（あ）かす 鳥（とり）もあり。
19. さらば歸（かへ）らん 我友（わがとも）よ、今日（けふ）は樂（たの）しく 遊󠄁（あそ）びたり、廣（ひろ）き野（の）原（はら）を 庭󠄁（には）として、花󠄁（はな）と鳥（とり）とを 伴󠄁侶（とも）として。
20. 家（いへ）のみやげは 何々（なになに）ぞ、摘󠄂（つ）みしは花󠄁（はな）の 數々（かずかず）か、籠󠄄（かご）傾（かたむ）けて 語（かた）らはん、今日（けふ）一日（にち）の 愉󠄁（ゆ）快（かい）さを。

春の部終り

秋の部

巖谷小波作歌

山崎謙󠄁太郞作曲

1. 桐（きり）の一葉（は）に 風（かぜ）たちて、さしもに暑（あつ）き 夏（なつ）の日（ひ）も、南（みなみ）に遠󠄁（とほ）く なりゆけば、凉（すず）しき秋（あき）は 來（きた）りけり。
2. 瑠璃（るり）かとみゆる 大空󠄁（おほぞら）に、浮󠄁（うか）べる雲（くも）の 影（かげ）もなく、八千（やち）草（ぐさ）千（ち）草（ぐさ） さき亂（みだ）る、秋（あき）の眺（なが）めぞ 面白（おもしろ）き。
3. 見（み）渡（わた）す野邊（のべ）に 穰（みの）りたる、稻（いね）の穗（ほ）並（なみ）の 美（うつく）しさ、鳴（なる）子（こ）に騷（さわ）ぐ 小（こ）雀（すずめ）の、聲（こゑ）さへ澄（す）みて 聞（きこ）ゆなり。
4. 畑（はた）に色（いろ）付（つ）く 柿（かき）の實（み）を、掠（かす）めんとてか 小（こ）烏（がらす）の、案山子（かがし）の先（さき）に 止（とま）りつつ、待（ま）てるも秋（あき）の 景（け）色（しき）かな。
5. 咲󠄁（さ）くや絲萩（いとはぎ） をみなへし、露（つゆ）を含（ふく）める 花󠄁（はな）のつや、桔（き）梗󠄀（きゃう）は別（べつ）に 紫（むらさき）の、ゆかしき色（いろ）に 咲󠄁（さ）き出（で）たり。
6. いく度人（たびひと）に 芽（め）を踏（ふ）まれ、草（くさ）刈（か）る鎌󠄁（かま）に かかるとも、撓（たゆ）まずのびて 色（いろ）そへし、花󠄁（はな）の心（こころ）ぞ 賴（たの）母（も）しき。
7. 露（つゆ）にその身（み）を 鍛（きた）へたる、松󠄁蟲鈴蟲（まつむしすずむし） くつはむし、葉（は）末（すゑ）に宿（やど）り 根（ね）に潜（ひそ）み、謠（うた）ふや節󠄁（ふし）も 音󠄁（ね）も妙（たへ）に。
8. 聲（こゑ）につやある 邯鄲（かんたん）や、囀（さへづ）り高（たか）き 草（くさ）ひばり、品（しな）こそ異（かは）れ とりどりに、秋（あき）の調󠄁（しらべ）ぞ 巧（たく）みなる。
9. 山（やま）の麓（ふもと）の 栗（くり）林（ばやし）、落（をち）葉（ば）の中（なか）に こぼれたる、木（こ）の實（み）や家（いへ）の 土產（つと）にせん、いざ諸共（もろとも）に 拾（ひろ）はなん。
10. ここよ彼（かし）處（こ）と あさりつつ、見（み）れば嬉（うれ）しや 栗（くり）の實（み）の、昨日（きのふ）の風（かぜ）に さそはれて、落（を）ちたる數（かず）の いと多（おほ）し。
11. 松󠄁（まつ）の茂（しげ）みを 分󠄁（わ）け上（のぼ）り、雜（ざう）木（き）の陰（かげ）に 來（き）て見（み）れば、笠（かさ）傾（かたむ）けつ 莖伸（くきのべ）つ、木（きの）菌（こ）や人（ひと）を 待（ま）ち顏（がほ）に。
12. 採󠄁（と）りし獲（え）物（もの）を 較󠄁（くら）べつつ、語（かた）るも樂（たの）し 丘（をか）の上（うへ）、見（み）よや蜻蛉（とんぼ）も 來（き）て遊󠄁（あそ）び、小（こ）鳥（とり）も近󠄁（ちか）く 謠（うた）ふなり。
13. 追󠄁（お）ふな拂（はら）ふな 蜻蛉（とんぼう）も、田（た）畑（はた）の蟲（むし）を 捕（と）り食󠄁（くら）ひ、小（こ）鳥（とり）は木々（きぎ）の 蟲（むし）を驅（か）り、共（とも）に我（われ）等（ら）を 助（たす）くるよ。
14. 鎭守（ちんじゅ）の森（もり）に 旗（はた）みえて、神樂（かぐら）の囃（はや）子（し） 聞（きこ）ゆなり、かくてぞ年（とし）の 豐（ゆた）けきを、祝（いは）ふか里（さと）の 人人（ひとびと）も。
15. 野（の）中（なか）の徑（こみち） ゆく牛（うし）の、背（せ）に堆（うづたか）く つむ草（くさ）に、今朝󠄁來（けさき）し路（みち）に 咲󠄁（さ）きそめし、花󠄁（はな）の數々（かずかず） 交󠄁（まじ）るらん。
16. 高（たか）く聳󠄃（そび）ゆる 遠󠄁山（とほやま）の、白（しろ）く頂（いただ）く 綿帽（わたぼう）子（し）、あれこそ雪󠄁（ゆき）よ 彼（かし）處（こ）には、はやも來（き）ませり 冬󠄀（ふゆ）の神（かみ）。
17. 小（を）山（やま）田（だ）稻（いね）を 刈（か）り終󠄁（を）へて、紅葉（もみぢ）の錦（にしき） かざりなば、霜（しも）と雪󠄁（ゆき）とに 年（とし）くれて、追󠄁（お）へど及󠄁（およ）ばぬ 月（つき）日（ひ）かな。
18. 日（ひ）足（あし）短（みじか）き この頃（ごろ）や、野（の）寺（でら）の鐘（かね）の 音󠄁（ね）と共（とも）に、はやくも月（つき）は 昇（のぼ）るなり、尾（を）花󠄁（ばな）の末（すゑ）を ゆるがせて。
19. 金（きん）波（ぱ）を碎（くだ）く 里（さと）の川（かは）、蟲（むし）の音󠄁（ね）高（たか）き 廣（ひろ）野（の）原（はら）、露（つゆ）は我（われ）等（ら）が 裾（すそ）に散（ち）り、風（かぜ）は我（われ）等（ら）が 袖（そで）を訪（と）ふ。
20. 夕霧（ゆふぎり）やがて 立（た）ちこめて、今日（けふ）の野（の）山（やま）は 隔󠄁（へだ）つとも、月（つき）こそ守（まも）れ 樂（たの）しくも、家（いへ）路（ぢ）にかへる 我（われ）等（ら）かな。

秋の部終り

遠󠄁足唱歌終󠄁