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名古屋合戦記

 
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名古屋合戦記
 
後柏原院ノ御宇駿河ノ屋形今川修理大夫氏親尾張守護斯波治部大輔義達ト互ニ敵シテ合戦ニ及フ其頃三河ノ国臥蝶ノ地頭大河内備中守貞綱ト云シハ元来吉良殿ノ家人也近年自立シテ威ヲ振ヒ国中ノ兵士ヲ懐ケテ駿河領ヲ窺今川殿兵ヲ以テ討之為下給ヘリ大河内尾州ヘ礼ヲアツクシテ斯波殿ノ援ヲ請ヘリ義達諾シテ従之大河内ハ遠江国引馬ノ城ニ楯テ籠リテ種々ノ謀略ヲ企ツ今川殿是ヲ退治セントテ永正十年ノ三月一万余ノ軍兵ヲ卒シテ遠州へ発向斯波殿ハ深岳ノ城ニ出張シテ軍評定アリシ今川殿ノ家臣朝比奈十郎泰以夜ヲ侵テ襲之シカハ尾張勢敗北シテ奥山へ退キ遁ル同十一年三月大河内重子テ引間ヲ取リ返シ池田入野辺ヲ押領シテ却テ威強盛ニナリニキ又斯波殿ノ出馬ヲ請ヒケレハ義達再進発ナリシ清須ノ城ニハ織田大和守敏信ヲ留守トシ給ヘリサレトモ織田伊勢守信安遠州進発ノ事ヲ止シニ義達許容ナカリシカハ不和ノ事出来テ上四郡ノ兵ハ参陣セサリシ故斯波家ノ軍無勢ナリシ然レトモ大河内ヲ援テ引間ノ籠城ト聞ヘシ同年六月今川殿三万ノ兵ヲ率シ取リ巻テ攻撃レケレハ同年八月十九日終ニ落城シ大河内貞綱并ニ其弟巨海新左衛門尉道綱高橋三郎兵衛尉正定中山監物等千余人討死セリ斯波殿ハ降人トナリ普済寺ト云禅院ニ入リ剃髪シ給ヒケレハ一家ノ好ミニ命ヲ助マヒラセ尾州ヘ送リ還サレケル此時向後駿河屋形ニ対シテ弓ヲ引クヘカラサル由起請文ヲ留メテ帰国アリケル依之今川殿其末子左馬之助氏豊ヲ指添テ尾張へ指上セ給ヘリ義達ハ既ニ隠居アリシカハ若君ヲ織田大和守以下補佐シテ武衛家ヲ相続ス是治部大輔義統ナリ大永ノ初今川殿ヨリ尾州名古屋ノ城築左馬助ヲ移入テ清須ノ押ニセラル義統ノ妹左馬助ニ嫁シケル上ハ東西隔ナク中々静カナリケル其比勝幡ノ城主織田弾正忠信秀トテ清須三奉行アリ左馬助ト毎ニ親ミ互ニ連歌ヲ好マレシカハ句ヲ付アヒテ名古屋清須ヨリ使ヲ馳テ遊ハル扇箱ナトニ懐紙ヲ入レテ持アリキケルカ有時洪水ノ折柄使者小田井ノ川辺ヲ渡リケルトテ彼ノ箱ヲ流シ失ヒケル左馬本意ナキ事ニ思ハレケレハ弾正忠ニ申シ贈ラレケルハ道ノ程近カラサレハ付相ヲ待カ子侍ル殊ニ先ノ如ク懐紙ナト失ヒ候事モアリ願クハ十日計リモ名古屋ニ留レヨ心静ニ連歌シ候ハント申サレケレハ弾正甚悦其後ハ名古屋ヘ往キ城中ニ一ト間ヲ預リ或ハ五三日又ハ十日余リモ滞留シテ連歌シ茶湯ヲシナトセラレケル享禄五年ノ春例ノ如ク名古屋へ来リ数日留リ居ラレシカ本丸ニ向ヒ窓ヲ切リ開カル今川ノ家人怪ミテ御舘ニ客人トシテ居ナカラ矢狭間ヲ切ルコソ心得子トテ其様ヲ申シケレトモ左馬助事トモセス此ノ人ニカキリ別心有ルヘキトモ覚ヘス風流ノ仁ナレハ大木ニ覆ヒタル柳ノ丸ノ狭サニ夏ノ風ノ便ナトニ窓ヲコソ開カルラメトテ更ニトカメラレサリケリ然ル所ニ弾正俄ニ大病請ラレシトテ彼家人走リ回リ清須ニ告ケ勝幡へ申シオリケル程ニ三月十一日其親族家人多来テヒシメク夜ニ入テ猶人来リ重リシカ今市場ノ方ニ火事有リトテ城中サワキ立ケル折節南風ハケシク若宮ノ社天王ノ社ヲ始メ天永寺安養寺等ニ火カヽリテ城ヘ火ノ子ヲ吹付ケタリシカ城ノ東南ノ方ヨリ時ヲ作リテ攻ヨスルホトコソアレ柳丸ノ方ニ時ノ声ヲ合テ火ヲ放勝幡ノ兵士甲胄ヲヨロヒ本丸ヲ攻ケル間城ノ中ニハハカシキ士卒モナク内オープンアクセス NDLJP:341外ノ敵ニ包レアキレサハキケル広キ竹島等ニ有リケル今川ノ家人初ハ火事ノ為ニ集リタレハ物ノ具シタル者一人モナク襲兵ハ爰彼ヨリ馳出テ追ツメケレハ何モ素膚ノ歩行武者心ハカリハ勇シカトモ敢ナク皆討レケリ左馬助ハトカクシテ城ヲマキレイテ薬師寺刑部丞ヲ以テ命ハカリヲ請得テ女方ノ縁ヲ便ニシ京都ヘ上ホラレケル弾正忠ハ計略思ヒノマヽニ為スマシ名古屋ノ城ヲ取リ頓テ移リ居ラレケル清須ニモ内々今川我国ニ来住ノ事口惜ク思ヒ給ヒシカハ知スカホニテ過ラレケルト聞ヘシ天文三年ノ正月信長此城ニ誕生アル御女儀ハ土田氏ノ女也同四年同郡古渡村ニ新城ヲ築テ弾正忠移ツル若君ハ猶名古屋ノ城ニテ成長アリケル同廿三年七月十二日織田彦五郎信友斯波殿ヲ殺セリ翌年弘治ト改元アル四月二十日信長兵ヲ率ヒ清須ヲ攻信友誅ニ伏又是ヨリ信長清須ノ城ニ移リ名古屋ノ城ヲハ叔父孫三郎信光ニ授ラレシニ其年十一月二十六日坂井孫八郎カ為ニ弑セラル故ニ林佐渡守信勝ヲシテ城ヲ監セシメ給ヒケリ

  明治十七年四月                 近藤瓶城校

  明治三十五年一月以大学本再校了         近藤圭造

 
 

この著作物は、1901年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)80年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。